深夜の音楽室で、幽霊がビートルズを弾いていた。
しかも、全身タトゥーの坊主頭だ。
僕は二十三歳まで幽霊なんて信じてなかったけど、これはさすがに無理だった。
そいつはつるんとした坊主頭で上半身肌、首から下がタトゥーびっしりと存在感が強い。彼はビートルズのLet it Beをずっと弾いている。巡回中の僕と対面すると見た目とは裏腹な、しとやかな会釈をする。
僕は大学は出たものの就職に失敗し警備会社の派遣社員になり、中学校の夜間警備をしている。
もろにコロナ禍の影響を受けた。
幽霊のピアノ演奏はまろやかだ、聴いていて心地よいが、Let it Beと言われてもな、ともやもやした。パンデミックで僕の人生はなるようにならない。好きなブランドの店員になりたくてがんばったのに、ブランドはコロナの影響で倒産した。
毎日毎日、警備員の制服を着るのが嫌になる。
バイト増やして買ったブランドの服が仕事着になるのが夢だった、社割で好きな服を買いたかった。
「どうにもならないんだよね」
僕は暇があれば音楽室でタトゥー男のピアノを聴くようになった。幽霊相手でもひとりぼっちではない、と思うと気が紛れた。
マリア、薔薇、十字架、虎、般若、観音様、タトゥー男の統一性のない肌の模様。
「僕はビートルズのアルバムならラバーソウルが好きなんだけど」
言うと、ぴたっと男がレットイットビーの演奏をやめた。Nowhere manを弾き始めた、ジャスアレンジだ。
「そんな演奏もできるんだ。あんた、ピアニストだったの?」
タトゥー男は首を横にふった。
「ピアニストになりたかった?」
タトゥー男がうなずいた。
「そうなんだ。でもピアノで食ってくなんて、ほんとうにごくわずかの人なんだろう。あんたは夢叶わず死んでしまったのか」
音が止まった。タトゥー男は鍵盤の上で指を停止させている。
「ごめん。嫌なこと言ったな」
僕が言うと流れるような演奏でレットイットビーが始まる。夢破れて「なるようになるさ」と答えてくる幽霊の気持ちが僕はわからない。
僕は音楽室から出て、見回りを再開した。
教室を見ると嫌でも学生時代を思い出す。
中学生から教えて欲しかった、社会人とは資本主義の奴隷だと。願ったことがどうしようもない理由で叶わないことを。
望んだ人生を選択できる人間なんて、社会の半数にも満たないのではないか、みんな仕方なく与えられた人生に従っているのではないか。
僕はこのまま、警備会社で働き続けるのだろうか。
展望を漠然とした不安が塗りつぶしていく。
Nowhere man、居場所のない人々、まさに僕はそうなんだ。警備員詰所に戻ってモニターを確認してから、僕はまた音楽室へ行った。
「深夜にここに1人でいる僕は、あんたと同じ幽霊みたいなもんだな」
僕が言うと、坊主頭は鍵盤から指をひっこめて、僕の方を向いた。正面の顔を初めて見た、目鼻立ちはぼやけているが穏やかな表情をしているのがわかった。
「俺は音楽で世界を変えられると信じていた」
坊主頭の幽霊が低い声で話はじめた。
「自分を変えれば世界が変わる、たしかに最初は変わったが限界があった。俺はクソみたいな世界を変えるために音楽をやったさ、でも売れねぇんだな、そういうのはさ。俺は冷笑して仕方ねぇとか言いたくなくてさ革命家になりたかったさ、本気だ。でも行き詰まって自分が情けなくて自殺した」
幽霊が僕を指さした。
「おまえはさ、生きてんじゃん。おれはNowhere
manのおまえに祝福があるように願ってLet
it Beを弾いてた。でも今日で終わりさ。俺はそろそろあの世に行く」
坊主頭が立ち上がった。
僕は寂しくなった。
「もうピアノが弾けなくなってもいいのか?」
「俺は弾きたいだけ弾けた」
「祝福ってなんだよ」
「死ぬな、生きてればなんとかなる。俺は自殺して後悔してる。なんとかならないなら、変えればいいさ」
「……変えられないだろ」
「変えられると信じることだ、クソみたいなことが多いが生きろ。死んで行くあてがない俺には、もうあの世しか行ける場所がない。行くあてのない生きてるおまえはどこにでも行ける」
「待てよ!」
坊主頭は消えた。マリア、十字架、薔薇、般若、観音さん、すべての色彩が消えた静かな音楽室に僕は佇んだ。
自殺した革命家の弾くピアノっての毎日、聴いてたことに、僕は鳥肌が立った、怖いとか感動とも言いきれない、ぞわっとしたんだ。
終
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目の前で粉々に砕けてしまった硝子のスノードーム。
それは遠い日の大切な思い出の品だった。
あなたと出かけた思い出に、買って帰ったものだ。
自分の不注意にため息が出る。
あなたがいなくなっても、このスノードームの中でだけは永遠に あの日の雪が降っているように思えたのに。
あなたが存在したという証拠がまた一つ消えてしまった。
形があるものが壊れるのは仕方がないのかもしれない。
どうやったって人間は儚い。
永遠に残せるわけがない。そんなことは 十分承知しているはずなのに、また一つあなたの存在が消えてしまった。
私の記憶の中のあなたすらきっといつかは消えてしまうのだろう。
形のあるものはいずれその形を失い、消えてゆく。
この世界のサイクルがそうなっているのだから、それは仕方がないことなのだけど……
どういうわけだか私だけ、その世界から外れているらしい。
私自身がいつから存在しているのかは私ですら もうよくわからない。
千年前の記憶があるからきっと千年前から存在しているのだろうけど。
諸行無常の日々の中で、あなたという存在が失われてしまうのは辛くて仕方がない。いずれあなたは存在したということは 完全にこの世界から消えてしまうのだろう。
だが、あなたが存在したことを私は決して忘れたくない。
硝子の破片を集め、これをもう一度溶かして装飾品にすればあなたのことを思い出し続けることができるだろうか。
形を変えて、何度でもあなたのことを……
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今祇島(いまかみじま)の港では、ロープが岸壁を擦る音がした。
美咲はフェリーを降り、レモン畑の続く坂を歩いた。
三日間の休暇を取って島へ来た。休み明けには上司との面談がある。退職の意思を伝えるつもりだったが、何から話せばいいのか、まだ決められずにいた。
今祇島を選んだのは、以前、雑誌で見た写真を覚えていたからだ。港を見下ろす斜面にレモン畑が広がっていた。
白壁の家々の軒先には小魚を干す網が吊られ、風が吹くたび、洗濯物と一緒に揺れている。
坂の途中に「帆布工房」と書かれた木札があった。
開いた扉から覗くと、若い女性がミシンを踏んでいた。作業台には、色褪せた青や生成りの布が積まれている。端には小さな木製の名札が置かれていた。
「見てもいいですか」
「どうぞ。散らかってますけど」
女性はミシンを止め、椅子から立ち上がった。
棚には大小の鞄が並んでいた。美咲は青い手提げを手に取った。持ち手の下に、不揃いな縫い目がある。
「ここ、直してあるんですね」
「船に使ってた頃の修繕跡です。漁師さんが縫ったんですよ」
女性は作業台から布を一枚持ってきた。
「これは三十年くらい使われた帆。風を受ける場所によって、色の抜け方が違うんです」
広げられた布には、ところどころ濃い青が残っていた。端には白い糸で縫い合わせた跡があり、その上から別の糸で縫い直してある。
「何度も直したんですね」
「ええ。破れそうなところを先に補強したり、形を変えたり。最後は帆として使えなくなって、ここに来たんです」
美咲は布の端を見た。縫い目の途中で糸の色が変わっている。
自分の鞄に目を落とした。
角の革が剥がれ、ファスナーも少し渋い。就職した年に買ったもので、毎日の通勤に使っていた。旅行前、新しいものを買おうと店に寄ったが、いくつか手に取っただけで帰ってきた。
内ポケットには、退職願の下書きが入っている。
「古いものって、どこまで使えるんでしょう」
「さあ。使う人が、もういいかなって思うまで?」
女性は笑って、布を畳んだ。
窓の外を、軽トラックがゆっくり通った。荷台には黄色いレモンが山積みだった。
「でも、直してもまた壊れること、ありますよね」
「ありますよ。直さないほうがいいものもありますし」
女性は美咲の鞄に目を向けた。
「その鞄、持ち手だけなら直せそうですよ」
美咲は鞄を差し出した。
女性は革の付け根を確かめ、指で軽く引っ張った。
「ここが弱くなってますね。革を全部替えることもできますけど、布を重ねたほうが丈夫になると思います」
「元の持ち手とは、違う感じになりますか」
「なりますね。色も、ぴったり同じにはできないです」
美咲は持ち手を見た。革の端が細かくひび割れていた。
「それでお願いします」
女性は奥から生成りの布を持ってきた。厚みを確かめ、裁ちばさみで細長く切る。
「少し時間がかかりますけど、大丈夫ですか」
「急いでないので」
「じゃあ、そこで待っててください」
女性は椅子に座り、ミシンを踏み始めた。
針が布を通るたび、短い音が続いた。
美咲は棚の鞄を眺めながら待った。作業台の端に置かれた名札には、「島野 海緒」と書かれていた。
海緒(みお)は布の向きを変え、縫い目を確かめている。
壁には古い漁船の写真が飾られていた。白い帆を張った船が、港の外へ向かっている。
「あの船の帆も、ここにあるんですか」
美咲が尋ねると、海緒はミシンを止めて写真を見た。
「ありますよ。今は小さい鞄になってますけど」
「船は?」
「もうないんです。だいぶ前に解体したそうで」
海緒は再びミシンを動かした。
「船に乗ってた人が、ときどき鞄を見に来るんですよ。自分が縫ったところが残ってるかって」
「残ってるんですか」
「ええ。そこを切らずに作った鞄もありますから」
海緒は針の位置を確かめ、布の向きを変えた。
美咲はもう一度、壁の写真を見た。
職場では、入社した頃と仕事の内容がずいぶん変わっていた。部署が移り、担当する業務も増えた。
以前は楽しみにしていた仕事だった。
いつから辞めたいと思うようになったのか、はっきりしない。
「この鞄も、船に乗ってた頃とはずいぶん違うんでしょうね」
美咲が言うと、海緒は写真に目をやった。
「そうですね。帆だった頃は、もっと大きかったでしょうし」
「小さくなっちゃったんですね」
「ええ。でも、鞄ならこれくらいが使いやすいですから」
海緒は布の端を縫い合わせた。
しばらくして、ミシンの音が止まった。
海緒は持ち手を裏返し、縫い目を指で押さえた。余った糸を切り、もう一度、革の付け根を確かめる。
「できました」
鞄には生成りの布で補強された持ち手がついていた。元の革は両端に残り、真ん中だけが新しい布に覆われている。
「色、合わなかったかな」
海緒が鞄を持ち上げて言った。
美咲は受け取り、肩に掛けてみた。
以前より、持ち手が少し太くなっている。肩に当たる布は柔らかかった。
「ううん。気に入りました」
海緒は笑った。
帰り際、美咲は棚にあった青い手提げをもう一度見た。漁師が縫ったという不揃いな縫い目は、そのまま残っている。
「また来ます」
「はい。今度はゆっくり見ていってください」
美咲は工房を出た。
坂を下りる途中、鞄の持ち手を何度か握り直した。生成りの布はまだ硬く、手のひらに馴染んでいない。
港に着くと、フェリーの乗船が始まっていた。
美咲は鞄から財布を取り出した。そのとき、内ポケットに入れていた紙が指に触れた。
退職願の下書きだった。
一度取り出しかけたが、財布を戻すときに、紙も奥へ押し込んだ。
帰りのフェリーで、美咲は鞄を膝に置いた。
青い海の向こうで、島が少しずつ小さくなる。
明後日には上司との面談がある。何を話すか、まだ決めていなかった。
窓から差し込む光が、生成りの布を照らしていた。
鞄の持ち手を指でなぞると、縫い目が一つだけ曲がっていた。
美咲はそこを、何度も撫でた。
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その通話アプリにはサーバーと呼ばれるコミュニティがあって大きいサーバーだと五千人を超える。テキストチャットと通話が主な目的であり複数人参加は会議と呼ばれ個人同士の場合だと個室などと称されていた。
大型連休になると日本各地の寂しがり屋がこぞって集結し互いの孤独を埋め合い賑わう。
AIの生成した超然とした美男美女のサムネイルを各々が貼り付け、そうなれば当然男女のいざこざは頻発し、すったもんだの果てに相手をブロックやミュートすることは珍しくもない。
当然僕にしたところで例に漏れはしない。
僕がその子に出会ったのはシルバーウィークの初日だった。出会うという表現が正しいかどうかは分からない。
『そろそろ落ちるね〜』
と誰かが言い、
『わたしも〜』
『おれも〜』
と続く。
落ちるとは会議からの離脱を指す。個人同士であっても一人が通話を切っても一人は通話空間に繋いだ状態になるのでそういった表現が適していた。
その日、僕はみんなの談笑をBGMに眠ってしまい気が付けば無音だけが耳に届いていた。
みんな落ちたか、とアプリの画面を見ると僕ともう一人、kanaという表示があった。
「こんばんは。いつからいたの?」
「ずっといましたよ。寝てるようだったので、一人にしちゃいけないかなって」
声が、僕の理想を遥かに超え、心中深くまで刺さった。
その衝撃は中学生の時の初恋すら超えていたかもしれない。
ありがとうございます、と急に敬語になってしまい、たどたどしく上手に話せないのは狼狽していたからに他ならない。
それでもkanaは優しく、よく笑う子で、その日は繋いだまま二人で眠った。
それから僕らは毎夜毎夜言葉を交わし続けた。kanaの言葉がイヤホンから届く度にどうしようもないくすぐったさを覚える。まるで全身の触覚神経が耳に集中したかのように僕はkanaの発する一言一言に、どこまでもどこまでも安堵と昂揚の混合物に陶酔していった。
kanaは毎朝目が覚めると落ちていた。彼女は回線の調子が悪いのかもと言う。回線落ち、というのはよくある現象で最初の頃はどうでも良かった。
繰り返される辟易をとっくに踏み倒した毎日にkanaとの通話は約束された奇跡だったから。
互いが声だけの存在であるにもかかわらず散々甘い言葉も囁いた。
「他の子とは話さないでほしいな」
と彼女は何度か言い、
「もちろん」
と僕は何度でも答えた。
会いたいとは思わなかった。直接触れ合うことを望まなかったのは耳に触れる声だけでもう十分過ぎたから。
でも、いつしか。
「こうあるべき」という強要は衝動やあるいは本能に近く、そいつに捕まるとわざわざ逆らい抗う必要が芽生える。
「いつになったら朝まで繋いでいられるんだ!」
止められなくなった衝動が弾くくだらない激怒はお門違いの怨嗟となり口元のマイクを叩く。
弱々しく小さな声でkanaはごめんねと呟き、そのまま静かに落ちていった。
その日からkanaは通話もテキストチャットすらも返してくれなくなった。
呆気なく一瞬にして僕は孤独の中に放り込まれる。いや、客観的には何ひとつ状況は変わってなどいない。だとしても。
大事なものは失って初めてなどと使い古されているが、つまり僕は不眠症を患った。
夜になるとどこからともなく不安が湧いて出ては1DKを埋め尽くす。
きっと、だからだろう。ある日買い物をしていると、
「え〜それ買うの〜?」
というkanaの燦々とした声が聞こえた。
幻聴、だと思った。
外科的な癒しがすぐにでも必要だと考えた僕は慌てて次の相手を探し始める。
kanaという基準が邪魔をして、深夜になってようやく納得出来る相手を見つけるも、その子は一晩で音信不通となった。
どこまでも孤独で会議にいればいるほどkanaの声が無性に恋しくなる。
睡眠不足が常態化した頭をもたげて、僕は今日も変わり映えのするはずのない駅のホームに立つ。
朝のホームはほとんどみんなが一人ぼっちだ。その多くが家庭から出てきているのだとしても誰かの家からどこかの会社までの間、僕はこの孤独の集合体に接続を許される。
足元の点字ブロックのひとつに自分を重ね、縦横に整列する無機質さに安心を覚える。
そんなことを考えていると、
「おまたせっ。これからはずっと繋いでいられるよ!」
頭の後ろ、首のつけ根辺りから囁くような、しかしはっきりと声がした。
kanaの声だった。
間違えようはない、どこまでも待ち望んだkanaの声。
ぞくりと跳ね上がる鼓動と共に振り返る。
が、そこにいたのはスマートフォンに俯く父親くらいのスーツの男。
浅くなった呼吸とは裏腹に僕は心底落胆する。
電車を知らせるベルがけたたましく無情に響く。
直後。
足首に指が食い込み、掴まれ、引き抜かれる。
景色が倒れ視界が男のスーツの足元へと流れていく。
「あっ!」
という声が聞こえ、僕は線路へと落ちていくのだと知った。
そして、今日も僕は通話相手を探す。
サーバーのどこかを漂いながら。
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この季節 わたしはこの桜の樹の下で
小説を読むのが日課だった
とある春の日の 晴れた昼下がり
麗らかな春の陽気に ふと眠気が差し
気が付けば うとうとと眠ってしまった
……
気付いたら そこには
男の人が遠い目をしながら立っていた
その男の体は 半分透けているようだった
「こんにちは」
(おや? こんにちは)
「あなたは… 誰?」
(私…? 私かい…?)
(そうだなぁ… この桜の精ってところかな?)
「この桜の?」
(そう この桜の)
「この 咲かない桜の?」
(そう この… 咲かない桜の)
「他の桜はもう花開いているのに
なぜ あなただけ花が咲かないの?」
(そうだなぁ…)
(遠い… 遠いむかしね…)
(ここには 駆け落ちした若い男女が
慎ましくも 幸せに暮らしていたんだ)
そう言って 彼はさらに遠くを見つめる
(けれどある年 この桜が咲く頃に
流行病が男の命を奪ってしまった)
(残された女は 哀しみに暮れながらも
男の亡骸を この桜の樹の下に埋める事にした)
(彼女は強い人だった)
(いつまでも… いつまでも彼の事を忘れないように)
(また 桜が咲く度に
彼を思い出せるようにと)
(ずっと彼を忘れないようにと)
(そう想って ここに亡骸を埋めたんだ)
(けれど…)
(けれど それが失敗だった)
(亡骸から染み出した流行病が 桜の樹を伝い
この地に 強く広まってしまった)
(女の身もまた
男の命を奪った流行病に侵された)
「……」
(ただね)
(流行病は すぐに死に至るような病気ではなかったんだ)
(男が死んだのは
彼の体が 生まれながらに弱かったから)
(だから すぐにこの地を離れれば
女は死なずに済んだはずだった)
(ただ…)
(ただ 女はここを離れようとはしなかった)
(男の亡骸を この桜の下に埋めたから)
(男の傍を離れたくなかったから)
(咲く桜を見る度に 男を忘れないと決めたから)
(結局ね…
女もその流行病で命を落としたよ)
「……」
(……)
(この桜が咲かないのはね)
(きっと 呪いみたいなものなんだよ)
彼は哀しそうな顔をしながら 続ける
(本当は この樹をも
流行病が侵してしまったせいなんだけど)
(だけどね)
(だけど 私は違うと思っている)
(結果として 男が女の命を奪った事になる)
(だから…)
(きっと 彼女は今でも 私を恨んでいるんじゃないかな)
(その想いが… 強い恨みが
花を咲かせる事を許さない)
(だから 今年も
この桜は 花を咲かせなかったんだ)
彼は目を伏せた
「そっか…」
(……)
「来年は…」
「来年は咲くといいね」
(そう…だね)
(ああ そうだね
ありがとう――)
そう言い残すと 彼の体はすっと消えてしまった
……
わたしが覚えているのは ここまで
目を覚ました時には もう彼の姿はなかった
それに どこまでが夢だったのかも定かじゃないけど
「来年は咲くといいね…」
わたしは読みかけの小説を閉じ
しばらくその樹に触れたあと
そっと 咲かない桜の樹の元を離れるのでした
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小学校の時の野外活動で、自分たちでルールを決めて行きたい場所を決めて活動するという授業があった。
子供の頃の俺たちは、初めは好き放題 行きたい場所いい内容を決めようとした。けれどそれではうまく予算内で行きたい場所に行けず、またルールを決めていなかったため子供同士で衝突することになった。
計画を立てるルールを守るということの重要さを学んだのは その授業でだと思う。
それが後々大人になって、ずいぶんと力になった。
自分たちで 何か物事を進めるという時には、きっちりとした計画そしてそれを運用するためのルールが必要だ。
俺は屋上で缶コーヒーを開けた。
もう少しで社内プロジェクトがうまくいく。
ここに来るまでずいぶんと、苦労したもんだ。
屋上から見る街はミニチュアのように小さく、だが活発に動き回っている。この都市に住む全ての人々が俺が今抱えている問題と同じように自ら計画を立てルールを決めて 物事を進めているのだ。
いや、全員がではないか……
ただ他人が立てたルールに乗っかっているだけの人もいれば、そもそもルールを守らない困ったやつもいる。
俺が立てた計画も、なかなか進まなかったのはそういう人もいたからだ。
ちゃんとした理由での反対意見ならば歓迎なのだが。
不意にスマホが鳴る。
見ると小学校の時の同級生からの連絡だった。
今度同窓会をするらしい。
日程は、来月だからなんとかなりそうだ。
久々に幼なじみたちの顔を見るのは楽しみだ。
あいつらどうしているだろうか?
お互いにわいわいと喋り合って計画を立てた野外活動。
同窓会では俺は計画を立てる側ではないが、あいつらのルールに乗って楽しもう じゃないか。
返信を送るとスマホをポケットに直す。
コーヒーの最後の一口を飲み干すと、曇り空から日の光が差し込んだ。
街の喧騒を後に屋上の階段を降りて行った。
続きを読む
暑くなったり寒くなったりを
繰り返しながら
少しずつ 季節は深まっていく。
お気に入りのストールが
見つからずで
クローゼットを漁ると
端っこに寄せられていて…。
彼からの最後のプレゼントで
香りがのこってる気がして
でも
見るのも辛くて。
しまい忘れてたわけじゃなく
しまえなかったんだな。
忘れてたけど。
深夜の二時間作詩
『しまい忘れ』より
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「このゲームで対決しよう」
身なりの良い男が提案した。
「ああ、いいとも」
軍服の男が応える。
二人はそれぞれコントローラーを手にして、画面を注視する。
そのゲームは、国を選んで天下統一を目指す、戦略型シミュレーションゲームだった。
軍服の男は軍備を整えて強い軍隊を作り、武力を持って勢力を拡大していく。
身なりの良い男は、巧みな外交と経済支援で周辺国と同盟を組んだり、傘下に置いて勢力を拡大した。
そしてゲーム内の勢力図は、身なりの良い男の勢力と軍服の男の勢力に、二分された。
一進一退の攻防が続き、だんだん現実でも互いを罵倒するようになった。
やがて業を煮やした二人は、コントローラーを置いて、顔を突き合わせて言った。
「「埒があかねぇ! 現実で決着をつけてやる!」」
こうして二つの超大国は、戦争へと向かっていった。
続きを読む
真冬に熱々のエスプレッソが湯気を立てる。カウンターで受け取ったテイクアウトの客は、すぐに店を出ない。
「今日もいい匂いですね。私、ほんとコーヒー豆の匂いって好き。特にここのお店の匂いが…………好きです」
丸いほっぺが愛らしい女性客が言う。彼女は近くの総合病院のナースだ。夜勤の前、夜勤が終わったあと、昼休憩。いつもはにかんで店にくる。
店主の菅野幸人は、彼女とあまり目を合わせない。仕事道具やカップを磨きながら世間話に応答する。
「では、行ってきます。今日も美味しいエスプレッソで、きつい夜勤も乗り切れそうです」
明るく高い声で行って、客が出ていく。
幸人はほっとして、外に出てシャッターを閉めた。エスプレッソマシンのフィルターを外し、コーヒーかすを瓶の中に捨てる音が「カンッ」と誰もいない小さな珈琲店に響く。
カウンター座席のみ、飾りっ気のない灰色の壁にくすんだ麻袋を無造作にかけてある。
農園から直接、豆を輸入しているという証だ。 幸人なりに「こだわり」を示している。
「あんなにわかりやすく気がある人に、よく冷たい態度取れるよな」
声がした。
幸人はエスプレッソマシンを磨いていた手を止めて、ため息をついた。
当たり前のようにスーツ姿でモップをかけている男は、半透明だ。
「…………気がないのに、気があるフリする方が悪いだろう。接客でも」
幸人は答える。
「はぁ、もったいない。接客業だからこそ、だろう。付き合ってくれとか言われたら断ればいいじゃん。おまえルックスいいから、女性客に人気でそうなのに。この店の外観だって洒落っ気なくてもったいない。俺がせっかく可愛い『コマドリ』って名付けてやったのに」
「おまえは根っからの営業職だよなぁ。俺は無理に馴れ馴れしい接客はできない」
「そんなんじゃ売り上げあがんねーぞ。あのなあ、俺、死んでからずっとこの店にいて思うけど、もっとポテンシャルあるって、この店」
「ほんっとうるさいなあ…………死んでもうるさい奴だ」
「死んでも明るくていいだろう? こうやって店の掃除も手伝ってやって、コンサルもしてやってんだよ。死んでも働くねぇ、俺って」
目の前で笑っている顔が、あの安らかな死に顔を上書きする。 幼馴染の駒田賢介は、一ヶ月前、この店で死んだ。心筋梗塞だった。
「なぁ、そのコーヒーカス、なんで瓶に入れてんの?」
死んだ癖に声がでかい。
「コーヒーカスは色々使える。消臭剤、掃除、肥料とか。常連さんに肥料として分けたりしてる」
「へぇ、エコじゃん。やっぱマメだねぇ、さすが豆にこだわってる珈琲店主だわ」
幸人はグラインダーを黙々と掃除する。残った粉をブラシで払っている静かな時間が好きだったのに、今は台無しだ。
「なんかさぁ、こうやって店じまいのお手伝いしてるとさぁ。なんか同じ店で働いているって感じしない?」
賢介の笑顔を見て、手が止まる。痛むからやめろ、そういう言葉は。おまえが隣にいてくれたら。一人で店の中にいる時、いつだって想っていた。
「あー、なんか思い出した。俺さぁ、中学生の卒業式におまえと約束したんよ。でもおまえ、忘れてやがったよな」
「…………そんな約束、したか?」
「あ、やっぱ忘れてる。あーあ、俺が成仏できない理由一つみっけ。なんで成仏できないかと思ったら心残りか。やりたいけどやれなかったこと。俺言ったよ、高校生になったら同じとこでバイトしてさ、そんで金貯めて旅行とか行ったりしようなーって」
幸人は首を傾げて思い出そうとする。中学の卒業式は心がぐちゃぐちゃだった。賢介と違う高校になって、もう幼馴染関係が解消されるかもしれない、と不安でたまらなかった。
「…………あれ、約束だったのか?」
「えー、気づいてなかった! ひでーなあ。いや、だからさ、せっかく約束したけど一緒にバイトできなかっただろ。それで今こうして、閉店の清掃作業してると、同じバイトしてるみたいな感じだなーって」
賢介の、こういう開けっぴろげな明るい性格が嫌いだ。
嬉しい感情を真っ直ぐに伝えてくるから、苦しくて目を伏せてしまう。
「…………おまえって、ほんと昔のことよく覚えてるよな。俺はあんまり覚えてない」
「もったいないじゃん。いろんな体験とかさ、会話とかさ、覚えて積み重ねるのが生きてるって感じ…………ってあーーー死んじゃったけどね」
賢介の存在が、薄暗い店内で一瞬、霞んだ。
一通りの閉店作業が終わった。煙草を一本だけ吸う、ブラックデビルが灰になったら帰ろうと決める。
「じゃあ、また明日な」
当たり前のように賢介は言う。 なんて答えればいい。
いるはずのない存在が、明日もいる。 それがたまらなく嬉しいと思う。
店の近くのマンションに帰ってすぐ、幸人は玄関で崩れ落ちて泣いた。 もしかして、これがすべて、賢介の死がショックで見えている幻覚だとしても、消えて欲しくない。だけど死んでしまっているんだ。賢介の葬儀に行った、仏壇に手を合わせて泣いた。遺骨を胸に抱いた。
「…………どうすればいい」
涙に濡れた独り言を吐き出す。
あの夜、幸人の家で宅飲みしてた日。 日記に挟んだ、告白の走り書き。 あれを読まずに賢介は逝ってしまった、これでよかった。
「なんかさー、色々考えたけど。心残り、真剣なの言うな」
翌日も賢介の霊は現れた。そして真剣な顔を向けた。
「俺、おまえの店で死んで悪かったと思ってる。縁起悪いじゃん…………ここ、事故物件になるし」
「バカなこと言うな!」
幸人は怒鳴った。
「そんなこと、少しも考えたことねぇよ」
むしろあの時、出張帰りでそのまま店に来てくれたことが嬉しかった。そして、息を引き取る賢介を腕に抱いていたことも。死に際に側にいられたことが、幸せだったと思ってしまっている。
「そっか…………うん、おまえならそう言うと思った。けどさ、どーしても考えてしまって」
「考え過ぎんなよ」
幸人はサーバーを洗う手に力を入れる。
「うーん、三十の誕生日前に死んだのが無念なのかも。俺の部署、誕生日は盛大に祝うからさぁ」
賢介の時は29歳で止まった。丸い額の童顔で、丸い目をしていて、ちょっと受け口で。この顔を一生忘れない。
「誕生日ケーキとか用意して欲しいのか?」
「ああ、それそれ。俺、誕生日ケーキ大好き」
「ガキの頃、ケーキにはしゃいで顔突っ込んだことあるもんな」
幸人は笑って言う。
「あー、それそれ。ろうそく消したあとに前のめりになって。セルフケーキダイブやらかした」
ケラケラと賢介が笑った。
こんな明るい幽霊がいたら、縁起悪いどころか店が明るくなりそうだ。
閉店前に賢介と話しながら一日を終える。 それが、幸せな時間となっていく。 消えそうに揺れる賢介を引き止めたい、自分の気持ちが彼を成仏させない。
いつも通り、店のシャッターを閉めようとすると、声をかけられた。彼女を見て幸人は気まずくなる。賢介の妹の雛子だ。
「お話があるんですけど、いいですか?」
「うん、店に入って。カフェオレでいい?」
「はい、ありがとうございます」
雛子は賢介と違って落ち着いたおとなしい子だ。
「仕事終わりにすみません」
雛子はカウンター席に座った。真横にいる賢介に気づいていない。やはり、自分にしか見えないのだろうか。
「雛子、何しにきたん?」賢介が驚いた声をあげるが、雛子は反応しない。
「あの、気になることがあってお話ししたくて」
雛子は耳に長い髪をかけると、トートバッグから赤い革表紙の日記を出した。幸人は目を背ける。
「このメモ…………幸人さんに数学教えてもらった時に見た字と、そっくりで…………」
雛子が真っ直ぐにこちらを見る、賢介とそっくりな目は、潤んでいた。
「これ、幸人さんですね。私、気づいていたんです。あなたの気持ちに」
日記がめくられる。メモ用紙がテーブルに置かれる。
『ずっと愛してる』
酔っ払ったときに書いた走り書き。咄嗟に賢介の日記に挟んだ。何を期待してそんなことしたんだろう。想いを打ち明けよう、この気持ちが報われようなんて考えたこともなかった。
愛しいという気持ちを伝えたかった。
「…………ああ、これ書いたの、俺だよ」
幸人が認めると、雛子は涙を流した。
「私、これ見つけた時、すごく悔しくて。兄さん、こんなに幸人さんに愛されているのを知らずに死んじゃって…………それが悲しいです」
「でも、あいつはゲイじゃない。幼馴染に愛されるなんて、戸惑うだけだったかもしれない」
「幸人さんの愛は、すごく深いよ。恋愛を超えてる、だからきっと兄も愛されて嬉しかった。だって兄さんは幸人さんのこと、大好きだったよ」
大好きだったという気持ち、それは知ってる。幼馴染で、親友で、兄弟のようで。いつも人生の中にお互いがいた。 賢介の方を怖くて見られない。
「…………雛子ちゃん、俺、おかしくなったのかな…………店にさ、賢介の霊が出るんだ。それがやかましくって。まるで生きているみたいでさ…………俺、ずっとこのままあいつが店にいればとか、考えてしまって」
幸人は泣きそうになるのを堪える。
「幽霊?」雛子があたりを見回す。「私には何も見えない…………」
「なんだよ!」
賢介の声がした。
「うわっ」と雛子が驚く。「兄さん!?」
「ああ、ここにいるよ、雛子。それ、持ってきてくれてありがとうな」
賢介は顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。
「一人の人間にさぁ…………ガキの頃から一緒にいるやつにさぁ、愛されてて嬉しい。おまえに大事にされてんのに気づいてた。なのに、こんなに深かったんだ…………」
賢介がメモを手にする。愛している。ずっと進行形の言葉だ。
「俺の気持ち、わかってくれて…………それだけでいい」
幸人は答える。
「愛してくれて、ありがとう、な。けどな」
賢介は涙でいっぱいの顔で笑う。
「…………でもさ、なんかさ、ここにいちゃダメなんだと思う。えっとさぁ、最後に言いたかったこと」
賢介が、霞んでいく。
「店の名前のコマドリ。コマドリって、神話では天から火を運んできた、それで火に焼かれて胸が赤いんだって。そのエピソードが好きだからって名前付けてたの、俺、すごく好き。俺、この胸のとこに赤いハートのあざつけて、生まれ変わってくる」
賢介の体が消えていく。
「だから、見つけてくれな」
「見つけるよ」
忘れない。
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朝の高恵那町では、川の音より先に木槌の音がする。軒先で杉の箱を組む音だ。
美咲は橋のたもとの朝市で、くるみ味噌を塗った五平餅を買った。包み紙の下から、四つ折りの地図が出てきた。
「おまけ。うちの町の地図」
売り子の女性は、白髪を布でまとめていた。
地図には、共同井戸、古い水車、栗菓子屋。けれど右下の四角だけ、何も書かれていない。
「ここは?」
「そこは、まだ決まってないの」
不思議な答えだった。美咲は五平餅をかじりながら坂を上った。格子戸の隙間から削りたての木の香りがし、用水路には赤い落ち葉が一枚、流れずに引っかかっていた。
昼前、川沿いの小道で小学生くらいの男の子が立ち止まっていた。両手に持った紙袋の底が抜け、丸い栗が石畳を転がっている。
「一緒に拾おうか」
美咲がしゃがむと、男の子は「橋の下にも行った!」と笑った。二人で六つ拾い、美咲は自分の手ぬぐいに包んだ。
「ばあちゃんの店で、新しい袋もらってくる」
男の子が指さした先は、さっき五平餅を買った朝市の売り場だった。
「じゃあ、一緒に行こう。栗は持っていくね」
男の子と朝市へ戻ると、女性が栗の包みを見て声を上げた。
「うちの孫、また袋を破ったのね」
新しい紙袋に栗を移し、美咲は手ぬぐいをしまった。それから地図の空白を指した。
「ここ、書いてもいいですか」
借りた鉛筆で、小さな橋と、その下に六つの丸を描いた。
女性は地図を覗き込み、ふっと笑った。
「いいね。これを写して、明日から配ろうか」
帰りのバスの窓から、橋が見えた。栗はもう落ちていない。それでも美咲には、あの場所が町でいちばん先に思い出せる場所になっていた。
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