SF・ファンタジー

咲かない桜

1,143文字 約3分で読了
作者:lue
この季節 わたしはこの桜の樹の下で 小説を読むのが日課だった とある春の日の 晴れた昼下がり 麗らかな春の陽気に ふと眠気が差し 気が付けば うとうとと眠ってしまった …… 気付いたら そこには 男の人が遠い目をしながら立っていた その男の体は 半分透けているようだった 「こんにちは」 (おや? こんにちは) 「あなたは… 誰?」 (私…? 私かい…?) (そうだなぁ… この桜の精ってところかな?) 「この桜の?」 (そう この桜の) 「この 咲かない桜の?」 (そう この… 咲かない桜の) 「他の桜はもう花開いているのに  なぜ あなただけ花が咲かないの?」 (そうだなぁ…) (遠い… 遠いむかしね…) (ここには 駆け落ちした若い男女が 慎ましくも 幸せに暮らしていたんだ) そう言って 彼はさらに遠くを見つめる (けれどある年 この桜が咲く頃に 流行病が男の命を奪ってしまった) (残された女は 哀しみに暮れながらも 男の亡骸を この桜の樹の下に埋める事にした) (彼女は強い人だった) (いつまでも… いつまでも彼の事を忘れないように) (また 桜が咲く度に 彼を思い出せるようにと) (ずっと彼を忘れないようにと) (そう想って ここに亡骸を埋めたんだ) (けれど…) (けれど それが失敗だった) (亡骸から染み出した流行病が 桜の樹を伝い この地に 強く広まってしまった) (女の身もまた 男の命を奪った流行病に侵された) 「……」 (ただね) (流行病は すぐに死に至るような病気ではなかったんだ) (男が死んだのは 彼の体が 生まれながらに弱かったから) (だから すぐにこの地を離れれば 女は死なずに済んだはずだった) (ただ…) (ただ 女はここを離れようとはしなかった) (男の亡骸を この桜の下に埋めたから) (男の傍を離れたくなかったから) (咲く桜を見る度に 男を忘れないと決めたから) (結局ね… 女もその流行病で命を落としたよ) 「……」 (……) (この桜が咲かないのはね) (きっと 呪いみたいなものなんだよ) 彼は哀しそうな顔をしながら 続ける (本当は この樹をも 流行病が侵してしまったせいなんだけど) (だけどね) (だけど 私は違うと思っている) (結果として 男が女の命を奪った事になる) (だから…) (きっと 彼女は今でも 私を恨んでいるんじゃないかな) (その想いが… 強い恨みが 花を咲かせる事を許さない) (だから 今年も この桜は 花を咲かせなかったんだ) 彼は目を伏せた 「そっか…」 (……) 「来年は…」 「来年は咲くといいね」 (そう…だね) (ああ そうだね ありがとう――) そう言い残すと 彼の体はすっと消えてしまった …… わたしが覚えているのは ここまで 目を覚ました時には もう彼の姿はなかった それに どこまでが夢だったのかも定かじゃないけど 「来年は咲くといいね…」 わたしは読みかけの小説を閉じ しばらくその樹に触れたあと そっと 咲かない桜の樹の元を離れるのでした
2026/10/11 ・ 👁️ 44回 ・ 💬 0件

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