その他

死んでもうるさい

4,123文字 約9分で読了
真冬に熱々のエスプレッソが湯気を立てる。カウンターで受け取ったテイクアウトの客は、すぐに店を出ない。   「今日もいい匂いですね。私、ほんとコーヒー豆の匂いって好き。特にここのお店の匂いが…………好きです」    丸いほっぺが愛らしい女性客が言う。彼女は近くの総合病院のナースだ。夜勤の前、夜勤が終わったあと、昼休憩。いつもはにかんで店にくる。    店主の菅野幸人は、彼女とあまり目を合わせない。仕事道具やカップを磨きながら世間話に応答する。   「では、行ってきます。今日も美味しいエスプレッソで、きつい夜勤も乗り切れそうです」    明るく高い声で行って、客が出ていく。  幸人はほっとして、外に出てシャッターを閉めた。エスプレッソマシンのフィルターを外し、コーヒーかすを瓶の中に捨てる音が「カンッ」と誰もいない小さな珈琲店に響く。    カウンター座席のみ、飾りっ気のない灰色の壁にくすんだ麻袋を無造作にかけてある。  農園から直接、豆を輸入しているという証だ。  幸人なりに「こだわり」を示している。   「あんなにわかりやすく気がある人に、よく冷たい態度取れるよな」    声がした。  幸人はエスプレッソマシンを磨いていた手を止めて、ため息をついた。  当たり前のようにスーツ姿でモップをかけている男は、半透明だ。   「…………気がないのに、気があるフリする方が悪いだろう。接客でも」    幸人は答える。   「はぁ、もったいない。接客業だからこそ、だろう。付き合ってくれとか言われたら断ればいいじゃん。おまえルックスいいから、女性客に人気でそうなのに。この店の外観だって洒落っ気なくてもったいない。俺がせっかく可愛い『コマドリ』って名付けてやったのに」 「おまえは根っからの営業職だよなぁ。俺は無理に馴れ馴れしい接客はできない」   「そんなんじゃ売り上げあがんねーぞ。あのなあ、俺、死んでからずっとこの店にいて思うけど、もっとポテンシャルあるって、この店」   「ほんっとうるさいなあ…………死んでもうるさい奴だ」   「死んでも明るくていいだろう? こうやって店の掃除も手伝ってやって、コンサルもしてやってんだよ。死んでも働くねぇ、俺って」    目の前で笑っている顔が、あの安らかな死に顔を上書きする。 幼馴染の駒田賢介は、一ヶ月前、この店で死んだ。心筋梗塞だった。   「なぁ、そのコーヒーカス、なんで瓶に入れてんの?」    死んだ癖に声がでかい。   「コーヒーカスは色々使える。消臭剤、掃除、肥料とか。常連さんに肥料として分けたりしてる」   「へぇ、エコじゃん。やっぱマメだねぇ、さすが豆にこだわってる珈琲店主だわ」    幸人はグラインダーを黙々と掃除する。残った粉をブラシで払っている静かな時間が好きだったのに、今は台無しだ。   「なんかさぁ、こうやって店じまいのお手伝いしてるとさぁ。なんか同じ店で働いているって感じしない?」    賢介の笑顔を見て、手が止まる。痛むからやめろ、そういう言葉は。おまえが隣にいてくれたら。一人で店の中にいる時、いつだって想っていた。   「あー、なんか思い出した。俺さぁ、中学生の卒業式におまえと約束したんよ。でもおまえ、忘れてやがったよな」   「…………そんな約束、したか?」   「あ、やっぱ忘れてる。あーあ、俺が成仏できない理由一つみっけ。なんで成仏できないかと思ったら心残りか。やりたいけどやれなかったこと。俺言ったよ、高校生になったら同じとこでバイトしてさ、そんで金貯めて旅行とか行ったりしようなーって」    幸人は首を傾げて思い出そうとする。中学の卒業式は心がぐちゃぐちゃだった。賢介と違う高校になって、もう幼馴染関係が解消されるかもしれない、と不安でたまらなかった。   「…………あれ、約束だったのか?」   「えー、気づいてなかった! ひでーなあ。いや、だからさ、せっかく約束したけど一緒にバイトできなかっただろ。それで今こうして、閉店の清掃作業してると、同じバイトしてるみたいな感じだなーって」    賢介の、こういう開けっぴろげな明るい性格が嫌いだ。  嬉しい感情を真っ直ぐに伝えてくるから、苦しくて目を伏せてしまう。   「…………おまえって、ほんと昔のことよく覚えてるよな。俺はあんまり覚えてない」   「もったいないじゃん。いろんな体験とかさ、会話とかさ、覚えて積み重ねるのが生きてるって感じ…………ってあーーー死んじゃったけどね」    賢介の存在が、薄暗い店内で一瞬、霞んだ。  一通りの閉店作業が終わった。煙草を一本だけ吸う、ブラックデビルが灰になったら帰ろうと決める。   「じゃあ、また明日な」    当たり前のように賢介は言う。  なんて答えればいい。  いるはずのない存在が、明日もいる。 それがたまらなく嬉しいと思う。    店の近くのマンションに帰ってすぐ、幸人は玄関で崩れ落ちて泣いた。  もしかして、これがすべて、賢介の死がショックで見えている幻覚だとしても、消えて欲しくない。だけど死んでしまっているんだ。賢介の葬儀に行った、仏壇に手を合わせて泣いた。遺骨を胸に抱いた。   「…………どうすればいい」    涙に濡れた独り言を吐き出す。    あの夜、幸人の家で宅飲みしてた日。 日記に挟んだ、告白の走り書き。  あれを読まずに賢介は逝ってしまった、これでよかった。   「なんかさー、色々考えたけど。心残り、真剣なの言うな」    翌日も賢介の霊は現れた。そして真剣な顔を向けた。   「俺、おまえの店で死んで悪かったと思ってる。縁起悪いじゃん…………ここ、事故物件になるし」   「バカなこと言うな!」  幸人は怒鳴った。 「そんなこと、少しも考えたことねぇよ」    むしろあの時、出張帰りでそのまま店に来てくれたことが嬉しかった。そして、息を引き取る賢介を腕に抱いていたことも。死に際に側にいられたことが、幸せだったと思ってしまっている。   「そっか…………うん、おまえならそう言うと思った。けどさ、どーしても考えてしまって」   「考え過ぎんなよ」    幸人はサーバーを洗う手に力を入れる。   「うーん、三十の誕生日前に死んだのが無念なのかも。俺の部署、誕生日は盛大に祝うからさぁ」    賢介の時は29歳で止まった。丸い額の童顔で、丸い目をしていて、ちょっと受け口で。この顔を一生忘れない。   「誕生日ケーキとか用意して欲しいのか?」   「ああ、それそれ。俺、誕生日ケーキ大好き」   「ガキの頃、ケーキにはしゃいで顔突っ込んだことあるもんな」    幸人は笑って言う。   「あー、それそれ。ろうそく消したあとに前のめりになって。セルフケーキダイブやらかした」    ケラケラと賢介が笑った。  こんな明るい幽霊がいたら、縁起悪いどころか店が明るくなりそうだ。  閉店前に賢介と話しながら一日を終える。 それが、幸せな時間となっていく。 消えそうに揺れる賢介を引き止めたい、自分の気持ちが彼を成仏させない。    いつも通り、店のシャッターを閉めようとすると、声をかけられた。彼女を見て幸人は気まずくなる。賢介の妹の雛子だ。   「お話があるんですけど、いいですか?」   「うん、店に入って。カフェオレでいい?」   「はい、ありがとうございます」    雛子は賢介と違って落ち着いたおとなしい子だ。   「仕事終わりにすみません」    雛子はカウンター席に座った。真横にいる賢介に気づいていない。やはり、自分にしか見えないのだろうか。   「雛子、何しにきたん?」賢介が驚いた声をあげるが、雛子は反応しない。   「あの、気になることがあってお話ししたくて」    雛子は耳に長い髪をかけると、トートバッグから赤い革表紙の日記を出した。幸人は目を背ける。   「このメモ…………幸人さんに数学教えてもらった時に見た字と、そっくりで…………」    雛子が真っ直ぐにこちらを見る、賢介とそっくりな目は、潤んでいた。   「これ、幸人さんですね。私、気づいていたんです。あなたの気持ちに」    日記がめくられる。メモ用紙がテーブルに置かれる。   『ずっと愛してる』    酔っ払ったときに書いた走り書き。咄嗟に賢介の日記に挟んだ。何を期待してそんなことしたんだろう。想いを打ち明けよう、この気持ちが報われようなんて考えたこともなかった。  愛しいという気持ちを伝えたかった。   「…………ああ、これ書いたの、俺だよ」    幸人が認めると、雛子は涙を流した。   「私、これ見つけた時、すごく悔しくて。兄さん、こんなに幸人さんに愛されているのを知らずに死んじゃって…………それが悲しいです」   「でも、あいつはゲイじゃない。幼馴染に愛されるなんて、戸惑うだけだったかもしれない」   「幸人さんの愛は、すごく深いよ。恋愛を超えてる、だからきっと兄も愛されて嬉しかった。だって兄さんは幸人さんのこと、大好きだったよ」    大好きだったという気持ち、それは知ってる。幼馴染で、親友で、兄弟のようで。いつも人生の中にお互いがいた。 賢介の方を怖くて見られない。   「…………雛子ちゃん、俺、おかしくなったのかな…………店にさ、賢介の霊が出るんだ。それがやかましくって。まるで生きているみたいでさ…………俺、ずっとこのままあいつが店にいればとか、考えてしまって」    幸人は泣きそうになるのを堪える。   「幽霊?」雛子があたりを見回す。「私には何も見えない…………」   「なんだよ!」  賢介の声がした。 「うわっ」と雛子が驚く。「兄さん!?」   「ああ、ここにいるよ、雛子。それ、持ってきてくれてありがとうな」    賢介は顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。   「一人の人間にさぁ…………ガキの頃から一緒にいるやつにさぁ、愛されてて嬉しい。おまえに大事にされてんのに気づいてた。なのに、こんなに深かったんだ…………」    賢介がメモを手にする。愛している。ずっと進行形の言葉だ。   「俺の気持ち、わかってくれて…………それだけでいい」    幸人は答える。   「愛してくれて、ありがとう、な。けどな」    賢介は涙でいっぱいの顔で笑う。   「…………でもさ、なんかさ、ここにいちゃダメなんだと思う。えっとさぁ、最後に言いたかったこと」    賢介が、霞んでいく。   「店の名前のコマドリ。コマドリって、神話では天から火を運んできた、それで火に焼かれて胸が赤いんだって。そのエピソードが好きだからって名前付けてたの、俺、すごく好き。俺、この胸のとこに赤いハートのあざつけて、生まれ変わってくる」    賢介の体が消えていく。   「だから、見つけてくれな」 「見つけるよ」    忘れない。
2026/10/11 ・ 👁️ 79回 ・ 💬 0件

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