その他
死んでもうるさい
4,123文字
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真冬に熱々のエスプレッソが湯気を立てる。カウンターで受け取ったテイクアウトの客は、すぐに店を出ない。
「今日もいい匂いですね。私、ほんとコーヒー豆の匂いって好き。特にここのお店の匂いが…………好きです」
丸いほっぺが愛らしい女性客が言う。彼女は近くの総合病院のナースだ。夜勤の前、夜勤が終わったあと、昼休憩。いつもはにかんで店にくる。
店主の菅野幸人は、彼女とあまり目を合わせない。仕事道具やカップを磨きながら世間話に応答する。
「では、行ってきます。今日も美味しいエスプレッソで、きつい夜勤も乗り切れそうです」
明るく高い声で行って、客が出ていく。
幸人はほっとして、外に出てシャッターを閉めた。エスプレッソマシンのフィルターを外し、コーヒーかすを瓶の中に捨てる音が「カンッ」と誰もいない小さな珈琲店に響く。
カウンター座席のみ、飾りっ気のない灰色の壁にくすんだ麻袋を無造作にかけてある。
農園から直接、豆を輸入しているという証だ。 幸人なりに「こだわり」を示している。
「あんなにわかりやすく気がある人に、よく冷たい態度取れるよな」
声がした。
幸人はエスプレッソマシンを磨いていた手を止めて、ため息をついた。
当たり前のようにスーツ姿でモップをかけている男は、半透明だ。
「…………気がないのに、気があるフリする方が悪いだろう。接客でも」
幸人は答える。
「はぁ、もったいない。接客業だからこそ、だろう。付き合ってくれとか言われたら断ればいいじゃん。おまえルックスいいから、女性客に人気でそうなのに。この店の外観だって洒落っ気なくてもったいない。俺がせっかく可愛い『コマドリ』って名付けてやったのに」
「おまえは根っからの営業職だよなぁ。俺は無理に馴れ馴れしい接客はできない」
「そんなんじゃ売り上げあがんねーぞ。あのなあ、俺、死んでからずっとこの店にいて思うけど、もっとポテンシャルあるって、この店」
「ほんっとうるさいなあ…………死んでもうるさい奴だ」
「死んでも明るくていいだろう? こうやって店の掃除も手伝ってやって、コンサルもしてやってんだよ。死んでも働くねぇ、俺って」
目の前で笑っている顔が、あの安らかな死に顔を上書きする。 幼馴染の駒田賢介は、一ヶ月前、この店で死んだ。心筋梗塞だった。
「なぁ、そのコーヒーカス、なんで瓶に入れてんの?」
死んだ癖に声がでかい。
「コーヒーカスは色々使える。消臭剤、掃除、肥料とか。常連さんに肥料として分けたりしてる」
「へぇ、エコじゃん。やっぱマメだねぇ、さすが豆にこだわってる珈琲店主だわ」
幸人はグラインダーを黙々と掃除する。残った粉をブラシで払っている静かな時間が好きだったのに、今は台無しだ。
「なんかさぁ、こうやって店じまいのお手伝いしてるとさぁ。なんか同じ店で働いているって感じしない?」
賢介の笑顔を見て、手が止まる。痛むからやめろ、そういう言葉は。おまえが隣にいてくれたら。一人で店の中にいる時、いつだって想っていた。
「あー、なんか思い出した。俺さぁ、中学生の卒業式におまえと約束したんよ。でもおまえ、忘れてやがったよな」
「…………そんな約束、したか?」
「あ、やっぱ忘れてる。あーあ、俺が成仏できない理由一つみっけ。なんで成仏できないかと思ったら心残りか。やりたいけどやれなかったこと。俺言ったよ、高校生になったら同じとこでバイトしてさ、そんで金貯めて旅行とか行ったりしようなーって」
幸人は首を傾げて思い出そうとする。中学の卒業式は心がぐちゃぐちゃだった。賢介と違う高校になって、もう幼馴染関係が解消されるかもしれない、と不安でたまらなかった。
「…………あれ、約束だったのか?」
「えー、気づいてなかった! ひでーなあ。いや、だからさ、せっかく約束したけど一緒にバイトできなかっただろ。それで今こうして、閉店の清掃作業してると、同じバイトしてるみたいな感じだなーって」
賢介の、こういう開けっぴろげな明るい性格が嫌いだ。
嬉しい感情を真っ直ぐに伝えてくるから、苦しくて目を伏せてしまう。
「…………おまえって、ほんと昔のことよく覚えてるよな。俺はあんまり覚えてない」
「もったいないじゃん。いろんな体験とかさ、会話とかさ、覚えて積み重ねるのが生きてるって感じ…………ってあーーー死んじゃったけどね」
賢介の存在が、薄暗い店内で一瞬、霞んだ。
一通りの閉店作業が終わった。煙草を一本だけ吸う、ブラックデビルが灰になったら帰ろうと決める。
「じゃあ、また明日な」
当たり前のように賢介は言う。 なんて答えればいい。
いるはずのない存在が、明日もいる。 それがたまらなく嬉しいと思う。
店の近くのマンションに帰ってすぐ、幸人は玄関で崩れ落ちて泣いた。 もしかして、これがすべて、賢介の死がショックで見えている幻覚だとしても、消えて欲しくない。だけど死んでしまっているんだ。賢介の葬儀に行った、仏壇に手を合わせて泣いた。遺骨を胸に抱いた。
「…………どうすればいい」
涙に濡れた独り言を吐き出す。
あの夜、幸人の家で宅飲みしてた日。 日記に挟んだ、告白の走り書き。 あれを読まずに賢介は逝ってしまった、これでよかった。
「なんかさー、色々考えたけど。心残り、真剣なの言うな」
翌日も賢介の霊は現れた。そして真剣な顔を向けた。
「俺、おまえの店で死んで悪かったと思ってる。縁起悪いじゃん…………ここ、事故物件になるし」
「バカなこと言うな!」
幸人は怒鳴った。
「そんなこと、少しも考えたことねぇよ」
むしろあの時、出張帰りでそのまま店に来てくれたことが嬉しかった。そして、息を引き取る賢介を腕に抱いていたことも。死に際に側にいられたことが、幸せだったと思ってしまっている。
「そっか…………うん、おまえならそう言うと思った。けどさ、どーしても考えてしまって」
「考え過ぎんなよ」
幸人はサーバーを洗う手に力を入れる。
「うーん、三十の誕生日前に死んだのが無念なのかも。俺の部署、誕生日は盛大に祝うからさぁ」
賢介の時は29歳で止まった。丸い額の童顔で、丸い目をしていて、ちょっと受け口で。この顔を一生忘れない。
「誕生日ケーキとか用意して欲しいのか?」
「ああ、それそれ。俺、誕生日ケーキ大好き」
「ガキの頃、ケーキにはしゃいで顔突っ込んだことあるもんな」
幸人は笑って言う。
「あー、それそれ。ろうそく消したあとに前のめりになって。セルフケーキダイブやらかした」
ケラケラと賢介が笑った。
こんな明るい幽霊がいたら、縁起悪いどころか店が明るくなりそうだ。
閉店前に賢介と話しながら一日を終える。 それが、幸せな時間となっていく。 消えそうに揺れる賢介を引き止めたい、自分の気持ちが彼を成仏させない。
いつも通り、店のシャッターを閉めようとすると、声をかけられた。彼女を見て幸人は気まずくなる。賢介の妹の雛子だ。
「お話があるんですけど、いいですか?」
「うん、店に入って。カフェオレでいい?」
「はい、ありがとうございます」
雛子は賢介と違って落ち着いたおとなしい子だ。
「仕事終わりにすみません」
雛子はカウンター席に座った。真横にいる賢介に気づいていない。やはり、自分にしか見えないのだろうか。
「雛子、何しにきたん?」賢介が驚いた声をあげるが、雛子は反応しない。
「あの、気になることがあってお話ししたくて」
雛子は耳に長い髪をかけると、トートバッグから赤い革表紙の日記を出した。幸人は目を背ける。
「このメモ…………幸人さんに数学教えてもらった時に見た字と、そっくりで…………」
雛子が真っ直ぐにこちらを見る、賢介とそっくりな目は、潤んでいた。
「これ、幸人さんですね。私、気づいていたんです。あなたの気持ちに」
日記がめくられる。メモ用紙がテーブルに置かれる。
『ずっと愛してる』
酔っ払ったときに書いた走り書き。咄嗟に賢介の日記に挟んだ。何を期待してそんなことしたんだろう。想いを打ち明けよう、この気持ちが報われようなんて考えたこともなかった。
愛しいという気持ちを伝えたかった。
「…………ああ、これ書いたの、俺だよ」
幸人が認めると、雛子は涙を流した。
「私、これ見つけた時、すごく悔しくて。兄さん、こんなに幸人さんに愛されているのを知らずに死んじゃって…………それが悲しいです」
「でも、あいつはゲイじゃない。幼馴染に愛されるなんて、戸惑うだけだったかもしれない」
「幸人さんの愛は、すごく深いよ。恋愛を超えてる、だからきっと兄も愛されて嬉しかった。だって兄さんは幸人さんのこと、大好きだったよ」
大好きだったという気持ち、それは知ってる。幼馴染で、親友で、兄弟のようで。いつも人生の中にお互いがいた。 賢介の方を怖くて見られない。
「…………雛子ちゃん、俺、おかしくなったのかな…………店にさ、賢介の霊が出るんだ。それがやかましくって。まるで生きているみたいでさ…………俺、ずっとこのままあいつが店にいればとか、考えてしまって」
幸人は泣きそうになるのを堪える。
「幽霊?」雛子があたりを見回す。「私には何も見えない…………」
「なんだよ!」
賢介の声がした。
「うわっ」と雛子が驚く。「兄さん!?」
「ああ、ここにいるよ、雛子。それ、持ってきてくれてありがとうな」
賢介は顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。
「一人の人間にさぁ…………ガキの頃から一緒にいるやつにさぁ、愛されてて嬉しい。おまえに大事にされてんのに気づいてた。なのに、こんなに深かったんだ…………」
賢介がメモを手にする。愛している。ずっと進行形の言葉だ。
「俺の気持ち、わかってくれて…………それだけでいい」
幸人は答える。
「愛してくれて、ありがとう、な。けどな」
賢介は涙でいっぱいの顔で笑う。
「…………でもさ、なんかさ、ここにいちゃダメなんだと思う。えっとさぁ、最後に言いたかったこと」
賢介が、霞んでいく。
「店の名前のコマドリ。コマドリって、神話では天から火を運んできた、それで火に焼かれて胸が赤いんだって。そのエピソードが好きだからって名前付けてたの、俺、すごく好き。俺、この胸のとこに赤いハートのあざつけて、生まれ変わってくる」
賢介の体が消えていく。
「だから、見つけてくれな」
「見つけるよ」
忘れない。
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