七夕の夜の天気は、雨か曇りと決まっている。
織姫と彦星の一年にたった一度の逢瀬だというのに、空のやつときたら、「まだ梅雨ですから!」みたいな顔をして雨を降らしてくるのだ。
だけど私が十八歳になった今年の七月七日は、朝から嘘みたいに晴れていた。
ここ毎年、七夕に開催される地元の花火大会は雨で流れることが多かった。
だから、晴れと分かったとたん、大会関係者の祖父なんて大喜びで出掛けて行ったし、近くの商業施設で働く父も気合の入った顔をして出勤して行った。
かくいう私も。
『|凪《なぎ》が珍しいわね、花火大会だなんて』
祖母の部屋で浴衣を着付けてもらっていたら、通りがかった母に面白がられてしまった。
花火大会なんて、子どもの頃以来出かけてなかったからね。
『あれは、夏の大三角形。凪ちゃんの好きな織姫のベガと、彦星のアルタイル。二つの星は、約十六光年も離れてるんだよ』
七夕になると思い出す声がある。
伝説や物語を好きな私が、
『えっ、|航《こう》は知らないの? カササギさんが橋を作ってくれるから、二人は七夕には会えるんだよ』
そう反論すると、理屈っぽい幼馴染は、
『約十六光年っていうのは光の速さなんだ。二人が出会うための相対速度はどれくらい必要だと思う? カササギはいったい何羽必要で、織姫たちはいつから橋を渡り始めればいい?』
少し鼻にかかった声で、私のロマンチックなんか簡単に吹き飛ばしてくるから。
私はぐうの音も出ずに、押し黙る。
小さな頃から一緒にいて、幼稚園も同じ。
お互いの願い事なんて、短冊に書かなくても分かっていた。
八年前のあの日の七夕の日。
あの日も、朝から晴れていたっけ。
今日は何時に待ち合わせにする?
お小遣い二人分足したら、たこ焼き食べられるかな?
見る場所は、あじさい公園でいいよね?
家の前の坂を登ると新興住宅街がある。そこの公園は花火がよく見える、とっておきの穴場だった。
だから私たちは、毎年息を切らしながら坂を登っていっていたんだ。
でもその年の私たちは、花火大会には行けなかった。
その年じゃないか。
正確には|そ《・》|の《・》|年《・》|か《・》|ら《・》だ。
「アラスカ……?」
航は言った。
父親の仕事でアラスカに引っ越すのだと。
「花火大会に行けないの……?」
「まだ二週間あるから、今日は行けるよ。」
そうじゃない。
来年も、再来年も一緒にいられると思っていたのに。
|今《・》|日《・》|は《・》|行《・》|け《・》|る《・》?
なんでそんなに平然としてられるの?
私は、行けない。
こんなぐちゃぐちゃな気持ちのまま、花火を楽しめるわけがない。
「……かないよ」
「え?」
「航となんか、花火大会に行かない……!」
その時の私は、どんな顔をしてたのだろう。
間抜けな顔だろうか。
それとも、駄々っ子のような顔だろうか。
自分の顔はわからないけど、航の顔は覚えている。
普段は切れ長の目を見開いて、心底驚いている顔だった。
♢
ドォオン!
空を震わせる音と共に、紺碧の空に花火が打ち上がる。
航が日本にいた最後の夏。
私は自分の部屋で布団を被りながら、この音を聴いていた。
「航ちゃん、迎えにきてくれたわよー」
母の声も無視して。
二週間はあっという間に過ぎる。
夏休みが始まった頃、航の一家は日本からアラスカへと旅立っていった。
「ばあか。航のばあか」
一年にたった一回だけど、恋人たちがデートできる日。
そんな日をぶち壊してくれた幼馴染が許せなかった。
花火大会から数日経った夕暮れ、アジサイの影が伸びる坂道を、私は一人で登っていた。
ふたりだとあんなに短く感じたのに、ひとりだと飽きてしまうくらい長く感じる。
誰も知らない穴場は、公園の隅っこにあった。
「あれ?」
見覚えのない影が見えて、思わず声が漏れる。
まるで不釣り合いな笹が地面に刺さっていて、一枚の短冊がかかっていたのだ。
そこには——。
『彦星の二倍のスピードで、凪に会いにくるから。ちゃんと待ってて』
十年生きていた中で、一番よく目にした文字がそこにあった。
左に下がっていくクセ、几帳面なハネとトメ。
「……っふぅ……っく……」
みるみるうちに、航の文字がぼやけて滲む。
私が変な意地を張っている間、航は私のことを考えてくれていたのだ。
アルタイル、夏の大三角形、十六光年。
難しいことばかり言っていた私の幼馴染が、「彦星」だなんて……!
ドォン! ドドォン!
次々に空を彩る花たち。
本当に航がここに来るかはわからないけど。
約束通りなら、十六光年の半分は八年だから。
ねえ、航。
私、航のいない七夕を七回過ごしたよ。
他の人と見たこともあった。
でもやっぱり私は——。
「今年は晴れたな。夏の大三角形がとても美しい」
後ろから不意打ちのような声。
もう子どもらしい可愛らしい声ではないけれど、鼻にかかった甘い声は聞き覚えがあった。
私は振り向かずに答える。
「織姫のふだんの行いがよかったのよ」
「いや。ここ数日は高気圧で、下降気流によって雲がなくなっているのが理由で……凪? こっちむいてよ」
「……」
ドォンドォン!
夜空に忙しなく花火が打ち上がっていく。
その勢いに背中を押してもらって、私は振り返る。
鮮やかな赤、続いて、チカチカと震えるブルーの光に、知らない航が照らされて——。
今だけなの?
明日はもういないの?
聞きたいことはたくさんあるけど、私は——。
「おかえり、航」
空には大輪の花火に負けないくらい、夏の大三角形が輝いていた。
続きを読む
――誰だ?
いつも学校帰りに寄り道する場所に、知らない人がいた。ぼーっと立って海を見ている。海が見える場所なんて他にいくらでもあるのに、なんでここに立っているんだろう。よりによって、私の一番のお気に入りの場所に……。
私の視線が背中に突き刺さったのか、その人は振り返った。お父さんよりもずっと年上の、男の人だ。ただ、猫背のお父さんとは違い、背筋がすっと伸びている。
「おや。ここは君の特等席かな?」
「いや……まぁ」
さすがに「ええ、そうです」とは言えず、私は視線を下に向けた。どいてくれることを密かに期待する。
「ここには、いい風が吹いているね」
男性はそう言って顔を上に向けた。お互い、無言の時間が流れる。この人は一体何がしたいんだろう。
――はぁ、帰るか。
そう思った瞬間、男性は突然私の目を真っすぐに見た。私は警戒心をむき出しにして睨み返す。
「そうだ。君にあげよう」
「え? 何を……ですか?」
少しだけ後ずさった私の様子を気にすることなく、男性は両手を前に出した。見えない何かを抱えるように。
「受け取れ。青き風だ」
――うわ!?
風が私の全身を駆け抜け、思わず目を閉じる。
ゆっくり目を開けると、そこに男性の姿はなく、ただ青い海が広がっているだけだった。
(了)
続きを読む
エアコンがブーンと静かな音を立てている。
時々漏れてくる、お隣さんの笑い声。
目を閉じてソファに横になったそのとき、ピンポーンとチャイムが鳴る。
……全く、いいところだったのに!
私はろくにインターホンを確認もせずに、ドアを開けた。
「佐川様ですか」
「いいえ、違いますが……」
「……ご住所は合っていますか?」
私は老眼で見えにくくなった目を細めながら、小さい文字を凝視する。
……確かに、うちの住所だ。
「ええ、うちで間違いありません」
「どなたか一緒に住まれていますか?」
「はい。妻がいます」
「では、奥さん宛では」
「いいえ、違います。
うちは三上ですし、妻の旧姓は佐川ではありません。皆川です」
「そうですか、失礼いたしました」
男は帽子を取ると、額の汗を腕で拭い、去って行った。
……全く、何だったんだ。
後日。
また、配達が来た。今度は女だ。
「古川様ですか?」
「いいえ、違います」
そしてまた後日。
「吉田様でしょうか?」
……今度は何なんだ!
誤配かと思い住所を確認したが、いずれもうちで間違いはなかった。
誰かのイタズラか? それにしては手が込んでいる。
私は恨まれるようなことをした覚えがないし、妻も誰かに恨まれるような性格ではない。
今度は妻が出た。
「いいえ、違います」
「……また配達か」
「ええ、長江さんですかって」
「またか……」
ここのアパートに越してきてもう四年が経つ。
なのに、一体どういうことだ。
ここ一ヶ月で、何度も知らない人物宛に荷物が届く。
ここのアパートは確かに人の入れ替わりが激しい。
仮に前住民だとして、そんなに長く住所変更をしないものだろうか。それも複数人が、か?
……何だか気味が悪い。
妻が部屋に戻っていく。
私はその時、玄関が開いたままなのに気付き、鍵を閉めようとした。
ドアが固いのか、うまく閉まらない。
私は一度ドアを開けて、それから閉めようとしてーー階段に座り込んでいる爺さんと目が合った。
煙草をふかしながら、瞬きもせずにこちらを見ている。
白髪の、まばらな長い髪の毛。
歯も、いくつか残っているだけだった。
それでいて、目の据わった黒くて大きな瞳が強く印象に残った。
ただじっとこちらを見ている。
それだけなのに、私はそれを見て固まってしまう。
ふと我に返り、慌ててドアを閉めた。
「あなた、どうしたの」
部屋の奥から、妻が顔を出す。
私はただ、黙って首を横に振った。
その夜。
また、チャイムが鳴った。
私は今度こそインターホンの画面で確認をすると、昼間の爺さんが立っていた。
「三上さんですね。配達です」
爺さんは、ニヤリと口元を歪めた。
続きを読む
サイコキネシス
心や意志の力だけで、触れずに物を動かす超能力
俺は灰皿を前に眉間にシワを寄せじっと見つめていた。
「ねぇ、またやってるの?」
開いた引き戸の向こうからゆかりが手を拭きながら覗いた。味噌汁の良い香りが漂っている。
「超能力あったらすごいだろ!もう少しで動かせそうなんだけどなぁ」
「もう少しって、1ミリも動いてなさそうだけど?」
ケラケラとゆかりが笑う。
このゆかりの笑い声を聞きたくてやっているというのもあるが俺は真剣である。
「超能力があれば俺がいないときでもゆかりを守れるだろ!」
「私のためー?はいはいわかったからご飯食べよ」
またケラケラと笑う。
うむ。幸せだ。
✧
ゆかりが空の灰皿を見つめている。
「まだ片付けられないんだ」
ゆかりの友達、檜山美羽が氷をトングでつまみながら言う。カランカランとグラスが音を立てる。
「うん」
ゆかりは灰皿を見つめたまま答える。
「まあ、そう簡単には次へ進めないよね」
とんっとゆかりの前にグラスを置いた。
「ありがと」
ゆかりは今度はハイボールの泡を見つめている。
「健ちゃんってなんか面白かったよね。オカルトとか超能力とか好きでさ」
檜山美羽はビールでも飲むようにごくごくっと飲む。
「ほらっ、ゆかりも飲んで」
ゆかりは何度も泣いて涙も枯れてしまいそうなくらい泣いていたのにまた泣きそうな顔をしていた。
「飲んで次へ進も。ゆかりが前へ向かないと健ちゃんも成仏できないぞ」
「うん、そうだよね」
まだあの笑い声は聞こえない。
✧
ゆかりが電話で話している。
「そう、うん、もう一年です」
「うーん、どうしようかな」
じー、じー、と窓の外から蝉の声。
カーテンの隙間から西日がこぼれている。キッチンへ行くと電子ポットから湯気が立ち上りカチッと音を立てお湯が湧いた。カップにはティーパックがセットされている。リビングへ戻るとまだ電話は続いていた。
「わかりました。じゃあ日曜日に」
「ええ、私も楽しみにしています」
「はい、ありがとうございます」
ゆかりは電話を終え、キッチンへ続く扉をガラガラっと開けた。電子ポットにお湯が湧いているのを確認し、カップへ注ぐ。じー、じー、と蝉の声。
カップへお湯が半ばまで入った時にゆかりがハッと振り向いた。三秒ほど辺りを見回しまたお湯を注ぎ始めた。
✧
ガチャガチャっと音がして玄関が開いた。ゆかりは玄関にあった靴を揃える。
「どうぞ」
ゆかりの後に続いて男が入ってくる。
空間が少し歪んだ。
「散らかってますけど」
ゆかりはスリッパを出した。
「急に来た俺が悪いから気にしないで」
「こっちです」
案内した先には小さなカップボードがあり、写真立てと灰皿、その横に花が飾ってある。
「でもさ、葬式で偶然会った時は驚いたよね」
「ほんとに。まさか川西さんがいるなんて思いもしませんでした」
川西は神妙な顔をして写真に手を合わせた。
「写真に手を合わせたいなんて急に変なこと言ってごめんね」
「いえ、一緒に彼の思い出を共有できるのは嬉しいですよ」
「会社だとなかなかこんな話もできないしね」
ゆかりはどうぞとカップボードの前にあるソファへ座るように手を差し出した。
「健二とは親友だったけど仕事するようになってからはなかなか会えなくてね」
「そうなんですね、健ちゃんから川西さんのこと聞いたことなかったから驚きましたよ」
「まさか職場の後輩が親友の彼女だったとはなぁ」
川西はどすんとソファに腰掛けた。
ゆかりは横に立ちそわそわとしていた。
「何か飲みますか?ビールもありますけど」
「じゃあ、せっかくだからビールで献杯しようか」
「そうですね」
ゆかりはガラガラっと扉を開けキッチンへ消えた。
川西はゆかりがキッチンへ行ったのを見送るとポケットの中から何か取り出した。そしてソファの後ろにある写真をチラッと見た。
ゆかりがビールをグラスに三杯入れて戻ってきた。
ソファの前のテーブルにコースターとグラスをひとつずつ丁寧に置く。最後の一つは写真立ての前に置きに行く。「健ちゃん、親友の川西誠さん、拝みに来てくれたよ。川西さん私の会社の先輩なんだよ。全然知らなかったからびっくりしちゃった」ゆかりは写真に向かって話しかけた。
川西はゆかりが背を向けたのを確認するとビールに錠剤を入れた。
ゆかりがソファへ戻る。
「じゃ、献杯しよっか」
川西がグラスを掲げる。
ゆかりがグラスに手を伸ばした瞬間だった。
ガシャン。
グラスが倒れる。
「うわっ」
「やだ、ごめんなさい」
グラスは川西の足元に転がり床もびしょびしょになっていた。
「拭くもの持ってきます」
ゆかりが慌てて立ち上がりキッチンへ行く。
ビールがズボンの裾にかかり染みを作っていた。近くにあったティッシュボックスに手を伸ばす。
その瞬間。
ティッシュボックスがシュッと横へスライドする。
キョトンとしている川西の背後でガタンと音を立てて写真立てが倒れた。
川西がその音に驚いて振り向くと倒れた写真立ての横の灰皿がじりじりと動き始めた。
飛んだ。
「うわっ」
飛んできた灰皿が頭をかすめる。花瓶もカップボードの上から落ちて割れて水が飛び散った。
川西は青ざめた顔で立ち上がり、玄関へと向かう。
ゆかりがキッチンから飛び出してきた。
「あ、えーと、ちょっと急用で帰るね」
「え?なんか大きな音がしてましたけど大丈夫ですか?」
「あ、うん、ごめんごめん、また会社でね」
バタンと大きな音を立て玄関が閉まった。足音がバタバタっと遠ざかっていく。ゆかりはわけもわからず立ちつくしていた。
✧
三年後
部屋のあちらこちらに段ボールが置いてある。ゆかりは最後の一箱の前で写真立ての中の写真を見つめていた。ひとしきり見つめ終えると大事そうに段ボールへ入れ、ガムテープで閉じた。
ピンポーン
インターホンが鳴る。
ゆかりが玄関へ向かう。
「どうもー、山北引っ越しセンターです」
「あ、よろしくお願いします」
玄関あたりが騒がしくなった。
「えーと、ご新居の方は新南市の田端稔様宅でご主人がお待ちになっているということでお間違えないですか?」
「あ、はい。結婚はまだこれからですけどね」
「あー、そうなんですね。でもおめでとうございます」
「ありがとうございます。あ、そこ天井低…」
ゆかりが気をつけてと言おうとしたところで作業員が頭をぶつけた。
ケラケラっとゆかりが笑った。
開け放された玄関からは青空が見えた。
眩しい光が輝いている。
スーッと外へ引き寄せられる。
上へ上へ
じー、じー、と鳴く蝉の声が遠ざかって行った。
(了)
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この地の長雨はひと月に及ぶ。いつまで降るのやら。「気づいたか、間もなくノアの大洪水の記録に並ぶ」さすれば師よ!「うむ、ヒト族の天下は終わり、我らカエル族の天下なり」ゲーコゲコとふたりして鳴く。しかし今朝はめっぽう冷えますな。「秋も深いのだろう……あ」ハッ、冬眠のことを忘れていた!
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「そなたの拷問がいかに苛烈でも」かの姫騎士は気高くも言い張りました。「わらわが屈することはない」いま彼女が漏らすのは甘い吐息と微かな喘ぎ。「帝国の妓女め……んあっ!」肢体が跳ねる様もお美しい。やんごとなき方ゆえ、決して手荒にできません。けれどエルフの耳は、さぞ感じやすいでしょう。
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「ソラちゃんご飯よ!」
ママの呼ぶ声がする。
ボクはキッチンにまで降りてご飯を食べ始めた。
大概いつも同じ味。美味しいんだけど飽きちゃうんだよね!
あっという間に食べちゃって、なんだかもうちょっと食べたい気分。
ボクはテーブルの上にひょいと乗ってママの唐揚げをパクリ!
「こらお行儀が悪いでしょやめなさい!」
えへへ、ママに怒られちゃった。
ボクはさっさとキッチンから逃げ出した。
窓の隙間からスイと外に出て、塀の上を歩く。
腹ごなしのお散歩。
今夜は星が綺麗だな!
20mぐらい先にある家のキッチンの明かりがついていて、ボクは窓から中に入る。
「おぉ、虎之助来たか!」
おじいちゃんが缶詰を開けてくれる。
やったーこれ好きなんだよね!
ボクはパクパクと平らげた。
おじいちゃんがボクの頭をなでなでしてくれる。
ちなみにおじいちゃんは一人暮らしだ。
だからボクが来たらすごく喜んでくれるんだ。
お腹もいっぱいになったしまた窓から出て外をお散歩。
おや、可愛い子が歩いてる!
近所のみィちゃんだ。
「ねえねえお話ししようよ!」
そう言って話しかけたら、ぷいとあっちに行っちゃった。
なんだよ……気まぐれなんだから。
電車の高架下でいっぱい仲間と集まる。
おしゃべりをしたり、くだらない情報交換。
「そういえば3丁目の料亭潰れたんだって」
「えー嘘。あそこ美味しかったのに!」
「仕方ないじゃん、オーナーさん病気だって」
「今度は3丁目のコンビニに行こうよ」
「やだよ、あそこのお兄さん怖いもん」
「なぁ、お前らこれからファミレスに食いに行くんだけど一緒に行かねえか」
「行く!」
「行く行く!」
「ボクも〜!」
みんなで揃ってファミレスへ。
ここのご飯も結構美味しいけど、その日によって食べれるものが変わってきちゃうんだよね!
掃除のおじさんが出てきてボクに話しかけてくれる。
「なんだよ、またお前たち来てるのか。おモチのやつまた太ったんじゃないか」
ちなみにここのおじさんはボクのことをおモチって言うんだ。
さすがにもうお腹がはちきれそう!
よろよろしながらお家に帰る。
窓から入って2階に上がると、ボクの『妹』がボクを抱っこしてくれる。
「ちょっ…また太ったんじゃないの?重いんだけど!ネコの重さじゃないよもう!」
「そんなことないもん!」
ボクは妹と一緒にベッドに入る。
そういえばボクの名前ソラって呼ばれたり、虎之助って呼ばれたり、おモチって呼ばれたり、ネコって呼ばれたり、本当の名前は 何なんだろう?
そういえば『可愛い』とか『もちもち』とか『おデブちゃん』とか呼ばれたりすることもあるけど、これも名前なのかな?
ボクの名前は何だかいっぱい。
でも名前を呼ばれるのは嬉しいな!
続きを読む
カセットテープをセットしてラジカセのスイッチを押す。
再生されるのはずいぶん昔のラジオの音声。
これを録音した日のことを思い出す。
もう3年も前のことだ。
「あのさ今日の夕方6時からのFMのサンデーミュージック録音して」
「いいけど…何、聞きたい番組があるの?」
「いいからさ!」
夫はちょっとぶっきらぼうにそう言うとカバンを受け取り玄関を出て行った。
なんとなく照れているように見えたが気のせいだろうか…
今日は遅番だから帰ってくるのは10時近くになるだろう。
夕方家に帰ってきて台所周りを片付けながら食事の準備を始める。
「……いっけない!」
しまったラジオの録音忘れるところだった。
慌ててカセットテープをセットすると録音を押す。
すでに番組の開始から15分が経過していた。
ごめん撮り損ねちゃった。
心の中で夫に謝る。
しかし何だって夫はこのラジオを今日に限って録音してくれなんて言ったんだろう。
確かに夫の好きな番組ではある。
そんなに聞きたい曲があったのだろうか。
そんなことを考えながら、野菜を刻み鍋に入れる。
今日はシチューだ。
付け合わせにサラダとちょっとだけ果物。
シチューはメイン料理になるから、ほんのちょっと副菜があれば十分だと思う。
最も夫はシチューを汁物と考えているタイプだから何かメインの肉類を欲しがる。
まあ基本的に肉類が好きなタイプだけど。
健康のことを考えるともう少し控えてほしいかなと思う。
ただ私の食欲と彼の食欲の違いを考えるとそれはちょっと酷かもしれない。
……とはいえ最近食べ過ぎで夫は結婚前より10kgぐらい体重が増えてしまったのは確かなのだが。
鍋の火をかけラジオの音楽を聴く、45分ぐらいの番組だからそろそろ終盤のあたりになる。
「それでは最後に皆様のお便りコーナーだよ。今日はありがとうのメッセージを紹介するね!それでは1枚目は、『るみママちゃん大好きさんから』」
その名前を聞いて私はドキッとした。
私の名前は、春美。
夫は独身時代の付き合っていた頃ずっと私の事をルミちゃんと呼んでいた。
いや、偶然に違いない。
いやいやいや、それだったら夫はわざわざラジオを録音してなんて言わないかもしれない。
どうしよう、心臓がバクバクする。
ラジオの音声はメッセージを読み上げる。
「いつも頑張ってくれてるママへ、お礼を言ったりするのが苦手でいつも感謝しているけど君への思いを少しも伝えられないのでこの曲をリクエストします。『君に送るありがとう』それではいってみよう!」
ラジオから音楽が流れる。
君に言えない言葉があるんだ
どうか聞いてほしい 僕の思いを
いつも美味しいお料理 ありがとう
いつも洗濯してくれて ありがとう
いつも笑っていてくれて ありがとう
君にいっぱい言いたい ありがとう
僕はどうしても言葉を伝えるのが
苦手だからね 言いたいことが
言えなくって だから歌うよ
いっぱいいっぱい ありがとう
不器用でダメな僕だけど
伝えたいよ この想い
ありがとう ありがとう
感謝を込めて 君に ありがとう
私はカセットテープを止めた。
何度聞いても顔が真っ赤になる。
録音してからもう3年も経ってるのに。
ドキドキする……どうしよう。
うまく言葉で言えないのはきっと私も一緒だ。
玄関で物音がした。彼が帰ってきた。
ありがとう、私もそう伝えたい。
続きを読む
今日もSNSを見る。
何だかんだニュースアプリとかより、気軽に情報が入ってくるから。
タイムラインをスワイプする。
とある広告が目に入った。
――
〇〇県〇〇市
――
真っ黒な画像の中央にその一文だけ書かれている。
しかも俺の出身地じゃん。
少し不気味に思った俺はその広告の表示をしないように、右上のバツボタンを押し『この広告に興味がない』を選択、SNSを閉じた。
会社の帰りの電車内。
また何となくSNSを見る。
――
幼い頃、寝る前にグズる癖があった。
――
黒い画像に謎の一文。
また同じ広告だ。
せっかく設定したのに、何なんだ一体。
よっぽど多額の広告費でも出してるんだろうか?
朝のひと手間を無駄にされた怒りから、また広告右上のバツボタンを押す。
「ん?」
いつもの『この広告に興味がない』のボタンが出ない。
ラグか?
少し間をおき、広告が明滅したように見えた。
――
〇〇 〇
32歳
〇〇株式会社 平社員
上司が外出中は、仕事をするフリをしてソーシャルゲームをしている。
同僚の■■■に想いを寄せている。
大学から素行が悪くなり賭け麻雀に手を染めた。
それが原因で留年、親には体調不良での欠席で単位が足りなかったと嘘をついた。
――
文字が変わった。
画像いっぱいに書かれた俺の個人情報。
しかも誰にも話したことのないはずの情報も。
すぐにスワイプする。
とにかくもう見なかったことにしたい。
上の投稿も同じ広告。
何度スワイプしても、
更新しても、同じ画像、下側にあったはずの投稿も消え、すり替わっている。
全てのタイムラインは、スマホの画面は、黒い画像で埋め尽くされた。
ホームボタンを押す。
電源ボタンを押す。
スマホが固まったのか全く動かない。
真っ黒の画面は、反射で俺の顔を映す。
スマホをポケットに仕舞えばいいのに。
なぜか画面から目が離せない。
サイレントモードのはずのスマホから、はっきりと声が聞こえた。
「ヤット興味出タカイ?」
黒い画面に反射した俺の顔は、目に届きそうなほど口角を上げ嗤っている。
続きを読む
「え?」
>○○生命:死亡保険金 150,000円
通帳アプリを確認すると、記憶にない振り込みがあった。
死亡保険金。
○○生命は、彼女が入っている死亡保険だ。
彼女はソファでぼんやりテレビを見ている。茶髪が少し乱れていた。
思わず伸ばした指がその髪に触れる。
「なに?」
「いや、生きてるよね?」
「当たり前じゃん」
「ねぇ、これ見て」
通帳アプリを見せる。
「え?見ていいの?いち、じゅう、ひゃく、…意外に入ってるね」
「そういうことじゃない。よく見て」
「何が?」
「いや、死亡保険金って」
「何言ってるの?」
相変わらず、何も考えていない顔。
「ここ」
私は指を指す。
「給料34万入ってるね」
「そこじゃない」
彼女は、じっとスマホ画面を見る。
「……34万」
「見えない?ここ」
「なにいってるの?」
呑気な顔から困惑した顔になった。
とりあえず、ぺたぺた顔を触る。
「なに?やめてよー」
嬉しそうに目を細めている。
違う、そういうことじゃない。
「ちょっと、保険会社に問い合わせてくる」
「うん。いってらっしゃい」
彼女は手をひらひら振り、またテレビを見始めた。
――
「おかえり。で、どうだった?」
「えっと、死んでるみたい」
「誰が?」
「あなたが」
「そんなわけないよ」
彼女がころころ笑っている。
「とりあえず、寝よう」
呑気な彼女の声に、なんとなく頷いた。
――
翌日、彼女からメッセージが届く。
>なんか私、存在しない扱い受けてるんだけど…いじめ?
急いで返信をする。
>とりあえず、帰ってきて。
1時間程度。
彼女が困惑した顔で帰ってきた。
「どういうこと?」
私が聞きたい。
「ちょっと待って、みんなに聞いてみる」
私は、何人かに連絡をした。
返事は似たようなものだった。
>まだ日が浅いから無理ないよね…。
>あの子のためにも前向きに生きよう。
彼女はソファの上でポテチを食べながら私を見ている。
ポテチの音だけがやけに大きく聞こえた。
「……なんでそんな顔するの?」
私のスマホには、
既読だけが増えていった。
彼女にスマホ画面を見せる。
「私死んでるじゃん」
彼女の指先には、まだ塩がついていた。
「じゃあ私、働かなくてよくない?」
「生活費どうするの?」
彼女が笑顔で通帳アプリを指した。
その顔は、いつも通り何も考えていない顔だった。
続きを読む