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十六光年の真ん中で
2,189文字
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七夕の夜の天気は、雨か曇りと決まっている。
織姫と彦星の一年にたった一度の逢瀬だというのに、空のやつときたら、「まだ梅雨ですから!」みたいな顔をして雨を降らしてくるのだ。
だけど私が十八歳になった今年の七月七日は、朝から嘘みたいに晴れていた。
ここ毎年、七夕に開催される地元の花火大会は雨で流れることが多かった。
だから、晴れと分かったとたん、大会関係者の祖父なんて大喜びで出掛けて行ったし、近くの商業施設で働く父も気合の入った顔をして出勤して行った。
かくいう私も。
『|凪《なぎ》が珍しいわね、花火大会だなんて』
祖母の部屋で浴衣を着付けてもらっていたら、通りがかった母に面白がられてしまった。
花火大会なんて、子どもの頃以来出かけてなかったからね。
『あれは、夏の大三角形。凪ちゃんの好きな織姫のベガと、彦星のアルタイル。二つの星は、約十六光年も離れてるんだよ』
七夕になると思い出す声がある。
伝説や物語を好きな私が、
『えっ、|航《こう》は知らないの? カササギさんが橋を作ってくれるから、二人は七夕には会えるんだよ』
そう反論すると、理屈っぽい幼馴染は、
『約十六光年っていうのは光の速さなんだ。二人が出会うための相対速度はどれくらい必要だと思う? カササギはいったい何羽必要で、織姫たちはいつから橋を渡り始めればいい?』
少し鼻にかかった声で、私のロマンチックなんか簡単に吹き飛ばしてくるから。
私はぐうの音も出ずに、押し黙る。
小さな頃から一緒にいて、幼稚園も同じ。
お互いの願い事なんて、短冊に書かなくても分かっていた。
八年前のあの日の七夕の日。
あの日も、朝から晴れていたっけ。
今日は何時に待ち合わせにする?
お小遣い二人分足したら、たこ焼き食べられるかな?
見る場所は、あじさい公園でいいよね?
家の前の坂を登ると新興住宅街がある。そこの公園は花火がよく見える、とっておきの穴場だった。
だから私たちは、毎年息を切らしながら坂を登っていっていたんだ。
でもその年の私たちは、花火大会には行けなかった。
その年じゃないか。
正確には|そ《・》|の《・》|年《・》|か《・》|ら《・》だ。
「アラスカ……?」
航は言った。
父親の仕事でアラスカに引っ越すのだと。
「花火大会に行けないの……?」
「まだ二週間あるから、今日は行けるよ。」
そうじゃない。
来年も、再来年も一緒にいられると思っていたのに。
|今《・》|日《・》|は《・》|行《・》|け《・》|る《・》?
なんでそんなに平然としてられるの?
私は、行けない。
こんなぐちゃぐちゃな気持ちのまま、花火を楽しめるわけがない。
「……かないよ」
「え?」
「航となんか、花火大会に行かない……!」
その時の私は、どんな顔をしてたのだろう。
間抜けな顔だろうか。
それとも、駄々っ子のような顔だろうか。
自分の顔はわからないけど、航の顔は覚えている。
普段は切れ長の目を見開いて、心底驚いている顔だった。
♢
ドォオン!
空を震わせる音と共に、紺碧の空に花火が打ち上がる。
航が日本にいた最後の夏。
私は自分の部屋で布団を被りながら、この音を聴いていた。
「航ちゃん、迎えにきてくれたわよー」
母の声も無視して。
二週間はあっという間に過ぎる。
夏休みが始まった頃、航の一家は日本からアラスカへと旅立っていった。
「ばあか。航のばあか」
一年にたった一回だけど、恋人たちがデートできる日。
そんな日をぶち壊してくれた幼馴染が許せなかった。
花火大会から数日経った夕暮れ、アジサイの影が伸びる坂道を、私は一人で登っていた。
ふたりだとあんなに短く感じたのに、ひとりだと飽きてしまうくらい長く感じる。
誰も知らない穴場は、公園の隅っこにあった。
「あれ?」
見覚えのない影が見えて、思わず声が漏れる。
まるで不釣り合いな笹が地面に刺さっていて、一枚の短冊がかかっていたのだ。
そこには——。
『彦星の二倍のスピードで、凪に会いにくるから。ちゃんと待ってて』
十年生きていた中で、一番よく目にした文字がそこにあった。
左に下がっていくクセ、几帳面なハネとトメ。
「……っふぅ……っく……」
みるみるうちに、航の文字がぼやけて滲む。
私が変な意地を張っている間、航は私のことを考えてくれていたのだ。
アルタイル、夏の大三角形、十六光年。
難しいことばかり言っていた私の幼馴染が、「彦星」だなんて……!
ドォン! ドドォン!
次々に空を彩る花たち。
本当に航がここに来るかはわからないけど。
約束通りなら、十六光年の半分は八年だから。
ねえ、航。
私、航のいない七夕を七回過ごしたよ。
他の人と見たこともあった。
でもやっぱり私は——。
「今年は晴れたな。夏の大三角形がとても美しい」
後ろから不意打ちのような声。
もう子どもらしい可愛らしい声ではないけれど、鼻にかかった甘い声は聞き覚えがあった。
私は振り向かずに答える。
「織姫のふだんの行いがよかったのよ」
「いや。ここ数日は高気圧で、下降気流によって雲がなくなっているのが理由で……凪? こっちむいてよ」
「……」
ドォンドォン!
夜空に忙しなく花火が打ち上がっていく。
その勢いに背中を押してもらって、私は振り返る。
鮮やかな赤、続いて、チカチカと震えるブルーの光に、知らない航が照らされて——。
今だけなの?
明日はもういないの?
聞きたいことはたくさんあるけど、私は——。
「おかえり、航」
空には大輪の花火に負けないくらい、夏の大三角形が輝いていた。
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