恋愛
427文字 約1分で読了

何度でも引くおみくじ

昔習った「明智光秀」が、何度もおみくじをしたという「本能寺の変」にまつわる逸話。 それを思い出して、私もおみくじを引く。 小吉、小吉、末吉、小吉、末吉、末吉、凶……。 引くたび、下がってる……! 神様、これは諦めろということですか? それとも何度も引いたせいで怒りました? 「うぅ……もう一回。」 「お小遣い全部使う気かよ?」 私の奇行に笑うあなた。 「神頼みなんかしなくても、ちゃんと勉強すれば受かるって。」 こいつは人の気も知らないで! 「ほら、早くお賽銭投げて帰ろうぜ」 長い列に二人で並ぶ。 ……もしあなただけ受かったら、二人じゃなくなるかもしれないんだね。 そんなこと考えてたら、少しでも願いが届くようにと、五百円玉を投げてしまった。 さっきから何してるんだか。 しかも受験生のくせに、別の願いを神様に伝えてしまう。 薄目で隣のあなたを見る。 ああ、初詣が冬で良かった。 耳の赤みは寒さを言い訳にできる。 こっそり、もう一度おみくじに行こうかな。 ……私の勝負にも、背中を押してよ神様。
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2026/10/06 • 👁 66回 • 💬 0件
ミステリー・サスペンス
1799文字 約4分で読了

合鍵

 その鍵は、私にそっくりな男によって、私の首筋に挿し込まれた。  男が鍵を回すと、カチリ、と音がした。  次の瞬間、私の身体は左右にぱかーんと割れた。  痛みはなかった。血も出なかった。  ただ、長いあいだ開けたことのない箱のふたが、ようやく開いたような感覚がした。  そして、私の中から女が出てきた。 「遅かったね。」  彼女はそう言って、私の中から床へ降りた。  彼女は私によく似ていた。  いや、似てるとは言えないな。  目も鼻も口も違う。背丈も違えば、声も違う。誰がどう見ても別人だ。だいたい、性別が違う。  それでも私はひと目でわかった。  間違いない、これは私だ。 「ずいぶん狭かったわ。」  彼女は、固まった体をほぐすようにストレッチをして肩を回した。 「……悪かったな。」 「暗いし。」 「知らなかったんだから仕方ないだろ。」  あら、と彼女は目をぱちくりとした。 「知ろうとしなかった、の間違いじゃない?」  ぎくりとした。そんなはずはない、そう思った。  でも、図星を指されたように、私は何も言えなくなった。  ゆっくり振り返って男を探したけれど、私を開けた男はもういなかった。  床に鍵だけが落ちていた。 「誰だったんだ、あいつ。」  彼女は、私の胸に人差し指を押し付けた。 「あなたよ。」 「……俺はここにいる。」 「ほら、そういうところよ。」  彼女が笑う。純真無垢に。  気に入らない笑い方だ。……腹が立つ。  だけど、その笑い方を私は知っている気がした。  子どものころ、絵を描いていたとき。  誰にも見せない物語を作っていたとき。  好きなものを好きだと言うのに理由なんていらなかったころ、たぶん私は、こんなふうに笑っていた。 「私を閉じ込めたのは、あなたよ。」  彼女は再び人差し指を私の胸に押し付けて、あざ笑うような目で言った。 「……知らない。」 「泣きたいのに笑ったでしょう?」 「……知らない。」 「嫌いなのに、好きなふりをした。」 「知らない……!」 「怖いのに平気だと言った。」 「知らない!」 「本当はやりたかったことを、くだらないって捨てた。」 「知らない! 知らない! 知らない!!」  声が、こだまのように部屋の中を反響する。  彼女は何も言わなかった。少しうつむいている彼女の表情は、前髪で隠れて見えなかった。  自分の息が切れる。  ……おかしい。  身体は開いたままなのに、胸が苦しかった。  ……どういうことだ。  彼女がそっと私の前に立ち、言った。 「じゃあ、今、知ればいい。」  その言葉が、妙に腹立たしかった。 「簡単に言うなよ。」 「簡単じゃないわ。」  初めて、女から笑みが消えた。 「私だって、怖いもの。」 「何が。」 「……私を開けるのが。」  彼女がその美しく長い髪を持ち上げると、細い首筋に小さな鍵穴があった。  私はしばらく、それを見つめていた。 「……お前にもあるのか。」 「もちろん。」 「中には何がいる?」 「……知らないわ。」  彼女は少しだけ笑った。 「だから、怖いんでしょう? あなたと同じよ。」  私を開けた男が立っていた辺りに鍵が落ちていた。一歩近づき、拾い上げたそれは、不思議なくらい軽かった。鍵を持って彼女に近づき、首筋の鍵穴に近づけたところで、私は手を止めた。 「どうしたの?」 「これ、本当にお前の鍵か?」  彼女が目を丸くした。それから、自分を開いたままの私を見た。  その視線を追うように私も自分の身体を見た。  開いた内側、ちょうど胸のある辺りに、もう一つ、鍵がぶら下がっていた。  彼女と私は顔を見合わせた。 「……二本あるぞ。」 「……そうみたいね。」 「どっちがお前のだ?」 「さあ?」  彼女は楽しそうに笑った。  私は二本の鍵を見比べた。  どちらの鍵にも名前は書かれていない。  どちらが誰を開けるの鍵なのかもわからない。  もしかしたら、他にも鍵があるかもしれない。  そもそも、鍵穴がいくつあるのかさえも。  彼女が手を差し出した。 「一本、貸して。」  きょとんとしていると、彼女はまた、楽しそうに笑った。 「あなたばっかり開けるの、不公平でしょう?」  なるほど。  私は一本を彼女に渡した。  彼女は私の中にあった鍵を持っている。  私は彼女のものかもしれない鍵を持っている。  どちらも、自分だけでは確かめられない。 「なあ、それって――、」  私は言った。 「合鍵っていうのか?」  彼女は少し考えた。 「どうかしら。たぶん違うと思うわ。」 「……違うのか。」 「でも――、」  彼女が鍵にキスをした。 「そのほうが素敵ね。」  ――カチリ。  どちらが先に鍵を回したのか。  それは、わからなかった。
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作者:福子
2026/10/06 • 👁 50回 • 💬 0件
ホラー・怪談
3392文字 約7分で読了

端呑みの沼

 ああ、俺に見えているものは他人には見えていないんだ、そう実感したのは幼稚園の年中の頃だった。  祖父母の家、床の間に座っている、ひとりだけモノクロで色味がまるでなく、顔を塗りつぶされたような着物姿の老婆。それが俺が明確に、この世のものではないもの、と認識した存在だった。  祖母は俺に言った。ああいう連中と目を合わせてはいけない、見えていると知られてはいけないと。  時折、床の間を凝視する俺の幼い目を塞ぐ祖母の手からは、祖母が使う化粧品のにおいがした。    俺は今大学生で、学業の合間に居酒屋でバイトをしている。ビル街の、小さなテナントの居酒屋だ。店員用の通用口は薄暗い路地裏に面していて、ゴミやら排気口から吐き出される揚げ物のにおいでいつもなんとも言えないにおいが漂っている。  その日、店じまいで厨房に溜まったゴミを通用口からゴミ捨て場に出しに行った俺は違和感を覚えた。  いつもとにおいが違う。  揚げ物の油のにおいとも、ゴミのにおいとも違う異臭がした。  ただ、どこかで嗅いだことのあるにおいであることはわかる。ふと耳裏で記憶に刻まれた祖父の声がした。 「淳平、裏の山さ遊びに行くのはええ。だが山の麓の沼には近づいちゃなんねぇぞ。あそこの沼は深いんだ。淳平があんな沼さ入っちまったら、じいちゃんでは助けてやれんからな」  祖父母の家に遊びに行く度に言われた言葉だった。そして、小学三年生になった俺の手を引いた祖父が、連れて行ってくれたのは暗く澱んだ沼だった。 「いいか、淳平。沼には近づいちゃなんねぇ。沼はな、人を呑むんだ」  祖父の声が蘇った瞬間、異臭が強くなる。あの沼に連れて行かれた日も嗅いで、嫌な気分になった、泥と水が澱んで腐ったにおいだ。  店の裏でこんなにおいを嗅ぐのは初めてだった。  ふと、体が動かないことに気づく。ゴミ袋を握りしめた拳が開けない。暗い路地裏の影がまるでスニーカーの靴底に貼り付いたように足が地面から離れない。  かろうじて動くのは目玉だった。目玉だけを回して辺りを探る。泥と水の腐ったにおいがさらに強くなる。表通りの喧騒が遠い。ゴミ出しに出ただけの俺を呼びに来るバイト仲間もいない。  世界に俺だけが取り残されたようだった。  ずる、ぴちゃ、ずる、ぴちゃ。    湿った音がした。衣擦れと素足で歩く音。見えないのにはっきりとわかった。そして、これはきっと見えてはいけないものだということも、わかった。    ずる、ぴちゃ、ずる、ぴちゃ。    音が近づく。それに合わせて泥と水が腐ったにおいも近くなる。周囲の湿度が上がった気がした。 「あの人はどこ、あの人は、お腹にややがいるんです……」  女の細い声だった。か細いのに、まだ距離があるはずなのに耳元で話されているかのようにはっきり聞き取れた。  やや、赤ちゃんのことだろうか。誰かを探している。  頭の一部、やたら冷静な部分が状況を整理し始める。体は相変わらず動かない。湿った音は近い。腐ったにおいが肺を満たした。  少しだけ自分の左側、路地裏の奥の闇を覗いてみる。そこにはボロボロの着物を纏った乱れ髪の女がいた。肌は異様に白い。長い前髪がだらりと垂れ下がっているせいで顔は見えない。輪郭がはっきりしているんだか、曖昧なんだかうまく認識できない。  この世のものではない。  女は俺に気づいているのかいないのか、ただ濡れた着物を引き摺って歩いている。 「あの人はいませんか……あの人は……お腹のややの父親なんです……」  悲壮感の漂う声だった。言ってる内容はこんなにはっきり聞こえるのに、まるで磨りガラスの向こうの人影のような曖昧さがあった。  ふらり、ふらり、おぼつかない足取りで女は歩いている。  その胎にいるのであろう赤ちゃんを、くたびれた着物と青白い肌越しに撫でる手はずいぶん細い。 「あの人……あの人……あんた?」  茫洋としていた声を発していた女だったが、あんた、その三つの音だけがやたらはっきりと響いた。女が俺の真左の延長線上でぴたりと歩みを止める。長い髪で表情の半分も見えない顔が俺の方に傾いた。 女が俺を認識した瞬間だった。  女の頼りない歩みが、明確な意思を持ってそのつま先を俺に向けてくる。湿った音がほんの少しテンポを上げる。  やばい、やばい、やばい。  音が、腐ったにおいが近づく。  空気の圧が俺の体にのしかかる。  助けを求めたくても、俺の声帯はぴくりとも震えない。  唯一動かせるのは目、このまま女に俺が女のことを見ていると知られてはまずい。  咄嗟にそう判断した俺は、ぎりぎりと音を立てそうな勢いで両の瞼を閉じた。視界が暗くなる。すると、幼いあの日、祖父に連れられて見に行った沼のにおいよりもさらに濃い沼の臭気が俺の全身を包んだ。  女が、目の前に、いる。    女の震えるような息遣いを感じる。頬に湿った感触。これはきっと女の手のひらなのだろう。目で見ているわけではないのに、脳は勝手に大量の情報を拾い上げてそれをパズルのように組み合わせ、閉じた瞼の裏に決して見てはいけない光景を結んでいく。  もう片方の頬にも女の手が当てられた。冷たい。体温がない。  俺は閉じた瞼を、これ以上閉じようもないのにさらに強く強く閉じた。  その瞬間、腐り果てた沼のにおいの隙間から、懐かしいにおいがした。  祖母の化粧品のにおいだった。   「…………あの人じゃない」  女の怒りに満ちたような、悲哀で濡れたような声がして、頬から手のひらがずるりと滑り落ちた。  まだだ、まだ目は開けられない。女はまだ目の前にいるから。  俺がただひたすら耐えていると、最後に消え入りそうな声で、あの人じゃない、と繰り返して湿った気配とあの腐った沼のにおいが消えた。  助かった。  全身から力が抜けてその場にへたり込む。服の内側は冷や汗でびっしょり濡れていて気持ちが悪かった。 「淳平くーん、ゴミ捨てまだー?ん、どしたん、転けたか?立てる?」  呑気な元ラガーマンの店長がゴミ袋を握りしめて地面に座る俺を見て不思議そうに首を傾げる。俺は掠れ声で、大丈夫っす、と返すしかできなかった。    沼のにおいを纏った女に出会して二日経った。俺は今大学の図書館で地域史について調べている。どうやら俺のバイト先のあるあの辺りは、いわゆる私娼窟のあった場所らしい。端女郎が非合法の店で働いていたそうだ。そして、私娼窟の片隅にはさほど大きくはない沼があった。その沼には、病気で亡くなった女郎が投げ込まれたり、時には足抜けできずに男と心中するために身を投げる女郎がいたらしい。  端呑みの沼。  いつしかそう呼ばれるようになった沼は、その名すら忘れられ、埋められ、その上に建物が建った。  女たちの想いも恨みも全て飲み込んで、沼はまだあの土の下に、当時の記憶を自身の中に漂わせながらそこにあるのかもしれない。 「沼はな、人を呑むんだ」  祖父が繰り返し俺に言い聞かせたあの言葉は本当なのだろう。    地域史の資料を片付けて図書館を出た俺は、スマートフォンを取り出して、実家の母に電話をかけた。数回のコール音の後、聞き慣れたようで懐かしい母の声がした。 「ああ、お袋?あのさ、ばあちゃんに線香あげに行きたいんだけど、今度いつじいちゃんのとこ行く?お盆?じゃあ俺も行くわ……バイト?普段真面目にやってっから休めると思う。……それに、もしかしたら今のバイト先辞めるかもわからんし。……あーいや、こっちの話。んじゃお盆は帰るから、よろしくー」    一昨年亡くなった祖母は、俺がこの世のものではない何かを見てしまうことに一番最初に気づいた人だった。そして、訳もわからず、それらを見つめてしまう幼い俺の目をいつも塞いでくれたのだ。  だから、あの沼のにおいのする女が俺の近くに来た時も、祖母はきっと俺の目を塞いでいてくれたのだろう。  だって、あの化粧品のにおいは今でも忘れていないから。  祖母の好きそうな菓子を思い浮かべながら、俺は大学のキャンパスをゆっくりと歩く。  視界の端には、首が捻れた子供がけらけら笑いながら走っている。  俺は子供と目を合わせないように、そっと視線を逸らす。その時、本当にかすかにだが懐かしい化粧品の香りがした。  そういえば、祖母は心配性だったな、と思い出す。記憶の中の祖母はひとりだけの孫である俺を大層可愛がってくれていた。  あのしっとりと柔らかな手のひらの感触は失ってしまったが、祖母は今でも、俺が向こう側の連中に魅入られないように俺の目を塞いでくれているのだろう。
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作者:階きざし
2026/10/05 • 👁 76回 • 💬 1件
SF・ファンタジー
4420文字 約9分で読了

天使症候群

 初めての症例は、アジアの大陸の片隅、小さな村に住む十四歳の少女。  まず、彼女の黒髪に金色の毛髪が混じり始めた。たった一週間で背中半ばまで伸ばされた黒髪はすっかり金髪に置き換わった。次いで、腕や脚に白い羽毛状のものが生えた。毛穴から生えているらしく、生える時には痒みを伴うようだ。少女は皮膚を掻きむしるようになり、綺麗な肌は細かな傷が増えた。  決して裕福ではなかった少女の家。少女の両親は、娘の体から羽毛が生え出したことで、なけなしの金を集め、隣町の病院へ娘を連れて行った。  町医者は少女のその様にあんぐりと口を開け、こんな症例は見たことがない、と同じ言葉を繰り返すばかりで役に立たなかった。  町医者が唯一この件で役に立ったのは、すぐさま大きな街の大学病院に連絡を取ったこと。金がない、それでも娘のことは助けたい、そう泣く両親は、いざとなれば内臓でもなんでも売る覚悟で、娘を連れて町医者の手配で大学病院へ向かう。藁にもすがる思いだった。  大学病院へ着いて早々、名前も知らない機械で、名前も意味も知らない検査をたくさん受けた少女に起きた、最後の異変。  肩甲骨が、まるで翼の成り損ないのような形状に隆起した。  少女は痛がるでもなく、ただ、発熱と意識の混濁に見舞われ、肩甲骨の隆起で仰向けで寝られなくなった以外は、比較的穏やかに過ごし、謎の症状が始まってからちょうど二ヶ月後に眠るように息を引き取った。  この症状はその後、主に各国の有色人種に多く見られるようになる。少女の体が呈した症状のいずれかから始まり、症状が確認されて二ヶ月から三ヶ月で死亡する。  今のところ、致死率は百パーセントの未知の病だった。  そしてこの病は、誰が言い始めたか、いつからか天使症候群と呼ばれるようになる。    高梨沙知は、今年で高校二年生になった、子供と大人の狭間を歩く多感な時期の女の子だった。  学校では吹奏楽部に属し、フルートを吹いていた。成績は中の中から上程度。特に特別なんて持っていない女の子だった。  その日、沙知はいつものように、放課後の音楽室で仲間たちと合奏練習をしていた。 「さっちゃん、さっちゃん」  合奏でいつも後ろにいるクラリネットの美穂に声をかけられる。 「なあに、美穂」 「さっちゃん、ごめんね、なんか白髪?にしてはきらきらした毛が生えてるよ」 「えっ、白髪⁉︎やだやだ、まだ早くない?」 「たまにあることだよ。でも後ろから見てて気になってさ、私でよければ抜こうか?」 「お願いしていい?」  髪が引っ張られる感覚が一瞬。痛みはなかった。    翌日、沙知が朝起きていつも通り洗面所に向かった時に、眠い目を擦りながら見た鏡には髪がまばらに金髪になった自分の姿があった。  テレビで最近よくやっている謎の病のことが脳裏を駆け巡る。  沙知の喉から甲高い悲鳴が迸った。  フライパンで目玉焼きを焼いていた母親が大急ぎで洗面所に駆け込んでくる。父親は驚きすぎて、コーヒーの入ったマグカップを持ったまま呆然としていた。 「沙知!どうしたの⁉︎」 「お、おかあさん」 「沙知!沙知!その頭どうしたの!沙知!」  母親の頭にも沙知が考えたことと全く同じことが浮かんでいた。  天使症候群。  未知の病。  致死率百パーセントの、不治の病。 「お父さん!」  母親が叫んで初めて、父親は飛び上がるようにダイニングテーブルの椅子から立ち上がった。    沙知は即座に病院に入院することとなった。  テレビの向こう、SNSの向こう側にしかなかった事象が沙知の体に起きている。  それはまるで夢でも見ているような心地だった。ただし、その夢には甘さも優しさも、やわらかいものは針の先ほども含まれていない。  すぐには死なない。特に大きな苦しみもない。ただ、死ぬことだけは確約された病。  それは真綿で包んだ有刺鉄線で首を締め付けられているような感覚だった。  天使症候群は空気感染しないことだけはわかっていたため、沙知の両親はしばらく隔離された後、発症が確認されなかったために帰宅を許された。ただ、沙知への面会権については「天使症候群についての情報の流出による無用な混乱を避けるため」というお堅い理由で一切許されなかった。  沙知はその日から、患者であり、同時に検体になった。この未知の病を治そうとする者もいれば、己の様々な欲を満たすことが最優先の研究者もいる。彼らの目は、沙知をただの特別を持たない女の子でいさせることは許してくれなかった。  面会が許されない代わりに、表情の乏しい看護師が外からの手紙を持ってきてくれた。そこには、母の整った字と、ごはんはちゃんと食べて先生の言うこと聞くのよ、という優しい言葉があったり、沙知の字に似た癖のある字で、語彙の少ない父からの、それでも温かい心配の気持ちがあった。 クラスや部活の仲間からの色紙が届く日もあった。カラフルなペンで彩られてたくさんの筆跡が並んだそれは、ベッド横の棚に見えるように立てかけてある。 美穂からは、色紙のほかに手紙も届いた。沙知と美穂が二人で放課後に行った文具屋でおそろいで買ったキャラクターものの便せんに、美穂の丸っこい女の子らしい文字が並んでいた。 絶対にまた一緒に演奏しようね、という美穂が綴った最後の一文に、沙知はうまく笑えなかった。  沙知はもらった手紙にも色紙にも返事を書かなかった。  正確に言うならば、書けなかった。 「ペンなどの尖ったものは、持ち込みができません」  これは、手紙への返事が書きたいと言った沙知に看護師が無表情で言い放った言葉だ。  沙知は幼いころから察しがいい子供だった。だから、尖ったものが持ち込めない、その意味がわかってしまった。  きっと病院側は、沙知が自分を傷つけたり、あまつさえ自殺などをすることを恐れているのだろう。そして、多分きっと、それは沙知が完治する前に間違いがあってはならないという意味ではなく、貴重な検体が失われることを防ぐ大人のエゴであることも察してしまったのだった。  沙知は二度と手紙の返事が書きたいとは口にしなかった。  看護師にあの時と同じ言葉を言われるのが恐ろしかったから。  沙知にとって、髪が金色になることより、腕から一枚の小さな羽毛が生えてきたことより、自らが人間という舞台を引き摺り下ろされたような感覚が耐え難かった。  血液検査を毎日行うから、腕は採血の痕だらけで青くなっていたし、レントゲンや内視鏡、CTやMRIも日替わりで行われる。  患者としての沙知の呼び名は高梨さんだったし、検体として何か番号を振られていることも医者たちの間の会話で知っていた。  規則正しい生活、勉強や部活動の代わりに日常に差し込まれた様々な検査、友達とコンビニで買い食いした菓子パンの強い甘みは遠い過去のもののようで、質素な病院食はまるで味がしなかった。  沙知が恐れていたのは、自分の姿が変わっていくことではなく、自分という存在が揺らぐことだった。症状が進行する度に、沙知は自分が人間を辞めさせられている気がしていた。それは心をカンナで少しずつ削り取られ、形を変えられていく辛さだった。    沙知の染めていなかった暗い茶色の髪が金色に染まり、腕や脚にはやわらかくて上質な羽毛が広がっていた。肩甲骨は少しずつ盛り上がり始めている。入院してから一ヶ月と三週間経っていた。  鏡を見ることも、ふわふわの純白の腕を見ることも、怖くはない。  それでも、呼び名が高梨さんですらなくなったとき、さすがに沙知は取り乱した。 「検体のバイタルは」 「安定しています」 「……あの、先生、検体って」 「ああ、気にしないで。こちらの話だから」 「先生、私、高梨です、私の名前、高梨沙知です」 「うん、うん、わかってるよ、落ち着いて」 「先生、検体の心拍、上昇しています」 「だから!検体じゃありません!高梨沙知です!私は!私は!」 「あー、鎮静剤の投与を。それから拘束具の用意」 「はい、先生」  沙知が名前すら失った日、鎮静剤で朦朧とする意識と、両手両足に嵌められた拘束具で涙を拭くこともできずに一晩泣き明かした。  毎日来ていた外からの手紙が来なくなって一週間以上が経っていた。  沙知は、自分がきっとこの白い部屋の中ではもう人間ではなくなってしまったのだと悟った。  沙知が名前と一緒に人間であることを取り上げられたあの日から数日経った。  もう誰からも手紙は届かない。 唯一、人間だった頃と変わらず許されていた娯楽のテレビで観たワイドショーでは、天使症候群は汚れた人間が天使という高尚な存在に浄化されていく現象である、と叫ぶ集団がいるらしいと特集が組まれていた。  そのワイドショーの特集の観た沙知は、悲しむでも怒るでもなく、少し納得した。確かに沙知はこの病のせいで、人間ではなくなっていく自分をずっと感じてきたからだ。だが、それももうすぐ終わる。沙知にはなんとなくそれがわかっていた。  ここ数日、熱がある。そして日毎に肩甲骨はその形を変えていた。  きっと、これがこの病の最終段階。  最近は仰向けで寝るのが少し辛い。肩甲骨が邪魔をするからだ。 「私、別にキリスト教じゃないけど、お迎えには天使が来るのかな……それとも自分で飛んでいくのかな」  昼食のスープは薄味で、口に入れたスプーンの金属の味の方が強く感じられるのではないかと思えるほどだった。  無機質なスプーンを唇に当てる。無性に、あの音楽室でフルートが吹きたくなった。お同じ金属製でも、スプーンに息を吹き込むことはできない。フルートのやわらかい冷たさが恋しかった。 西陽が強く差し込むあの教室で個人練習がしたくなった。母親の作った夕飯を食べ、年頃の娘との会話に困る父親とぎこちないコミュニケーションをし、寝る直前まで友達とメッセージを送り合う。そんな日々が特別だったのだと、沙知は初めて愛おしく思った。 半分も食べられなかった昼食を残して、沙知は体を横向きにして静かに眠った。 どうやら沙知の病状は本当に最終段階に入ったらしかった。 発熱と意識の混濁。 沙知の腕には点滴の管が刺され、ここ二日はもう食事も自力では摂れなくなっていた。 睡眠と、意識の浅い浮上を繰り返す。ふわふわとした心地だった。 ふと、沙知の意識が浮き上がった時、既に夜も更けているようだった。 照明が消された部屋、静かな廊下、時計の秒針の音すらしないはずの部屋で、沙知はフルートの音色を聞いた。コンクールの課題曲で、沙知が一番好きなところだった。素早い運指が難しい代わりに美しいメロディーが特徴的な、沙知のパートの見せ場だった。 「さいごに、沙知って、呼ばれたかったなぁ」  誰にも聞かれることのない最期の願いは、一筋の涙と一緒に白い枕に吸われて消えた。  高梨沙知、十六歳。検体番号三〇二八四JPは、吹奏楽部の夏のコンクール前日に息を引き取った。  コンクールの三日後、沙知の訃報を聞いた仲間たちは泣いた。クラリネット担当の美穂が、沙知の名前の書かれた楽譜ファイルを抱きしめて嗚咽に濡れた沙知の名を何度も、何度も呼んだ。
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作者:階きざし
2026/10/05 • 👁 37回 • 💬 0件
ポエム・詩
115文字 約1分で読了

コトンのなかに

コトンとそこに 瓶を置いた。 そして 毎日少しずつ 想いを詰めた。 ずいぶん たまった気がしたから 憂鬱なある日 開けてみた。 あの日の嬉しかったこと あの日のあなたの香り あの日もらったキャンディが 歌にのって 飛び出してきた。 『瓶の中のメロディー』より
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作者:柊ことは
2026/10/05 • 👁 44回 • 💬 0件
SF・ファンタジー
1209文字 約3分で読了

鍵

 ポストに封筒が落ちる、コトン、という音を聞いて、私は再び歩き出した。  北の町にあるポストは、円筒形の、古いタイプのポストだった。  こういうポストは観光客向けの演出として残されているものだと思っていた。偏見なのは分かっているけれど、街が持つ歴史とポストが持つ歴史にズレがあるような感覚を覚え、どうも好きになれなかった。  でも私の目の前にある赤い円筒形のポストは、ひっそりとした立ち姿をしていて、北の町とともに同じ時を過ごした気配を持っていた。  誰かに見てもらうためじゃない、生活の一部として立っているポストと向かい合い、私は、ここでしばらく暮らしてみよう、と思った。  自動販売機で缶コーヒーを買って、小さな公園のベンチに腰をかけ、缶を両手で包み込んだ。  ふと、気配を感じて右を見ると、隣のベンチにおばあさんが座っているのが見えた。  さっきまで、公園には誰もいなかったような気が……。  おばあさんは、帽子を目深《まぶか》に被っていて、顔はよく見えなかったけれど、やわらかな微笑みが湛えられた口元だけはかろうじて見えた。 その口元に、なぜか私は懐かしさを覚え、おばあさんに声をかけた。 そして――、  北の町で、こんな話を聞いた。 ────────────  満月が煌々《こうこう》と公園を照らす深夜、私は、老婆から受け取った鍵の束をにらみつけていた。鍵は、古い物から新しい物まで大量にあり、リングで一つにまとめられている。 「その鍵は、あんたをむしばんでいる虚しさから解放する扉を開けるものさ。」  昼間、この公園で老婆に言われた言葉を、ひとつひとつ、一言一句《いちごんいっく》ゆっくりと思い返す。 「これから言うことは、絶対に守るんだ。いいね。」  老婆はそう言うと、突き刺すような目で私の目をのぞき込んだ。 「一、扉ひとつにつき鍵はひとつで、一度しか使えない。二、古い物から順に使う。三、満月の深夜、この公園、この場所で、おまえさん一人で扉を開けること。決して他の人と一緒に扉に入ってはいけない。」  老婆は、探るように私の目を見て、フフッと笑った。 「いいかい、一つでも間違うと、帰って来れなくなっちまう。まあ、あんたがそれを望むなら、あたしは止めないがね。」  いつからか、私の心にはぽっかりと穴が空いたような虚しさが棲《す》んでいて、どんどん心を蝕《むしば》んでいった。  今の自分を変えたい!  わらにもすがる思いで一番古い鍵を握りしめると、月明かりの中から、かなり古い木製の扉が目の前に現れた。覚悟を決めて鍵を差し込むと、ガチャリという音とともに扉が開いた。  玄関から中に入り、奥へと歩みを進める。  昭和レトロなガラス障子を開けると、見覚えのある若い女性がロッキングチェアに座り、子守唄を歌っていた。すやすや眠る赤ん坊を胸に抱くその人は、よく見ると若かりし頃の母だった。  まさかこの鍵は……。  母の向こうに、少し新しい扉が見える。私は鍵の束を握りしめ、次の扉へと向かって歩いた。
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作者:福子
2026/10/05 • 👁 54回 • 💬 1件
SF・ファンタジー
727文字 約2分で読了

瓶の中のメロディ

 遠い遠い昔、人魚姫は恋をした。 それは海の上の船に乗っていた素晴らしい肉体を持った人間の男性だった。 男性はある嵐の晩に船が沈み海に落ちた。 人魚姫は彼を抱えて白い浜辺まで泳いで行った。 そしてそっとキスをしてまた海の底へと潜って行った。 人魚姫は彼のことを忘れなかった。 彼への思いを歌に込めた。 歌は小さなあぶくになって海の中を漂った。 あぶくになった歌を人魚姫は瓶の中に入れた。 恋する気持ちが輝いて瓶の中で小さな魔法になった。 海の上のあの人は一体どうしているのだろう。 人魚姫は毎日考えた。 そして彼のことを考えるたびに歌を歌った。 歌はやはり瓶の中に閉じ込めた。  人魚姫は知っていたのだ。 どんなに好きになっても、人魚と人間は結ばれない。 だからこの想いをそっと瓶の中に閉じ込めて永遠にしてしまおうと。 そうして人魚姫は年老いた。 何百年もの歳月が流れた。 当然だが人間はそんなに長生きはできない。 海の上には今日も船が行く。  ある晩のことだった、嵐で船がバラバラになって海の底に沈んでいった。その船に乗っていた男性を一人のまだ歳の若い人魚姫が救い出した。 彼女は男性に恋をした。  年老いた人魚姫が恋をしたように、まだ少女の人魚姫は人間の男性に恋をしたのだ。 彼女は決して諦めない。  年老いた人魚姫は、瓶の中で魔法へと変わった自分の歌を差し出した。 「行ってごらん地上へ」  自分が行けなかったその先へ。 魔法には代償がつきものだけど、きっとこの子ならば大丈夫。 私の分も恋をして、幸せにおなり。  瓶の中の魔法は一つだけ願いを叶えてくれる。 その代わり自分が大切にしているものを1つだけ差し出さなくてはならない。 少女の人魚姫は迷うことなく、瓶の魔法を飲み干した。 ――さて、続きの物語は皆様のご存知の通り――
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作者:しとえ
2026/10/05 • 👁 87回 • 💬 2件
コメディ・日常
1223文字 約3分で読了

シーグラスの涙

 海へ行こう。  そう思ったのはテレビでシーグラスの工房のニュースをやっていたからだ。 何気なくつけた夕食後のニュース。 その工房は私が昔、父と行った海の近くだった。海で拾ったシーグラスをネックレスや指輪に加工してくれるらしい。 明日は休日だ。 電車に乗って出かける。 おそらくニ時間から三時間ぐらいはかかるだろうが、車窓の外の風景を眺めながらずっと父のことを思い出していた。  父が亡くなったのは私が四歳の時。 交通事故だった。正直言って思い出はあまりない。  そんな父との思い出は唯一、一緒に海に行った時のことぐらいだろうか…… 「ねえパパ見て宝石見つけたよ」 「すごいじゃないか」 そう言って父は頭を撫でてくれた。 「グミみたいとっても綺麗」 私がそう言うと笑顔で、 「シーグラスだね。海が作った宝石だよ」 私はその後も必死でシーグラスを探した。 小さな子供の両手いっぱいのシーグラス。 帰りに飲んだラムネの瓶を洗ってそこに入れた。 淡い月明かりのような、ぼやけた色合いのシーグラスは瓶いっぱいになって私は宝物を手に入れたつもりで大事に抱えて帰った。  優しかった父との思い出。 だがもう思い出せるのはそれだけなのだ。 その後シーグラスは大切に保管していたはずなのに学生時代、引っ越した時に失くしてしまい、とてもショックだったのを覚えている。 他人から見れば価値のないただの硝子のかけらに過ぎないかもしれないが……それは父との思い出に彩られ、海の歳月と硝子という人工物。つまり誰かの手によって作られ、打ち捨てられ再び 海の中で生まれ変わった存在なのだ。 ばかばかしいかもしれないが、私にとっては下手な宝石よりも美しく価値があるものだった。 半透明のぼやけた朧月の様な硝子のかけら。  それはもうとっくの昔に失われてしまった、私の時間。 なんとなくもう一度見に行けば取り戻せるような気がした。 空は灰色、海もまたくすんだ色をしていて波ばかりが白い。 シーズンではないため人気もなく、誰一人浜辺を歩いていなかった。 洗れた砂を手で撫でて、シーグラスを探す。 小さなかけらが砂の中から姿を見せた。 白くて小さなそのかけらは朧月のようだった。 どこまでもぼやけていて、そして優しい色。 空に向かってかざせば、ほんのりと透けて向こうが見える様な気がした。 『すごいじゃないか……』 記憶の中の音声が再生される。 父の撫でてくれた優しい手。 シーグラスを探しながら、あの日の私は再び私の前に現れる。 幼子だった私。 いつのまにか持ってきた小さなビニールの中にたくさんのシーグラス。 あの日のようにラムネ瓶に詰めようか…… だが私はそのシーグラスを持ってテレビで放映されていた工房へと向かった。 シーズン外であるためシーグラスを持って訪れる客は少ないが工房自体は他にもアクセサリーや金属加工などをおこなっているらしい。 「できましたよ」 そう言って渡されたシーグラスのネックレスは涙の形をしていた。 父との思い出、幼かったあの日。 それを身につけ私は生きてゆく。
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作者:しとえ
2026/10/05 • 👁 74回 • 💬 0件
コメディ・日常
897文字 約2分で読了

銀の足跡

 外に出てみれば一面、銀世界だった。 霜で真っ白になっていて、バラの花びらだって凍てついて白く輝いていた。 玄関から一歩庭に出ればサクッと音がした。 見れば足元に霜柱が伸びている。 歩くたびにサクサクと良い音がする。  子供の頃を思い出していた。 幼稚園に行く時、霜柱が伸びているのが不思議で歩くたびにサクッと音がしてたまらなく嬉しかった。 霜柱は透明で美しくて踏んでしまうのがもったいないけれど、踏んだ時の音の良さや足に伝わる心地よさに心はウキウキとしていた。 「ダンスが上手ね」 たまに母の代わりに幼稚園まで送ってくれる大好きな叔母さんがそう言ってくれるのがとても嬉しかった。 叔母はバレエを習っていた。 それはあくまで趣味でプロというわけではなかったが私にとっては憧れの存在だったのだ。 憧れの叔母みたいにかっこよく綺麗にダンスしたい。 そう思った私は小学校の高学年の時、母にお願いして一時だけダンス教室に通ったことがある。もっとも中学に上がると同時にやめてしまったのだが。クラブ活動や勉強などやらなくてはならない事がたくさんできてしまったから。  そういえば叔母のバレエの発表会は何回か行ったことがある。白い綺麗なチュチュを身にまとい踊るその姿は霜の精霊のようだった。 その印象が霜柱と重なる。 儚くて美しくてすぐに消えてしまうそんな存在。 ……だが実際はどうだろう。 翌朝になればまた霜柱ができているのだ。 どんなに踏んでも翌朝にはまた同じところにできている。 それが子供心に不思議でたまらなく嬉しかった。  私は後ろを振り返って自分の足跡のところを見た。 潰れてしまった霜柱、そして踏んでないところの綺麗な霜柱が見える。踏まれても踏まれても明日にはまた生えてくる霜柱。 自然の造形というものは不思議だ。 何度でも何度でも再生していく。  叔母はどうしているだろう? あの人は自分の好きなように生きたいように生きている。 霜柱のように潰れても潰れても再生してその美しい姿を見せてくれるのだ。 もう少し日が昇れば霜柱は完全に溶けて消えてしまうだろう。私のこの足跡も。だが翌日にはまた美しい霜柱ができているのだ。 それは何度でも再生する強さのように思えた。
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作者:しとえ
2026/10/05 • 👁 59回 • 💬 0件
恋愛
1145文字 約3分で読了

輪廻の桜

また会いましょう どうかその時に 私だとすぐにわかるように 目印をつけておきましょう あなたの名前と同じ 桜の花を1つ 「今度さ一緒に出かけない?」 幼なじみがいきなりそう言ってきた。 中学生になって小学校の頃より校区が広くなった。 3つの小学校が校区の中学校に通う。 生徒数は2.5倍。1クラスだった学年は3クラスになった。 クラスメイトはそれぞれバラバラ。彼女とも違うクラス。 当然、顔を合わせることもすっかり減ってしまった。 仕方がないこととはいえ、どこかほんの少し寂しかった。 「いいけど、どうしたんだよ」 「だって来週誕生日じゃん」 そういった後彼女は目をそらした。 気難しそうに眉を釣り上げ、頬が少し赤くなっているような気がする。 じゃあ週末9時に待ち合わせ、分かったね そう吐き捨てると自分のクラスにさっさと戻って行ってしまった。 急な誘いにびっくりしたが正直とても嬉しかったというのが本音だ。  週末は思いのほか天気が良かった。 確か天気予報では崩れやすいって言ってたけどなぁ。 そんなことを考えながら、彼女と一緒に電車に乗る。 「それで今日は、どこに行くんだよ」 「行き先は私が決めるから」 とぶっきらぼうに連絡が来たのを思い出す。 「着いてからのお楽しみ」 自分から誘っておいてなんだかずいぶんと不機嫌そうな顔をしている。 3つほど先の駅で降りる。 秋の風が心地よく頬を撫でる。観光客もまばらに歩いていて、いかにも行楽日和といった雰囲気である。 「ここって道桜寺?」 「紅葉が綺麗なんだって」 「桜の名所じゃなかったっけ?」 「うん、でも紅葉も結構有名。それに銀杏もいっぱい 植わってるし、あと桜の葉っぱもそれなりに綺麗だよ」 「それもそうだな」 確かにそれほど有名というわけではないが、もみじも 銀杏も桜の紅葉もすっかり美しく色づいていた。 「お寺って手を叩かないんだっけ?」 「手を叩くのは神社だろ」 室町時代後期に作られたらしい仏像に手を合わせて2人でソフトクリームを食べる。 寺の由来の看板がすぐそばに立っている。 「へえ、こんな伝説があったんだ」 看板には、かつてこの地にいた村娘が足軽に行った男と交わした約束が載っていた。 娘は病気で男は足軽に行くのでどちらが先に死ぬのかわからない、だから死ねば生まれ変わってまた会おう。その時にすぐにわかるようにお互いに体に桜の目印のあざを。結局のところ男より娘の方が長生きし桜の木を植え亡くなった者を弔ったのがこの寺の始まりだそうだ。 「ねえ、桜のアザある?」 「……なんだよ急に」 「いや、ごめん忘れて」 そう言った彼女の顔は真っ赤になっていた。 俺は言えるはずがなかった。 ちょうど胸の真ん中あたりに桜のあざがある。 いや、こんなのはきっと偶然だ……  その時に気がついてしまったのだ。 彼女の首筋に微かに見える桜の花びらに――
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作者:しとえ
2026/10/05 • 👁 60回 • 💬 0件