ホラー・怪談
2495文字 約5分で読了

眷属

 今日は久しぶりにパパが遊びに来た。相変わらず姿の変わらないパパはかっこいい。僕も大人になったらパパみたいになりたい。 「お前たちの弟が誕生するかもしれない。一緒に出かけないか?」 「やったあ!」  僕たちは大喜びした。僕はもちろん、パパとあまり出かけたことのない弟はとてもはしゃいでいる。大急ぎで僕たちは人間の格好をして、パパの後についていく。パパは男の人、僕たちは男の子。弟はまだ人間になるのが上手じゃないから、子供の姿でパパに抱っこされている。これでどこからどう見ても僕たちは仲の良さそうな微笑ましい親子だ。これで真っ昼間だったら、どれだけ真っ当な人間に見えることか。  僕らは月明かりと眩しい電灯の下を歩いていた。人間はこんなのがないと目が見えないなんて、なんて不便なんだろう。ああ、人間って本当に下等な生き物だな。 「パパ、その場所は遠いの?」 「いいや、案外すぐそこだ」  パパの言うとおり、すぐ美味しそうな匂いが漂ってきた。人間どもは馬鹿だから、まだ匂いのことに気がつかない。僕たちの賢い眷属が早速駆けつけているけど、こいつらはまだ匂いに反応しているだけだ。まだ仲間なんてものではない。 「ねえパパ、お腹が空いたよ」 「それじゃあ後で一緒に人間を食べに行こう」 「やったあ、約束だよ?」  僕はゾクゾクした。久しぶりにパパの人間狩りが見られるんだ。これから生まれるかもしれない仲間のことも嬉しかったし、パパが僕らを気にしていることも嬉しかった。 「そら、着いた。あまりはしゃぐなよ」  パパは僕らを人間の住む家の前に連れてきた。窓の隙間を探している僕と違って、小箱みたいな家の扉をパパが開けた。 「いいか、人間はここから出入りするんだ。扉の開け方は今度教えてやる」  今僕らは人間の格好をしているので、人間のように振る舞わなければならない。最近は僕も人間のことを大分覚えてきたけど、まだまだ覚えることがたくさんあるみたいだ。 「わかった、人間って難しいね」  僕らは早速人間の家の中に入った。いい匂いに釣られて先にやってきている眷属たちで既に家の中は大賑わいだった。 「うわあ、すごく楽しそうだよ!」  弟が一段と張り上げた声を出した。僕らにも眷属たちの声が聞こえてくる。  子孫。  子孫。  子孫。  子孫。  子孫。  楽しそうに子孫繁栄を試みる眷属の真ん中には人間の腐乱死体がある。僕らの名前が連ねてある魔方陣の上で事切れているそれの周りに集る眷属。腐乱死体からは死にきれていない魂の呻き声が聞こえてきた。  恨み。  辛み。  嫉み。  憎悪。  この世の人間を全て殺したい。  頭をかち割って回りたい。  あいつら全員死ねばいい。  おればかりが、こんな目にあって。  死ね。  死ね。  死ね。  死ね。  眷属の声と呻き声が混ざり合う。    子孫。  子孫。  死ね。  子孫。  子孫。  死ね。  子孫。  子孫。  子孫。  死ね。  子孫。  子孫。  子孫。  ああ、確かにこれは新たな弟が生まれるかもしれない。でもパパは少し残念そうな顔をした。 「ああ、ダメだ。この程度では無理だろう。こいつは眷属になれない」  パパが言うから、正しいのだろう。僕も弟もがっかりした。 「どうして眷属になれないの?」 「こいつの恨みは漠然としすぎている。人類全部を呪うなど、結局は己を呪うことと一緒だ。そんな魂は大変つまらない」 「それじゃあ、こいつはどうするの?」 「こんなくだらない魂は地獄へ捨てに行くのさ」  パパはニヤリと笑って、弟を僕に寄越すと「それ」に近づいた。パパに気がついた眷属たちはざっと逃げ出すが、逃げ遅れた馬鹿な奴らは全てパパに蹴散らされた。  ああ、悪魔。おれを助けてくれ。 「死んで命乞いをするような奴にあいにく興味はない」  パパは笑って「それ」に残された腐った魂を引きずり出した。この世のものではない叫び声が響き渡り、ぐちゃぐちゃと残っていた思念がきれいさっぱり消えた。部屋の隅で怯えていた眷属たちは再び元気になり、「それ」に群がった。  子孫。  子孫。  子孫。  子孫。  子孫。  魂の抜けきった「それ」は、ただの僕ら眷属の物に成り下がった。交尾をして卵を産み、「それ」を食って眷属は大きくなる。これだけの食物があれば、僕ら眷属は安泰だ。 「さて、それでは帰るぞ。久しぶりに地獄にも連れて行ってやる。楽しいぞ」  パパはそう言うと人間の姿から悪魔の姿に戻った。とてもかっこいい、僕の憧れのパパだ。僕も弟も悪魔の姿になって、たくさんの眷属に見送られて地獄へ向かう。僕も弟もまだ生まれてから日が浅い。弟なんか、生まれてまだ五十年くらいしか経っていない。  弟が生まれた日、僕もこんな風にパパと一緒に迎えに来た。それから僕がお兄さんだから弟を立派な悪魔にするように言われたんだ。僕だってまだ新米の悪魔だけど、パパみたいになりたいから頑張って悪魔の修行中なんだ。ああ、早くパパみたいにかっこいい悪魔になりたいな。  そして悪魔になる代償として支払った記憶をいつか取り戻して、パパに地獄に送ってもらった奴の魂を記憶の限り何度も何度も踏みつけるんだ。ああ、想像しただけで楽しみで楽しみで仕方ないや。踏みつけたところから内臓を引きずり出して、その内臓を何度も奴の腹に戻してやる。奴は殺してくれって言うかもしれないけど、魂だけの奴らが死ねるわけないんだよな。この世は先に恨んだモン勝ちなんだよなあ。  だけど、一体僕は何をそんなに恨んでいたのだろう。そんな思いが頭をかすめると、僕は弟の可愛い顔を撫でる。弟のカタキにも、僕が一緒に鉄槌を下してやる。そう、僕たちには可愛い眷属たちがたくさんついているんだ。もう怖いものなんか何もない。パパもよく言っている。恐怖や恨みに溺れることはとても不幸なことだって。だから一人でも多くの人間に恐怖を振りまくのが僕たちの仕事。最近の人間たちは容易に僕らを怖がる。その代わり、僕らの恐怖が通じにくくなってる気もする。もっと人間たちを怯えさせないとなあ。  地獄へ向かう間、パパが頑張っている僕らにさっき狩った雑魚の魂をくれた。甘ったれの人を殺す勇気もない、恨みもいい加減でスカスカの魂。僕は弟と半分に引きちぎった。やっぱりパパは大好きだ。僕もパパみたいな悪魔になろう。 〈了〉
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作者:秋犬
2026/10/22 • 👁 40回 • 💬 0件
ホラー・怪談
1384文字 約3分で読了

ひとめ惚れ

彼女を初めて見た瞬間、僕は吸い寄せられるように彼女へ声をかけていた。 ​ 「すみません、好きです。付き合ってください」 自分でも正気とは思えなかった。常識を疑われても仕方がない行為だし、平手打ちを喰らっても文句は言えない。だが、彼女は驚いて少しだけ目を見開いた後、微笑んで頷いたのだった。 ​ 「はい。よろしくお願いします」 出会ってわずか数秒で、僕たちは恋人同士になった。 付き合い始めて間もない頃、僕たちは互いの幼少期の話をした。そこで判明した事実が、この異常な出会いに明確な理由を与えてくれた。 僕は幼い頃から、同じような夢を繰り返し見ていた。大人になった自分が、ある一人の女性と恋に落ち、穏やかな日々を過ごす夢。そして、彼女もまた、同じような夢を見ていたという。 ​ 「……それって、前世の記憶だったんじゃないかな」 彼女のその言葉に、僕は強く頷いた。僕たちは前世で恋人同士であり、運命に導かれて今世で再会を果たしたのだ。昔見た夢の答え合わせをするたびに、僕たちの前世の記憶は加速するように蘇っていった。 初めて二人で行った水族館のこと。僕の誕生日に彼女がくれた、少し不器用な手編みのマフラーのこと。くだらない理由で喧嘩をして、雨の中で仲直りしたこと。 さらに​記憶を辿るうちに気がついたことがあった。前世の僕たちもまた、出会った瞬間に交際を始めていたのだ。 「もしかして、前前世でも僕たちは恋人だったのかな」 「そうかもしれない。ううん、きっと前前前世……、それよりもずっと前からそうなんだと思う」 今世で彼女と出会ってから、一ヶ月ほど過ぎた頃に事件は起きた。 ​ 僕たちの脳内には何十年分もの濃厚な愛の記憶が満ちている。 それを意識するようになった時、僕は少し冷めてしまった。 ​決して彼女のことが嫌いになったわけではない。ただ、刺激があまりにも足りなかった。付き合って一ヶ月にもかかわらず、老夫婦のような空気感だった。新鮮さは皆無で、会話の展開すら予測できた。 そうして、僕は魔が差した。 僕は別の女性と、一度だけ浮気をしてしまった。絶対にばれないはずだった。証拠は完璧に消したつもりだった。 ​しかし、付き合い始めて一ヶ月の彼女に、即座に見抜かれてしまった。 今世の交際期間は短くても、前世以前からの通算で言えば、彼女は誰よりも僕の癖や雰囲気を知り尽くした人物だったからだ。僕の立ち居振る舞いひとつで、すべてを察したらしい。 「もう二度としない。頼む、許してくれ」 僕は床に膝をつき、必死に頭を下げた。しかし、上から降ってきたのは冷ややかな声だった。 「許すわけないじゃない。……いったい何度私を裏切れば気が済むの?」 彼女の瞳には、怒りと呆れが混ざり合った深い陰りが宿っていた。 「前世でも、前前世でも……あなたはいつもそう」 その言葉を聞いた瞬間、脳奥の重い扉が勢いよく開いた。 怒涛のように蘇る記憶。 そうだ。思い出してきた。前世でも、前前世でも、前前前世でも、僕は同じように「新鮮味がなくなった」と言い訳して浮気をし、そして……。 僕の視線の先で、彼女が静かにバッグから何かを取り出す。刃渡りの長い、よく研がれた包丁だった。 「今世こそは変わってくれるかなって、ちょっとだけ期待してたんだけどな」 彼女が静かな足取りで近づいてくる。 かつて夢で見た前世の光景がフラッシュバックする。僕は抵抗を諦め、静かに目を閉じた。
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作者:さくら
2026/10/21 • 👁 35回 • 💬 0件
ホラー・怪談
1298文字 約3分で読了

醒めない夢

「相談したいことがあって君に会いに来たんだ」 と依頼主は言った。 「君、人の心の中が見えるっていう話を聞いたんだけど」 「それはただの噂だ」 「そうなのかい?だけど君ならば解決してくれるんじゃないかな って思って」 「とりあえず話してみてはくれないか。じゃないと何も解決できないからね」 男は話し始めた。 「毎日夢の中に現れる女性がいるんだ。とても美しい人なんだ。初めの頃はぼんやりと、だけど 近頃は明確に触れるくらいリアリティを感じるんだ。彼女は僕の運命の人なんじゃないかなって思ってる」 そう言って男は似顔絵を差し出した。 正直に言ってあまり上手い絵ではない。 だがその絵を見た時に感じたことがあったのだ。 「君の夢。正直に言ってあんまりいい夢ではないかもしれない。おそらく彼女は実在する人物だ。だけど出会えば君の身に不幸が降りかかってくるよ」 男は顔をしかめた。 「だけど……こんなことを言えばおかしいかもしれないけれど。僕は夢の中の女性に恋をしている。たとえ不幸になっても構わないから夢の中の女性に会いたい。彼女は、彼女は僕の運命の人なんだ!」 男はそう言って似顔絵を大切そうに持ち上げた。 「変なやつだと思っただろ。でも僕は真剣なんだ」 「いいや変だとは思わないさ、だけど不幸になるとしても?本当に君は彼女に会いたいのか」 「もちろん!」 彼はそう言って真剣な眼差しでこっちを見た。 「だったら私からできることは何もない。いずれ君は彼女と出会うだろう。だが本当にいいのか?彼女と出会えば不幸になる。私ならば その未来を回避するために『彼女の夢』を消してしまうこともできるが」 私がそう言うと男は黙った。 「それは嫌です。夢の中の彼女と出会うためならば僕は不幸になっても構わない。いいや、彼女と出会えれば僕は絶対に幸福になる。きっと他人から不幸に見えても僕自身は幸福なんだ」 「ならば私からできることは何もないよ。そのうち彼女に出会うことになるだろうから」 「本当に?」 「ああ」 「本当に僕は彼女に出会える?」 「ああ」 「なんて素晴らしいんだ!ありがとう!ありがとう!彼女は僕の運命の女性なんだ」 男はそう言って似顔絵の女性に口づけをした。 ……運命か。 私はテーブルを後にした。これ以上相談に乗っても無駄だろう。 男は自分の運命を受け入れたのだ。 ――口付け。 それは呪いにも似て、男の運命を決定づけてしまうものだ。 私が彼の姿を見たのはそれから数年経ってから新聞の紙面でだった。 情事のもつれでの殺人事件。 男は女を殺し、死刑判決を受けた。 留置所の中で男はずっと笑っているらしい。 そのことで弁護士は精神の異常で無罪を勝ち取ろうとしているらしいというのが書かれていた。 確かに、夢の女は彼を幸福にしたのかもしれない。 永遠に醒めぬ夢の中に彼はいるのだ。 もはやどんな音でも目を醒ますことは決してない。 夢に喰われてしまったのだ。 目覚ましの音は虚しく響き、やがて止まって、もう何の音もしない永遠の静寂ばかりが広がってゆくのだ。 ――呼び鈴の音がする。 次の依頼主が私を呼んでいる。 次はどんな夢を見て、 醒めたいと望むのだろうか、 それとも夢の中に沈んでいきたいと思うのだろうか。
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作者:しとえ
2026/10/21 • 👁 30回 • 💬 0件
ホラー・怪談
1046文字 約3分で読了

2in1

「今時珍しいよな。こんな見事な畳のワンルームなんて。六畳だっけ? 八畳?」  彼の友人は定期的に意味も目的もなくこうやってからかってくる。男の人ってなんでこんなにマウント取りたがるんだろう。 「ほっとけよ。オレの性には合ってるんだから」  ほんとだよ。  ほっとけよ。    ようやく彼の友人が去って、置いていった肉まんを温め直して、二人ではんぶんこしていただく。  私はこれが幸せ。  彼はほんとに手のかかる人で、靴下は脱ぎっぱなしだし、ワンルームなのに玄関の照明は点けたら点けっぱなし。あ、トイレも。  仕方がないから後を追うように私が消してあげる。  料理が好きなくせに調理器具は使った端からシンクに投げ込んですぐに埋まってしまう。  仕方がないから調理の隙を見て私が洗ってあげる。  買い物に出かける時もすぐに目移りするから目的の物をいつも買いそびれる。  仕方がないから私が戻って買いに行ってあげる。  私はこれが幸せ。  私がいないと彼は生きていけないと思うと嬉しくて涙が込み上げてくる。  週に何度か、夜になると彼は泣きじゃくる癖がある。 「もう40も近いのに、オレなんか生きてたって仕方ないんだ」  分かってるくせに。  何度も何度も似たようなことで子どもみたいに泣く。 「分かってるでしょ? だからもう決めたっていいじゃない」 「無責任なこと言うな! 何も分かってないくせに!」 「たぶん私がこの世で一番理解してるよ。たぶんじゃないね。間違いなく、だね。だから……ね、泣かないで」  そうやって宥めているうちにすやすやと寝息を立て始める。男の人っていくつになってもこう。でもたまらなく愛おしい。  朝になって鏡の前で私たちは見つめ合う。 「おはよう。昨日もいっぱい泣いたね。今日もお仕事に行くの?」 「行くよ。だってそれが唯一の存在意義だし」 「大袈裟だってば。分かってるんでしょ。何も変わらないよ。何も変わらないの。空から急にお金や女の子は降ってこないの」 「でも、だって、……やっぱりオレには勇気がないんだ。それに君だって、僕がいなくなればいなくなるんだよ。この身体が死ぬっていうことは君の存在もなくなるんだ。君がどこまで僕を理解してると言っても、君が僕の別人格だという事実は事実のままなんだから」 「いいの。私はそれでも幸せだから。あなたがもう苦しまなくていいのなら私は幸せ。怖くてたまらないのも知っているよ。でも私はあなたを想うと怖くなんかないの」  鏡の前で私たちは最期まで見つめ合う。  彼は私がいないと何も出来なくてかわいい。  仕方がないから人生の幕は私が下ろしてあげる。
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作者:珈琲時間
2026/10/17 • 👁 46回 • 💬 0件
ホラー・怪談
140文字 約1分で読了

イア! イア!

飲んだくれている俺の耳に、テレビの音が聞こえてくる。くそいまいましい、どのチャンネルも祈りだらけだ。夜なのに窓の外は赤く明るい。暴徒の焼き討ちだろう。「なにもかも、あの月のせいだ」半年前までは普通の大きさが、今は夜空の半分を占めている。ああ、のたくる触手までハッキリ見えるなんて。
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作者:有賀慧
2026/10/17 • 👁 26回 • 💬 0件
ホラー・怪談
4135文字 約9分で読了

残香

 ──冬が大嫌いだ。  俺がそう思うようになったのは、まだ恋だの愛だのと、そんな感情に溺れてしまうほどに未熟だった大学一年生の頃だった。  地元から遠く離れた土地で大学へと進学した俺は、慣れない一人暮らしに多少の戸惑いを感じながらも、気の合う友人にも恵まれて充実した毎日を過ごしていた。    そんな俺の生活が一変したのは、|冬華《とうか》と付き合い出したことがきっかけだった。  冬華の凛とした美しい容貌はキャンパス内ではとても有名で、平凡な自分など近付くのも畏れ多く思っていた俺は、いつも遠巻きにその姿を眺めていた。  そんな俺が初めて冬華と会話を交わしたのは、大学の敷地内にいた野良猫に菓子パンを食べさせていた時だった。 「人の食べ物はあげちゃダメだよ」  不意に投げかけられた言葉に後ろを振り返ってみると、そこに立っていたのは冬華だった。  透き通るほどに白くきめ細やかな肌に、薄く色付く薔薇色の頬。アーモンド形のパッチリとした瞳は、まるで精巧に作られたガラス細工のように美しく、痛みのないサラサラなセミロングはその整った顔立ちをより一層際立たせていた。  間近で目にした冬華の姿を前に、そのあまりの美しさに思わず言葉を失ってしまった俺は、ただ呆然と冬華を見つめることしかできなかった。   「猫にとってはね、人の食べ物は毒なんだって」  そう告げながらこちらに近付いて来た冬華は、フワリと甘い香りを乗せて俺のすぐ隣りに腰を下ろした。 「猫ちゃん。ご飯持って来たよ、こっち食べようね」  そう言ってカサリと袋を破いた冬華は、持参してきたらしい小皿にキャットフードを盛り付ける。 「あっ。コラ、そっちは毒だから食べちゃダメだってば」    未だ猫に向けて差し出したままだった菓子パンを遮ると、冬華は盛り付けたばかりの小皿をそっと猫の前に差し出す。 「……あ、ごめん。毒だって知らなくて」  慌てて手元の菓子パンを引っ込めながら謝罪をすると、そんな俺に向けてニッコリと微笑んだ冬華。   「どうしてもそっちに惹かれちゃうみたいだね」  取り上げられた菓子パンに向けてニャーニャーと声を上げる猫を見て、俺は困ったように微笑むと猫の頭を撫でた。 「ごめんな。これはお前には毒なんだってさ」 「そっちの方が味が濃くて美味しいもんね。でもダメだよ、身体に毒だからね」  そう言いながら猫の身体を撫でた冬華は、俺の予想に反してとてもよく笑う人だった。  一見すると美人すぎて近寄り難く感じるものの、どうやらそれは間違った認識だったらしい。  こうして偶然にも猫を介して交流を持つこととなった俺達。初めこそ猫を介してのみだった交流も、気付けばキャンパス内でも一緒にいることが多くなり、冬華との仲は急速に深まっていった。  けれど、それはなにも俺だけが特別だったというわけではなく、元々友人の多かった冬華からしてみれば、俺もその内の一人にしかすぎなかった。 (冬華にとって、もっと特別な存在になれたら──)  図々しくも、彼女に対してそんな想いを抱くようになった頃。彼女の方から俺に告白してきた時には心底驚いた。  どうして冬華のような人が平凡な俺を好きになったのだろうか──? そんな疑問が尽きることはなかったものの、確かに冬華は俺を選んでくれた。そんな優越感があったことも嘘ではなかった。 「どうかした?」  フワリと甘い香りを乗せて顔を覗き込んできた冬華は、キラキラと輝くガラス細工のような瞳を|瞬《しばた》かせた。 「あ……いや、いい匂いだなって思って」 「この香水?」 「うん。いつも付けてるよね、その香水」 「気付いてたんだ? これね、特注品なの。私の誕生花の香りなんだよ。なんの花か分かる?」  そう言って少しだけ瞳を細めた冬華は、俺に向けて悪戯っぽい笑顔を浮かべる。 「誕生花って、一月十三日の花?」 「うん」 「ごめん、俺そういうのに疎くて……分からないや」 「ふふっ。だよね……これはね、スイセンの花の香り。いい匂いでしょ?」 「うん。冬華に似合ってる」 「ありがとう。でもね、スイセンて毒があるんだって。知ってた?」 「え、毒……?」 「大丈夫、口にしなければ害はないよ」  そう告げながら微笑んだ冬華はとても妖艶で、俺からしてみればそんな彼女自身が“毒の花”のように思えた。  こんなにも美しい冬華が自分の彼女だなんて、本当にこれは現実なのだろうか──? そんな夢うつつな日々を過ごしながら、俺は日を追うごとに益々冬華に心酔していった。    そんな俺が嫉妬に狂ってゆくのは、至極当然のことだったのかもしれない。  元より自分自身のことがあまり好きではなかった俺は、自分とは対照的に自信に満ちた冬華に憧れのような感情を抱いていた。それがより身近な存在になったことで、最初こそ幸福感を感じていたものの、冬華と過ごしてゆく内に自分を卑下する気持ちが如実に現れていったのだ。  どうしてこんな俺と? 冬華と俺とでは、やはり不釣り合いなのではないだろうか? そんな|鬱屈《うっくつ》した感情を友人に相談してみても、皆羨ましがるだけで何の解決策にもならない。  相変わらず人気の冬華はキャンパス内での友人も多く、俺という彼氏がいるにも関わらず男の噂も絶えなかった。   「経済学部の男と一緒いるとこ見たって聞いたけど、どういうことだよ!」 「……え? ちょっと話してただけだよ」 「浮気でもしてるんじゃないのか!?」 「っ、……どうしてそんなこと言うの?」 「みんな噂してるんだよ! 俺が知らないとでも思ってるのかよ!」 「そんな噂より、私のことを信じてくれないの?」  そんな口喧嘩が絶えなくなったのは、季節もすっかりと冬へと変わった十二月の頃だった。  冬華への愛情はもちろん変わりなかったものの、その強すぎる愛情が憎しみという感情を生んでしまったのだ。  今にして思えば、それはただの嫉妬にすぎなかったのかもしれない。  自分を卑下する気持ちが強かった俺は、時折りコソコソと学生達が話している姿を見かけては、冬華に|弄《もてあそ》ばれている俺の噂話でもしているのだと、そんな被害妄想を抱くようになっていった。  誰からも好かれる輝く星の元に生まれた冬華。対して、特に秀でた才もない目立たない存在の俺。そんな俺達が付き合えたこと自体、奇跡のようなものだったのだ。  けれど、冬華とさえ出会わなければ、俺がこんなにも自分自身を卑下することもなかっただろうし、惨めな思いをすることもなかった。いつしかそんな感情が芽生えてきてしまった俺は、冬華を愛する気持ちとは裏腹に、ドス黒く濁った感情に飲み込まれていった。  愛してる──だけど、殺したいほどに憎い。  そんな感情を持ったのは生まれて初めてのことだった。きっと、それほどに冬華のことを愛してしまっていたのだ。  ──そんな冬華が行方不明になったのは、冬休みが明けた一月の中旬のことだった。  警察による捜索も虚しく、それから半年が過ぎても冬華を見つけることはできなかった。いつしかそんな冬華の存在は忘れ去られ、行方不明になってから一年近くが経つ頃には、その噂話もたまにチラリと耳にするほどとなった。  恋や遊びなどといった新たな刺激に夢中な学生とは、俺が思う以上に他人になど感心がないのだ。存外そんなものなのかもしれない。  そんな中、俺は深い悲しみと罪悪感を抱きながらも、その心中はやけに穏やかな充実感で満たされていた。  不思議なもので、あれほど嫉妬に塗れていた憎悪が消えたのだ。これで誰にも冬華を奪われることはない。そう考えると、後に残ったのは冬華への深い愛情だけだった。  そんな俺の前に突然冬華が姿を現したのは、降り積もった雪が歩道を一面の雪景色へと変えた、一月十三日のことだった。  フワリと香る、あの懐かしいスイセンの香り。その甘い香りに軽く目眩をおこしながら、目の前にいる冬華に向けて小さな声を漏らす。 「どう……っ、して……?」  我が目を疑いながらもゆっくりと冬華へと近付くと、その美しく整った顔にそっと触れてみる。  ひんやりとした頬はまるで死体のような冷たさで、けれど、薄く色付く頬が確かに冬華の存在を示していた。 「冬、華……?」  心許無く発した俺の声に反応するかのようにして、目の前にいる冬華はアーモンド型の美しい瞳を薄く細めた。あの頃と何一つ変わらない、恐ろしくも妖艶な笑顔の冬華。  その姿を前に、忘れていた憎悪にも似た感情が沸々と蘇ってくる。 (冬華は永遠に俺だけのものだ──)  細っそりとした白いうなじに手をかけると、力任せに彼女の首を締め上げる。 「……っ、なん、で……?」  一年前と全く同じ台詞を口にした冬華は、締め上げる俺の両手を力なくその手で抑えると、一年前とは違って無表情な顔のまま俺を見上げる。そんな冬華が酷く恐ろしくて、締め上げている両手に更に力を込める。  一面に広がる積雪に赤いマフラーを散らしながら倒れる冬華。その姿は、死してなおとても美しかった。 「冬華……お前は永遠に俺のものだ」  そんな彼女を見下ろしながら、安堵感から薄っすらと笑みを溢す。  それからの俺の行動はやけに迅速だった。二度目ともなれば、それも納得ができるというもの。  一年前に埋めたはずのその場所には、確かに“彼女を埋めた”痕跡が残っている。けれど、それを掘り起こす勇気などなかった俺は、新たに掘った穴に冬華の身体を埋めることにした。  きっと、彼女の遺体は今回も見つかることはないだろう──。  そう思いながら冬華の身体を埋めたのは、昨年の一月でちょうど十回目。  愛する冬華を自分のものだけにする為とはいえ、永遠とも思えるこの瞬間が酷く恐ろしい。生々しく残る両手の感覚が薄れる頃、冬華は俺の目の前に現れてその感覚を新たに刻んでゆく。  俺はそんな冬が大嫌いで──それ以上に愛しくもあった。  一面の雪景色の中、人などいない歩道の上をサクサクと音を立てながらゆっくりと歩いてゆく。その真新しい足跡を辿るようにして、フワリと鼻腔を|掠《かす》めるスイセンの香り。  その甘い香りにつられるようにして背後を振り返ってみると、そこにいたのはあの頃と何一つ変わらない冬華の姿だった。   「──やあ、冬華。今年も会いに来てくれたんだね。君は永遠に俺のものだよ」  そんな愛の言葉を囁きながら、今年も俺は君のうなじに手をかける。 ─完─
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作者:天音ろっく
2026/10/17 • 👁 26回 • 💬 0件
ホラー・怪談
844文字 約2分で読了

サティはお好き?

ああ、今日もジムノペディがこの部屋にはピッタリだ。 昔は悲壮感を感じた。 でも今は……割れたコップの欠片を、もう一度割ったって何も変わらない。 この部屋には余計なものが何もない。 全て、完結している。 友達がおすすめしてくれたマウスを、一昨日燃えるゴミに出した。 あの人と一緒に買ったカトラリーを、昨日燃えないゴミに出した。 家族との思い出がつまったアルバムを、シュレッダーにかけた。 たくさんご飯を食べたローテーブルを。 色んなものをこぼして、はげちゃげた絨毯を。 待ち遠しかった粗大ごみ回収の予約日にようやく出せた。 部屋を見渡した。 家具がないと、こんな広かったんだ。 ここに何年住んだか、もう覚えてないな。 何もないから、音楽が反響して聴こえる。 赤い陽射しが、床に置いたスマホだけを照らしている。 ふと窓の外に目をやると、綺麗な直線の雲が均等に並んでいた。 すじ雲だっけ? 今日は少し風が強いんだね。 でも……嵐じゃない、大雪でもない。 ドラマチックな日じゃない。 今日が何の変哲もないからこそ、ここが現実だって否が応でも理解する。 同じく何の変哲もない私にピッタリだ。 泣いてばかりで。 いつしか泣けなくなって。 ウソの笑顔を通して。 それすら放棄してしまった何の変哲もない私に。 サティは満足しているだろうか? ちゃんと曲に耳を傾けない、私の部屋にある唯一の「家具」になれて。 ああ、間違っていた。 余計なものがひとつだけあった。 日が暮れて赤色が遠くなるのを見送った。 いつの間にか、音楽がサティの明るい曲に変わっている。 ようやく最後の余計なものを、今から失くす気になれた。 時間差で届く予定のメールを確認する。 封筒にしまった手紙を確認する。 少しでも迷惑が減るかと思ったけど、それでも大家さんには申し訳ない。 出しそびれたシュレッダーゴミくらいは許してくれるよね? ―― 夢を見た。 いないはずの両親に抱きしめられる夢。 喧嘩別れした友達と遊ぶ夢。 そして、私の笑顔に泣いてくれたあなた。 私の中に余計なものが満たされる。 ジムノペディはもう聞こえない。
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2026/10/15 • 👁 30回 • 💬 0件
ホラー・怪談
641文字 約2分で読了

誰かさんと音楽

 ありふれた真夜中。ふと、部屋のドアが僅かに開いているのに気付く。  試験勉強の最中だった私は、中途半端に開いているドアの隙間を不気味に感じた。闇の中に紛れ、知っているのに知らない「誰か」がこちらを見ている感じがしたのだ。  私の中で一気に不安感が募り、すぐにドアを閉じに行こうと足早にデスクから離れた。いつから、どうして。そんな事を考えながら、私は暇そうな冷たいドアノブに手を掛ける。  すると、ああ、恐ろしい。廊下から、ぬるい空気と共に「誰か」が私の中へ入って来た。脳内へ一気に話し声が響き渡り、知らない柔軟剤の匂いや見知らぬ人間の指紋、熱を帯びた息遣いがベタベタと身体中を這いずり回る。侵食される。  私は何とかドアを閉めたが、「誰か」の気配は消えない。私の中に居座ろうと走り回り、叫び回って飛び回る。うるさい、黙れと私が叫んだ所で意味などない。この静かな自室で声を上げているのは、私一人だ。  このままでは何もかもが嘘で、何もかもが本当になってしまう。それが嫌だから、私は試験勉強に打ち込んでいた。何が嘘で本当かを、私なりに見極める為に私はこの部屋を守っていたんだ。それなのに「誰か」の所為で、全てが台無しだ。  私はマーブル模様になった視界の中で、机に置いてあったラジカセのスイッチを必死で押し込む。  ノイズと共に、クラシックなピアノが聞こえてくる。滑らかな肌の様に美しい、真珠色の音楽が。美しい、陶器の様に無垢な音が、沁みてくる。  やがて、ピアノが終わる頃。「誰か」は私の頭の中からいなくなっていた。
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作者:ころもやぎ
2026/10/15 • 👁 45回 • 💬 0件
ホラー・怪談
787文字 約2分で読了

サボテン

 砂漠の中を、一人の男がさまよっていた。  延々と続く砂。方角さえ分からないまま、水を求めて歩き続ける。  喉はカラカラで、渇きは限界に達していた。  歩き疲れ、座り込んでしまう男。  ふと、顔を上げると、人だかりのようなものが見えた。  ――水を恵んでもらえるかもしれない!  そう思った男は、フラフラとその人だかりの方へ歩を進めた。  近づくにつれて、人ではないことが分かった。人だと思っていたものは、サボテンであった。  男は希望が砕け散ってしまったように思えた。だが、かすかに覚えていた知識があった。  ――サボテンを切れば水が飲める。  男は早速ポケットから折りたたみナイフを取り出し、近くにあるサボテンへ向かった。  ナイフは短く、サボテンの棘が手に刺さり痛みを感じたが、今はそれどころではない。  切り込みを入れると、サボテンから勢いよく水が吹き出した。  その水は赤かった。  男はおっかなびっくり、一度離れたが、背に腹は代えられないと、その水を両手で受け止め、飲んだ。  水は甘かった。  もう一度飲む。やはり甘く、美味かった。  久しぶりの水に歓喜した男は、水を存分に飲む。さらには空になっていた水筒へもその水を入れて補充した。  一しきり水を飲んだ後、辺りを見渡した男は気付いた。  ――何かがおかしい。  サボテンはどれも同じ形をしていないのは当然だが、それでもおかしい。  まっすぐに立っているものもあれば、横になっているもの、走っているように見えるもの、両手を合わせ祈っているように見えるものまであった。  嫌な予感がした男は、その場から離れようとした。  しかし、足が動かない。  恐る恐る下を向いた男は絶叫した。見た光景に男は取り乱す。もはや遅かった。  そして、響き渡っていた叫び声が、砂漠から消えた。  砂漠の中で、サボテンが群生している。  その内の一本は干からびていた。  もう一本は、水筒とナイフが持たされているように、サボテンと一体化していた。
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作者:開津文太
2026/10/14 • 👁 67回 • 💬 0件
ホラー・怪談
564文字 約2分で読了

水底

私は気付けば、深い水底にいた。 光は全くなく、しかし周囲の様子はなぜか分かる。 ここがどこかは知らない。 私は自分が何者で、どうして生きているのかも分からない。 けれど、水は知っている。 草原を、木々を、大地を駆ける生物を知っている。 そして光を知っている。 私はどうしてここにいるんだ? お腹が空く。 周辺にいた恐らくエビのような生物を食べる。 美味しくなかった。 珍しく魚らしきものが泳いでいたので食べた。 エビらしきものより格段に美味しかった。 ある日、大きなクジラのようなものが私を襲ってきた。 辛くも逃げることができたが、次は分からない。 途端に、恐怖が湧いた。 死ぬことへの恐怖ではない。 喰い殺される恐怖ではない。 なぜか強く求めてしまう、あの青空の美しさ。 太陽の光。 それを味わずに死ぬことが何より怖かった。 私は必死に上へ、上へと泳いだ。 全身に謎の痛みを感じる。 このまま泳げば、死ぬことを直感した。 でも私にはあの水底で何も分からぬまま死ぬことの方が、何よりも恐ろしかった。 ああ、いつ辿り着ける? 嫌だ。 嫌だ、嫌だ、嫌だ! あの光はどこまで泳げば味わえる!? ―― 何でもない砂浜に打ち上げられた、新種の生物の死骸。 その日のニュースはその生物で持ちきりだった。 細長い躰。 翼のような特殊な二つの背びれ。 耳と脳が異常に大きく、何より―― ――眼は完全に退化していた。
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2026/10/13 • 👁 34回 • 💬 0件