秋といえば、徳田秋聲。
秋聲という名はもちろんだけど、秋聲さんの描く生活の湿り気は、葉っぱの裏側みたい。
落ち葉は綺麗。
だけど、触れるのはイヤ。
湿った土が指先についたりする。
憧れの人が、少しでも近い存在なったら?
果実は食べる前。
見ているときが一番美味しい。
この頃はSNSの発達で、推しとお話ができる。
私も推しの配信に行ったけど、推しとお話がしたくなかったことに気づく。
私の推しは想像上の神さまだったみたい。
推しとお話するよりも、文学的なブログを更新していた頃の推しが好きだっただけで、それは結局、文豪への恋心と同じ。
夏の終わりに、知りたくなかった自分の嫌な部分を見てしまった。
秋。早く来ないかな。
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街は秋めいてきた。
外はまだまだモワッとした暑さが立ち込めているのに、入道雲はもういない。
お洋服売り場だって、茶色やオレンジばかり。
100均の毛糸売り場にはお客さんが増えた。
街路樹の葉っぱの色だって、少しずつ渋くなっていく。
枯れ葉は妖精のドレス。
今年の流行りはどの葉っぱなんだろう。
わたしはね、妖精を見たことがある。
だけどそれは内緒。
誰も信じないから。
信じられないのはこわいから?
それともありえないから?
わたしは、にんげんだって信じられないモノだと思う。
食料を切って、火を通して、味付けして、盛り付けて。
そんなの意味ないもの。
お洋服を着てる。
別個体を好きになるし、子どもを育てる。
同時にふたり以上の好きな人を作ると怒られる。
遠くにいる会いたい人の声が聞きたくて小さな機械を作ったし、みんなヘンだよ。
動物の世界では不要なものだらけ。
不要だけど尊くて、いとおしいよ。
いとおしいけど、ちょっぴり疲れるネ。
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右足と左足の真ん中で見つめたお空は海だった。
海と空は、ないしょの双子。
だけど、ふたりはそれを知らない。
ずっと想い合ってるけど、恋人にはなれない。
触れられないほど、とおいから。
ふたりはそう思ってる。
だけど、ほんとはね、血が繋がってるからダメなんだよ。
ぼくらはみんな、宇宙の子ども。
おてんとさまと、お月さまだって、おいかけっこしてる。
抱きしめられるのは、ほんのたまに。
月蝕と日蝕。
食べることは愛なんです。
食べることは愛なんです。
もぐらはミミズを食べる。
もぐらの信仰。ミミズは神さま。
ぼくらはみんな、宇宙の子ども。
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「部長! フリーアドレスを導入して、オフィス改革しましょう!」
A課長は熱心に説明した。
「どちらにせよ老朽化で備品交換が必要でしたから。エンゲージメントを上げる施策として、外部にもアピールできます」
「面白そうだね」
部長はうなずいた。
「A課長、ついでに机も大きくして、広々と開放感があるように頼むよ」
「わかりました!」
こうして、新しいオフィスが完成した。
社員からは大好評だった。
以前より誰もが周囲を見渡せるようになり、社員同士の距離も近くなった。
部長も満足そうにオフィスを見渡した。
「いやあ、ずいぶん開放的になったね」
ただ、誰も以前のように、少しだけ一人になれる場所を思い出せなかった。
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朝から教室の中はみんなハイテンションだった。
当然といえば当然かもしれない。
3年間一緒に過ごした、いや小学生の時からだから実質9年間一緒に学び育った。そんな同級生たちとも高校に進学するのにバラバラになってしまう。
だからだ。
不安な気持ちを払拭する様にみんな笑いあい、ふざけ合い、このわずかな時間を楽しんでいる。
プロフィール帳を交換しながら書いてゆく女子たち、後ろでじゃれあっている男子たち。みんな思い思いの時間を過ごす。
今の時代はみんなスマホを持っている。クラスメイトのグループLINEだってある。でも、昔ながらのプロフィール帳を交換するのは 大切な儀式のように思えた。
忘れないでね、ずっとだよ。
最後にそんな言葉を添えて。忘れるわけなんかない。
晴れた空の下で、私たちは笑い合いその時間を過ごす。
きっと学生生活の3年間、いいや小学生の頃からの9年間ずっとそんな風に大切な一瞬一瞬の連続だったのだろうけど。
卒業式の祝辞の言葉。
校長先生の話。
手渡された卒業証書。
あまりにも軽い紙の筒だけど、それはとても大切な時間そのものの証明のような気がした。最もクラスの男子たちはその筒でチャンバラをしている。
もう最後まで子供っぽいんだから!
そんな女子たちの話し声が聞こえる。
でも、ふざけあえるのも今日で最後なのだ。
卒業してもまた会おうね。
きっとだよ!
そんな会話をして日の差す空の下、さようならの言葉。
目いっぱい手を振って、お互いに違う高校に通うことになる。
最後の時間。教室を出て青空の下で、笑い合って抱き合って、
さようなら。
先生の目にも涙の後。
泣いている子もいた。
後には空っぽの教室。
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今年の秋は涼しい。
8月が終わるなり毎日のように雨が降って、九月の一ヶ月間はずっと雨だった。
例年 このシーズンになるとまだまだ暑い日々にうんざりしていたのに、今年は早々と 秋物の洋服を出して羽織っている。
十月に入って 久々の晴れ渡った空。
こんなに晴れているんだもの、出かけなくっちゃもったいない。今日は仕事が休みだ。
毎日仕事と育児に追われて、なかなか休める時間がない。
子供を学校に送った後、一人車を走らせて秋のバラが綺麗なそう遠くない名所に行く。
バラで有名なお寺で、定期的にちょっとしたイベントもやっている。中に喫茶店があるから、お寺の拝観の後に、ちょっとよってみることにした。
境内に入ると大量のバラと、幻想的な提灯の飾り付けがでも帰ってくれた。どこか日常の懸想を忘れさせてくれる。
花曼荼羅という言葉があるが、この境内はさながらその花曼荼羅と空中に吊るされた提灯の曼荼羅といったところだろうか。
甘いバラの香りが全身を包み込む。
私は深呼吸をして、一度目をつぶりまたゆっくりと開いた。
先に参拝を済ませよう。
朝露に濡れたバラを見ながら、地蔵観音に手を合わす。
買った お線香に火をつけて、心の中で祈りを捧げる。
考えるのはやはり子供たちのことだ。
お地蔵様は子供達を守ってくれる存在だから。
いいやそれを除いても、きっと私はいつも子供たちのことばかり考えている。
どうにも休めそうで休めていない。
子供のことを考えるのは とても楽しいけれど、自分のことを考えてゆっくりとする時間だってきっと必要だ。
境内をゆっくりと散策しながら、私は奥へと入って行った。
池には大きな鯉が泳いでいる。
一番奥の喫茶店で、ブラックコーヒーと季節のケーキを頂いた。優しい甘さが口いっぱいに広がって現実から切り離された時間が流れて行く。
日の光が差し込んで、サンキャッチャーが輝いていた。
青い空と太陽を言い訳にして、出かけた私だけの休日。
きっと、この一日があるからまた明日も頑張れる。
バラのお守りを1つ買ってキーホルダーにつけると、私は車に乗って 花曼荼羅のお寺を後にした。
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日常の喧騒に追われていると、私たちの視野はいつの間にか足元やスマートフォンの画面の数インチだけに狭まってしまうことがあります。
しかし、ふとした拍子に夜空を見上げるとき、私たちは誰しもが圧倒的な広がりを持つ「宇宙」という存在とつながっていることに気づかされます。
科学がどれほど進歩しても、人類が解明できている宇宙の領域は全体のわずか5%にすぎないと言われています。
残りの95%は未だに正体不明のダークマターやダークエネルギーといった謎に包まれています。
これほど未知に満ちた空間でありながら、不思議なことに、私たちの身体を構成する炭素や鉄といった元素は、かつて遠い宇宙で寿命を迎えた星々が超新星爆発を起こした際に飛び散った「星のかけら」そのものです。
つまり、私たちは宇宙を観察しているようでいて、実は宇宙の一部が自分自身を振り返っている状態だと言えます。
近年、宇宙開発は劇的な進化を遂げています。かつては国家主導の巨大プロジェクトだったものが、今や民間企業による宇宙旅行や小惑星の資源開発といったビジネスの場へとシフトしつつあります。
宇宙飛行士でなくとも、誰もが日常の延長線上で宇宙を語る時代がすぐそこまで来ています。
しかし、宇宙の本当の魅力は、そうした技術的な進歩や壮大なスケール感だけにあるのではありません。
ある宇宙工学の研究者が書いたエッセイのタイトルに『ワンルームから宇宙をのぞく』というものがあります。
この言葉が示唆するように、私たちが暮らす四角く狭い部屋と、何百億光年先まで広がる終わりのない宇宙は、まったく同じ物理法則によって支配されています。
コップからこぼれる水滴の丸みと、宇宙に浮かぶ地球の丸みは同じ原理です。
そう考えると、宇宙は決して手の届かない遠い場所ではなく、私たちの何気ない日常のすぐ隣に、静かに息づいていることが分かります。
眠れない夜や、答えのない未来に少し疲れてしまったとき、ほんの少しだけ窓の外に目を向けてみてください。
冷たくきらめく星々の光は、何光年もの時間をかけて今あなたの瞳に届いています。
広大な未知の広がりに想いを馳せることは、自分自身というちっぽけで、それでいて奇跡的な存在をそっと愛おしむための、最高の方法なのかもしれません。
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夜空を見上げるたび、私はいつも同じ心地よい目まいに襲われる。
漆黒の幕に散りばめられた無数の星々。あそこには何があるのだろう。
幼い頃に抱いたその素朴な疑問が、私の宇宙への旅の始まりだった。
しかし、本を読み、科学の進歩を追いかけるうちに、その疑問は解消されるどころか、より巨大な謎へと姿を変えて私を待ち受けていた。
まず私が惹かれたのは、「宇宙に果てはあるのか」という疑問だ。
現代の天文学は、観測可能な宇宙の大きさが直径約930億光年であると教えてくれる。
想像もつかない巨万の広さだが、それはあくまで「光が届く限界」に過ぎない。
では、その先には何があるのか。壁があるのか、それとも無限の虚無が続いているのか。
アインシュタインの相対性理論をかじると、宇宙の空間自体が歪んでいて、進み続ければ元の場所に戻るのかもしれないという仮説に出会う。
球体の表面を歩くように、果てはないけれど体積は有限。なるほど、と一度は納得しかける。
しかし、そこで新たな疑問が首をもたげる。
「歪んでいるその空間は、一体『何の中』に存在しているのか」ということだ。
宇宙が膨張しているということは、膨張していくための「外側」が必要なはずではないか。
だが物理学者たちは、宇宙の外側という概念自体が無意味であり、空間そのものが新しく生み出されているのだと言う。
外側のない内側。
私たちは、何もないゼロの中から湧き出し続ける空間の泡の中にいるのだろうか。
思考を物質の最小単位へと向けてみる。空間が湧き出すというなら、その根本にあるルール、つまり「この宇宙の法律(物理法則)はなぜこれほど完璧に整っているのか」
重力の強さ、光の速度、原子を繋ぎ止める強い力。これらの数値がほんの少し、例えばパーセンテージにして小数点以下何十桁というレベルでズレていただけで、星は生まれず、炭素は作られず、私たちは存在していなかった。
この「あまりにも都合のいい調和」を前にすると、私は立ち尽くしてしまう。これはただの偶然、あるいは奇跡なのだろうか。
いや、最近の物理学は「マルチバース(多次元宇宙)」というさらに奇妙な答えを提示する。
私たちの宇宙は、無数にある宇宙の泡の一つに過ぎず、他の宇宙では全く異なる物理法則が働いているという説だ。
たまたま生命が生まれる条件が揃った宇宙に私たちがいるから、ここが完璧に見えるだけなのだ、と。
その答えは一見合理的だが、私の心にはさらに深い、底のない疑問を突きつけてくる。
「では、その無数の宇宙を生み出し続ける『究極の親玉』のような仕組みは、なぜ存在するのか」
なぜ、「何も無い」ではなく「何かがある」のか。宇宙がどれほど広大で、どれほど複雑な数式で解き明かされようとも、最後に残るのはいつもこの問いだ。
謎を一つ解き明かすたびに、宇宙は新しい、さらに巨大なクエスチョンマークを私に突きつけてくる。
それでも私は、この終わりのない問いの連鎖を愛している。
疑問が深まるということは、私たちが宇宙の深淵にそれだけ近づいている証拠でもあるからだ。
今夜も私は、答えのない問いを抱えながら、ただ静かに星を見上げている。。
夜空を見上げるたび、私はいつも同じ心地よい目まいに襲われる。
漆黒の幕に散りばめられた無数の星々。あそこには何があるのだろう。
幼い頃に抱いたその素朴な疑問が、私の宇宙への旅の始まりだった。
しかし、本を読み、科学の進歩を追いかけるうちに、その疑問は解消されるどころか、より巨大な謎へと姿を変えて私を待ち受けていた。
まず私が惹かれたのは、「宇宙に果てはあるのか」という疑問だ。
現代の天文学は、観測可能な宇宙の大きさが直径約930億光年であると教えてくれる。
想像もつかない巨万の広さだが、それはあくまで「光が届く限界」に過ぎない。
では、その先には何があるのか。壁があるのか、それとも無限の虚無が続いているのか。
アインシュタインの相対性理論をかじると、宇宙の空間自体が歪んでいて、進み続ければ元の場所に戻るのかもしれないという仮説に出会う。
球体の表面を歩くように、果てはないけれど体積は有限。なるほど、と一度は納得しかける。
しかし、そこで新たな疑問が首をもたげる。
「歪んでいるその空間は、一体『何の中』に存在しているのか」ということだ。
宇宙が膨張しているということは、膨張していくための「外側」が必要なはずではないか。
だが物理学者たちは、宇宙の外側という概念自体が無意味であり、空間そのものが新しく生み出されているのだと言う。
外側のない内側。
私たちは、何もないゼロの中から湧き出し続ける空間の泡の中にいるのだろうか。
思考を物質の最小単位へと向けてみる。空間が湧き出すというなら、その根本にあるルール、つまり「この宇宙の法律(物理法則)はなぜこれほど完璧に整っているのか」
重力の強さ、光の速度、原子を繋ぎ止める強い力。これらの数値がほんの少し、例えばパーセンテージにして小数点以下何十桁というレベルでズレていただけで、星は生まれず、炭素は作られず、私たちは存在していなかった。
この「あまりにも都合のいい調和」を前にすると、私は立ち尽くしてしまう。これはただの偶然、あるいは奇跡なのだろうか。
いや、最近の物理学は「マルチバース(多次元宇宙)」というさらに奇妙な答えを提示する。
私たちの宇宙は、無数にある宇宙の泡の一つに過ぎず、他の宇宙では全く異なる物理法則が働いているという説だ。
たまたま生命が生まれる条件が揃った宇宙に私たちがいるから、ここが完璧に見えるだけなのだ、と。
その答えは一見合理的だが、私の心にはさらに深い、底のない疑問を突きつけてくる。
「では、その無数の宇宙を生み出し続ける『究極の親玉』のような仕組みは、なぜ存在するのか」
なぜ、「何も無い」ではなく「何かがある」のか。宇宙がどれほど広大で、どれほど複雑な数式で解き明かされようとも、最後に残るのはいつもこの問いだ。
謎を一つ解き明かすたびに、宇宙は新しい、さらに巨大なクエスチョンマークを私に突きつけてくる。
それでも私は、この終わりのない問いの連鎖を愛している。
疑問が深まるということは、私たちが宇宙の深淵にそれだけ近づいている証拠でもあるからだ。
今夜も私は、答えのない問いを抱えながら、ただ静かに星を見上げている。
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その社員は真面目だった。
無遅刻無欠勤。
資格も取得し、社内試験にも積極的に挑戦した。
上司の信頼も厚かった。
しかし、私生活は不真面目だった。
酒癖が悪く、しばしば他人とトラブルを起こした。
やがて、有罪判決を受けた。
会社は社の信用を失墜させたとして彼を懲戒解雇させ、退職金の支給について議論になった。
「不真面目な人間に退職金は必要ない。」
人事部長はそういった。
すると社長が首を横に振った。
「いや」
そしてこう続けた。
「彼は真面目な社員だった。」
数日後、男は退職金を受け取った。
そして酒場へ向かった。
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書き手として、AIの使用は、文章を綺麗にしたり、自分の思いの偏りや抜けを教えてもらったりするには、とても便利だ。
物語の壁打ち相手としては最適で、自分より物知りで、かつ自分の物語を嫌がらずに読んでくれる編集者が、常に隣にいてくれるようなものだ。
けれど、読み手としては、もしもAIだけで書かれた文章が目の前にあれば、読む価値は薄いと感じる。
なぜなら、私が物語やエッセイを手に取る動機は、作家本人の頭の中を覗いてみたいという欲求だからだ。
その人が何を見て、何を思ったのか。何を悩み、どう飲み込もうとしたのか。それが知りたい。
AIの作った物語では、例えばハリー・ポッターのような、誰かの夢の中に迷い込んだかのような錯覚は、きっと得られないだろう。
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