人生には終幕というのがつきもので、それはいつか絶対に誰にでもやってくる。
だから生きていく限り後悔のないように精一杯生きていかなくてはならない。
君と一緒に見に行った映画館。
エンドロールの後に観客たちは立ち上がりゆっくりと去ってゆく。人生の終幕においてやはり同じように観客たちは席を立ち上がり去ってゆくのだろう。
僕はポケットから小さな箱を取り出した。これは小さな物語の終幕。
ハッピーエンドになるかどうかは分からないけれど。もしうまくいけば長く始まる人生のほんの一幕。
誰もいなくなった映画館で僕と君二人だけ物語の余韻に浸る。エンドロールの途中で席を立ち上がり去って行く人々。けれど僕はあまりそういうことが好きじゃない。
最後の曲が終わるまできっちりと席に座って待っている。
二人っきりになった映画館で席を立とうとする君にそっと箱を差し出す。
「僕と結婚してください」
長い長い人生の物語の小さな山場。これから続く君と二人の物語をどうか僕にください。
エンドロール、人生という幕が終わるまで君が隣にいて座って僕の人生を見ていてくれることを望む。
続きを読む
高校三年生最後の競技会。
私とゴールの百メートルの隙間に、周囲の期待も青春もぎっしりと詰まっていた。
どうにもあの心地良くもあった緊張を、桜の匂いは連れてくる。
もう十年にもなろうというのに。
肉離れなんかとっくに完治している。
なのにどうしてまた立ち止まってしまうのか。
その気になればきっと全力で駆けることだって出来るのに。
それでもこの時期だけは、まだ痛い。
応援して、慰めてくれた両親を、先生を、仲間を、もう裏切りたくはなくて。
涙も後悔もずいぶんと上手に飼い慣らせたと思う。
勉強に打ち込み、仕事にのめり込み、今の私がいる。
だからこの痛みも私にとっては誇りなんだと、ここ数年はそんな風に言い聞かせている。
それなりに恋もしてきた。
愛し愛され、また愛し愛し愛され。
きっと都合よく、彼らを癒しにしてきた罰なんだとも思う。
そして、この道の先にあの人が待っている。
だから踏み出さなきゃいけない。
━━なのに。
私を追い越していく三人の親子。
ああ。私にもあんな未来があったのかもしれない。
二つの結び目が愛おしくも羨ましい。
舞い散る暖かな祝福を、私は拒絶してきたのかもしれない。
誤魔化して、茶化して、頑張ることを言い訳にしてきたのだろう。
今日会ったら何を言おう。
特別な日でもないけど、特別な日にするにはうってつけじゃないかな。
例えば二人、違う未来へ進もうだとか。
私にそんなこと言う権利があるのか。
ここまで待たせた彼に対して。
━━「今は仕事が第一」
半年前だったな。
卑怯な言葉だったな。
彼の情熱が、仕方がなかったといえ、報われず。
あの瞳を支える覚悟が私にはなかった。
それがどんな傷跡になるのか、たぶん知っているから。
私はまだこの後悔と正しく向き合えずにいる。
また彼の優しさと、繰り返す毎日に、そっと埋めては悪戯に掘り起こす。
だからせめて今日は。
そう、あなたに謝りたい。
そう思うことでやっと歩き出せた。
ゆらゆらと漂う光が、どうか彼を温めてくれてますように。
ごめんね。ごめんなさい。
でも願ってしまうの。
あなたと同じ光の中に、私もいられたらいいのに。
続きを読む
「ずいぶん美味しくなったもんだな」
コンビニで淹れたコーヒーカップを両手に包み、鼻腔に溜めた香りを味わう。
今年も桜が咲いた。
ちらちらと舞う並木道。
汗の滲む首筋に、ひんやりと風が心地良い。
去年もこのベンチでこうやっていたなと景色に記憶を重ねる。
もう熱くなる掌を、それでも離す気にはなれない。
コーヒーが沁みる。
どこかで卒業式があったのだろう。
身を整えた三人の親子がこの数分で何組過ぎて行ったか。
僕にもこんな未来があったのかもしれない。
考え飽きたこの思考はもうなぞる価値もない。
そんなことするくらいなら心の中でもそっと、彼らを讃えた方が幾分か有意義だ。
春だろうが冬だろうが、僕の毎日は変わらない。
きっと来年もここでこうやって流れる桜たちを眺めているに違いない。
その時はコーヒーはいくらになっているんだろうな。
積み重ねることと失うことは同じ意味だと知って随分と経った。
かつては情熱もあったさ。
もっとよく笑ってた気もする。
桜の開花にも気付かず打ち込んでいた日々。
ああ。コーヒーが染みる。
どうか君たちの将来というものが、素晴らしいものでありますように。
こんな信仰にも似た拙い願いが僕の辟易とした日々を支えている。
なんてXにも呟けないちっぽけなプライドが、たぶんそれだけが、僕に桜の中にいることを赦している。
━━「今は仕事が第一」
彼女がその言葉を使ったのは何年前だっけか。
そんなに経っていない気もするし、随分と昔のようにも思える。
この待ち合わせも、将来に何の意味があるのだろう。
僕らの日々は、一体何を埋めているのだろう。
いや、分かっている。
先送りにしているのも、曖昧にしているのも、他ならぬ僕だ。
悪戯に気持ちを確認するほど若くもない。
かと言って、別れを切り出す理由もない。
次に口にしたコーヒーは、ヌルいなんてものじゃなかった。
「お疲れ」
顔にかかる髪を耳にかけるその仕草に、ときめいてた時期もあったっけ。
触れているわけでもなく離れているでもない僕らに、このベンチのサイズは奇妙なほどちょうどいい。
ゴツゴツと凹凸をぶつけ合って、削り合って、擦り合って、僕らの角は取れていく。
あるいは奇跡的に噛み合い、ふたつがひとつに成ることもあるのだろう。
でもそうでない路を辿ったならば、いつしか丸く球く収束していく。
社会の内側で生きるとはそういうことだ。
生きるとはそういうことだった。
完全な球体の接地面積は0だという。
だから僕と彼女のこの距離も必然が生んだことに疑いはない。
「どうしたの?」
「こんなに寂しいのに、どうして僕らはひとりぼっちなんだろうね」
いつ仕舞ったかも分からない言葉が、急に出て来て知らん顔をする。
笑顔でナイフを突き立てるような、こんな台詞を、どうにか無かったことに出来ないだろうか。
すっかり冷えたコーヒー。
もう口にする気にはなれない。
掌に汗が滲んでいく。
「私は、ふたちぼっちがいいな」
僕の明日も、君の明日も、きっと約束された通りやってくる。
積み重ねることと失うことは同じ意味だと知っている。
それなのに舞い上がるこの僕を、稚拙だと、頓珍漢だと罵ってくれても、今は全く構わない。
世界は外側からしか壊せない。
それを今日、知ったのだから。
続きを読む
彼女が放屁した。
極めて間抜けで、しかし同時にどこか愛嬌のあるその音は、椅子がズレた音などではなく間違いなく屁だった。
食器の泡を流す水の音が、まるで水流が増したかのように嫌に際立つ。
ソファで寛いでいるほどよく巻かれた茶髪は、ピクリともすることなく、一年前に流行った淡い青春映画を見続ける。
「あら、河童が鳴いたわ」
ポツリと彼女は、まさかそんな言葉を置いた。
この女は何を言っているのだ。
もう別れよう。
そんな小さな、しかし決意に似た想いが芽を出した。
「河童は鳴かないよ」
僕は綺麗になった食器を、出来るだけ音を立てずに、シンクの端にかけた水切りラックに置く。
今日のランチは春キャベツと桜海老のオイルパスタ。
しっかりとオリーブオイルに煮出したガーリックと鷹の爪、ひっそりと忍ばせたターメリックとコリアンダーが見事に良い仕事をし、春キャベツの甘さと桜海老の香ばしさ、そして強烈な旨味が極上なまでにパスタに絡んだ絶品だった。
なるほど、こうやって振り返れば腸の働きが促進されても何もおかしくない材料が含まれている。
フォークを洗い終わる頃、納得した僕に贖罪の意識が芽生えた。
「鳴くのよ。河童は」
この女はまだ河童に罪を着せようとしている。
なんなんだこの確固たる厚かましさは。
「河童はね、いいかい。子どもだけでの川遊びは危険だと言い聞かせる為に生まれた、神様に等しい存在なんだよ」
彼女のあまりの厚かましさに耐えれず、語尾がやや強くなってしまった。
「君は『あやかし』の起源をそう捉えるのね」
あやかし? 何を言っているんだ。僕は河童の話をしている。
胃の辺りが熱くなり、成人男性に相応しい言葉の選定に難儀する僕を見向きもせず彼女は続けた。
「人はね、間違いを認めると標的にされるの。間違いを認めた人に対して、人はあたかも自分が被害者であるかのように、間違った人に対して危害を加える権利を得たと錯覚するの」
一体全体、何を言っているんだろうか。
「河童は?」
生ごみをまとめた小さな袋の口を縛って僕はゴミ箱に落とした。
「でも、間違いを自ら認めるような人は決して他人のせいにはしない。そこで芽生えた知恵が『あやかし』よ」
河童はどこに追いやられたのだろう。
僕はこの女を少し恐ろしいと思えてきた。
コーヒーメーカーが抽出完了の緑のランプを灯す。
放屁を断固として認めない彼女に、引導のコーヒーを渡そう。
そう決めた僕は、食器棚から河童色のマグカップと愛らしい紺色のマイマグを取る。
が、振り返ると彼女がいた。
肩にかかる緩やかな茶髪が光に透ける。
カップを握る僕の両手に彼女の指が這い、絡む。
唇の艶はパスタのせいだろうか。
僕は窮地に追いやられる。
いや窮地のエリアを自ら拡張しつつある。
あと二センチも近づかれると、吐息より先にヤツが触れてしまう。
「どうしたの?」
滑らかに動く唇から僅かに覗く白い歯。
『の』の余韻が、いや圧とも言える口の形が、強すぎる。
落としそうになるカップは僕と彼女の指が支えている。
磁器の冷たさがどうにもこうにも彼女の指の熱を際立たせ僕の鼓動を囃し立てる。
「これ」
眼前にいる筈なのにまるで耳元で囁かれたようだった。
たったそれだけの言葉が、もう僕の全てを掌握してしまったのだ。
「河童のせいで…」
そう。
河童のせいだ。
河童のせいで僕は煮詰まったコーヒーを飲むことになるのだった。
続きを読む
海外製のグラインダーも、やたら高価な手挽きミルも、何種類ものドリッパーに、人体工学に基づいて作られた調温ケトルも、高性能な電子スケールも、全部捨てた。
僕はもう珈琲を淹れない。
淹れ始めたきっかけは単に母に褒められたからだった。
小学四年生の僕は毎朝どんな顔をして淹れてたのだろう。
そしていつしか、彼女のため、妻のため、僕は毎朝毎朝淹れ続けてきた。
今、僕しかいないこの部屋に珈琲の香りは立たない。
明日も明後日も珈琲の香りが立つことはない。
職場ではたまに求められる。
簡素なドリップバッグだって僕にかかればそれなりの珈琲になる。
「さすがだね」
こんなただの液体にどれだけの歳月とコストをつぎ込んだか。
今となっては馬鹿馬鹿しく虚しい。
仕事を終え家に帰ると、朝シンクに置いたコップはそのままそこにいる。
なぁお前は今日一日、何をしていたんだ?
水滴がシンクに落ちた。
蛇口も開いていないのに。
長い夜が始まる。
Youtubeは未だに珈琲関連の動画をおすすめしてくる。
無気力に人差し指は自動でスワイプをしてくれる。
暗い部屋でスマホの光だけが世界に灯る。
きっとひどい顔してるんだろうなとふと思う。
公式アカウントか上司からしか来ないLINE。
タップしてはスワイプして、溜まったバッジを消費していく。
━━らぁいんっ!
馬鹿みたいな通知音が真夜中の暗闇で鳴る。
別れた妻だった。
心拍数が上がる。
間髪無くタップして刹那だけ後悔する。
送られてきたのは珈琲の写真。
「あなたの珈琲が今でも一番美味しかった」
画面が滲む。
横隔膜が揺れる。
「また、飲んでほしい」
そう打って、送れずに消す。
蛇口から、水滴が落ちた音がした。
続きを読む
目的のみを果たす人。
無闇に散財する人。
喋るだけの人。
休日の暇潰しの人。
目的を探す人。
老後の人。
仕事中の人。
あるいはショッピングモール。
あるいはデパート。
あるいは商店街。
だいたいはこういう人たちで、どこも構成されている。
繰り返す毎日はこういう人たちで、囲まれている。
チェーン店に食われかけた「ぎりぎりの商店街」からほんの一分。
知らなければ視界にも入らない。
俺の店はそんな路地にある。
「珈琲屋」
あからさまとも言える、分かりやすい屋号。
客は滅多に来ない。
たまに来たかと思えば、内装に金がかかってないだの、サービスが悪いだの、男ひとりでやってるのかだの、デザートが少ないだの。
老舗、あるいはチェーンのオシャレカフェと比較されるのなんてザラだ。
━━その全てが商品になるわけだが。
そして今日は月一のあの業者の来る日。
「お世話になってますぅ。珈琲屋さんっ」
馬鹿に爛漫な笑顔。
美容師みたいに明るい髪色。
就活中かと言いたくなるスーツ。
そして、いつものキャリーケース。
小柄なこの子がよく持ち運ぶなと毎度感心する。
「どうですかぁ? 今月も貯まりましたぁ?」
どうも話し方が癪に障るが、この小娘こそがこの店の生命線なのだ。
「お客さんもいませんしぃ、やっちゃいましょうか。はいっ! これ被ってくださいっ」
キャリーが開かれ、小娘の頭二個分くらいのヘルメットが出てくる。
毎度このどっしりとするヘルメットを被る度、屈辱と、この後の期待との、なんとも言い難い感情になる。
「じゃあ失礼しまぁす」
ヘルメットの額の辺りに接続されるホース。
これ掃除機のホースと同じだろ、といつか聞いてやろうと思っている。
━━きゅうううううううううううぃん
何しろ音まで掃除機のそれだ。
俺が貯めた毒が吸い出されていく。
すっきりするかって?
馬鹿言え。残るのは虚無だよ。
「んー。嫉妬に怠惰、傲慢に強欲っと。憤怒、暴食は少なめですね。色欲は今回も無しです」
彼女はホースの根元、キャリーに収まっている小箱型のメーターを見ながら報告してくる。
「もう少し捻り出せますぅ?」
「少ないのか?」
「暴食、色欲が在庫不足なんですよぉ」
「そんなこと言われてもな…」
彼女が身を乗り出し、顔を近づけてくる。
「し き よ く、今 で ま せ ん か ね ?」
「出たか?」
ぐいっと小さな肩を押し戻す。
「ダメでしたぁ…」
がっくりと細い肩を落とし、彼女は伝票を書く。
「じゃあ今日の買取金額ですっ」
……。
助かった。
これで今月も食っていける。
「しかし、在庫切れになんてなるんだな」
「なりますよぉ。特に色欲、暴食はご年配のお客様に人気でっ」
「AIの弊害なんてどこから出るか分からんね」
「まぁ私たちも商売ですからねっ!では、また来月、お邪魔いたしますっ」
スキップ気味に彼女は去っていく。
━━ガラガラガラ
「いらっしゃいませ」
「え、やば」
「さすがに、映えないよこれ」
「いこいこっ」
━━ガラガラ……ピシャ
「ありがとうございましたー」
続きを読む
眼下には大海の如く広がる珈琲豆。
その香りに手を引かれ、僕は飛び降りる他無かった。
ジャリジャリと砂のような小石のような質感が、この身体を愛撫する。
ドリッパーの「詰まり」に辿り着き、もうこれ以上先は無いと知る。
僕は膝を抱える。
この香りのガスに包まれて窒息するのならそれもいいと思えてくる。
やがて香りが変わった。
次の瞬間、熱湯が染み渡ってくる。
━━熱い。
そしてただの熱湯だった液体は瞬く間に染まり珈琲と化す。
溺れるのか。
同じ窒息でも何か嫌だな。
そんな意識すらもやがて抽出され、肉体を放れ、ドリッパーを離れ、液体となる。
上から抽出液が垂れる度、僕の体積は増えていく。
窮屈な濃度も、いずれは薄まり最適化された。
上空のドリッパーは去り、僕は浮遊し、世界は傾き始める。
なれば当然、誰かの口に入るのだろう。
期待も予測も裏切られない。
ズズズという揺れと共に、抗える訳もなく流される。
せめてと、舌上の味蕾に爪を立て、僕という存在を刻む。
さて、この後は……。
やがて意識は混沌とし朦朧とし、誰かの肉体に吸収され混ざっていく。
意識は戻り、瞼を開く。
手に持つカップは空だった。
眼下には珈琲豆の海が広がっている。
続きを読む
目も開かない赤ちゃんが、私の指を握った。
泣きじゃくる姿が、
私に縋るように、
私を探すように。
脈打つちいさな掌が、私の指を握っていた。
目も開けられない父さんが、
私の指を握った。
空気の漏れる音を鳴らし、
私に託すように、
私を導くように。
鈍色の掌が、私の指を握っていた。
目が開かない。
迎えて、受け容れて、手放す。
ただ、無色。
続きを読む
雨の日は無性に眠たい。
低気圧だとか、胎児の頃の記憶だとか、そんな事はどうだっていい。
この雨音に包まれ、是非もなく、まどろんでいたい。
瞼の重さが心地よい。
地球の重力に……感謝を。
━━「なんて怠惰なオスなんだ」
そこにいたのはチロルハットを被り、煙管を咥え、シェル型のシングルソファーに、偉そうに大きく脚を組んで座っている蛙。
蛙。
「雨なんだ。勘弁してくれ」
「我々はこの時期こそに、全命をかけ、種の繁栄に賭すというのに。お前はなんという様だ」
「だから、だよ。蛙主人。君らの活動に、少しの邪魔にもならないよう僕はこうしている」
「やい、オスよ。オスの使命はなんだ」
「言わせるな。そんなこと」
「分かっているのだろう!ならば雨が降ろうと、地が乾き照り上げようと!」
蛙主人は勢いよくソファーから立ち上がった。
頭と胴のバランスに似合わず、脚は長い。
「今すぐ起き上がり、飯を食い、メスを追え!」
━━なんて目覚めだ。
近年稀なレベルの気怠さが僕を襲う。
「立飲屋 小生意気」
酒でも飲んでもう一度床に着こうと、近所の立ち飲み屋に入る。
「いらっしゃい!」
カウンターの中央で、珍しく女が一人で飲んでいる。
なるほどな。
「大将、ぬる燗一本。それと、おまかせを」
ここでの「おまかせ」はだいたい珍味かジビエの一品が出る。
まさに「小生意気」。
最初に来た時は猪肉ベーコンの天ぷらだった。
それ以来、ここを贔屓にしている。
「はいお待ち!今日はウシガエルの唐揚げだよ!」
なるほどな。
「大将、もう一匹揚げてくれる?」
続きを読む
僕は猫が嫌いだ。
理由? あつかましい、の一言に尽きる。
一方で僕の師は猫を溺愛している。
なにかしらの感染症に罹り脳がイカれてしまっていると言っていいほどには溺愛している。
ある日。
僕と師、おっさん二人で町中華のランチを堪能した帰り道。
路地の塀に群がる五匹もの猫が、井戸端会議をしていた。
ほらな。
コイツらは信用ならない。
そうやって密談を重ね、人類を都合よく利用する算段を企てているのだ。
パン!っと両手を合わせて、僕は猫どもを散らす。
「お前なにやってんだよ!」
結構な威力で肩パンを受ける。
それは決して師弟関係における愛の鞭などではない。
ましてや五十になろうかというのおっさんのすることでもない。
喫茶店に入る我ら中年二人。
僕らは一服しながら、酷く一方的に猫の素晴らしさについて僕は師から講釈を賜る。
曰く、例えば地蔵様がそうであるように、「猫」という記号はすでに人類の中で一般化され、固定されている。
つまり猫は偶像として、神仏に等しい存在なのだ、と師は話す。
そんなこと言われても嫌いなものは嫌いだ。
「君が大した理由もなく猫を嫌うのは、同族嫌悪なのかもしれない…」
師はふと視線を落とし、少し深刻そうにコーヒーを啜る。
ああ、なんだ、そうだったのか。
つまり僕は、神の眷族であった。
店を出ると、路地にある塀の質感を、無意識に目で確かめていた。
なるほど。確かにあそこからなら世界を睥睨出来そうだ。
続きを読む