ポエム・詩
53文字 約1分で読了

有限の陽だまり

いつまでも あなたの 安全基地があると 思わないでね? 陽だまりの 返却期限は過ぎました。 私の温かさは 無限じゃない。
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作者:柊ことは
2026/09/21 • 👁 85回 • 💬 0件
ホラー・怪談
860文字 約2分で読了

待っていたよ

 ある日の休日。  家の前で、ポケットから鍵を手探る。  先端を触りながら、鍵を取り出して、ドアを閉める。  何度も使っている鍵だから、見なくても上下はわかる。    私は、買い物のためにスーパーへ向かった。  カゴは二種類あった。  ピンクのカゴ。グレーのカゴ。  私はグレーのカゴを持ち、野菜コーナーへ向かう。  じゃがいも、トマト、にんじん、次々にカゴに入れる。  作りたいものは今のところない。  ただ安いから、それだけ。  お尻のポケットに入っているスマホが震える。  スーパーの店内をうろうろしながら、スマホの通知を確認する。  彼女からだった。  >今から家に行くね。  彼女が私の家に来るらしい。    >今、買い物しているから、ゆっくり来てくれると嬉しいかも。  私は、スマホをお尻のポケットに戻して、買い物を続ける。  スマホが震えたが、多分「わかった」という返事だろう。  その後、私は次々に安い肉や調味料をカゴに入れて、レジでお会計をする。  スーパーを出ると、すでに夕方になっていた。  帰ったら、彼女のために何か作ろう。  早足で家までの道を歩く。  彼女と私の家はそこまで離れていない。  もしかしたら、玄関で待っているかもしれない。  私は、彼女に連絡をするためにスマホを開いた。  >大丈夫だよ。中に入っているね。  彼女からの一言。    私は首を傾げた。  とりあえず、私は買い物袋を持ち直して家へ向かう。  角を曲がったら、家が見えた。  外は薄暗く、ここからの距離だと、見えないはずなのに、家の窓から光が出ていた。  なぜ、家に電気がついているかわからない。  玄関までの道が少し長く感じた。  彼女が中に入っていると言っていた。  家のドアの前についた。  ドアを開けると、彼女のいつもの白いパンプスが目に入った。  彼女が部屋のドアから顔を出した。 「おかえりなさい。待っていたよ」 「来る前にお菓子買ってきたよ。一緒に食べようよ」  そう言いながら、彼女は私の好きなお菓子を見せてきた。 「どうやって入ったの?」 「え、これだよ」  彼女は、鍵を見せてきた。  ところどころ傷が入っている、シルバーの鍵。 「私、鍵渡してないよね?」  彼女は鍵を指先で回した。
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作者:ReiN.
2026/09/21 • 👁 94回 • 💬 0件
恋愛
591文字 約2分で読了

星空のカレンダー

カレンダーに星のマークを一つ付ける。 昔、こんな風に星印をいっぱいつけたカレンダーを破いて捨てたことを思い出す。 ……あれからもう5年も経ったんだ。  星野くんと付き合っていたのは学生時代。 私は彼とデートするたびに、カレンダーに星印を書いた。 それは大事な記念日の記憶。 初めて会った日の印から付き合い始めた日の印、デートのたびに増えていく印を眺めながら、心の中に星空が広がっていった。 それは美しい思い出の星。 記憶は夜空になり、キラキラと輝き、満天の星空の幸福が私の胸を覆った。 きっとこの美しい空は永遠に私の心の中で輝き続けると思っていた。  だからカレンダーを破いて捨てる日が来るなんて思わなかった。 彼の留学が決まって、私たちは別れることになってしまった。 空港で彼を見送って、家に帰ってきて目にしたカレンダー。 それはもう2人の美しい思い出の印ではなくなった。 その星を見るのもつらかった。  気がつけばビリビリに破いてゴミ箱に放り込んでいた。 星のない闇の夜が私に訪れたようだった。 それから5年、特に恋愛などすることもなく、私も卒業し就職した。  再会は本当に偶然、映画を見に行った時にだった。 席を立とうとして彼がいることに気がついた。 「久しぶり」 「星野くん!え、嘘」 その後まるで5年の歳月などなかったかのように話が弾んだ。 お互いどうしているか連絡先を交換した。  2人の再会の日。 ―カレンダーには一番星ひとつ―
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作者:しとえ
2026/09/21 • 👁 78回 • 💬 0件
コメディ・日常
590文字 約2分で読了

てぃーださんさん

ゴーヤがたくさん取れたからと母が持ってきてくれた。 それを見ながら今日のメニューを考える。 子供たちは夏休みに入って昼も夜もよく食べるから正直野菜をもらえるのはありがたい。 とはいえ、そんなにゴーヤのレシピを知っているわけではないので クックパッドで調べる。 『てぃーださんさん』 という方のレシピ。 『てぃーださんさん』って どういう意味だろう? ググれば『お日様さんさん』という意味らしい。 なんとなく頭の中にゴーヤ畑と沖縄の青い空が思い浮かんだ。 この方のレシピは、どれもとても美味しそうである。 ゴーヤチャンプルの他にゴーヤのツナサラダ、 天ぷら、味噌汁に入れるレシピもある。 「よし今日はゴーヤ尽くしだ!」 ゴーヤは苦みがあって子供たちはあまり好きではない。 だからしっかりと味付けをしたり先に湯がいておいたり、 なるべく子供たちが喜んで食べてくれるように下準備をしっかりとする。 ゴーヤのチャンプルを作りながら昔沖縄旅行に行ったことを少しだけ思い出した。さんさんと輝く太陽。 日本なのに南国の雰囲気とても心地よくて、 懐かしくてとても楽しい思い出だ。 いつかまた行ってみたいと思うけれど、 なかなか時間が取れない。結婚して子供を育ててというのはそういうことかもしれない。 食卓の上はゴーヤづくしである。  太陽の恵みをいっぱい浴びた、苦くて美味しいゴーヤがこれでもかと並んでいる。 「いただきます!」 食卓は笑顔が溢れた。
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作者:しとえ
2026/09/21 • 👁 134回 • 💬 0件
コメディ・日常
672文字 約2分で読了

音が鳴った

駅前。雑然とした改札口から少し離れた路上で、ギターをかき鳴らしている男がいた。  微かなギターの音にふと仕事で疲れた足を止めてから、吸い寄せられるように男の元へ行く。彼は小さなアンプ一個を歩道に置き、ただただギターを弾いていた。乱れ舞うような手捌き、アンプから漏れ出る弾んだ音の連なり。気づけば、夢中になって彼のギターを聞いていた。  彼は、俺の存在に気づいていないみたいだった。ただ夢中で楽しそうにギターを弾いていた。ひたすら自分の音に塗れた世界に浸って、陶酔して、笑っていた。それを、俺はとくとくと胸を弾ませながら見つめる。  散々だった今日の出来事が、ギターの鋭い音の中に溶けていく。会社でミスをした事、上司から嫌味を言われた事、彼女に明後日のデートをドタキャンされた事。全部が、激しい音に飲まれていく。彼の紡ぐ音楽が俺の全てをうやむやにしてくれた。  演奏がひとしきり終わった頃。俺は彼に何か言おうか迷ったけど、ただ何も言わずに笑ってみせた。彼は夢中でギターを弾いていた時とは打って変わって、少し恥ずかしそうにはにかんで会釈をする。俺も軽く会釈をして、彼がギターをしまい出す前に改札口へ向かった。  しばらく電車に乗って、最寄り駅に着いてから一気に走り出す。寒空の下、冷たい空気を切り裂いて家までひたすら走った。頭の中は、刻まれた名も知らぬ音楽でいっぱいだ。  あんな風に、自由な世界を手に出来たら。音に出来たなら。世界はきっと、鮮やかなんだろう。  笑って走る。いつか俺も、この手で自由を奏でられたらいいなと思う。  鳴りやまない音楽を胸に、夜の住宅街を駆け抜けた。
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作者:ころもやぎ
2026/09/21 • 👁 81回 • 💬 0件
恋愛
615文字 約2分で読了

ねえ、海に行こうよ

「ねえ、海に行こうよ」  彼女がふいにそんな事を言い出した。モノで溢れたおもちゃ箱みたいな六畳間、俺がインターネットで仕事の宣伝をしている横。からかうような可愛い視線が疲れ切った俺の顔を覗き込んでいる。 「海、いいでしょ? 最近、ずっと仕事が~って言って、ネットに張り付いてるじゃん」 「何で海なの? 山とかは?」 「山は嫌い。死にたくなるから」  そんなの海でも同じだろ。まあ、鬱蒼とした森の中を彼女と歩くというのは……想像すると何だか寒気がする。そのまま見知らぬ場所で山に食い殺される気がした。 「海はさ、平坦でしょ。遠くまで世界が見えて、海と空が曖昧で、波の音が優しい。だから、海が良いの。ねえ、ずっとうるさい場所にいて疲れてるの知ってるよ。だから、海に行こうよ」  彼女が微笑む。月の明かりみたいな柔らかい光を放つ、魔性の笑み。 確かに、ここ数日ずっとインターネットにいた。仕事の連絡と宣伝をしながら、インターネットの声に脳を揺さぶられていた。ネットは良くも悪くも、うるさい。人の声が、電子となって牙を向く場所。 「海、行くか」  釣られて言ってみた。すると彼女はとびきり嬉しそうに目を細め、そそくさと分厚い上着を着始めた。え、今から行くの? 「思い立ったが吉日、じゃない?」  細い手が差し伸べられる。この手を取れば、俺はうるさい雑踏の中から抜け出せると、不思議と思えた。迷いなく、手を取る。 「楽しみだね」  甘いその声と共に、俺は電子の海から裸足で逃げ出した。
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作者:ころもやぎ
2026/09/21 • 👁 78回 • 💬 0件
歴史・時代
991文字 約2分で読了

性教育、昭和時代、うちの中学の先生と生徒

昭和50年、僕は北九州市若戸区にある市立平原中学校に入学した。平原は「ひらばる」と読む。この中学に、柴垣と書いて「しがき」と読む、保健の先生がいた。普通に読めば「しばがき」だけど、うちの中学に、柴垣先生の名前を間違って呼ぶ人はまずいなかった。これは柴垣先生に独特の存在感があったからじゃないだろうか?  柴垣先生は校史に残る美人教師という評判だった。代々の養護教諭の中で、という意味ではない。すべての教職員の中で一番という意味。それだからと言って、生徒からアイドル視されることもない。圧倒的に大人の女性なので、そういった見方をされない。それでいて、生徒に嫌われているってことも絶対にない。威厳はあるけど、話しかけやすい感じもあり、本当に独特の存在感だった。  中1の1学期、中間テストが終わったくらいの時期に、僕らは柴垣先生から性教育を受けた。男女が別教室に分けられての授業だったので、だいたいどのような授業なのかは想像はついていた。  柴垣先生はいつもと変わらない穏やかな口調で生徒に問いかけた。 「皆さんは先生を見てどう思いますか?」  悪戯小僧の小園君が「セックスした〜い」と答えた。  ほとんどの生徒は笑ったけど、意味がよくわからず、きょとんとした生徒もいた。  柴垣先生は僕らのリアクションを確認し、まじめな顔で大きくうなずいた。 「そうですね。それはとても自然な感情です。でも、そんなときはスポーツで発散させましょう」  それからも授業は続いたが、僕はこのやりとりしか頭に残っていない。多分ほかの生徒も同じだったろう。  翌年、僕らは2年生になった。担任は白髪混じりで、レンズの下に老眼用の四角い切れ込みがあるメガネをかけた野見山先生。俳人として有名な先生だったけど、生徒にはそんなオーラを見せなかった。技術の先生で、いつも腰にタオルをぶら下げていて、ただのユーモラスなおじいちゃん先生という感じだった。  その野見山先生が、ホームルームで養護教諭の柴垣先生の寿退職を報告した。「退職されることになった」という報告ではなく、すでに「退職された」と報告したのだ。みんな、「ええ〜っ」と驚きの声を上げた。柴垣先生はオメデタだという情報も追加された。  野見山先生は、「子供は秋頃に生まれる予定とのこと」と追加した後、出産予定月までの月数を指折り数えて見せて、「計算合わんねえ」と首をかしげ、中2になった僕らを笑わせた。
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2026/09/21 • 👁 85回 • 💬 0件
コメディ・日常
3082文字 約7分で読了

三時間スリーパー

山中詩織はショートスリーパーである。  詩織が続けて寝られる時間はいつもきっかり三時間。どんなに体が疲れていても、体調が悪いと思って横になったとしても、睡魔に誘われて目を閉じた時から数えて三時間したら目が覚める。そんな体質だった。  これが不眠症かと悩んだこともある。  近場の不眠外来を調べ、不眠についてのネット記事を適当に読み、たまにテレビで不眠について取り上げられていればチャンネルを変えることなく画面を見つめた。  ただ、詩織は不眠についての情報を得るにつれて、徐々にそれらの行動をやめていった。  だって、わたし、別につらくはないんだもの。  そう、詩織は三時間で終わってしまう睡眠時間を心配こそすれ、特別苦痛には感じていなかった。眠りたいのに、眠れない。そういった感覚とは無縁の三時間睡眠だった。  なんなら、詩織は最近、三時間しか寝られない己の体質を便利に使うようになっていた。起きたい時間の、きっかり三時間前に眠ればいい。いつからかそれが詩織の日常になった。  一応、転ばぬ先の杖として、スマートフォンでアラームはかけるが、大体そのアラームが鳴る前に起きる。ふわりと浮き上がる意識。自然と目は開くし、気分はすっきりとしている。それがたとえ世間一般では深夜と呼ばれる時間帯であってもだ。  詩織を目覚めさせるのは、まだ熱を帯びていない明るさだけが眩い朝の日の光でも、枕元で鼓膜を劈くけたたましいアラームの音でもなかった。詩織の体内にある、形のない無駄に正確に三時間だけ計る砂時計だった。  外の気温が、一日を通して半袖で過ごしやすいと感じられるようになった季節。平日最後の仕事を終えて帰ってきた詩織は、なんとはなしに、そうだ、明日は日の出を見に行こう、と思い立った。  平日の仕事の時は日の出より遅く起きるように調整していたし、休日に朝活と称して活動をしたい時には、日の出前に起きていた。詩織はここ最近、夜明けというものをおざなりにしていたのだった。  詩織の住んでいる単身者向けアパートから、徒歩二十分ほどの場所に小高い丘がある大きめの公園があった。丘の上は詩織の住んでいる街を一望できる、ちょっとした展望台のような作りをしている。詩織は方角の都合なんてろくに考えもせず、そこならば日の出も見られるだろう、と簡単に考えて目的地とした。  スマートフォンで日の出の時間を調べる。四時二十二分。それなら一時に寝たのでは少し遅いか、準備もしたいし零時半までに床につけばいいか、と雑に逆算してみて、夕飯の準備に取り掛かった。  寝る前の歯磨きまで終わらせて、詩織は寝心地はそこそこだが安心感だけはあるベッドに体を放り出していた。スマートフォンを見る。時刻は零時二十一分。まあ、そろそろ寝ておくか、と枕元にある充電ケーブルを手元の端末に挿して、ベッドのヘッドボードにあるちょっとしたスペースにいつも通りにスマートフォンを置いた。  アラームはかけなかった。  詩織の意識が、霧散していたところから徐々に凝り固まっていく。目覚めの感覚だった。まぶたを押し上げてみても日の出前の室内は、いまだ深い夜と同じ息の仕方をしていた。手探りで雑にスマートフォンを探し当てて手繰り寄せる。詩織の指に反応して点灯したブルーライトが、詩織の顔を照らし、明るさに慣れないままの眼球を焼いた。 「はぁ⁉︎」  薄手のかけ布団を蹴り飛ばして、体全体で飛び起きる。予定していた起床時間より三十分遅い。少し余裕を持って起きる予定だったからこそぎりぎり許容できる、しかし、のんびりとしてはいられない程度の寝坊だった。  あと十分で支度をしなければいけない。最近通販サイトで衝動買いをした、エスプレッソマシーンの出番は到底なさそうだった。  五分で顔を洗い、三分で適当な半袖とまあまあコンビニには行ける、というくらいのくたびれ具合をしたスウェットを引っ掴んで着替えた。残り二分、とりあえずストックしてあったペットボトルのお茶と財布、スマートフォンを愛用のショルダーバッグに詰め込んで靴を履いた。いってきます、ひとり暮らしでも挨拶だけは忘れないのは、詩織の母の教育の賜物だった。  街灯が頼りなく道を照らし、自販機のライトがやたらとやかましい住宅街を歩く。丘のある公園は、この道をまっすぐ行った先にある。道は緩やかな上り坂になっていて、日頃、車通勤のおかげで率先して歩かない詩織の足は早々に負担を感じ始めていた。行き先の公園には駐車場がないので、近場のコインパーキング代をケチるには歩かざるを得ないというだけだった。  詩織は歩いた。ゆっくり歩けばなんてことない道なのだろうが、何せ時間が限られている。耳の後ろから、少しだけ速い自分の鼓動を感じる。足に溜まる乳酸。スウェットはしっかりとウエストの紐を結ばなかったせいか、ずり落ちてくる。そんなものも気にせず、詩織はやはり歩いた。  近頃詩織が、時に三時間の睡眠の中に沈め、時に朝活だなんだと雑に放り出すばかりで、その美しさを記憶の彼方にやってしまった朝焼けが、今日はどうしても見たかったから。  公園が見える。中心にある丘も見える。家を出てから十六分、詩織は休まずに歩き続けていた。残り四分で丘を登れば、日の出には間に合う。よっしゃ、勝った。誰との勝負かもわからないまま詩織は内心でガッツポーズをした。  起き抜けから、詩織の体内時計が三時間という感覚を忘れるという事件があったが、結果オーライだと詩織は思っていた。まあ、たまにはこんなこともある。  日の出を見て満足したら、帰って寝直そう、こんな時間に活動していてもコンビニくらいしか開いていないし。  そうこの後の予定を決めながら、詩織は丘の上へ続く幅広の階段を上った。丘の上へ着く。スマートフォンを取り出して時間を確認すれば四時二十分だった。日の出まであと二分。確かに辺りは夜の色を少しずつ薄くしていた。朝の光の、霧散していた意識が凝り固まっていく気配がする。目覚めの感覚だった。  朝は来た。空が薄ら色を変え始めたから、日の出の方角がわからない詩織にもそれはわかった。ただし日の出は見られなかった。なぜならば、厚い雲が空を覆っていたから。 「天気予報、見てなかったなぁ」  詩織ひとりの丘の上、無感動な女の声が小さく地面に落ちて転がった。ペットボトルのお茶を飲む。冷えていないそれは、喉の渇きを潤すよりも、喉の油分を奪って胃に流れていくだけだった。  背中の汗は少し冷えて乾き、両足にじわりと残った疲労がなんだか物言いたげだった。見下ろした両足から目を逸らし、今にも文句を言いそうな心を黙殺する。  よし、帰ろう。だって、日の出見れないし。お店開いてないし。帰るしかないし。  詩織は来た道をとぼとぼと、行きよりいくらか小さくなった歩幅で帰った。帰りの道のりは下りのはずなのに、家に着くまで二十五分かかった。  シャワーで軽く汗を流して、食欲よりも疲労感が強かった詩織は、一度脱いだ寝巻きをまた着て布団を被った。  次に詩織が目覚めた時、ヘッドボード上に置いたスマートフォンの時計は、詩織が不貞寝同然の睡眠に入ってから三時間と三十分経ったことを知らせていた。  詩織は画面に大きく表示されたデジタル表示の時計をまじまじと見て固まった。おかしい。三十分長い。突如生まれた、睡眠時間三時間三十分のルート分岐。これまでには存在しなかった、新しい形のない砂時計。  詩織はこれから寝る度に、今体内にふたつある砂時計のどちらがひっくり返ったのかわからないまま、三十分という不確定要素を抱えて眠りにつくことになることを頭の片隅で悟ったのだった。
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作者:階きざし
2026/09/21 • 👁 98回 • 💬 0件
その他
4977文字 約10分で読了

となりのトドロ

祖父の工房は、雨の音で満たされていた。  山裾の細い道を曲がるたび、草の匂いに鉄の匂いが混じる。軒の下に吊された古い風鈴が、濡れた風に揺れて小さく鳴った。扉を引くと、薄闇の奥でひとつだけ灯りが息をしている。炉だ。灰に埋もれた心臓のように、微かに赤い。 「ただいま」  返事はなかった。代わりに、金床を拭う布の音がした。祖父は無言で手を止めず、私を見もしない。ツナギの背中は濡れて色が濃い。肩の線が、思った以上に細くなっていた。 「もう、終いだで」  ようやく出た声は、灰の底から拾い上げたように低い。  私は笑ってみせた。「終いなんて言わないでよ。僕が来たんだ。教えて」  祖父は布を畳み、私の横をすり抜けて外へ出た。雨は少し弱まっている。雨樋を指差して、一言だけ。 「樋、詰まっとる」  ほつれた麻紐のように、その言葉が私の胸に絡みつく。私は無言で脚立に上がり、樋の落ち葉を掻き出した。雨水が勢いを取り戻し、地面の砕石に細い河を彫る。  その夜、祖父は何も語らなかった。父はいつも通り、終電で帰り、いつも通りため息をつき、いつも通り少し強めに缶ビールを空けた。サラリーマンの父は、鍛冶の家に生まれながら鍛冶の語彙を持たない。食卓で祖父と目を合わせないのも、いつも通りだった。  翌朝、工房の戸を開けると、炉の前に祖父がいた。  ツナギ姿の背中が、火の方にわずかに傾いでいる。私が挨拶をすると、祖父は顎だけで炉を示した。 「ふいご」  私はふいごの柄を握り、初めての呼吸を工房へ送る。ぎい、ぎい、と乾いた音が、煤の柱から垂れる。炉の奥の炭が赤く育っていく。祖父は火箸で炭を寄せ、玉鋼の塊をそっと置いた。青黒い塊が、炎に舐められて色を変え始める。  私は訊きたいことだらけだった。これ、なんでこうやるの。どのくらい熱すればいいの。どのタイミングで叩くの。祖父は何も答えない。金槌を手に取ると、柄の位置を少し直し、ただ一言。 「見て、盗め」  私は唇を結んだ。炉から上がる熱気が頬を押し上げる。祖父は赤めた鋼を金床に乗せ、最初の一撃を置いた。乾いた音。二度目、三度目と、音が変わる。赤からオレンジ、オレンジから黄へ。鋼が呼吸をはじめ、火花が散るたび、工房の壁が一瞬明るくなる。私はふいごを引きながら、その音の違いを耳で追った。  叩いては折り、折っては叩く。折り返し鍛錬。祖父の腕の筋に、細い縄のような影が何本も立つ。汗が袖を重くし、ツナギの布地が肌に張りつく。祖父はゆっくり呼吸しながら、打撃の間を少しずつ詰める。金槌が鋼を割り、鋼が金槌を受け入れる音。私の知らないテンポだった。  火から外すと、鋼はすぐに色を失っていく。祖父は躊躇なく炉へ戻し、私はふいごに力を込める。ぎい、ぎい、ぎい。  そのときだ。祖父の袖口が、わずかに、別の布に見えた。縦縞の木綿。私は瞬きをする。ツナギの灰色の下に、藍の着物が透けて見える。金槌を振り上げるたびに、その影は濃くなる。火花が跳ねるたび、闇に浮かぶのは、祖父の背中ではない。江戸の刀匠の背中だ。  カン。カン。カン。  遠い時間の音が、この工房の中で鳴っている。 「……おじいちゃん?」  祖父は振り向かなかった。ただ、叩く手をひと呼吸だけ止めた。 「火は、昔から同じや」  その一言が、焼けた釘のように胸の中に刺さった。  昼、祖父は作業を止め、桶を指さした。  底に黒い泥が溜まっている。水と砥石の粉と鉄粉が混じり合った、重い泥。 「触るな。トドロや」 「トドロ?」 「砥泥(とどろ)。刃が生まれる途中のもんや。捨てるもんでも、ただの汚れでもない」  祖父は柄杓で少しすくい、光にかざした。黒いのに、光る。粒子のどれもが、細かく震えているように見えた。 「よう見とけ。おまえの隣に、いつもおる」  隣に──。  私はうなずき、泥の表面に映る自分の目を見た。ぼやけている。だが、確かに何かがこちらを見返している。  父は夜遅く帰ってきて、工房の灯りを見ると眉をひそめた。 「まだやっとるのか」 「僕がやってる」 「……何のために? 刀なんて、もう飾りやぞ。稼ぎにならん。会社の総務だって空きがある。おまえには安定した暮らしをしてほしいんや」  祖父はちゃぶ台の端で湯飲みを手に、黙っていた。私も黙っていた。父はしばらく沈黙し、吐き出すように言った。 「親父が何も教えんかったのは、そういうことや。切るもんが要らん時代に、刃を打って、どうする」  祖父の湯飲みが、わずかに卓に触れて音を立てた。 「切るためだけの刃やと思っとるんか」  父は答えず、冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出した。それ以上、誰も何も言わなかった。  日々は、火の色で刻まれた。  選別した玉鋼は炭素の色で違って見えると祖父は言った。硬いものは刃金に、柔らかいものは心鉄に。私はわざと逆に置いてみた。祖父は何も言わない。火に入れて、金槌が一度、音を外した。祖父は炉から目を離さず、私にふいごの手を止めるよう顎で示した。 「音、違うやろ」  私は謝った。祖父は謝る私に興味はない。音にしか興味がない。  造り込みに入ると、祖父の注意は刃先ではなく、芯の通りに向けられた。硬い鋼と柔らかい鋼を重ねるとき、祖父は指先で「重なりの気配」を確かめる。溶接の線に、目に見えない波が走るのだと、祖父は言った。それが真っ直ぐでないと、刃は長く生きられない。  私は理由を訊かなかった。訊いても、祖父の言葉は、きっと私を通り抜けてしまうと思ったからだ。代わりに、音と火の色と、祖父の肩の角度を盗んだ。  火造りの日、祖父は反りをつけるための打ち込みを、ほんの僅かに外した。外したというより、外しに行った。鋼は人間がまっすぐにしようとしても、火と冷えの中で勝手に曲がる。ならば、先回りして外す。祖父はそういう人間だった。私はその「外し」を真似した。すると、祖父の顎がまた僅かに動いた。合格の合図だ。    土置きの日が来た。  焼刃土の配合は秘密だと祖父は言うが、手元は隠さない。砥粉、粘土、炭の粉、水。湿り気を含ませ、練る。祖父は刃先へ薄く、峰へ厚く、土を置いていく。刃文の線は乱れではなく、呼吸だ。私は息を止め、祖父の指先のリズムを目で吸い込んだ。 「この土、何のため?」  久しぶりに口を開いた私に、祖父は少しだけ笑った。 「火を分けるためや」  火を、分ける。  私は土の濡れた光を見た。炉の赤が乗ると、水のようにも油のようにも見える。  焼入れは、夜にやる。工房の外の音が少ない時間。祖父は刃を持ち上げ、炎に入れた。温度を測る計器はない。祖父は刃の影を見る。  私はふいごを引く。火は呼吸を上げ、刃は色を深める。祖父の目はその色を透かし、なぜか遠くの雨の音まで聴いているように見えた。 「来い」  祖父の声で、私は水槽の側に立つ。水は冷たい。祖父は刃を引き抜き、滑らせるように水へ。  ジュウ、と音がして、白い泡が立った。刃先が固まり、峰がまだ柔らかい。土が仕事をする。工房の暗がりに、一瞬、白い影が走った。江戸の刀匠の袖だ。私はまた息を呑んだ。  刃を上げる。水が滴る。祖父の肩が、ひとつ落ちる。少しだけ安堵の形。  焼き戻しで、祖父は急がない。炭火を遠くに置き、じんわりと刃を温める。刃の奥に、熱がほどけていく。祖父は刃と会話しているようだった。私はその会話の言葉を知らなかったが、意味は分かった。刃は、まだ生まれたばかりだ。    祖父は倒れた。  朝、工房の戸を開けたとき、ツナギの背中が床に寄りかかっていた。私は叫び、救急車を呼んだ。父は会社から飛んで戻り、冷たい手で祖父の手を包んだ。祖父は目を開け、私を見た。何か言おうとして、唇がわずかに動いた。 「樋、詰まっとる」  私は泣き笑いをした。祖父はそのまま眠りに落ちた。病院の白い天井は、工房の煤よりも重たかった。  医者は言った。命に別状はないけれど、しばらくは無理をできない。父は頷いた。私は頷かなかった。工房の炉は、冷えていく。  その夜、工房へ戻ると、雨は上がっていた。湿り気は残っている。私は灯りをつけ、炉の灰を掻き、炭を積んだ。ふいごの柄を握る。祖父の背中を思い出す。ぎい、ぎい。火が、ゆっくり起き上がる。  私は祖父の真似をした。玉鋼の目を読むふりをして、選別した。叩いた。折った。叩いた。音はすぐに乱れた。金槌の芯が外れる。金床が怒っている。私は息が上がり、額の汗が目に入る。  桶に肘が当たり、トドロが床にこぼれた。黒い泥が、薄く広がる。私は膝をつき、手のひらで泥に触れた。冷たい。けれど、どこか温かい。  そのとき、工房の空気が、わずかに動いた気がした。誰もいないのに、誰かが隣に座ったような、重さ。  私は顔を上げ、炉を見た。火が、こちらを見る。火は、こちらを見る。  ──火は、昔から同じや。  祖父の声が、灰の底から立ち上がる。私は目を閉じ、ふいごを引いた。ぎい、ぎい、ぎい。呼吸が整う。音が戻る。金槌の芯が、やっと芯に当たる。私は少し泣き、少し笑った。  祖父が退院した日、工房の戸口に三人で立った。  父はため息をつきながら、戸を開けた。祖父は杖を突き、炉を見た。炉は灰を厚く被っている。祖父は短く笑った。 「樋、詰まっとる」  私は走って外へ出た。樋は詰まっていなかった。空は晴れ、山の影が工房の床まで伸びていた。  祖父は炉の前まで歩き、小さな声で言った。 「やるか」  私はうなずいた。父は何も言わなかった。  炉に火が入る。火は、小さな音で喜ぶ。祖父は椅子に座り、私の手の位置を、顎で示した。私は玉鋼を火へ入れ、ふいごの柄を引く。ぎい、ぎい。  叩くのは、私だ。祖父の金槌が、私の手の中に重なる。私は耳を開く。音が、一本の線になって刃の中へ入っていく。火花が踊るたび、ツナギの袖の下に、藍の着物が見える。私は見た。見えた。  刃は生まれようとしている。私の力でではない。火と鉄と、祖父と、江戸から続く誰かの力で。  焼入れの水は、祖父の合図で私が持った。刃が水に入る瞬間、工房の壁が白く光る。空気がひゅ、と細く鳴く。私は息を吐き、刃を上げた。  焼き戻しの火を、私は遠くに置いた。祖父が頷く。炭火が、刃に言葉を戻していく。私はそれを聞く。言葉は分からない。だが、意味は分かる。刃はここにいたいと言っている。    研ぎは、別の職人の手に渡した。工房の隅で、私は桶のトドロを見た。黒い泥の表面に、窓の空が歪んで映っている。  祖父は銘切りの準備をした。茎に、刻む。刃が私の前に置かれる。私は躊躇する。祖父は、黙っている。  私は刻む。母方の家の字と、祖父の名と、今日の日付。最後に、ほんの小さな点をひとつ。祖父が、音もなくうなずいた。 「なんの点?」  父が珍しく訊いた。私は笑った。 「隣の、印」  祖父は笑い、父は苦笑した。  完成した刀身は、光を受けて刃文を浮かべた。波が、呼吸している。飾りだと言われれば、飾りだ。美しいと言われれば、美しい。  だが、私には分かっている。これは、人を斬るための刃ではない。  火の声を記録した、一本の記憶だ。  祭の日、里の人が工房をのぞきに来た。古い友人らしい老人が祖父に声をかける。 「もうやらんのかと思っとったわ」  祖父は首を横に振った。 「もう、わしはやらん。ここは終いだ」  私は驚いて祖父を見た。祖父は少し笑い、私を顎で示した。 「ここは、終いにして、同じ場所を始める」  老人は目を丸くし、私の顔を見た。父は腕を組んで、それでも口元は少し緩んでいた。  祖父は工房の隅を指さした。そこには、私が板材で組み上げた新しい作業台がある。電動工具の小さな音が、祭囃子に負けず鳴っている。伝統を壊すためではない。繋ぐために、変える。祖父はそれを知っている。 「教えてくれる?」  私は冗談半分に言った。祖父は首を横に振った。 「見て、盗め」  私は笑った。  秋の雨がまた来た。樋は詰まっていない。  工房の中、炉は静かに息をしている。私はふいごを引く。ぎい、ぎい。音が、私の中の何かを整える。  桶のトドロに灯りが映る。黒い泥は、今日も少し光っている。私は柄杓ですくい、光にかざした。粒子がふるえている。  隣には、祖父がいる。江戸の刀匠もいる。父も、いる。  刃は飾り棚に収まり、人の目にさらされる。それでいい。飾りは虚飾じゃない。  飾るとは、忘れないということだ。  ふいごの柄を引く。火が返事をする。  私は火の声を聴く。火は昔から同じだ。けれど、私に返ってくる声は、昨日とは少し違う。  少しだけ若い。少しだけ、未来の色をしている。 了
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作者:河内謙吾
2026/09/21 • 👁 112回 • 💬 2件
児童文学
2252文字 約5分で読了

揺らぐ水面の秘密

新緑が池の表面に映り込みます。 穏やかな午後は風ひとつなく、まるで鏡のように水面に若葉が写ります。 ふと水面に波紋ができました。 まるで小さな小石でも放り込んだかのように、水面はゆらゆらと揺れています。  風がないのに水面に波紋ができているのを見たことがある人はいるでしょうか。 何かが落ちたわけでも、下から魚がつついたわけでもなくて、水面がゆらゆらと揺れているのです。  きっと注意深く見なければ気づく人はいないでしょう。 けれど気がついた人がいたのです。 その様子を見ていたのは春彦くん。 小学2年生の男の子です。 学校が終わってまっすぐ家に帰るのが嫌で、公園のベンチに座って池を眺めていたのでした。  春彦君はずっと池を眺めます。 池の表面で何かが光って見えました。  よく見るとそれは小さな女の子でした。 背中に小さな虹色の羽が生えているのです。 「妖精さんだ!」と春彦君は思いました。 水面に落ちて尻餅をついて、そして水に波紋ができたのでした。 女の子は池の水の上に座っています。 春彦君はどうして女の子が水の中に沈まないんだろうと思いました。だけどしばらく考えて、もしかしたら女の子はとっても軽いから沈まないで水の上に立つことができるのかもしれないと思いました。 「いたた、もう一回!」 女の子は羽を動かして飛び上がります。 空中で女の子は止まります。 一体何をしているんだろう?春彦君はとても不思議に思いました。 一分、二分、時間が過ぎてゆきます。 女の子はだんだんと赤い厳しい顔になってゆきます。 激しく動いていた、羽がだんだんと動きを止めていきます。 そしてまた水面に落ちてしまいました。 「はぁ、がんばったんだけどな……」 女の子はため息をついてそう言いました。 そしてもう一度 飛び上がろうとして、今度はつるんとこけてしまいました。 「大丈夫?」 春彦君は思わずそう言いました。 女の子は、びっくりして春彦君の方を見ました。 「君、私の姿が見えてるの?」 「うん」 「普通の人間には私たちの姿は見えないはずなのに」 「そうなの?」 「そうよ。すごく稀に見える人もいるらしいけれど」 「そうなんだ。君は妖精さんなの?」 「そうよ。私の姿が見える人間に初めて出会ったわ!」 「僕も、妖精さんに出会ったのは初めてだよ」 「あら、そうなのね!じゃあ私たちお互いに初めて同士ね」 妖精の女の子は弾む声でそう言いました。 「ところで妖精さんさっきから何をしてたの?」 「飛ぶ練習よ。お父さんとお母さんがもうちょっと上手にならないと遠くまで飛んで行っちゃダメだって言ってるからね」 妖精の女の子の答えに春彦君はちょっとびっくりしました。 だって妖精が飛ぶ練習をしているなんて。 妖精は練習なんてしなくても空を飛べるイメージだったからです。 「それで何回も飛び上がってたんだ。妖精さんも練習しなくっちゃ空を飛べるようにならないんだね」 春彦君はそう言いました。 「そうよ、練習しなくちゃだめなの。特に難しいのはホバリングって言ってね空中でずっと止まった状態でいるの。スイスイ飛んで行くより難しいんだから。とっても長い間止まっていかなきゃいけないし、空に浮くためにはすごいスピードで羽を動かさなきゃいけないし」 「そうだったんだね。君、頑張り屋さんなんだ、すごいね」 春彦君は目を輝かせてそう言いました。 「そう頑張り屋さんなのよ!」 女の子は胸を張ってそう言います。 「でもホバリングなかなか上達しなくって、もうちょっと上手になりたいな」 照れたような恥ずかしいような表情を浮かべて女の子はそう言います。ホバリングというのは空中に停止して浮いている飛び方のことを言います。 「僕もね、縄跳びで飛ぶのがすごく苦手なんだ。もうちょっと上手になりたいなって思ってるんだけど、ちっとも上手くならないの」 春彦君はそう言います。 「そうなんだ!それだったら私と一緒に練習しようよ」 妖精の女の子は嬉しそうにそう言いました。 「うん、じゃあ僕がんばる。一緒にがんばろうね」 この公園に来たのは本当は、体育で上手く縄跳びが飛べなくて落ち込んでいたから気分転換をしたかったのです。 「毎日一緒にがんばろうね。すごくうれしいな!」 妖精の女の子はそう言いました。 「うん」 春彦君は答えます。  次の日、春彦君は学校が終わるとすぐに公園に向かって走って行きました。 やっぱり公園では妖精の女の子が一生懸命、ホバリングの練習をしていました。  これは僕も頑張らなくちゃだめだ!  春彦君は学校から持って帰ってきた縄跳びの練習をしながら 妖精の女の子を応援します。 苦手だった縄跳びは、だんだんと上手になってきました。 そして妖精の女の子のホバリングもとても上手になりました。 二人が出会って一週間後の小学校の体育の時間、今日はテストがあるのです。縄跳びのテストでした。 春彦君は少しでもたくさん 縄跳びを飛べるように頑張りました。 そのそばで妖精の女の子が応援します。 「がんばって!がんばって春彦君!とっても上手だよ。その調子、その調子!」 十回、二十回、三十回、今までにないほどたくさん飛ぶことができたのです。 妖精の女の子も春彦君も笑顔でお互いに笑い合いました。  女の子もとてもホバリングが上手になってあちらこちら飛んでいけるようになったのです。  女の子が池の上を飛ぶとほんのかすかに水面が揺れるのです。 大きな水の波紋ではなく、小さくかすかに表面が波立ちます。 それは妖精が飛んでいる証拠。  もし、皆さんが風もないのに水面が揺れているのを見たらその上を妖精の女の子が飛んでいるのかもしれませんよ。
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作者:しとえ
2026/09/20 • 👁 83回 • 💬 0件