今日も私にとって、目の前の出来事はすべて地獄だ。
「はあ、今日も仕事疲れた。
今から家事するか……」
「毎日頑張ってて偉いね」
「うわ、もうこんな時間じゃん。
あの人が帰るまで間に合うかな?」
「もっと旦那に家事振っちゃいなよ〜」
「ただいまー」
「あ、お帰りなさい!」
私の最愛の人は、一瞥もくれず伴侶のところへ優しい笑顔で向かう。
「ねえ、今幸せ……?」
当然、死人の私の声はいつも通り届かない。
神様。
私そんなに悪いことしたかな?
――
「ごめん、あなたとは、その。
友達以上の関係は……無理。
それに私、好きな男の子がいて……。」
あなたに告白したとき。
全く期待していなかった――
そういえば、嘘になる。
でもやっぱり「友達以上」を求めていたのは私だけで。
無理、ムリ、むり――。
頭の中で響いて、歩いているはずなのに足の感覚がない。
そのあとはよく覚えていない。
故意だったのか、それともショックから放心し車に気付かなかったのか。
気付けば、少し透けた体で自分の遺体を眺めていた。
下校中に車道へ出てしまい、轢かれてしまったみたい。
葬儀前から、両親は全身の水分がなくなるんじゃないかってくらい泣いていた。
親不孝してごめんね。
でも。
そんなことより私はあの子が、葬儀に来てくれなかったことが気になったのが一番の親不孝かも。
この体は便利だ。
どこへでも行ける。
自分だったものが焼かれたあと、あの子の家へと向かった。
しばらく見ていたが、どうやら不登校になったようだ。
やっぱり、責任を感じさせてしまったのかな?
それからはずっと傍で見ていた。
少しずつ、前向きになったかのように振る舞うあなたを。
夢ができ、受験勉強を毎日頑張るあなたを。
住む場所が変わり、一生懸命働くあなたを。
私のことを忘れたかのように、あの男と一見幸せに結ばれたあなたを……。
やめてよ。
お願いだから。
――
寝室で横になるあなたの傍で、私も寝るような姿勢をとる。
どうせ、すり抜けると分かりきっている手を重ねる。
あれから毎晩、あなたは呟く。
「ごめんね……、ごめんね……」
結婚してからは、隣の男に聞こえないように、小さな声で。
そして、声を殺して泣いてから眠りにつく。
自分の旦那に相談もせず。
バレないように。
私こそごめんね、その涙拭ってあげられなくて。
お願いだから、もう忘れてよ私のことなんか……。
なんでこんな『幸せ』なはずなのに、引きずってんの。
なんで今でも、私との写真なんか部屋に飾ってんの。
神様、お願いだからこんな地獄を見せないで。
お願いだから成仏させて。
お願いだから……。
続きを読む
私たちは別れることに決めた。
いつか話さなければいけなかったことを、私は目を伏せて伝え、
彼女は無理した笑顔で応えてくれた。
はじめて太陽系外で第二の地球と言える、居住可能惑星が発見されて何十年。
何度も自動ロボットを送り、ついに人類が直接向かう時がきた。
人類の未来を担うパイロット、その中に彼女がいた。
コールドスリープを前提にした往復130年の旅。
もう生きて会うことはない。
でも私は彼女の夢を尊重する。技術者として支援する。
そう決めた。それぞれの人生を送り、お互いを恋人として見ないと。
「『量子もつれ』……。
距離に関係ない通信ができれば、人類史上最長の遠距離恋愛ができたのにね」
「それは無理だって説明したじゃん!」
笑顔で冗談を言い合う。
別れたカップルとは思えない明るいやり取りをする。
そうして、遥か空に旅立つあなたを見送った。
十数年後、航海はまだ目的地までの航路の二割強。
私はまだ独り身。彼女の体感時間ではまだ一週間も経ってないだろうけど。
ぼちぼちアラフォーとも私側は、言えなくなってきている。
上手くいっていれば、船は何光年も離れた先を進んでいる。
定期的にコールドスリープを解き、順調かどうかの通信をしてもらっているが
どうしても今の通信技術では数年単位の遅延が出てしまう。
そんな通信の中に、未練がましいと分かりつつも、私的なメッセージを送ってしまった。
このメッセージが届くのは何年も先のこと。
「起きてる間、ご飯ちゃんと食べてますか?何か困ったことはありませんか?体調を崩していませんか?」
何でもないメッセージ。
別れたときにもう、こういった私的なやり取りはやめるとお互い決めたのに。
あのメッセージを送ってからさらに数年後。
通信の中に、彼女から返信が混じっていた。
いや、返信じゃない。
逆算すると、私が送ったタイミングとほとんど同じ。
「仕事ばっかりしてない?周りとは上手くいってる?無理しないでね。
ごめん、やっぱり愛してる」
内容もほぼ同じ、私を心配するもの。
違ったのは、私が勇気を出せずに書けなかった「愛してる」の一文だけ。
もう少し踏み込んでいたら、私達はちゃんと『もつれた量子』になれたのかな。
続きを読む
昔習った「明智光秀」が、何度もおみくじをしたという「本能寺の変」にまつわる逸話。
それを思い出して、私もおみくじを引く。
小吉、小吉、末吉、小吉、末吉、末吉、凶……。
引くたび、下がってる……!
神様、これは諦めろということですか?
それとも何度も引いたせいで怒りました?
「うぅ……もう一回。」
「お小遣い全部使う気かよ?」
私の奇行に笑うあなた。
「神頼みなんかしなくても、ちゃんと勉強すれば受かるって。」
こいつは人の気も知らないで!
「ほら、早くお賽銭投げて帰ろうぜ」
長い列に二人で並ぶ。
……もしあなただけ受かったら、二人じゃなくなるかもしれないんだね。
そんなこと考えてたら、少しでも願いが届くようにと、五百円玉を投げてしまった。
さっきから何してるんだか。
しかも受験生のくせに、別の願いを神様に伝えてしまう。
薄目で隣のあなたを見る。
ああ、初詣が冬で良かった。
耳の赤みは寒さを言い訳にできる。
こっそり、もう一度おみくじに行こうかな。
……私の勝負にも、背中を押してよ神様。
続きを読む
また会いましょう
どうかその時に
私だとすぐにわかるように
目印をつけておきましょう
あなたの名前と同じ
桜の花を1つ
「今度さ一緒に出かけない?」
幼なじみがいきなりそう言ってきた。
中学生になって小学校の頃より校区が広くなった。
3つの小学校が校区の中学校に通う。
生徒数は2.5倍。1クラスだった学年は3クラスになった。
クラスメイトはそれぞれバラバラ。彼女とも違うクラス。
当然、顔を合わせることもすっかり減ってしまった。
仕方がないこととはいえ、どこかほんの少し寂しかった。
「いいけど、どうしたんだよ」
「だって来週誕生日じゃん」
そういった後彼女は目をそらした。
気難しそうに眉を釣り上げ、頬が少し赤くなっているような気がする。
じゃあ週末9時に待ち合わせ、分かったね
そう吐き捨てると自分のクラスにさっさと戻って行ってしまった。
急な誘いにびっくりしたが正直とても嬉しかったというのが本音だ。
週末は思いのほか天気が良かった。
確か天気予報では崩れやすいって言ってたけどなぁ。
そんなことを考えながら、彼女と一緒に電車に乗る。
「それで今日は、どこに行くんだよ」
「行き先は私が決めるから」
とぶっきらぼうに連絡が来たのを思い出す。
「着いてからのお楽しみ」
自分から誘っておいてなんだかずいぶんと不機嫌そうな顔をしている。
3つほど先の駅で降りる。
秋の風が心地よく頬を撫でる。観光客もまばらに歩いていて、いかにも行楽日和といった雰囲気である。
「ここって道桜寺?」
「紅葉が綺麗なんだって」
「桜の名所じゃなかったっけ?」
「うん、でも紅葉も結構有名。それに銀杏もいっぱい 植わってるし、あと桜の葉っぱもそれなりに綺麗だよ」
「それもそうだな」
確かにそれほど有名というわけではないが、もみじも 銀杏も桜の紅葉もすっかり美しく色づいていた。
「お寺って手を叩かないんだっけ?」
「手を叩くのは神社だろ」
室町時代後期に作られたらしい仏像に手を合わせて2人でソフトクリームを食べる。
寺の由来の看板がすぐそばに立っている。
「へえ、こんな伝説があったんだ」
看板には、かつてこの地にいた村娘が足軽に行った男と交わした約束が載っていた。
娘は病気で男は足軽に行くのでどちらが先に死ぬのかわからない、だから死ねば生まれ変わってまた会おう。その時にすぐにわかるようにお互いに体に桜の目印のあざを。結局のところ男より娘の方が長生きし桜の木を植え亡くなった者を弔ったのがこの寺の始まりだそうだ。
「ねえ、桜のアザある?」
「……なんだよ急に」
「いや、ごめん忘れて」
そう言った彼女の顔は真っ赤になっていた。
俺は言えるはずがなかった。
ちょうど胸の真ん中あたりに桜のあざがある。
いや、こんなのはきっと偶然だ……
その時に気がついてしまったのだ。
彼女の首筋に微かに見える桜の花びらに――
続きを読む
あなたが褒めてくれた字で綴る。
あなたとあの男が、恋仲になるための文を。
――
「え!?すごい、上手〜!」
同じ学校で同じクラスだったけど、初めて喋ったのは小学校低学年の頃、親に言われ嫌々通った書道教室。
自分の字が教室の先生による「お世辞」以外で、褒められるなんて夢にも思わなかった。
騒いで先生に怒られるあなたを、私はクスクスと笑った。
ハキハキと主張するあなたと、ボソボソしゃべる私。
屈託のない明るい笑顔と、暗く生意気な真顔。
教室の中心と、隅。
全く正反対の私達だったけれど、不思議と好きな漫画やアニメの趣味が合った。
「ねえ、今日も一緒にお弁当食べよ!」
でも仲良くなれたのはそれだけじゃないって、分かったときがある。
昔からどうしたって目立つあなたは、誰かに靴を隠されてしまい、結局見つからなかったとき、私の靴を片方ずつ履いて帰った。
「……ありがとう。」
あの時は靴を履いてない側の足の痛みより、あなたの泣きじゃくる顔の方が私の心を痛めた。
『明るい人物』の奥には、私と通じるところがあったんだ。
そんな、どこか根っこの部分が似ている私達はずっと一緒にいた。
上級生になっても、中学生になっても疎遠になるどころか、ずっと私を輪の中にいれてくれた。
グループの他のみんなも、少し見た目が派手で怖かったけど、意地悪どころか私のたまに言う冗談によく笑ってくれる。
……そして、あなたは恋をした。
一つ上の先輩だった。
私を除いて誰もが、お似合いだと言った。
でもあなたの臆病な部分が、今どきラブレターで想いを伝えたいとか言い出す。
何度も書いたらしい。
でも自分の字が汚くて、恥ずかしくて全部クシャクシャに丸めたんだとか。
「こ、こんなお願いできるの、あなただけなの!
代筆してくれない!?」
「えー、付き合ったらどうせバレるよ?」
違う、本当はそんな理由で断りたいんじゃない。
「いいの、いいの!ねえ親友のお願いだから!」
――
……仕方なく引き受けた。
私は私の好きな人が、別の誰かと付き合う手伝いをしている。
あなたと出会わせてくれたこの『字』で。
一字書くたび、自分の気持ちを自覚する。
一文書き終えるたび、私の心はひび割れる。
でも、だからこそ。
大切なあなただからこそ。
今、幸せを願って『句点』をつけた。
続きを読む
夕暮れの道を君と二人で帰る。
見てよ一番星
君にそう言われて空を見上げれば、金星が輝いていた。
三日月のすぐそばで。まるで小さな月のかけらみたいだ。
太陽の光がゆっくりと街を巨大な影絵に変えて沈んで行く。
月の光はだんだんと強くなっていくように感じた。
「すっかり暗くなっちゃったね」
「うん」
「まあ、文化祭の準備で忙しかったから」
そう言って君は笑う。
君の輪郭が、ほんの少し暗くなってゆく情景の中で見えなくなっていくような気がした。
「最近、日が沈むのが早いね」
「本当だね。あっという間に沈んじゃう」
地球の自転スピードは変わらないはずなのに、秋の夕暮れは日が沈むのが早い。
きっと夕暮れが早く感じるのは、季節の移ろいを早く感じるから。もっと長く君といたいのに、すっかり暗くなってしまって君とお別れしなくちゃならない。
地球の自転がもっとゆっくりだったらいいのに。
君の輪郭がずっとはっきりと見えていたらいいのに。
君もまた影絵のように、暗闇の中に溶けてゆく。
暗がりの中で 君の顔がよく見えなくなってしまう。
「じゃあね、また明日」
「じゃあ、また」
僕と君は駅前で別れる。
街灯の明かりがジジッと、音を立て灯る。
――夜の帳が降りた――
続きを読む
七夕の夜の天気は、雨か曇りと決まっている。
織姫と彦星の一年にたった一度の逢瀬だというのに、空のやつときたら、「まだ梅雨ですから!」みたいな顔をして雨を降らしてくるのだ。
だけど私が十八歳になった今年の七月七日は、朝から嘘みたいに晴れていた。
ここ毎年、七夕に開催される地元の花火大会は雨で流れることが多かった。
だから、晴れと分かったとたん、大会関係者の祖父なんて大喜びで出掛けて行ったし、近くの商業施設で働く父も気合の入った顔をして出勤して行った。
かくいう私も。
『|凪《なぎ》が珍しいわね、花火大会だなんて』
祖母の部屋で浴衣を着付けてもらっていたら、通りがかった母に面白がられてしまった。
花火大会なんて、子どもの頃以来出かけてなかったからね。
『あれは、夏の大三角形。凪ちゃんの好きな織姫のベガと、彦星のアルタイル。二つの星は、約十六光年も離れてるんだよ』
七夕になると思い出す声がある。
伝説や物語を好きな私が、
『えっ、|航《こう》は知らないの? カササギさんが橋を作ってくれるから、二人は七夕には会えるんだよ』
そう反論すると、理屈っぽい幼馴染は、
『約十六光年っていうのは光の速さなんだ。二人が出会うための相対速度はどれくらい必要だと思う? カササギはいったい何羽必要で、織姫たちはいつから橋を渡り始めればいい?』
少し鼻にかかった声で、私のロマンチックなんか簡単に吹き飛ばしてくるから。
私はぐうの音も出ずに、押し黙る。
小さな頃から一緒にいて、幼稚園も同じ。
お互いの願い事なんて、短冊に書かなくても分かっていた。
八年前のあの日の七夕の日。
あの日も、朝から晴れていたっけ。
今日は何時に待ち合わせにする?
お小遣い二人分足したら、たこ焼き食べられるかな?
見る場所は、あじさい公園でいいよね?
家の前の坂を登ると新興住宅街がある。そこの公園は花火がよく見える、とっておきの穴場だった。
だから私たちは、毎年息を切らしながら坂を登っていっていたんだ。
でもその年の私たちは、花火大会には行けなかった。
その年じゃないか。
正確には|そ《・》|の《・》|年《・》|か《・》|ら《・》だ。
「アラスカ……?」
航は言った。
父親の仕事でアラスカに引っ越すのだと。
「花火大会に行けないの……?」
「まだ二週間あるから、今日は行けるよ。」
そうじゃない。
来年も、再来年も一緒にいられると思っていたのに。
|今《・》|日《・》|は《・》|行《・》|け《・》|る《・》?
なんでそんなに平然としてられるの?
私は、行けない。
こんなぐちゃぐちゃな気持ちのまま、花火を楽しめるわけがない。
「……かないよ」
「え?」
「航となんか、花火大会に行かない……!」
その時の私は、どんな顔をしてたのだろう。
間抜けな顔だろうか。
それとも、駄々っ子のような顔だろうか。
自分の顔はわからないけど、航の顔は覚えている。
普段は切れ長の目を見開いて、心底驚いている顔だった。
♢
ドォオン!
空を震わせる音と共に、紺碧の空に花火が打ち上がる。
航が日本にいた最後の夏。
私は自分の部屋で布団を被りながら、この音を聴いていた。
「航ちゃん、迎えにきてくれたわよー」
母の声も無視して。
二週間はあっという間に過ぎる。
夏休みが始まった頃、航の一家は日本からアラスカへと旅立っていった。
「ばあか。航のばあか」
一年にたった一回だけど、恋人たちがデートできる日。
そんな日をぶち壊してくれた幼馴染が許せなかった。
花火大会から数日経った夕暮れ、アジサイの影が伸びる坂道を、私は一人で登っていた。
ふたりだとあんなに短く感じたのに、ひとりだと飽きてしまうくらい長く感じる。
誰も知らない穴場は、公園の隅っこにあった。
「あれ?」
見覚えのない影が見えて、思わず声が漏れる。
まるで不釣り合いな笹が地面に刺さっていて、一枚の短冊がかかっていたのだ。
そこには——。
『彦星の二倍のスピードで、凪に会いにくるから。ちゃんと待ってて』
十年生きていた中で、一番よく目にした文字がそこにあった。
左に下がっていくクセ、几帳面なハネとトメ。
「……っふぅ……っく……」
みるみるうちに、航の文字がぼやけて滲む。
私が変な意地を張っている間、航は私のことを考えてくれていたのだ。
アルタイル、夏の大三角形、十六光年。
難しいことばかり言っていた私の幼馴染が、「彦星」だなんて……!
ドォン! ドドォン!
次々に空を彩る花たち。
本当に航がここに来るかはわからないけど。
約束通りなら、十六光年の半分は八年だから。
ねえ、航。
私、航のいない七夕を七回過ごしたよ。
他の人と見たこともあった。
でもやっぱり私は——。
「今年は晴れたな。夏の大三角形がとても美しい」
後ろから不意打ちのような声。
もう子どもらしい可愛らしい声ではないけれど、鼻にかかった甘い声は聞き覚えがあった。
私は振り向かずに答える。
「織姫のふだんの行いがよかったのよ」
「いや。ここ数日は高気圧で、下降気流によって雲がなくなっているのが理由で……凪? こっちむいてよ」
「……」
ドォンドォン!
夜空に忙しなく花火が打ち上がっていく。
その勢いに背中を押してもらって、私は振り返る。
鮮やかな赤、続いて、チカチカと震えるブルーの光に、知らない航が照らされて——。
今だけなの?
明日はもういないの?
聞きたいことはたくさんあるけど、私は——。
「おかえり、航」
空には大輪の花火に負けないくらい、夏の大三角形が輝いていた。
続きを読む
カセットテープをセットしてラジカセのスイッチを押す。
再生されるのはずいぶん昔のラジオの音声。
これを録音した日のことを思い出す。
もう3年も前のことだ。
「あのさ今日の夕方6時からのFMのサンデーミュージック録音して」
「いいけど…何、聞きたい番組があるの?」
「いいからさ!」
夫はちょっとぶっきらぼうにそう言うとカバンを受け取り玄関を出て行った。
なんとなく照れているように見えたが気のせいだろうか…
今日は遅番だから帰ってくるのは10時近くになるだろう。
夕方家に帰ってきて台所周りを片付けながら食事の準備を始める。
「……いっけない!」
しまったラジオの録音忘れるところだった。
慌ててカセットテープをセットすると録音を押す。
すでに番組の開始から15分が経過していた。
ごめん撮り損ねちゃった。
心の中で夫に謝る。
しかし何だって夫はこのラジオを今日に限って録音してくれなんて言ったんだろう。
確かに夫の好きな番組ではある。
そんなに聞きたい曲があったのだろうか。
そんなことを考えながら、野菜を刻み鍋に入れる。
今日はシチューだ。
付け合わせにサラダとちょっとだけ果物。
シチューはメイン料理になるから、ほんのちょっと副菜があれば十分だと思う。
最も夫はシチューを汁物と考えているタイプだから何かメインの肉類を欲しがる。
まあ基本的に肉類が好きなタイプだけど。
健康のことを考えるともう少し控えてほしいかなと思う。
ただ私の食欲と彼の食欲の違いを考えるとそれはちょっと酷かもしれない。
……とはいえ最近食べ過ぎで夫は結婚前より10kgぐらい体重が増えてしまったのは確かなのだが。
鍋の火をかけラジオの音楽を聴く、45分ぐらいの番組だからそろそろ終盤のあたりになる。
「それでは最後に皆様のお便りコーナーだよ。今日はありがとうのメッセージを紹介するね!それでは1枚目は、『るみママちゃん大好きさんから』」
その名前を聞いて私はドキッとした。
私の名前は、春美。
夫は独身時代の付き合っていた頃ずっと私の事をルミちゃんと呼んでいた。
いや、偶然に違いない。
いやいやいや、それだったら夫はわざわざラジオを録音してなんて言わないかもしれない。
どうしよう、心臓がバクバクする。
ラジオの音声はメッセージを読み上げる。
「いつも頑張ってくれてるママへ、お礼を言ったりするのが苦手でいつも感謝しているけど君への思いを少しも伝えられないのでこの曲をリクエストします。『君に送るありがとう』それではいってみよう!」
ラジオから音楽が流れる。
君に言えない言葉があるんだ
どうか聞いてほしい 僕の思いを
いつも美味しいお料理 ありがとう
いつも洗濯してくれて ありがとう
いつも笑っていてくれて ありがとう
君にいっぱい言いたい ありがとう
僕はどうしても言葉を伝えるのが
苦手だからね 言いたいことが
言えなくって だから歌うよ
いっぱいいっぱい ありがとう
不器用でダメな僕だけど
伝えたいよ この想い
ありがとう ありがとう
感謝を込めて 君に ありがとう
私はカセットテープを止めた。
何度聞いても顔が真っ赤になる。
録音してからもう3年も経ってるのに。
ドキドキする……どうしよう。
うまく言葉で言えないのはきっと私も一緒だ。
玄関で物音がした。彼が帰ってきた。
ありがとう、私もそう伝えたい。
続きを読む
「これからもよろしくな」
そう言って微笑んだのは、同じクラスの時田(ときた)くんだった。彼の申し出は大変ありがたいが、同時に私たちの関係性はそこ止まりということになる。
たった今しがた振られたわけだが、まだ同じクラスである事実は消えない。残り八ヶ月の学校生活をともに過ごさなければならない。まあ、わかってて告ったんだけど。
高校三年生の夏休み前。好きで好きであわよくばという欲が出てしまった。本当は高校卒業前に告白しようと思っていたが、万が一、付き合えることができたら?という妄想が止まらなくなったのだ。
そこで夏休み前。もし付き合えたなら、夏休みに一緒に遊ぶことも勉強することもできる。一石二鳥。最高なサマーバケーション。そして見事に玉砕。
夏休みのお陰で気まずさは軽減した。それも計算済み。体育祭と文化祭の準備も始まろうとしていたが、もうだいぶ精神は落ち着きを取り戻していた。
廊下で二人きりですれ違うときなどはさすがにまだそわそわしてしまうが、時田くんの方から
「おはよー」
などと声をかけてきてくれる。よかった。これからもよろしくな、は嘘ではなかった。嘘ではないが、私たち二人の未来は存在しない。これからもよろしくな、は実のところ、これからもよろしくするわけではないのだ。円満な体のいい振られ方である。
二学期が始まり、時田くんとは席が離れた。今までも近いというわけではなかったが、話せない距離ではなかった。しかし、今回の席替えで確実に関係性は失われた。
寂しい反面、ほっとしたのも事実だった。まだ好きだが、未来のない彼との会話は虚しくなるだけ。再度告白するつもりもない。何度も告白する友人もいたが、一度断られたということは、妥協でも付き合えない、と思われたのだと私は判断する。そこは個人の捉え方の自由だと思う。
大学生になったり、大人になったりしてから……そういう時間差の告白ならありえるかもしれないが、今は到底考えられない。
とはいっても大人になったら時田くんと会うこともないんだろうな。同じクラス、という以外接点のない関係だった。連絡先もSNSも知らない。クラスのグループチャットだけ。個人アカウントなんてものを知らなくても、人は人を好きになる。好きになったらその人を知りたくなる。
時田くんの口が固いせいか、私の告白がクラスに広まることはなかった。私も仲のいい一部の友達にしか告白の事実は伝えていない。平穏なものだ。私の心の中はまだまだ凪というわけにもいかないけれど。
「時田ってかっこいいよなぁ、優しいし」
私が彼に振られている事実などつゆ知らず、隣の席の三門(みかど)くんが話しかけてくる。
「……うん、かっこいいよね」
「女子はああいう男子好きでしょ?」
「うん、そうだと思う」
こちとら、好きどころか告白して振られていますからね。
「男子から見たらどうなの?」
「いや、かっこいい。優しい。かっこいい」
「かっこいい、二回言ったね」
思わず笑うが、心からの笑みではない。終始どこかで身構えてしまう。時田くんの話題はまだ心なしかそわそわする。心がざわつく。
時田くんはサッカー部で、やんちゃな感じもありつつ、好青年だった。周りがよく見える。言葉じりがきついこともあったが、いつも言うことは正しかった。
「俺もあの優しさをわけてほしい」
三門くんは、時田くんよりさらにやんちゃでチャラい感じのバスケ部だった。モテることはモテるが、おそらくファン層は違う。私もちょっと距離を置いてしまう。
「おーい、時田ぁ」
急に呼ぶなよ。内心ドキドキしていた。
私のことなど目に入っていないのか、三門くんに呼ばれて迷いなく近づいてくる時田くん。ヤバいヤバいヤバい。三門くんに呼ばれたくらいで来なくていいのに。
「山本がさあ、時田くんかっこいいね、だって」
一気に顔が真っ赤になるのがわかった。うるさいよ、三門。マジ黙れ、三門。急に何を言い出すかと思えば三門のやつ、余計なことをしやがって。お前が言い出したんだろ。私はそんな話題一つも提供していない。同意しただけだ。
無表情を崩さないままそんなことを考え、心の目で三門くんを睨んだ。
「はぁ?何だよ、それ。よくわかんないけどありがとう」
時田くんはほんの少し、一瞬だけ私の方に視線を送るとすぐに三門くんに視線を戻した。横顔はちょっぴり照れくさそう。私ほどではないにしろ、時田くんにも気まずさはあるのだと安心した。
「お前さ~、せっかくチャンスをやったのに全然しゃべんないじゃん」
時田くんが去った後も話題は変わらなかった。勝手に呼んだくせに何でこんなに偉そうなんだ。善意でやってるんだぜ?と得意げな三門くんを見て、どうにも我慢できない気持ちになっていた。
「そりゃそうでしょ。いきなり呼ばれてもどうすりゃいいのよ」
「会話を楽しむ」
「楽しそうに見えましたかね?」
「全然」
「でしょ。余計なことしないでくれる?」
くくく、と三門くんは小さく笑った。
「えー、いいことしてると思ったのになぁ。もしかして他の人がよかった?」
私はキッと三門くんを睨んだ。今日何回目だろう。
「今は呼んでほしい人とかいないから、マジで何もしないで。一言も声を発さないで」
「いや、でも俺のキャラ的に頼みやすいっしょ?遠慮しなくていいからね。いつでも恋のキューピッドになるから」
彼は善意の塊のような顔で大きく笑った。善意というか楽しんでいる節がある。恋のキューピッドになれば女子が喜ぶと思っているのだろう。
確かに……確かに私が振られる前であれば、三門くんつながりでもう少し仲良くなってから告白できたかもしれない。もっと早く三門くんと知り合っていれば。
しかし、私はすでに振られていた。振られておいて、何度も時田くんを呼んでもらうとかどう考えても未練たらたらで気持ち悪いし、そう彼に思われていると考えるとどうにかなりそうだった。
私は覚悟を決めて、三門くんにゆっくりゆっくりと顔を近づけた。
「あのねぇ、驚かないで聞いてほしいんだけど」
「え、な、何?」
さすがの三門くんも何かを察したらしかった。今まで見た中で一番驚いた顔をしていた。むしろ恐怖に怯えている。これはいい、と思った私は、さらに低く響く重低音の声を出した。
「実は私……」
「え、何?」
三門くんが息を呑むのがわかった。
「もう……」
「もう?」
「振られてるの」
三門くんは狐につままれたような顔になった。
「ん?」
「だから、私は、もう振られてるの」
「誰に」
「時田くん」
「時田……?」
「そう、時田くん」
三門くんは両手で口を抑えて大袈裟に驚いた。驚くなっつっただろーが。
「なーるほどねぇ」
急にニタニタし始めた。
「だから余計なことしないでよね」
「時田ぁーー!」
言った側から声を張り上げるので、三門くんの腕を引っ張ってぽかぽか体を叩いた。
「呼ぶなって言ったでしょ!余計なことしないでって」
小声で注意するも三門くんは、今度はけらけらと大声で笑い出した。
「冗談だって」
冗談にしては本気すぎる。声がでかすぎる。だからこういうちゃらちゃらしたやつは嫌いなんだ。
「もう呼ばないから」
「絶対だよ」
「絶対呼ばないって」
「約束ね」
「約束な、だから……」
「だから、何?」
ずいぶん間をもたせてから、三門くんは意味ありげに微笑んだ。
「これからもよろしくな!」
にやける三門くんを見ながら、苦笑するしかなかった。先が思いやられる。何がよろしくだ。
私は大きなため息を一つつくと、ふにゃふにゃと笑う三門くんをもう一睨みした。
(了)
続きを読む
グラウンドを走る先輩の姿を3階から眺めていると、トンと背中を叩かれた。
「わ!…もう、ビックリするじゃん!」
「まーた部活サボって先輩見てるんでしょ。そろそろ集まるよ」
「だって…向こうは3年だし、陸上部はもうすぐ引退しちゃうし。見れなくなるんだよ?」
友人はやれやれと私の隣で窓の外を見る。
私達は高1だ。3年の先輩を見れる機会なんてあと少ししかない。
「告っちゃえば?」
茶化してくる友人に私は膨れて見せる。
「喋ったこともないのにムーリー!見てるだけでいいもーん」
「はいはい、もう戻るよ。こっちの先輩達に怒られたくないでしょ?」
そんな先輩らなんてどーでもいい、と言いつつ、私は友人に連れられ自分の部活に戻った。
そんなある日。
バフ!
校舎の曲がり角を右に入ったら、人にぶつかった。
どこ見て歩いてんの?!私は相手をギッと睨み上げた。
「!!!」
陸上部のあの先輩だった。
「あ…ごめん」
「………。」
勢いでつい睨んでしまった。これ絶対引かれてる!
慌てた私は謝ってくれた先輩に何も言わずに走って逃げた。
***
あれから数年後。
私と先輩は社会人になり、飲み友達になっていた。結局想いを伝えることはなかったけど、今はだべりながらお互いの仕事の愚痴を言って笑い合ってる。
「そんなこともあったなぁ。あの時はこえー1年だって思ったわ」
「懐かしい青春の日々だね。輝かしい!可愛い後輩できて良かったじゃん」
先輩は今年、私のあの友人と結婚する。照れくさそうにした二人が揃って打ち明けてきた時は、お祝いだー!なんて大はしゃぎした。
淡い恋心を抱いたあの時期。そして今の居心地の良い距離感。縁って分からない。
仕事の愚痴に話題が戻ってしまった先輩を眺めながら、懐かしいあの日にほんの少し目を細めた。
~完~
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