ホラー・怪談
時を喰む箱、あるいは浦島太郎
1,200文字
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亀を助けたのは、本当に善意だったのか。
太郎は竜宮城で、何度もそれを考えた。
ただ、あの助けを求める亀の目が――人間のそれと同じだったから、気味が悪くて、銭を払ってでも逃れたかっただけではなかっただろうか。
竜宮城は美しかった。ただ、おかしなことがあった。
宴の席に並ぶ魚たちが、踊りながら、こちらを見ていなかった。
目は開いているのに、焦点が合っていない。笑っているのに、笑っていない。
よく見れば、動きが全員、寸分違わず同じで、まるで、同じ悪夢を繰り返し見せられているようだった。
毎晩毎晩、村では見たことのないようなご馳走が並んだ。しかし、どれもこれも味がない。見た目は美しく豪華なのに、なにを食っても、咀嚼するごとに不快感が込み上げてくる。砂を噛むような食事の中で、唯一甘さを感じるものは、太郎の口に食事を運ぶ乙姫の指先だけだった。
乙姫は毎晩、太郎の隣に座った。会話をし、時折冷たい手で太郎の手を取り、笑った。
夜にはぬるりと冷たい体で伽をした。海の底に沈んだもののようなにおいが肺に染み込む気がした。
伽を断ることはできなかった。
太郎は自分の鼓動がゆっくりゆっくりと、遅くなるのを感じた。自分が陸の人間ではなくなっていく気がした。
しかし三日目の夜、太郎は気づいた。乙姫が、一度も瞬きをしていないことに。
「楽しゅうございますか」
貼りついたような笑顔のまま、答えられない問いを投げかけてきた。
太郎は翌朝、帰ると告げた。引き止められはしなかった。ただ玉手箱を渡しながら、乙姫はこう言った。
「地上にはもう何も残っておりませんよ」
開けろとも開けるなとも言わず、笑顔のまま。瞬きもせずに。
浜に上がると、村はあった。しかし、おかしかった。
道行く人々の顔が、どこか似ていた。
全員が似ているのではない。何人かに一人、まったく同じ顔をした者がいる。同じ顔が、人混みの中に、点在している。
太郎と目が合うと、その顔たちは、揃って微笑んだ。乙姫と同じ笑い方で。
たまらず太郎は走って逃げた。老人を捕まえて、ここはどこだ、今はいつだと叫んだ。老人は穏やかに答えた。
「もうなにも残っていない……三百年前から、ずっとここはここですよ」
そして老人も、微笑んだ。
白煙が晴れた後、箱の中には何もなかった。太郎の体は老いた。皺が刻まれ、髪が白くなり、立つこともできなくなった。
砂の上に倒れながら、太郎は気づいた。あの、もう今となってはいつのことかも思い出せない、あの助けたはずの亀は。ずっと昔に、竜宮城へ連れて行かれた、本当の自分だったのかもしれない。
薄れゆく視界の中で、太郎は最後に、背後にいる亀の目を見た。
黒く澄んだその瞳はどこかで見たことがあった。
――ああ、そうか。これは俺なのか。
砂の上に倒れ込んだ瞬間、背中に冷たい甲羅の感触が触れた気がした。
甲羅に銭を食い込ませた亀はゆっくりと首を伸ばし、太郎の顔を覗き込んだ。
その目は、人間のものだった。
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