コメディ・日常

居酒屋の唐揚げ

2,452文字 約5分で読了
作者:珈琲時間
 食事は「何を食べるか」より「誰と食べるか」が大事なんだよ。  誰かがそんなことを言っていた。  隣には同期きってのアイドルAさん。  仕事終わりにも関わらず、女性らしい香りが挙動の度振りまかれる。髪も肌も光沢を帯び、同じ人類とは思えない彼女は今、僕の20センチ隣に着いた。  向かいには主任のB。出来れば一生顔を合わせたくもないこの男は、残酷なことに僕の上司である。つまり二度と会いたくない人物と毎日顔を合わせている。  このガヤガヤとした場末の居酒屋も、Aさんと二人きりならどんなに煌めいて、あるいは幻想的にも見えただろう。  それがどうだ。Bというノイズがいるせいでこうも酸素が薄くなる。と、同時にBのパワハラじみた誘致が無ければ、Aさんと並んで食事というこのシチュエーションを、僕が自力で成し得たかと言うと甚だ微妙と言う他ない。  おしぼりに濡れるAさんの左手に視線を逃すのもそろそろ潮時を迎えよう。 「お前ら、いいか?部長はここの唐揚げを一口齧って二口目でレモンをかけて召し上がる。お前ら絶対にレモンには触るなよ?」 「「はい!承知しました」」  このしょうもない忠告をあと何度受けるんだ。スキンヘッドに年の割に童顔のBが、オフィスに比べ薄暗い、そしてノスタルジックで陽気な雰囲気の中ではまるでひょっとこの面に見えてきた。くりくりした眼が刺すようにこっちを見据える。地獄である。課長よ、早く来てくれ。そして早く解散してくれ。 「はい! Bでございますぅ! お疲れ様ですぅ。かしこまりました! ……いえいえ! お待ちしておりますぅ! ……あ、はい! はい! あぁ〜、課長、お気を遣わせて申し訳ございません。あ、はい! はい! それではお待ちしておりますぅ! 失礼いたしますっ!」  Bの電話の呼び出し人は課長だろうな。遅れるから先に始めてくれといったところか。 「主任。課長もうお着きになりますか?」 「いや。あと30分ほどかかるから先に始めておいてくれ、だそうだ。A君。今の私の言葉からそれくらい読み取ってくれないと困るよ〜! まぁ君くらい可愛かったら許されるだろうけどねっ! ビール三つ頼んで!」 「いや〜すみません」  へへへと明らかに困惑のこもった微笑でAさんは応えた。このハラスメントボールめ! っとBの頭を僕はペチンペチンと叩いた。もちろん脳内でだ。  ビール三つが運ばれてくると、Bは店員さんに「25分後に唐揚げ揚げたてで」と傍迷惑な注文を加えた。こんなタコ親父の無茶振りを眩しいほどの笑顔で了承する店員の彼女は尊い。  やけに重たいジョッキで乾杯し、苦く弾ける冷たい液体を自虐的に咽喉へ送る。あるいはこれからの苦悶タイムを乗り切るためのエナジードリンクだ、これは。 「あぁ〜。Cさ。今、俺が口つける前に飲んだろ? お前、そういうところだからな? や、俺は許すけど課長や上の方は、そういう所見てるからな? いいか、課長来た時は気をつけるんだぞ?」  もう最悪だ。 「あ、申し訳ございません。ノドが乾いていたので、つい」 「ほぉ〜。言い訳するようになったなぁ。お前。成長したじゃないか!」 「あの、主任。私も気付かず飲んじゃってました。えへへ……」  途轍もなく苦い後味を残して胃の中で踊る液体を恨めしく思った。 「ここの唐揚げホント美味しいんですよ! あとマグロカツも絶品ですよ!」  Aさんのフォローに胸が締め付けられる。というか、Aさんこの店知ってたんだ。だから二つ返事で来たのか。 「お、A君はここ知ってるのか! でも、課長は油物気にするからなぁ。唐揚げ以外は油物禁物だから」 「あ! そうなんですか! 先に聞いてて良かったです!」  救いのマグロカツまで牽制されてしまった。これはセーフ、これはアウトなど供物の選定をしているせいでビールは一向に進まない。手をつけられないお通しのきんぴらに、僕は同情と共感を覚えた。 「やぁやぁ。お待たせしたね」  柔らかい表情を引っ提げてようやく課長が到着した。 「課長ぅ〜! どうぞどうぞ!」  Bは漫画のように飛び上がり課長を上座へ送った。僕の正面に着くまでの一瞬。課長の卓上への一瞥を僕は捉えてしまった。Bの「上の人は見ている」という一言は金言であり呪いであった。僕はビールが美味しく飲めるまで年単位を要することを悟ったのだ。 「あ! お姉さん! ビール4つ! あとさっきの唐揚げ持ってきてね!」 「お、B君、気が利くじゃないかぁ! ここの唐揚げは絶品なんだよ!」  課長が上座に収まると、 「あ、私ちょっとお手洗い失礼します」  僕の20センチ隣の憧れは虚空となった。Bと目が合い、その眼光はジョッキを空けろと急かしてくる。当然、それは僕とAさんのジョッキを指す。  一体何ccになるのか。2杯分のたっぷりと残った苦汁を胃へ追いやる。  時を置かずに4杯のジョッキと唐揚げが運ばれ、Aさんも戻ってきた。  更に重くなったジョッキで乾杯。薄膜の威厳を貼り付けた課長と、満面の皺をこさえたCの顔を眺めながら、口をつけるタイミングを刹那の間で計る。なんて不味いんだ。 「さ! じゃあいただきましょうか!」  トイレですっかり切り替えを済ませたAさんが高らかに言う。 「おう! 若い者は沢山食べなさい! 次のプロジェクトも頼むよ!」  課長の言葉で、これは先週終わったプロジェクトの慰労会なのだと悟った。だとすれば真っ先に声をかけられた僕は、もしかすると昇進の兆しでもあるのだろうか。そう考えると目の前の唐揚げがやけに美味しそうに見えないこともない。 「じゃあ、マヨネーズかけますねぇ〜!」  Aさんがおそらく厨房でもらってきたのであろう業務用のどデカいマヨネーズを、何の躊躇も無く唐揚げの上に絞り出す。  薄黄色い軟液がどっぷりと覆う。どことなく卑猥なその光景。街中で時限爆弾でも見つけたかのように固まるB。威厳の膜がただれ落ちた課長。僕はといえば、箸を伸ばし、口の周りがマヨネーズだらけになる覚悟で齧り付いた。ガリっと衣を裂き、溢れ出す肉汁を舌上にまとわせる。脂、醤油、にんにく、生姜、肉の旨味。迸る唾液。いっそビールに溺れ死にたい気分だった。
2026/09/23 ・ 👁️ 55回 ・ 💬 0件

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