SF・ファンタジー
1034文字 約3分で読了

思念と転生(1)

 建武3年(1336年)5月25日、摂津国(兵庫県)湊川にて足利軍と新田楠木軍が激突した。  寡兵の楠木軍は6時間の戦闘の間に16度もの突撃を敢行、ついに73名になったところで民家に入った。  足利軍は民家を取り囲んで討ち入ろうとしたが、馬上の尊氏は右手の軍配を横に振って制止した。 「皆のもの静まれ! 中からの声が聞こえぬか!?」  シーンと静まった。  民家の中では、兜を置き、鎧を取った楠木勢の面々が2名ずつ向かい合って脇差を抜き、今まさに互いに差し違えようとしているところだった。 「正季(まさすえ)! 今までようこの儂(わし)についてきてくれた! 何か言い遺すことはないか!?」  正成(まさしげ)の声が響く。かつて千早城に立てこもって鎌倉の大軍との長期戦を持ちこたえ、倒幕に貢献した大戦略家の最期が迫ろうとしている。 「兄者! では七度(たび)生まれ変わって朝敵を討ち果たし、国に報いたいと存じまする!」  弟の正季が答え、「うむ! よくぞ言った!」との声とともに兄弟は互いの心臓に刃を差し合った。  部下たちも続き、全員が倒れたところで民家の戸が開いた。  まず尊氏が入り、弟の直義(ただよし)、そして足利方の幹部たち。皆は合掌してその死を弔った。  「殿、しかし何とも奇妙な事を申されましたな。七度生まれ変わって朝敵を討つとは」  フッフッフッと失笑が漏れた。「馬鹿げた話よ」と吐き捨てる者もいた。  後に“七生報国”と呼ばれることになるが、当時の武士たちにそこまでの思い入れも教養もない。  なにせ幹部の高師直(こうのもろなお)などは「天皇なぞ木彫りの像を据えればよい」と言うほどだ。  「転生なんぞありえぬと申すか?」  ふと尊氏が閉じた目をあけて呟いた。  皆は「え?」という顔をして尊氏の方を向いた。  「世の中には意外と転生した者は多いものよ。のう直義」 「はい」 「え、ではこの中の誰かも転生した者でおわしますか?」 「おうよ」  尊氏は振り向いて体の正面を向けた。  かつて尊氏(高氏)と直義は、下野(しもつけ)国の屋敷の蔵から、祖父の置文を見つけたことがあった。  平安時代の前九年の役(えき)と後三年の役で活躍した源氏のレジェンド、源義家は「我7代の後に生まれ変わって天下を取る」と予言し、祖父家時がちょうど7代目に当たったのだが、北条氏の力がいまだ強くその予言はとても達せられずにいた。  恥じ入った家時は「我3代の後に生まれ変わって必ずや天下を取る」と置文を残して自害した。 「まさかその3代目がと、殿…?」 「他ならぬこの儂も転生者よ」  
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作者:reigan
2026/10/06 • 👁 52回 • 💬 0件
コメディ・日常
783文字 約2分で読了

レオの誤読

 お昼時のイタリアンなファミリーレストランは賑わっていた。ニンニクや焦がしたチーズ、トマトソースなどが混ざり合った匂いが漂っている。流れる陽気なイタリアンポップスが店内を明るく照らしていた。だが、僕たち二人のテーブルだけは、どんよりとした雲がかかっているようだった。 「自信あったんだけどな。ユキは『いいよ』と言ってくれると思ってた」  目の前に置かれた鉄板の皿の上で、ジュウジュウと音を立てているハンバーグを見つめながら僕は呟いた。 「仕方ないよ。ユウトは何も悪くないさ」  イタリアの留学生レオはそう言いながら、ペペロンチーノの上に乗った一本の赤唐辛子をフォークの先で皿の縁へ追いやった。隣のテーブルではカップルの笑い声が弾んでいる。交際を始めたばかりの雰囲気を感じた。 「まさか同じサークルの小倉と付き合ってるなんて、聞いてびっくりだよ」  僕は呆れながら口に出した。 「知ればみんな驚くさ」  レオはパスタの山から少し引き出し、塊に戻らないようにしながら丁寧にフォークで巻き取った。 「サークル辞めようかな。ユキと小倉がいる空間に何だか居づらいよ」  僕がそう言葉をこぼすと、レオはパスタが絡まったフォークを口元へ持っていかずに皿の上に置いた。 「ユウト、それは間違ってるよ。テニスが嫌いになったんじゃないだろ。堂々と笑顔でいよう。『笑う門には福来たる』だろ」  レオは真っ直ぐな目で僕を見た。 「わかったよ」と返すとレオは微笑んだ。 「まだ日本に来て一年経ってないのに、日本語ペラペラだし、ことわざも知ってるなんて。レオには敵わないな」  僕はそう言ってハンバーグを頬張った。雲間から光が差し込み、青空が顔をのぞかせた気がした。  レオは皿の縁によけていた唐辛子をパスタの下に潜り込ませ、得意満面な笑顔を見せて言った。 「ユウト、『能ある人は鷹の爪を隠す』だろ」  僕はフォークを口に運んだまま固まってしまった。
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2026/10/06 • 👁 88回 • 💬 0件
その他
3755文字 約8分で読了

深紅の果汁はアイツの目玉

 今、私の目の前にいる人物について、なんと説明すればいいのだろうか。  たまたま相席になった人? 見た目怪しそうな人?  つばの広いクリーム色の帽子のすぐ下からは、短い黒髪が覗いている。注文をしている時に聞こえた声で判断すれば、性別は女性で合っているだろう。二つの瞳は大きめのサングラスに完全に覆われてしまっていて、何を考えているかは読み取れない。  というか、人の少ない時間帯であるとはいえ、帽子ぐらいは脱いだ方が良いのではないだろうか。サングラスと帽子のどちらか一つでも無くなれば、醸し出されている不審者の様な空気は緩和されるのではないのだろうか。  じっと見つめるわけにもいかず、紅茶を啜りながらチラ見を頻繁に繰り返す。こちらの視線には完全に気付かれているだろうが、この好奇心を殺すことはできそうにない。見られることに慣れているのか、目の前のサングラス女は一定のリズムでケーキの刺さったフォークを口へ運んでいる。 「あっ」 「ん?」  トイレに行こうとしたのだろう。彼女が立ち上がった時、不思議なことが起きた。サングラスの下から、何かがポロリと落ちたのだ。床へと着地しそのまま私の足下へ転がってきたそれを、向こうが屈むより先に拾い上げる。 「ザクロ……?」  私の手の中にあるのは、店の照明を赤い光へと変換している小さな粒。落下物の正体はザクロだった。一つの疑問の答えは、そのまま新しい疑問として私の前に立ちはだかった。これがコンタクトレンズであるならば、何も問題は無いのだ。カラータイプのものだって、日常的にお洒落アイテムとして使用している人は珍しくない。しかしこれは――――――ザクロだ。何をどう考えてみても、瞳を覆っているサングラスの下からザクロの粒が落ちてくる理由が思いつけない。目の前に視線を戻してみると、ザクロの落とし主はこちらを黙って見つめていた。  これは、訊いてみた方がいいのだろうか。 ザクロ……落としましたよね? このザクロは貴女のものですか?  質問したい内容を脳内で確認していたら、一瞬のうちに隣へと移動してきた女に右腕を捕まれた。 「あの、ですね」 「え? なんですか?」  私へ向けて発せられた声は、何かを決意した様な響きを帯びていた。 「そのザクロ、返してもらってもいいですか?」 「えっと……嫌です」 「お願いします」 「そう言われましても……」  なんとなく、このまま返してしまうのは違う気がしてしまい、私は拒否の意を伝えた。まさか拒否されるとは思っていなかったのであろう彼女が、何かを考えるように少しだけ顔を天井へと傾けた時、サングラスの奥がほんの少しだけ見えた。 「えっ! あな、た……その眼……」  悲鳴を上げそうになった私の口を真っ白い手が塞いだ。空いている方の手でサングラスを掴み、少しだけ下に下げる。 「もしかして、見えちゃいました?」  口を塞がれているのも忘れ、再び思い切り声を出しそうになった。見てしまった……見えてしまった。  サングラスの奥、目の前の女の目には、目玉の代わりにザクロが詰まっていた。  店を出た後、サングラス女改めザクロ女に手を引かれて人気の少ない路地へと連れ込まれた。大きな声を出さないことを約束したことで漸く呼吸を解放されたが、気を抜くとまたすぐにでも叫び出したくなってしまう。そんな私の葛藤などには一切構うことなく、ザクロ女は周囲に他の人間がいないか用心深く確認している。気が済むまで確認を終えた後、ずいっと私との距離を詰めてきた。 「な、ななな何ですかっ」 「あーえっと、先程の非礼をお詫びしておこうかなと」 「は?」 「とっさの判断でしてしまったこととはいえ、貴女の呼吸を妨げ生命維持活動に支障をきたしてしまったので。すみません」 「はあ……あ、いえ、私も大きな声で叫んでしまってすいませんでした……」  相手の頭にぶつからないように気をつけながら、お互いペコペコと頭を下げ合う。薄暗い路地裏には到底似つかわしくない光景だ。お辞儀合戦を終了させるべく頭を上げたままにしたら、ザクロ女もこちらに倣い頭を下げるのをやめた。 「それでは失礼します」 「は? え、いやいやいや! ちょっと待って!」  この状況で何故サラッと帰ろうとできるのか。口留めなんてしなくとも、私には周りに言いふらす度胸などないように見えたのだろうか。 「まだ何か御用でも?」 「こんなところまで無理やり連行しておいて、何の説明も無しっていうのはどうかと思うんですが」 「説明ですかー……してもいいんですが、ご理解いただけないと思いますよ。それでも聞きたいですか?」 「それでも! 聞くのと聞かないのじゃ全然違うじゃないですか!」  しつこく食い下がると、ザクロ女はまず帽子を脱いだ。次いでサングラスを外し、帽子の中に入れて私の顔を見つめてきた。  完全に剥き出しになった彼女の目は、ザクロの粒がぎっしりと詰まっていた。昆虫図鑑などに載っている、トンボの目みたいだった。表通りよりは圧倒的に少ない太陽光を反射して、ぎらぎらと赤く輝いて見える。  先程よりもはるかに強烈なインパクトに思わず言葉を失っていると、更に意味不明な光景が私の頭を悩ませた。ザクロ女が右手を目の下に受け皿の様な形で配置したまではまだいい。その後、残った左手で自分の後頭部を叩いたのが一つ目の問題だ。二つ目の問題は…… 「そ、そそそそれ……大丈夫なんですか? 痛かったりしないんですかっ?」  叩いた衝撃で、彼女の両目からザクロがぽろぽろとこぼれ落ちたこと。手の平に着地した粒から視線を上げ、落下地点を恐る恐る確認してみる。粒が抜けてしまった箇所はぽっかりと空洞になってしまっていて、なんだか余計に不気味さが増していた。 「痛みはないですよ。これ丁度落ちてきたやつですし。それで、このザクロなんですけど」  一度言葉を切ると、手の平に載ったザクロの一粒を摘まみ上げ、私の眼前へと近付けてきた。目を背けるのもなんだか怖い為、仕方なくザクロを見つめることにした。 「これ、私の目玉です」 「…………は?」 「私の目、ザクロいっぱい詰まってますよね? これ全部、一つ一つが私の目玉なんですよ」 「私のことからかってます?」  担がれているのでは、というのが正直な感想だった。ハッキリ言って、信用しようと思うことすらできない。私のそんな反応も慣れているのか、彼女は溜息を一つ吐くだけだ。 「ほら。だから言ったじゃないですか。真実ですよ、私の話は全て。まだ疑われるなら、これ以上お話しする理由が私にはありません」  女の目の中のザクロに視線を向けてみる。先程まではただのザクロだと思っていたが、無数の目玉に見つめられているというのが正しい現状なのだろう。形容し難い複雑な気分だ。しかし、やはり気になる。 「疑ってすいませんでした。続きお願いします」 「ザクロって、真っ赤な球状の皮の中に血みたいな沢山の粒がぎっしり詰まっているじゃないですか。あの皮が私の皮膚で、詰まっている粒が目玉なんですよ。物心ついた時には既にこうでしたし、普通の人が二つの目玉に景色を映しているように、私はこの沢山のザクロの粒を通して景色を見ている。ただそれだけの違いです。」 何故そんなことになっているのかなんて、訊かれたって分からない。そう彼女は締めくくった。 「因みに、ご両親の目はどうなってるんですか……? 実は片方がそもそも人間じゃなくてザクロだったりとか?」 「どっちも人間ですよ。ザクロと人間の間に何か新しい生き物が生まれる余地はいくら何でもないですよ……現実とフィクションの区別ちゃんとついてますか?」 「つ、ついてますよそれくらい!」  改めてザクロ女の顔をよく見てみることにした。なんだか……見れば見るほど美味しそうなザクロに思えてしまう。ザクロが好物であるが故なのか。手の平に載っている粒に至っては、顔から離れた位置にあるし、完全にただのザクロではないか。 「あ、あのー……その、ですね……その手の中のなんですけど」  ザクロ女が、私の指が指す先を追って顔を下に向ける。また一粒、ザクロがポトリと落ちた。 「これがどうかしましたか?」 「それ……食べてみちゃ駄目ですか?」 「…………食べたいんですか……?」 「えっと、ちょっと興味が……あるなーと」  考えるように数秒動きを止めた彼女は、そっとザクロの載った手の平を私に差し出してきた。 「どうぞ。味の保証とかはしませんので、何が起きても自己責任でお願いします」  何が起きても自己責任。確かにその通りだ。産地が特殊なだけに、人体に有害かもしれない。それでも私は、やっぱり食べてみたい。 「いただきます!」  覚悟を決めて、口にザクロを放り込む。下で実を押し潰すと、果汁が口に広がっていく。 「どうですか?」 「えっと、ものっすごく美味しいですっ! もっと食べたい……!」  目の前の顔は、瞼を上下に動かして瞬きをしている。驚いているようだ。 「そ、そうですか……それは良かったです」 「あの。もっと食べちゃ駄目、ですか……?」  断られる可能性を考えつつ、それでも頭を下げて懇願してみた。ザクロ好きとして、この味をもっと味わいたい。 「こんな所じゃあれですから、続きは私の家でいいですか?」  頭を上げると、空になった手の平が再度こちらへ向けられていた。私はその手を、しっかりと握りしめた。
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作者:周雨
2026/10/06 • 👁 41回 • 💬 0件
コメディ・日常
1370文字 約3分で読了

彼女の頭にはネジが足りない

「おはようございまーす」 「おはよー豊橋さ……頭どうしたの? もしかして……やられた?」 「そう、そうなのそうなんだよ聞いて! あいつネジ婚詐欺師だったの!」  始業時間一五分前の、いつもと同じ朝の風景。ただ一点異なっている箇所があるとすれば、同僚の頭にサンマが刺さっていることだろうか。  ネジ婚詐欺に遭ったと絶叫している彼女を、うるさそうに眺めている上司。私へチラチラと向けられる視線からは、仲良いんだからお前が静かにさせろ、という意思が伝わってくる。 「もう! もう何なのあいつ! ほんっとに……もう……お腹いっぱい団栗食べて腹壊せっ!」 「まあまあ……後で話聞いてあげるからさ、仕事の準備しよ?」 「……約束だからね」  豊橋さんは静かになり、パソコンを立ち上げて始業準備を始めた。漸くサンマとの距離が離れて、気付かれないようにそっと息を吐き出す。朝から職場で生臭いのは勘弁してほしい。  昼休みになり、同僚を連れて休憩室へと移動する。サンマの刺さった彼女を周りの目からなるべく守って上げる為、パーテーションで仕切りも設置した。準備が整ったところで、早速本題を切り出した。 「さ、何でも聞くよ」 「ありがとう……あのね、あの男、ネジ婚詐欺師でね……取られちゃったんだ。私のネジ」  最近の若者の間では、結婚するのに指輪を交換するのはもう古い認識らしい。もっと人にとって大事な物……頭に文字通り刺さっているネジを交換して一生添い遂げる誓いを立てるというのが流行っているのだ。  そんな妙な流行に伴い、結婚詐欺の形も進化を遂げた。今の時代において騙し取られるのは金ではない。頭に刺さっているネジだ。このネジは人間の大事なパーツということで高値で取引されるらしい。臓器を取り出すよりもリスクが少なく、しかも高額とくれば狙わない道理もないだろう。  挙式までは普通に進んでいき、指輪の代わりに互いのネジ交換する時まで尻尾を出すことはないからなかなか気付くこともできない。自分のネジを自分で外さないというシステムにも問題はあるだろう。相手に無防備に己の大事なネジを晒すんだから、それは取られても仕方がないと思う。 「それでね。家に帰る途中……ふらふらーってしちゃって、代わりに何か刺さなきゃなーとは思ってたんだけど」 「うん」 「通りかかった魚屋でサンマが安くなっててね……」 「刺しちゃったの?」 「店のおじさんが、今旬だよ! て言ってたし……細いし……まあいいかなって」 「そっかー」  頭のネジが抜けてしまうと、思考能力が低下してしまうらしい。つまり馬鹿になるのだ。他の物をさして穴を埋めておけば多少はマシになると聞くが、この様子を見る限りは嘘っぱちではないだろうか。 「んー……とりあえずさ、サンマはやめとかない?」 「やっぱり生臭い……?」  自覚があったらしい。本人も生臭さを感じているのだろうか。私は鞄から取り出した物を彼女に差し出した。 「ほら、これとかどうかな? 今朝収穫したばっかりなんだ」  私が差し出した物をみて、彼女は一瞬驚いた後、嬉しそうに笑ってくれた。 「これ、あなたに実ったやつ?」 「そうそう。私とお揃いっぽくなっちゃうけど……」 「ありがと! どうかな? 似合う?」  豊橋さんの頭には、サンマの代わりに、私の頭に刺さった木から収穫したバナナが収まっていた。  艶やかな黒髪に、鮮やかな黄色がよく映えていた。
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作者:周雨
2026/10/06 • 👁 31回 • 💬 0件
コメディ・日常
1446文字 約3分で読了

絹ごし豆腐の角で頭を打ってご臨終する話

「はっ、はっ……うわっ!」  上も下も右も左も、全てが真っ白い空の中で、私は必死に走っていた。途中で足がもつれて転ぶことが既に何度か起きてはいるが、すぐに体制を立て直してまた走り 出す。  後ろを振り返ればあいつが迫っているかもしれない。  白の中に僅か一滴だけ黄色の絵の具を混ぜた様な色をして、つるりと滑らかな表面が美しい四角形の―― 「絹ごし豆腐に! 襲われたのっ!」 「大晦日に浮かれて机の角にでも頭ぶつけてきたの?」 「そーじゃーな、く、てー! 夢の中でほんっとに襲われたんだって! 絹ごし豆腐に!」 「大体なんで絹ごし豆腐だって断言できんのさ。もし発泡スチロールと間違えたとかだったらアンタ、大豆の神様に呪われるよ」 「お母さんは自分の娘が発泡スチロールと絹ごし豆腐の違いもわからないような女だと思ってるのっ?」  あの色。あの表面の質感。私が夢で追いかけられていたのは、紛れもなく絹ごし豆腐だ。  高野豆腐や木綿豆腐は、あんな美術品の様なビジュアルをしていないから間違いない。 「別にそこまでは思ってないけど……まあ、年の瀬だし? 何かの暗示と思って気をつけなさい」  母の視線に温もりがまるで感じられない。とはいえ、母の言う通り、気を付けているに越したことはないだろう。 「あ、そうだお母さん。今日大晦日だし、この前買ったアイス開けてもいいでしょ?」 「大晦日は関係ないでしょ……もう時間も遅いんだし、食べすぎないようにね」  後半のお小言はスルーして、冷凍庫の扉を勢いよく開け放つ。アイスの箱に手を掛けた時、頭上でガタッ、と何かが動く音がした。  一秒も間を開けず、頭部に硬い衝撃。床に倒れ込む体を支えたいけれど、腕に力が入らない。かろうじて動く瞼を待ちあげると、視界の中に四角い物が目に入った。  この色、この質感、これは……絹ごし豆腐だ。  考えている間に、目の前の景色が変化していく。白と黒で彩られた部屋、黒い服を着た人々、そして聞こえてくるお経。もしかして、お葬式?  でも、誰の?  どんどん変化していく現実とは思えない光景に、頭が追いつくことを拒否している。そもそも私は、一体どんなポジションで今この状況を見ているのだろう?  何だか全体を俯瞰して見ている感じがする。視覚の情報は遮断することにしよう。  混乱から抜け出せない私の耳に、今度はひそひそ話が聞こえてきた。 「ここの娘さん、冷凍した絹ごし豆腐で頭打って亡くなったらしいですよ」 「そうなの? 『豆腐の角に頭ぶつけて死ぬ』なんて現実であるのねー。絶対嫌だわそんな間抜けな死に方」  間抜け……間抜けだと……?  このご婦人、絹ごし豆腐の秘めたる殺傷能力をご存知ないらしい。私も体験するまで知らなかったけど。だったら…… 「同じ目にあわせてやろうかーっ! ……あ、れ? 生きてる?」  思い切り叫んで、閉じていた視界を再び開く。開いた先には……いつもの私の部屋が広がっていた。  ちゃんと体温は生きている人間のそれで、脈も正常に打っている。どうやら、全て夢だったらしい。  ほっと息をついて枕元に目を向け、再び絶叫。靴下に突っ込まれた絹ごし豆腐のパックがある。 「きっ、ききき絹ごし豆腐! なんで! あるの!」 「朝からうるさいんだけど。あんた自分でクリスマスプレゼントに欲しがったんでしょ絹ごし豆腐」 「クリスマス……? 今日大晦日じゃなかったっけ?」 「寝ぼけ過ぎでしょ。今日は二五日。メリークリスマス」  いくら何でも、クリスマスプレゼントに絹ごし豆腐を欲しがった記憶は思い当たらない。果たして、今もまだ私は夢の中にいるのだろうか。
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作者:周雨
2026/10/06 • 👁 47回 • 💬 0件
児童文学
407文字 約1分で読了

カエルと神さま

 田んぼのそばのあぜ道に小さなほこらが一つ、ありました。 5月のあるはれた日に カエルの子どもが田んぼから上がってきました。 やっとオタマジャクシからカエルになったのです。 カエルの子どもは、ほこらのそばで黒いモヤがかかった虫を見つけました。  パクリ! もぐもぐ。 そのようすを見て、ほこらから声がします。 「たすかるのぉ。あれはわるい『あくりょう』だったのじゃ」 カエルの子どもは、ほこらの方を見ました。 ほこらにすんでいる神さまのこえでした。 「ときどき、虫のすがたにばけて『あくりょう』がやってくるのじゃ。『あくりょう』はわるいできごとをもってくる」 「そうなの?」 「そうじゃ。じゃから、『あくりょう』を食べてくれてありがとう」 神さまにおれいをいわれて、ちょっとうれしくなったカエルの子どもはケロケロとなきました。 そしてぴょーんと、とんではれた田んぼのあぜみちで歌を歌ったのでした。 今日も 田んぼのあぜ道ではカエルたちの歌がひびきます。
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作者:しとえ
2026/10/06 • 👁 47回 • 💬 0件
SF・ファンタジー
140文字 約1分で読了

ある村娘の困りごと

あたしは快食快眠働き者が自慢の村娘。だけど最近は変な夢見で眠りが浅い。夢の中で誰かに会って、体がぽわぽわふわっとした心地になる。神官様に相談したら、血相変えて「夢魔に魅入られている」だって。今度お祓いするらしい。でも、悪さをされているのかしら。だってその人、後光が差してるんだよ?
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作者:有賀慧
2026/10/06 • 👁 41回 • 💬 0件
コメディ・日常
2442文字 約5分で読了

半丁、承ります

水の辻の朝は、豆の湯気から始まる。 午前三時、美波は店の電気をつけて、前の晩から水に浸けておいた大豆を石臼のそばへ運ぶ。 水を吸った豆は、指で押すと少しだけやわらかい。冷たい水に両手を入れると、眠気が指先から抜けていった。 町のあちこちに湧き水の井戸があって、この「十川豆腐店」も裏庭の井戸から水を引いている。冷たくて、舌に当てると少し甘い。父はこの水があるから豆腐がうまいのだと言い続けてきた。 美波は町の外で働いていたが、豆腐づくりそのものは知らない仕事ではなかった。 子どもの頃から、休みの日には父に起こされ、大豆を洗い、型を運び、おからを袋に詰めた。高校を卒業する頃には、一通りの仕込みを手伝えるようになっていた。それでも、父の仕事を継ぐつもりはなかった。 町の外へ出て、別の仕事をして、たまに帰れば店の匂いを懐かしいと思う。そのくらいの距離でいいと思っていた。 去年の春、父が腰を悪くした。 すぐに店を離れたわけではない。美波が帰ってきてからしばらくのあいだ、父は作業場の一角に置いた椅子に腰かけ、口だけを動かした。 「豆乳を見るな。櫂に返ってくる重さを見ろ」 「それじゃ分かんないよ」 「分かるようになる」 そんなやり取りを何度も繰り返した。 そして夏の終わり、父はとうとう包丁を美波に譲った。 二十九歳で店主になったことを、町の人たちは何も言わずに受け入れてくれた。 ただ、誰も「大変ね」とは言わない。 かわりに、朝いちばんに買いに来る。 豆をすり、煮る。 大豆の青い匂いが熱を含むにつれて甘くなり、作業場に白い蒸気が満ちていく。 絞った豆乳ににがりを打つ。 この瞬間だけは、店主になった今でも少し緊張する。 豆乳の温度も、その日の大豆も、昨日とまったく同じではない。 柄杓から落ちるにがりを目で追い、櫂をゆっくり動かす。 白い液体の中に、雲のような固まりが浮かび始めた。 父なら、櫂を一度入れただけで分かったような顔をした。 美波には、まだそこまでの勘はない。 それでも、今日はうまくいった。 六時、シャッターを半分上げると、いつもの声がした。 「おはよう。今日の一丁、ちょうだい」 藤野さんだった。 八十を過ぎていて、毎朝六時十分に、杖をついてやって来る。木綿を一丁と、油揚げを一枚。美波が店に立つ前から、ずっとそうだと聞いている。 「はい、一丁です」 水槽から豆腐をすくう。 朝いちばんの木綿豆腐は、まだ少しぬくもりを残している。 水を張ったパックに入れて渡しながら、美波は、前の晩に父と話したことを思い出した。 藤野さんのご主人が亡くなって、もう二年になる。 「藤野さん、豆腐、毎日一丁で足ります?」 「足りるわよ。足りるっていうか」 藤野さんは受け取ったパックを両手で持ち上げて、少し困ったように笑った。 「足りすぎるの。夜まで残っちゃって、明日の朝は冷奴、昼は味噌汁、夜も冷奴。それでも食べきれない日があってね。でも、やめるのもなんだか違うでしょう。この朝の買い物がなくなったら、私、一日の始まり方を忘れちゃいそうで」 美波は、手を止めた。 十川豆腐店の豆腐は、昔から一丁で売っている。 父の代も、その前も。 それが当たり前だった。 「藤野さん」 「なあに」 「あの、半分の大きさって、いります?」 「半分?」 「半丁。切ってお渡しできます。値段も半分で」 藤野さんの目が、丸くなった。 「そんなことしていいの?」 美波は一瞬、作業場の奥を見た。 そこに父がいるような気がした。 豆腐の固さを確かめ、包丁の置き方にまで口を出す父の姿が。 けれど、いま店に立っているのは自分だった。 「いいも悪いも、うちの店ですから」 そう答えてから、美波は自分の言葉がおかしくて、小さく笑った。 藤野さんも、ふふ、と喉の奥で笑った。 「じゃあ、半丁。お願いするわ」 美波は一丁の豆腐をまな板に載せた。 水で濡らした包丁を当て、すっと真下に落とす。 やわらかな抵抗が一度だけ刃に伝わり、白い断面が現れた。切り口から、透き通った水がほんの少しにじむ。 その感触は、父から教わった通りだった。 半分を小さなパックに入れ、水を張って、手渡す。 藤野さんは軽くなったパックを、いつもよりしっかり握って、頭を下げた。 「毎朝、半丁、買いに来てもいいかしら」 「毎朝、お待ちしてます」  * その日から、藤野さんは半丁を買っていくようになった。 三日目には、隣の八百屋のおばあさんが「うちもひとり分でね」とやって来た。 一週間後には、小学校の前の駄菓子屋の夫婦が「夫婦ふたりでも一丁は多いのよ」と半丁を求めて並んだ。 美波は看板の裏に、父の字を真似てこう書いた。 〈半丁、承ります〉 父から手ほどきを受けた字ではない。 けれど、太い線の運びを思い出しながら書いた。 十一月の終わりの朝、藤野さんが少し遅れてやって来た。 いつもより六分ほど遅い。 「寝坊したの。夢に主人が出てきてね」 「ご主人、なんて言ってました?」 「うまそうな豆腐だなって。何も話さないで、ただ食べてたわ」 藤野さんは、半丁のパックを胸の前で持った。 「あなたの豆腐、一丁のときより、ちゃんと味がするようになった」 「同じ豆腐ですよ」 「ええ、同じなの。でも、残さず食べられると、ちゃんとおいしいのよ」 藤野さんが帰ったあと、美波は湯気の残る作業場で、一人でおからを袋に詰めた。 絞ったばかりのおからは、見た目よりずっとあたたかい。 両手ですくうと、細かな粒が指のあいだからこぼれ、その熱が冷えた掌にじんわり残った。 父に電話しよう、と思った。 腰の調子を聞くついでに、一言だけ。 「看板に、半丁って足したからね」 きっと父は、ちょっと黙るだろう。 昔から一丁で売ってきた店だ。 豆腐の作り方なら、父のほうがずっとよく知っている。 水の見方も、にがりを打つタイミングも、櫂に返ってくる重さも。 でも、今朝、半丁に切ったのは美波だった。 きっと父は、しばらく黙ってから「そうか」と言う。 それでいい。 裏庭の井戸から、水の音がした。 作業場にはまだ大豆の匂いが残っている。 朝の光が、町の屋根の上でゆっくり広がっていく。
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作者:TakaTuki
2026/10/06 • 👁 71回 • 💬 0件
その他
185文字 約1分で読了

監視カメラ

 監視カメラに向かってピースをする。 どうせ僕の姿は写つりっこないし。カメラに落書きをしたりその辺にあったマネキンに落書きをしたり。どうせ誰も僕のことなんか見えないんだから。  僕は幽霊だ。  誰も僕の存在を知らない。 だからどんなことをしたって好き放題にしたって誰も気にしないんだ……と思っていたのに逮捕されちゃった。 誰も僕を見ないけど、僕はちゃんとまだ生きている人間だったらしい。
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作者:しとえ
2026/10/06 • 👁 66回 • 💬 2件
SF・ファンタジー
4675文字 約10分で読了

赤ずきん嬢、危機一髪

 (どうしよう。こんなことなら、『町』になんか来るんじゃなかった)  見知らぬ通りを方向感覚を頼りに必死に走る。  背後から揶揄するような声を上げながら男たちが追いかけてくる。  すれ違う人々は、彼女の窮地を目にすると、一様に目を逸らす。 「助けて!」  彼女の悲痛な叫びを聞きつけたのか。  衛兵らしき男が脇道から顔を出した。が、彼女が誰に追いかけられているのかを悟ると、憐れみの籠った一瞥を投げるだけ。素知らぬふりで近くの店舗へ。ぱたんと扉を閉めてしまう。  何てこと!  治安がなってないってことは聞いていたけど。 (お母さまの言いつけを守って、用事を済ませたらすぐに帰ればよかった。余計な事なんかしなきゃよかった。もうすぐ日が暮れてしまう。どうすればいいのかしら?)  華奢な身体に不似合いの大きなバスケットを抱え、真っ赤なマントを翻しながら、彼女は宵闇の町をひたすら走っていた。 *  *  *  *  *  彼女が生まれ育ったのは、森の奥地にひっそりと築かれた、訪れる人もないような隠れ里。  ここ何世代もの間、一族はひっそりと人知れず自給自足の生活を送っている。手に入らない必需品のみ、近くを通りかかる隊商から物々交換で手に入れて。  今年は冷夏で秋の実りが少なく、一族が棲む森の恵みもごくわずか。この冬をどうやって越せばいいのか悩んでいたところに、最年長の祖母が病に倒れた。  食べ物にも事欠く日々。  祖母の容態は悪くなる一方だった。  見かねた誰かが、大きな町に行けば薬草が手に入るかもしれないと言い出し、若く可愛らしい彼女が『町』に買い物に行くことを申し出たのだが。    初めて訪れた『人がたくさん住む町』。  見たことがないほど多くの人。子どもや女たち。そこら中に漂う美味しそうな匂い。  町で一番人通りが多い場所は『市場』と呼ばれ、様々な物を扱う店でにぎわっていた。少なくとも、彼女の目にはにぎわっているように見えた。  彼女の住処に比べれば、ここは多くのものや『食べ物』に溢れている。 「おーい、そこのお嬢さん、この串焼き食べてみないか?塩漬け肉を戻して焼いたもんだが、まあまあの味だぜ。安くしとくからさ」  ぐうぐう鳴るお腹を宥めながら歩いていると、出店の店主が景気良く声をかけた。 「串焼き?塩漬け肉の?」  小首を傾げて考え込む彼女に、店主はすまなそうに言った。 「ここんとこ異常天候でさ、家畜がいかれちまって。生肉が高くて、備蓄用の塩漬けくらいしか庶民には手に入らないのさ」  ほら、味見用、と差し出された小さな『串焼き』をしげしげと眺める。  妙な匂いがするが、とりあえず獣の肉なのは確かだ。ふうふう息をかけて冷ましてから、一口齧ってみる。思ったほど不味くはない。  お金はそれなりに与えられている。効果のあやしい薬草だけじゃなく、問題がなさそうな食べ物を買って帰ればいいのでは? (そうよ。滋養に富むものを口にできれば、おばあ様の体調はきっとよくなるわ)  手にしたメモを参考に薬草屋台で薬草をいくつか買うと、彼女は残ったお金でそこらで売っている『食べ物』を買いまくった。  様々な類の串焼き、干し肉や塩漬け肉、卵やカモ肉の燻製まで。最後まで持ち運ぶ自信がないので生肉は止めておく。  彼女は、慣れぬ場所でたった一人、懸命に見よう見まねで、持っていたお金すべてを使って買い物をした。  たぶん、それがいけなかったのだろう。  気が付いたときには、辺りは昏く、周囲の人だかりもウソのように消えていて。  いかにも柄の悪そうな男たちに囲まれていた。 「おい、そこの赤いずきんを被った女、えらく羽振りがよいようだな。どこから来た?」  脂の乗り切った体つきのでっぷりと太った男が立ち尽くす彼女に言った。  男たちの一人にずきんを払いのけられ、彼女の素顔があらわになる。  ふわふわとした柔らかそうな赤みがかった巻き毛。長いまつ毛に縁どられた淡い茶色の瞳にピンクのふっくらとした唇。  おびえたように身をすくめる様は、男たちの嗜虐心を妙にそそった。 「こりゃ、驚いた。上玉じゃないか」  しばしの沈黙の後、傍らの男の一人がため息交じりに呟くのが聞こえた。  情欲を帯びた、舐めるような不躾な視線に晒されて、彼女は顔を伏せて身を震わせた。  最初に声をかけてきた主らしき男が下卑た笑みを満面に浮かべた。 「気にいった。娘、お前、私の屋敷に来い!私はこの町の代官だ。言うことをきけば、いい思いをさせてやるぞ」  肥えきった頬がプルンと震え、脂ぎった丸々とした腕が、彼女の方に伸ばされた。  酒臭い息。饐えたような男の体臭が鼻につく。  だめよ。ここじゃ、まずいわ。逃げなきゃ。  一瞬の逡巡の末、ごくりと唾を飲みこむと、彼女は男たちにくるりと背を向けた。 「逃がすな!」  男たちと彼女の追いかけっこが始まった。 *  *  *  *  *  走って、走って、走って。  ようやく町の出口に差し掛かったそのとき声がした。 「ここまでだ。あきらめな」  数人の男たちが目の前に立ちふさがった。  どうやら先回りされたらしい。 「代官様がお待ちだ。あのお方はああ見えて、気前のいい方だ。少し我慢すれば、贅沢だってできる。このご時世、悪い話じゃないだろ?」  一番大きな男がこぶしを鳴らしながら、にやりとした。 「そう怯えるなよ。俺たちも後で可愛がってやるからさ」  無駄なく筋肉がついた男の腕が彼女の華奢な肩をがっちりと捕らえた。 「ほら、観念して、こっちへ来な」  彼女はちらりと空を見上げた。  どんよりと曇った夜空に月はまだ見えない。  帰らなくちゃ。月が昇る前に早く。そのためには・・・ 「おまえたち、そこで何をしている?」  覚悟を決めた彼女の耳に、静かな、だが威圧的な男の声が響いた。 *  *  *  *  *  街灯の明りが照らし出す男の姿に、彼女は直前の決意も忘れて、目を見張った。  襟元を覆うくらいの艶やかな黒髪。やや吊り上がったアーモンド形の漆黒の瞳。すっと通った鼻筋に魅惑的な弧を描く赤い唇。  威厳に満ちた雰囲気から考えて、そう若くはないだろうが、壮年には程遠そうだ。  こういう美貌を人間離れしていると人は呼ぶのだろう。きっと。  ただ話しかけているだけなのに、その仕草は洗練され、気品に満ちている。 (上位貴族なんじゃないかしら?王都に住んでいるという特権階級の?剣は持ってないようだから、『騎士』ではなさそう)  真っ黒な服と黒いマントは、彩がなくても見るからに上等そうだ。  悪党たちを冷たく睥睨して、その紳士は彼女に優しげな笑みを向けた。 「この男たちはあなたに用があるようですが、あなたはどうです?」  問いかけられて、おずおずと首を振る。  男は彼女を背に庇うように、前に踏み出し、一言「去れ!」と命じた。  途端におとなしくなり、すごすごと戻っていくならず者たち。  その聞き分けの良さをちょっと不思議に感じながらも、彼女はほっと息を吐いた。 *  *  *  *  *  森の近くの村へ帰るのだと告げると、黒衣の男は、親切にも馬車で送ってあげようと言ってくれ、彼女を町のすぐ外側に停車した馬車まで案内してくれた。 「危ないところをありがとうございました。馬車にまで乗せてくださるなんて。ご親切ありがとうございます。ご迷惑でなければいいのですが」  よく手入れされた手につかまって、生まれて初めてのエスコートで馬車に乗る。  バスケットを預かってくれた御者は一瞬、怪訝な顔をしたが、結局、何も言わなかった。  向かいに腰を下ろした男が鷹揚に言った。 「大したことではない。礼を言う必要はありませんよ」  なおも礼を言おうとする彼女を、男が軽く手を上げて押しとどめる。にっこりとほほ笑みかけて 「たまたま通りかかった場所で、あなたのような可愛らしいお嬢さんに巡り会えるなんて。私の方こそお礼を言いたいくらいです」  ずきんの中のほんのりと染まった顔を覗き込む。 「ご存じなかったのでしょうが、最近、この界隈は物騒でしてね。若い女性が夜な夜な姿を消す事件が続出しているのです」  全然知りませんでした、と呟く彼女に頷いてみせる。 「最近は、夜間、村や町の外に出る女性はほとんどいません。日が暮れると、みんな家に閉じこもってしまう。仕方なく、馬車で一帯を徘徊していたのですが・・・私は今夜、ついているようだ。あなたに会えて本当にうれしいのです」 「あのお、お貴族様」 「私のことは、そうですね、『伯爵』とお呼びください、赤いずきんの可愛いお嬢さん」 「伯爵さまは、どうして、夜、このような場所にいらしたんですか?御者一人だけをお供に?護衛一人連れていらっしゃらないようですが」  怪訝そうに尋ねた彼女に、『伯爵』は下を向くと、肩を震わせて笑いだした。 「伯爵さま?あの、どうかされました、伯爵さま?」  ややしばし笑い続け後、『伯爵』はようやく顔を上げた。 「これは失礼を。久しぶりに上等な食事ができそうで、嬉しくて思わず笑みが」  形の良い赤い唇の両端には鋭利な巨大な『歯』が覗いていた。  真っ黒な瞳は、白目の部分までもが鮮血の赤に変わっていた。 「まさか、あなたは」  呆然と目を見開く娘に、『侯爵』は答えた。 「我は夜の気高き貴族、夜の覇者、吸血鬼。さあ、娘よ、お前の香しい血を味わわせておくれ」  甘く囁くと、少女のずきんを優しく脱がす。頬をなぞった指がその白い首筋にそっと愛戯するように触れた。   *  *  *  *  * (吸血鬼?吸血鬼ですって!?まさか、まだ存在したなんて・・・)  首筋を撫でる死人のように冷たい手。赤い瞳に浮かぶ、隠しきれない獰猛な飢え。人にはあり得ない、鋭くとがった大きな犬歯。  何てことだろう!こんなところで吸血鬼に会うなんて。 「おばあ様が死にかけているんです」  ぽつりとこぼれた言葉に、今にも首筋に歯を立てようとしていた吸血鬼の動きが止まった。 「あなたに会えて本当によかった。これで、おばあ様を助けることができる」  目の前の少女の頬に涙が一筋、二筋としたたり落ちていた。  雲間から月が顔を出したのか。  馬車の窓から差し込む月光が、泣きながら笑うまだ幼さの残る顔を照らす。 「吸血鬼の肝は万能薬。その肉は何よりも美味しく滋養に富む。あなた方吸血鬼は心臓に杭を打ち込まれない限り、日光に当たらない限り、絶対に死なない。私たち《人狼族》》にとって、どれほど食べても永遠に尽きない糧、夢の御馳走。何という幸運でしょう!朝日が昇れば血痕一つ残らない、素敵な『獲物』を見つけられるなんて」  微笑む口元が耳まで裂けた。琥珀色の虹彩が獣のものに代わり、金色に光る。愛らしい顔が見る間に獣顔に代わり、膨れ上がった体躯に服が弾け、赤いコートが宙に飛んだ。  毛むくじゃらの腕が『伯爵』の喉を一撃で潰し、腕を、足を掴むと、無造作に捩じり取った。 *  *  *  *  *  朝になって、商用で町に向かう商人が、無残に破壊され、放置された馬車をみつけた。  貴族のものではないかと思われる豪華な馬車の残骸。付近に人影はなく、馬も見当たらない。  いったい何があったのだろうか?  おそるおそる中を覗き込んで見つけたのは、赤いずきんとマント、千切れた女ものの服一式だけ。  商人が持ち帰った見覚えがある赤いずきんに、町の住人達は、代官の手下に追われて町を出た『可憐な少女』のことを思い出した。  少女の身に何が起こったのかはわからなかった。けれど、このありさまでは、彼女はすでに生きてはいないだろう。  少女の悲惨な運命に思いを馳せ、自分たちの非道な仕打ちを反省した町の住人。  彼らは、名も知らぬ少女の冥福を祈って、教会の墓地に彼女の残した服の切れ端を埋めて墓を作った。  その碑に刻まれた言葉は ~ 神よ、どうか我らが罪を許したまえ。赤いずきんの少女の無垢な魂に永久の安息を与えたまえ~                            The End  
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作者:HarukaR
2026/10/06 • 👁 39回 • 💬 0件