SF・ファンタジー
月夜の人魚
1,115文字
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月の綺麗な夜だった。
私は一人、海辺を歩いていた。
夜の海というのは恐ろしい。
黒い波がどこまでも高く、昼間とは全く違った顔を見せる。
黒々とした海水はその下に異界が広がっているようで得体が知れない。波の音もまた大きく、空に響いているようだ。
だが今宵は満月。
月明かりは波に反射し、小さな金の船が無数に海を覆っているかのようだった。
沈んだ夜の底の金の波。
波の音は聞こえては来るが穏やかで、遠くの汽笛の音を私の元まで運んできてくれる。
月明かりは砂浜に落ちて、私の足跡を白く映し出している。
はるか遠くに見える一列に並んだ街の灯り。
あそこには 私の知らぬ人たちの日々の営みがあるのだろう。
誰かの家族がいて笑い声が聞こえて、幸福な日常がそこにあるのだ。
夜風が髪を乱す。
ボーッと、汽笛の音がする。
ふと、海面で何か大きなものがはねたのが見えた。
魚だろうか、それにしては大きい。
イルカだろうか、こんな沖にやってきたという話は聞いたことがない。
……人魚だ。
そう私は思った。
海で死んだ人間が人魚になって飛び跳ねているのだ。
そう思ったのだ。そんなことはないと人に話せば否定されるかもしれないが、私は直感的に波の間で飛び跳ねたのは人魚だと思った。
死んだ人間が人魚になって沖に帰ってきたのだ。
私は想像した。
『必ず帰ってくる』そう残された人たちに言い残して沈んだ船の人たちは、やがて海の底で人魚になるのだ。
魚の姿になって泳いでもやはり人であったことを忘れることができず、人でも魚でもない姿になって海の底で泳いでいるのだ。
そして沖までやってきて、街の灯りを眺める。
魚である体は海から出ることができず、ただ海から眺めていることしかできない。
こんな綺麗な月の晩はたくさんの人魚たちが沖にやってくるのだ。愛しい相手のことを思いながら。
『俺はここにいる』
そう言いながら、金の波から顔を出し海面にその姿を現す。
『必ず帰ってくる』
そう言って旅立つものは大勢いるのだろう。
いいや口にしなくとも、心の中で唱えるだけできっとこれは呪いの言葉だ。愛しいもののところに帰ってくるために、人ならぬものに身を変えて、この世界に帰ってくるのだ。
波間からたくさんの銀色に跳ねる何かが見えた。
月夜の静かな夜に、たくさんの人魚たちが飛び跳ねているのだ。
遠くの汽笛の音がする。
夜と海の間を駆け抜ける風の音がする。
……いいや、あれは人魚の歌声だ。
耳を貸してはいけない。
自分のところに相手を呼ぼうと歌う人魚の声なのだ。
私はいなくなってしまった愛しい人のことを考えていた。
人魚になって私を呼んでいるのかもしれない。
『まだ、そちらに行くわけにはいかないよ』
心の中で一言そう告げて、私は海を後にした。
後にはただ静寂。
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