SF・ファンタジー
寿命を呑む酒の話
2,899文字
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先日叔父が急死した。
血管も見えないくらいだった腕は骨の輪郭が分かるまで痩せ細り、僅か一週間で、文字通り別人と呼ぶべきレベルまで変貌を遂げていったのだ。
息を引き取る三時間前。食器を下げに来た私を捕まえて、叔父はこんな話を語ってみせた。
「僕は多分、もうあと少しで死ぬだろうな。でもね、後悔はしてないんだよ。最後に美味い酒をたらふく呑めたからね」
「え、もしかして叔父さん酒の飲み過ぎでこんなになってんの?」
私が今までテレビや雑誌で得た知識と照らし合わせてみたところ、アルコールの過剰摂取による症状は、今の叔父のそれとはどう頑張っても結びつかない気がする。それとも、まだまだ私の知らない人体の神秘なるものが眠っているのだろうか。
叔父の方に目を向けてみれば、私が考え込む様子を見て、口元だけで楽しそうに笑っている。以前のように豪快に声を上げながら体をくの字にする笑い方は、今の状態では恐らくもうできないのだろう。
「[[rb:昴 > すばる]]。お前は僕の次によく酒を呑むから、多分お前のところにも来るんだろうなぁ」
「来るって何が?」
「死神」
「あー。あんまりがぶがぶ飲んでると、叔父さんみたいにお迎えが早く来るってことね。肝臓によく言い聞かせとくよ」
それは確かに、叔父の様な派手な呑み方を繰り返していれば体も早々に白旗を上げてしまうことだろう。あくまでも、酒に関することで言えば、叔父は手本ではなく悪い例として見るべきだ。
「そうじゃないよ……いや、別にそれも間違ってはいないんだけどなぁ、その答えなら八〇点くらいかな」
高いと言えば高いが、些か微妙な点数だ。足りない二〇点は果たして、何だというのか。素直に聞くのもなんだか悔しくて、叔父さんに視線だけをじっ……と送ってみる。無意識の内に目を細めていたらしい。
「僕はね、死に神に会ったんだよ。この世の何処を探しても見つからないような、旨い酒を呑ませてもらったんだ」
可哀想な人だ。きっと過剰に摂取され過ぎたアルコールのせいで幻覚でも見えたのだろう。わざわざ否定するのも酷だろうと判断し、適当に相槌を打ちながら叔父に背を向けた。
「昴」
「なに?」
名前を呼ばれ、振り返ることはせず足だけを止める。私の背中に、叔父は最後の言葉をそっと残した。
「信じなくてもいい。死神はもしかしたらお前のところには来ないかもしれない。でももし来た時、酒を呑むかはお前次第だよ。よく考えて決めるといい」
次に部屋を訪れた時、叔父はもう息をしていなかった。
お通夜や告別式の準備は慌ただしく進んでいき、なかなか涙を流す暇も見つけられなかった。何もかも全てが終わり、やっと一息つけると見上げた空には、大きな月が青白い顔をこちらに向けている。
「叔父さん、今日の月キレイだよ。これは月見酒しないと勿体ないよね」
台所からグラスと一升瓶を持ち出し、縁側にゆっくりと腰を下ろす。家族は皆疲れて寝てしまっている為、できるだけ音を立てないように細心の注意を払った。
「かんぱーい」
誰もいない空中へ向けて、小さく呟いた。返事なんてある筈がないし、もしあったらそれはホラー展開だろう。
「おう、乾杯!」
……返事なんてあってはいけないのだ。だって、私以外は皆寝ている筈だし。だって、ここは私の家の敷地内だし。
現実を受け入れたくなくてひたすら納得のいく理由を考えていると、持っているグラスに何かがぶつかる音がした。私の頭よりも高い位置から、再び誰かの声が聞えてくる。
「ほらお嬢さん。乾杯だ!」
「ひっ」
誰もいるわけがない。幻聴だ。きっと酔いが回っているせいだ。心の中で何度も何度も繰り返したが、声は三度、頭上から降ってくる。
「お嬢さん、ノリが悪いぞぉ。折角のキレイな月と旨い酒なんだ。楽しくやろうじゃないか」
耳に届く声の調子は楽しげだ。怯えてばかりの私の態度に、気を悪くした様子はないようだ。意を決して、ゆっくりと顔を上に向けてみる。そこにいたのは、夜の闇を取り込んでしまった様な、大きくて真っ黒な影。よく見ればそれは、人の形をしている。背中だ。顔を上に傾けていく。視界を占める月の割合が大きくなっていくにつれて、段々と人影の後頭部も見えてくる。後ろで一つに束ねられた黒髪の下には、月明かりで薄っすらと照らされた浅黒い肌が見え隠れしている。私の視線に気が付いたのか、人影は黒い尻尾を揺らしながらこちらを振り向いた。
「ん? どうかしたかお嬢さん? もしかして酒が足りないのか?」
「え? いや、違いま……す……」
言葉を続けられない。どう見たって家族の誰かではないし、ご近所さんにもこんな大男はいない。となるとやはり……——
「あ、ああ空き巣っ!」
慌てて逃げ出そうと後ろを向いた私の頭が、ガシリと鷲掴みされた。そのまま身体ごと向きをくるりと変えられる。
「空き巣じゃぁないから落ち着け。俺は死神だ」
「死……神……?」
自称死神の男は[[rb:五八 > ごはち]]と名乗った。死神は抱えている大きな酒樽から直接酒を呑み、表面に書かれた名前を愛おしそうに撫でてみせた。
「これはこの世のものではない酒でな、そりゃあもう最高にうまくてなぁ……酒呑みはみーんな手を出したくなっちまうんだ。……だが、ワシらのような死神ならともかく、生きてる人間が飲むと寿命を吸い取っちまう。駄目だと解っていてもどんどん飲んで、最後には命を呑み尽くして死んじまうんだ。故に【[[rb:消虫 > しょうちゅう]]】と呼ばれている」
「消虫……」
死神の話を聞いて、叔父の最後の言葉を思い出した。叔父は言っていた、死神が来たと。とんでもなく旨い酒を呑ませてもらったと。記憶を辿っている私のことなど気にせず、死神は話を続ける。
「ワシが見えるってことはお嬢さん、アンタも相当な酒吞みだろう。興味があるのはわかるが、まだ若いんだ。やめといたほうがいい」
ほんの少しだけ躊躇した。でも、死神が言うように私も相当な酒吞みだ。叔父に言われたように、よく考えて……
「五八さん、ここに注いで下さい」
先程まで入っていた焼酎は飲み干して、空になったグラスを突き出す。呆れた顔をしながらも、死神は酒樽を傾けてくれた。
グラスを鼻に近付ければ、密の様な甘い香りを感じ取れる。喉に流し込んだ酒は喉を焼くかと思うほど熱く、かと思えばすっと余韻を残して消えてしまった。残っているのは、取り残されてしまったような、なんだか寂しい感覚だけ。
今なら叔父さんの気持ちが解る。こんな酒、たとえ一口でも呑んでしまったらもう後戻りなんてできっこない。視線を手元に落としてグラスを確認した。注がれた分はもう残っていない。
「五八さん……」
「仕方のないお嬢さんだ」
そっと、グラスを持つ手を死神に近付ける。それだけで察せられてしまう。もう一杯……あと一杯……暮らしを口へ運ぶ手が止められない。
やっと手が止められた頃には、私の視界は天を向いていた。もう、指先さえ動かすのが億劫だ。
「やっぱりこうなるか。それじゃあ行くとするか」
死神に手を引かれ、横たわる己の体を見下ろしながら、私は消虫を呑みに行った。
叔父さんにもまた会えたら、二人で消虫を呑むのも悪くない。
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死神のキャラクターがとても心惹かれました。