月の音は、水面を揺らす足音だ。気配は薄く、しかし確かな知性と冷静さを兼ね備えたその音は、鋭利な刃物のようにキッチリと研ぎ澄まされている。その音に胸を刺される度、恍惚とした感情が芽生える。
太陽の音は、草原を軽やかに舞うステップだ。柔らかで優しいその足取りが耳に入ると、不思議と聞き手であるこちらの心が温かくなる。
月の音の冷静さと、太陽の音の眩しさ。どちらにも独自の個性があり、太陽の音を聞けば月の音が恋しくなり、月の音を聞いていると太陽の音も聞きたくなる。
それぞれの音が交互に大地を照らす度に、「この二つの音が交わったら」とあくる日を想像した。
生きたい。月と太陽の音をまだ聞いていたい。いつかを夢見て息をせねばと、詰まりの酷い鼻を鳴らした。
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今夜は織姫は彦星と会えないだろうか……
一年前留学した彼と会うために、私は商店街の七夕の笹の下でまっていた。アーケードの外はザーザー降りの雨である。
「一年間かぁ、長いね」
「うん」
「でも夢だったんでしょ?絶対に諦めないで行ってよ?」
「ありがとう」
「ふふふ。私たち、織姫と彦星みたいね」
「確かに」
ふと、一年前の会話を思い出した。
けれど実際の 織姫と彦星、つまり琴座のベガとアルタイルだが一年どころの話ではない。
――十五光年。
それほどの距離があるのだ。
光のスピードでその距離なのだから、実際に会えるとしたら一体何千年何万年かかるのだろう……
もちろん星は動かないけれど。
銀河系を挟んで輝く夜空の星に物語を描いた昔の人々は、もちろんその距離を知るよしもない。
私たちは一年経てば再会できるのだ。
それでもその時間というのは一千万年後年彼方の星より遠く感じた。
去年一緒に短冊を書いたことを思い出す。
一年後の自分たちのことを想って。
笹の横には短冊のテーブルが置いてあり誰でも自由に願い事をかける。
私はそれを手に取った。
真ん中に小さく願い事を書いて、そっと笹に結びつける。
「何を書いたの?」
「ヒ・ミ・ツ」
一年経った君は一年前と少しも変わらず……
ううん、去年よりも少し大人びいたような気がする。
織姫と彦星のように私たちは再び巡りあったのだ。
運命の星と星の間(あわい)にて。
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静寂に沈む 無限の闇を渡り
揺らめく星の残響が 時を超えて響く
答えを持たぬまま 探し続ける影
その足跡さえ 光に溶けて消える
遠ざかるものと 迫りくるものが
ひとつの呼吸で 結び直されてゆく
虚無の深さに 心が震えても
まだ見ぬ夜明けを 信じて進む
果てに待つのは
終わりではなく
始まりの証
無音の宇宙が 囁く未来
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僕が宇宙を好きになった理由を誰かに尋ねられるたび、口をついて出る明確な答えはない。ただ、ずっと昔から、夜空を見上げるたびに胸の奥が静かにざわついた。
そのざわめきは不安ではなく、遠くの誰かに呼ばれているような、名のつかない感情だった。
子どもの頃は、星の名前も距離も知らなかった。けれど、目に映る光の向こうに測れない時間
が流れていることだけは、分かった。
人間の時間とは別の、もっと大きな流れ。僕はその流れに触れるたび、心のどこかがほどけていくようだった。
宇宙がただの憧れから、僕の人生の方向になったのは、ある夜、眠れずに眺めていたYouTubeだった。
偶然再生された動画は、宇宙の果てについて語る番組。聞き慣れない単語が次々と飛んできた。暗黒物質、マゼラン雲、宇宙背景放射。だが不思議なことに、それらは難解であるはずなのに、僕の心の側に座り込んで、静かに語りかける。
画面の向こうで、誰かが語っている。分からないものを、それでも分かろうとする姿勢を。
その誠実さに、僕は心を奪われた。
それからというもの、宇宙に関する記事を追いかけるようになった。ニュースアプリを開けば最新の観測結果を読み、解説動画を見れば未知の現象を知る。新しい知識が増えるたび、宇宙がわずかに近づく気がした。
星は変わらないが、それを見る僕が変わる。
その連続が、僕にとっての成長だった。
創作を始めたのも、宇宙があったからだ。物語を書くとき、世界設定に迷うと、必ず宇宙の資料に立ち返る。惑星の気圧、衛星の軌道、恒星の寿命。検索窓に入れた言葉は、僕の迷いを遠くへ連れ去ってくれる。
創作は孤独かもしれない。けれど、調べるという行為の先には必ず誰かがいる。天文学者、研究者、動画で熱く語る解説者たち。彼らの思考の断片に触れると、自分ひとりでは到底届かない場所へ、少しだけ踏み込める気がする。
僕は一人で物語を紡いではいない。そこには先人たちの努力、閃き、そして好きが幾重にも交錯して僕の背中を押してくれている。
今でも夜空を見上げる。星座の名は結局ほとんど覚えられなかった。それでも、あの日YouTubeを開く前より、宇宙はたしかに近い。
宇宙が僕に与えた影響とは、分からないものの前で立ち止まらずに、一歩踏み出す勇気だ。
それは星の光より頼りなく、ときには消えそうになる。
けれど、その小さな勇気が積み重なって、僕の世界はゆっくりと、確かに広がっていった。
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繰り返します
至急すべてを受け入れなさい。
そんな声が
隣を通る救急車から
聞こえた気がした。
あなたと別れて
5キロ痩せた私。
受け入れたから
食べれなかった。
受け入れたから
眠れなかったと思ってたけど
受け入れてなかったのかも…。
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星座を作るように
会うごとに
あなたとの関係が
少しずつ
形になればいいのに
会うごとに
なぜか
星が
滲んで消えて
形にならなくて。
『星屑のあわい』より
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食事は「何を食べるか」より「誰と食べるか」が大事なんだよ。
誰かがそんなことを言っていた。
隣には同期きってのアイドルAさん。
仕事終わりにも関わらず、女性らしい香りが挙動の度振りまかれる。髪も肌も光沢を帯び、同じ人類とは思えない彼女は今、僕の20センチ隣に着いた。
向かいには主任のB。出来れば一生顔を合わせたくもないこの男は、残酷なことに僕の上司である。つまり二度と会いたくない人物と毎日顔を合わせている。
このガヤガヤとした場末の居酒屋も、Aさんと二人きりならどんなに煌めいて、あるいは幻想的にも見えただろう。
それがどうだ。Bというノイズがいるせいでこうも酸素が薄くなる。と、同時にBのパワハラじみた誘致が無ければ、Aさんと並んで食事というこのシチュエーションを、僕が自力で成し得たかと言うと甚だ微妙と言う他ない。
おしぼりに濡れるAさんの左手に視線を逃すのもそろそろ潮時を迎えよう。
「お前ら、いいか?部長はここの唐揚げを一口齧って二口目でレモンをかけて召し上がる。お前ら絶対にレモンには触るなよ?」
「「はい!承知しました」」
このしょうもない忠告をあと何度受けるんだ。スキンヘッドに年の割に童顔のBが、オフィスに比べ薄暗い、そしてノスタルジックで陽気な雰囲気の中ではまるでひょっとこの面に見えてきた。くりくりした眼が刺すようにこっちを見据える。地獄である。課長よ、早く来てくれ。そして早く解散してくれ。
「はい! Bでございますぅ! お疲れ様ですぅ。かしこまりました! ……いえいえ! お待ちしておりますぅ! ……あ、はい! はい! あぁ〜、課長、お気を遣わせて申し訳ございません。あ、はい! はい! それではお待ちしておりますぅ! 失礼いたしますっ!」
Bの電話の呼び出し人は課長だろうな。遅れるから先に始めてくれといったところか。
「主任。課長もうお着きになりますか?」
「いや。あと30分ほどかかるから先に始めておいてくれ、だそうだ。A君。今の私の言葉からそれくらい読み取ってくれないと困るよ〜! まぁ君くらい可愛かったら許されるだろうけどねっ! ビール三つ頼んで!」
「いや〜すみません」
へへへと明らかに困惑のこもった微笑でAさんは応えた。このハラスメントボールめ! っとBの頭を僕はペチンペチンと叩いた。もちろん脳内でだ。
ビール三つが運ばれてくると、Bは店員さんに「25分後に唐揚げ揚げたてで」と傍迷惑な注文を加えた。こんなタコ親父の無茶振りを眩しいほどの笑顔で了承する店員の彼女は尊い。
やけに重たいジョッキで乾杯し、苦く弾ける冷たい液体を自虐的に咽喉へ送る。あるいはこれからの苦悶タイムを乗り切るためのエナジードリンクだ、これは。
「あぁ〜。Cさ。今、俺が口つける前に飲んだろ? お前、そういうところだからな? や、俺は許すけど課長や上の方は、そういう所見てるからな? いいか、課長来た時は気をつけるんだぞ?」
もう最悪だ。
「あ、申し訳ございません。ノドが乾いていたので、つい」
「ほぉ〜。言い訳するようになったなぁ。お前。成長したじゃないか!」
「あの、主任。私も気付かず飲んじゃってました。えへへ……」
途轍もなく苦い後味を残して胃の中で踊る液体を恨めしく思った。
「ここの唐揚げホント美味しいんですよ! あとマグロカツも絶品ですよ!」
Aさんのフォローに胸が締め付けられる。というか、Aさんこの店知ってたんだ。だから二つ返事で来たのか。
「お、A君はここ知ってるのか! でも、課長は油物気にするからなぁ。唐揚げ以外は油物禁物だから」
「あ! そうなんですか! 先に聞いてて良かったです!」
救いのマグロカツまで牽制されてしまった。これはセーフ、これはアウトなど供物の選定をしているせいでビールは一向に進まない。手をつけられないお通しのきんぴらに、僕は同情と共感を覚えた。
「やぁやぁ。お待たせしたね」
柔らかい表情を引っ提げてようやく課長が到着した。
「課長ぅ〜! どうぞどうぞ!」
Bは漫画のように飛び上がり課長を上座へ送った。僕の正面に着くまでの一瞬。課長の卓上への一瞥を僕は捉えてしまった。Bの「上の人は見ている」という一言は金言であり呪いであった。僕はビールが美味しく飲めるまで年単位を要することを悟ったのだ。
「あ! お姉さん! ビール4つ! あとさっきの唐揚げ持ってきてね!」
「お、B君、気が利くじゃないかぁ! ここの唐揚げは絶品なんだよ!」
課長が上座に収まると、
「あ、私ちょっとお手洗い失礼します」
僕の20センチ隣の憧れは虚空となった。Bと目が合い、その眼光はジョッキを空けろと急かしてくる。当然、それは僕とAさんのジョッキを指す。
一体何ccになるのか。2杯分のたっぷりと残った苦汁を胃へ追いやる。
時を置かずに4杯のジョッキと唐揚げが運ばれ、Aさんも戻ってきた。
更に重くなったジョッキで乾杯。薄膜の威厳を貼り付けた課長と、満面の皺をこさえたCの顔を眺めながら、口をつけるタイミングを刹那の間で計る。なんて不味いんだ。
「さ! じゃあいただきましょうか!」
トイレですっかり切り替えを済ませたAさんが高らかに言う。
「おう! 若い者は沢山食べなさい! 次のプロジェクトも頼むよ!」
課長の言葉で、これは先週終わったプロジェクトの慰労会なのだと悟った。だとすれば真っ先に声をかけられた僕は、もしかすると昇進の兆しでもあるのだろうか。そう考えると目の前の唐揚げがやけに美味しそうに見えないこともない。
「じゃあ、マヨネーズかけますねぇ〜!」
Aさんがおそらく厨房でもらってきたのであろう業務用のどデカいマヨネーズを、何の躊躇も無く唐揚げの上に絞り出す。
薄黄色い軟液がどっぷりと覆う。どことなく卑猥なその光景。街中で時限爆弾でも見つけたかのように固まるB。威厳の膜がただれ落ちた課長。僕はといえば、箸を伸ばし、口の周りがマヨネーズだらけになる覚悟で齧り付いた。ガリっと衣を裂き、溢れ出す肉汁を舌上にまとわせる。脂、醤油、にんにく、生姜、肉の旨味。迸る唾液。いっそビールに溺れ死にたい気分だった。
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外はチラチラと雪がちらつき始めている。
「クッソ寒いな…」
一斗缶に、その辺にあったゴミを放り込んでいく。
ふと古本のマッチ売りの少女が目に止まった。
そういやガキの頃、どこかで読んでもらったな。
マッチ売りのガキはマッチなんて売ってないで、そんなことを命じる親のところからさっさと逃げ出せばよかったものを……
マッチを買わない客もいつまでも売り続けている子供も、それ以上どうする事もできなくて死んでいくストーリーも、はっきり言ってクソだろ。
誰も手を差し伸べず、自分でもどうすることもできず、死んでいくだけのストーリーなんざクソ食らえだ。
俺は本を一斗缶に放り込み火をつけた。
今日の予定は上々。
盗みに入るのにクリスマスイブほど適した日はない。
どいつもこいつも浮かれてやがる。
「しかし、冷え込むな」
アジト代わりに使っている廃ビルは 人なんざ絶対に来ない。
いい加減、夜もふけて盗みに入るにはちょうどいい時間だ。
狙いをつけていた住宅街に車を走らせる。
目立たぬ場所に車を止めて後は時間との勝負だ。
一軒、また一軒、ピッキングで素早く扉を開け音もなく入っては ささっと必要なものだけ盗って、次のターゲットの家に向かう。
しかしまあ、クリスマスイブだけあってツリーの飾りの下にはプレゼント。
明日の朝になりゃガキが喜ぶんだろうな。
俺には縁遠いものだ。
なんだか無性に腹が立った。
プレゼントの1つを壊してやろうと手を出した時、
「それをとるのはやめてもらえないかね」
と後ろから声をかけられ、俺はビクッとした。
だれの気配もしなかったのに……?!
振り向くと赤い服を着た年老いた男が立っていた。
サンタクロース……
いやそんなはずはない、おそらくサンタの格好した同業者だ。
うっかり誰かに見つかっても ごまかせるようにサンタの格好しているのだろう。
「……なんだ。あんたも同じ口だろ」
そう言うとその老人は、
「いいや、私はプレゼントを置きに来たんだ」
と笑って言った。
あくまでサンタクロースのふりをしようってわけか……
「あんたサンタ?」
「そうだよ」
「俺のところには1回も来てくれたことがないよな」
「いいや君のところにも1回来たことがあるさ」
その老人はそう言った。
あくまでサンタとして話そうとしているその様子に、思わずにやけた。
「俺はプレゼントなんて1回ももらったことねえぜ。嘘言うなよサンタさん」
すると俺の方を見て、老人は笑った。
「私はね、どの子のところにもプレゼントを渡しているんだ。だが、私がプレゼントを贈った事を子供達は忘れてしまう。プレゼントを渡すのは生涯で一度きり。君にも渡したよ。君はそのプレゼントにまだ気がついてないね。 それはいつか君に力を貸してくれるはずだ」
老人はそう言うと窓をガラリと開けた。
窓の外にトナカイがいる。
キラキラと輝くソリが宙に浮いている。
「メリークリスマス!君に祝福を」
老人はそりに乗り込み、ソリはトナカイと共に夜空へと駆け上がった。
嘘だろ……
本物のサンタクロース……?
俺は目をこすった。
目の前が不意に明るくなる。
いつの間にかアジトにいて目の前には燃え尽きた一斗缶の焚き木。
「なんだ夢かよ」
なんて事はない盗みには行かず寝てしまったのだ。
チャンスを不意にしてしまった ……
いいさ、年末は盗みに入るにはいいシーズンだ。
コンビニに行っておにぎりとビールを買ってくる。
どいつもこいつも忙しそうにしやがって……
公園のベンチでビールを飲むとガサゴソと隣で音が聞こえた。
薄汚れたガキがコンビニの袋に手を伸ばそうとしていた。
思わず腕を掴む。
「ごめんなさい…ごめんなさい」
ガキの腕は傷だらけだった。
大方どこかから家出してきたのだろう。
あまり良い環境で育ってきたのではなさそうだ。
ふと自分の子供の頃の記憶がよみがえる。
「やるよ」
俺はひとつ、おにぎりを渡した。
「どうせ何も食ってねえんだろ」
家出のガキなんかほっときゃいいものを、なぜか目が離せなくなった。
手を伸ばして助けてくれる大人は俺の周りにはいなかった。
俺はいつのまにか大人になっていた。
むさぼり食うガキを見ながら、自分の幼少期を思い出す。
俺がサンタクロースからどんなギフトをもらったのか分からない。
だが俺はもうプレゼントを待つ幼い子供ではない。
「腹が減ってるならもう1つ食うか」
そう言って、おにぎりをもう一つ差し出した。
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「トリックオアトリート!」
ふと扉の外から子供の声が聞こえた。
もう随分遅い時間だ。
お菓子はみんな夕方にやってきた子供たちにあげてしまった。
扉を開けると小さな銀色の髪の子供がいた。
……おやおや、随分と懐かしい顔だ。
久々に会ったその子を見て、私はにっこり微笑んだ。
「入りなよ。残念ながらお菓子はもうザラメのパンしか残ってないけどそれでもいいかい?」
明日の朝食用にとっていたザラメのパンはパサついていたが、オーブントースターで焼き直す。
「バターはどうだい?」
「やった嬉しい!」
子供はパッと輝いたような笑顔で笑う。
パンの上に乗せたバターはあっという間に溶けてキラキラとザラメが輝いて見えた。
まるで小さな星屑の様だ。
「美味しい!もっと食べたいよ」
私は呆れ顔で残っていたパンも全部トースターで焼く。
「随分お腹が空いていたんだね」
「だって76年ぶりだもん!それに魔女さんの手作りパンってすごく美味しい大好きだよ」
「……そうか、もうそんなに経つのか」
「そうだよ、地球にやってくるのは地球の時間で76年に一度だよ」
子供は星の子だ。
76年に一度やってくる彗星の子供。
私はこの地球で、もう何世代も何千年も、たくさんの子供たちを見送ってきた。
星の魔女と星の子供。
変わらず存在し続けるのは私たちだけなのだ。
空に輝く彗星の命は人間よりもずっと長いけれど地球よりはそれでも短い。
いつかこの子も大人になって私の命を通り越して、そして消えてゆくのだろう。
だが、いずれやってくるであろうその時間までの間こうして私に会いに来てくれるのはどれほど嬉しいことだろうか……
この無限とも言える長い長い時の中で。
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尽きることのないデブリの中から資源を採取する。
宇宙空間のゴミ溜めの、その男の一日の時間は、そうやって消化される。それはこの時この男この仕事の名の下に、明らかに正しいことであった。
元の形状に興味を向ける間も無く、獣の骸から可食部を取り出すように、布とも金属とも分からぬ物体から、手元を照らすセンサーの示すまま鉱物を採取する。ただ、無心に。一つ終わればまた一つ。無重力の空間は何よりまず息苦しく、汗の玉が勲章のように浮遊する。
1DK程の船体。男の処理速度に合わせ、AIが歪な腕で掴むデブリを、外からまた一つと、船内に送り込む。それが繰り返される。ただ、繰り返される。この宇宙の無限のどこかで。
かつてその男においては、見知らぬ他人に親切にすることも、恩義ある人に疑いなく尽くすことも、全く正しいことであった。それはパン・ド・カンパーニュに合わせるワインを一考する瞬間や、ファストフードの新作に胸を踊らすことと同じことのように、或いは、恋人や友人の身を案じ思い耽ることや、家族の祝福の為に金銭を使うと同じように、確固たる信仰心の如く、真っ直ぐその心を握っていた。
しかし、世の幸福と不幸は同時に存在し、人は人を裏切り、また消費し、己の至福へと突き進むことも、完全に悪事である、と誰にも断言ないことであった。
その男は己の栄光を目前に、積み重ねた全てを失った。友情と家族との信頼も、金銭も、その哀れな信仰心も。
言ってもいないこと、やってもいないこと。男の知らぬところで、敵意を持って吹聴された数多の言の葉は、弾丸となり放たれ、やがて男の生涯をもってして築いた石柱を、無惨に無情に撃ち砕いた。法は機能せず、或いはそのためには、当時の男にとって莫大な資金を要した。失意と絶望の濁流に溺れ、心の根まですっかり沁み込んだ頃、借金返済の責務だけを背負って、男は宇宙に飛ばされた。
漆黒の海の中、幾千の漂うシャトルの臓腑。かつて少年時代に思い描いた宇宙とはあまりにかけ離れたこの光景にも、男はすでに安心感を覚えるほどの月日が経っていた。
その日の終わりをAIが知らせる。臓腑の海から脱出した小型船は、同じく這い出てきた相棒機と数百メートルのワイヤーで繋がる。まるで互いを労うため交わされる握手のように。ワイヤーによってつながった2機はぐるぐると回転を始め、互いの船内に0.7Gの重力を生む。それは仕事場からの帰宅を意味する。
「お疲れさまでーす!」
相棒機から音声通信が入る。
「どうも、お疲れ様です。どうですか? 慣れました?」
相棒機に乗る女性は、この地獄に来て3日目だった。前任者は任期を終え、男に気を遣いながらも、帰還する喜びを抑えられぬといった様子で帰って行った。男も長く時を共にした友人に、誠意を持って送り出したのだった。
「いやー、おばちゃんには難しいね!そのうち慣れるかね?」
新しい相棒は「おばちゃん」らしく随分と馴れ馴れしかった。彼女の調子に男は少し、感謝と心配を抱いていた。
「慣れますよ。僕もしばらくかかりました」
「そうかい!励ましてくれてありがとうね。あんたみたいないい人が、なんでこんなことやってるんだい?聞いてもいいかい?」
男はしばらく考えたが、前任者もそうだったことを思い出していた。どうしてこんな仕事をするハメになったのか、誰もが気になるのだろう。それを知ることは、信頼の類や、あるいは、自分の方がマシだと、彼らの自尊心の保護に繋がるかもしれないと、男は考えている。男は自身の尊厳を地球のどこかに置いてきていた。だから前任者同様、包み隠さず、また脚色することなく、全てを話した。
その口ぶりは、相手のいかなる反応も期待しないといった、冷酷なまでの柔らかさを帯びていた。
話し終わると相棒はしばらく沈黙だけを寄越す。男は食事の入ったチューブを選んでいる。
「あんた」
「はい。なにか?」
「借金もチャラになって、脱走できると言ったら信じるかい?」
男は思わず、数百メートル先の相棒機に目をやる。どこかの恒星が、その機体を朝露のように照らしていた。
握手のようなそれは、離さないとでも言っているように思えた。
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