SF・ファンタジー
あたしはリカ
2,809文字
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あたしはリカ。香山リカ。でも、誰もフルネームで呼んでくれたことはない。
パパはフランス人の音楽家で、ピエール。ママはファッションデザイナーで、織江。でもよく考えたら、パパもママもフルネームでは呼ばれないかもしれない。というか、パパは香山ピエールなの? 婿養子?
ミカとあたしは、特別な縁があったはずだった。名前が似ているから、彼女の祖母が一歳の誕生日に選んでくれたのだ。「ミカにはリカちゃんがぴったりね!」なんて、嬉しそうに言っていたらしい。駄洒落か。
ところが、ミカはあたしを見た瞬間、ギャーッと泣き出した。
「……お母さん、ミカには少し、早かったみたい」とミカの母親が祖母に告げた。
「ええ? 可愛いのに?」
まったく、ひどい話だ。
まつ毛が長くて、目がぱっちりしてるのが怖い? そんなこと、ある?
だが、ミカの反応は顕著だった。泣いて叫んで手をばたつかせ、結果、あたしは箱ごと押し入れ行きとなったのだった。
こうして、あたしの人生の幕開けは、暗闇の中で迎えることになった。
押し入れの奥深く、あたしは静かに眠っていた。いや、正確には「眠らされていた」というべきか。暗闇の中で、どれほどの時間が過ぎたのかは分からない。
最初の頃は、時々、押し入れの扉が開く音がして、少しだけ期待していた。でも取り出されるのは毛布やアルバムばかり。
ちょっと、そろそろ思い出してくれてもいいんじゃない?
そんなあたしの願いは、聞き届けられることはなかった。――その日までは。
ガタガタ、と何かを探す音がして、ミカの母親の声が響いた。
「ミカ、押し入れの中を片付けるわよ。手伝って」
「はーい……えっ?」
小さな手が、あたしを掴む。光が差し込み、久々にまぶた(はないけど)を開いた。
「……これ、なぁに?」
ミカは、あたしをじっと見つめた。次の瞬間、ぱあっと顔を輝かせる。
「かわいい!」
……は? ちょっと待って。泣いて押し入れにぶち込んだの、誰だったかしら?
「えー、なんでしまってたの? これ、リカちゃんだよね?」
「ミカが怖がったからでしょ」母親が苦笑する。
「ええっ、うそ! こんなに可愛いのに!」
あたしは、心の中で腕を組んだ(実際にはできないけれど)。
ふん、都合のいい話ね。
ミカはあたしを抱きしめて、部屋に駆け込んだ。ようやく光の世界に戻れた――と思ったのも束の間、彼女はすぐに別のものを探し始めた。
「そうだ! リカちゃん電話、かけてみよう!」
……ここに、本物がいるのに?
ミカはあたしをそっとベッドに寝かせると、受話器を握りしめた。ピポパというプッシュホンの音が微かに聞こえる。
『もしもし、あたしリカちゃん! お電話ありがとう!』
受話器の向こうから、甘ったるい声が流れてきた。……あんた、誰よ?
『今日のラッキーカラーはピンクよ!』
「ピンクかぁ……じゃあ、リカちゃんもピンクの服着せてあげよう!」
ちょっと待って? あたしの服、これ一着しかないんですけど?
ミカは、あたしを見つめて少し考え込んだ。
「……あれ? そういえば、お着替えどこにあるの?」
ないわよ。最初から。
ミカの「リカちゃん電話」ブームは、しばらく続いた。
毎日せっせとボタンを押し、向こうの『リカちゃん』とおしゃべりする。本物の前で、なぜ偽物とばかり話すの?
それでも、ミカは少しずつ電話先の偽物ではなくて、あたしと向き合うようになった。
髪をとかし、リカちゃんハウスにあたしを座らせる。
「今日はお茶会よ。ここに座ってね!」
ミカはあたしの手を持ち、上品なポーズを取らせた。お茶は紙コップに入った水、ケーキは消しゴムだったが、なかなか悪くない。
こうして、あたしの「愛される日々」が始まった。
――しかし、問題が一つあった。
服が、一着しかない。
色が褪せてきたピンクのワンピース一枚きりのあたしを見て、ミカは首をかしげた。
「ねえ、リカちゃんの服って、これしかないの?」ミカが母親に尋ねた。
「ええ、そうよ。最初から」
「うーん……じゃあ、作ってあげる!」
ミカは意気込んで、母親の裁縫箱を引っ張り出した。
「最初は簡単なのがいいよね……あっ、おばあちゃんが言ってた! 浴衣なら作れるかも!」
……ええと、裁縫をしたことは、あるの?
まずは、布選び。母親が手ぬぐいをいくつも持ってきた。ピンクの花柄、青い朝顔、紫の藤――なかなか渋いラインナップだ。
「やっぱりピンクがいいかな?」
ミカが布を切り始める。
「えーっと、袖と、身ごろと……あれ、どっちが前?」
大丈夫? その調子で進めて、あたし、まともな形の浴衣を着られるの?
見守ること数時間、ようやく浴衣らしきものが形になった。……少し歪んでいるが、まあ、最初にしては悪くない。
「できた! リカちゃん、着てみよう!」
ミカは嬉しそうに、あたしに浴衣の袖を通した。袖口の長さは左右で違うし、襟も少し曲がっている。だけど、そんなことはどうでもいい。これは、ミカが初めてあたしのために作ってくれた服なのだ。
ミカは大人になってもあたしを捨てなかった。
もう子どもの頃のように遊ぶことはなくなったけれど、それでもずっとあたしの服を作り続けてくれた。
「リカちゃん、冬だからコートがいるよね」
そう言いながら、小さなボタンを丁寧に縫い付ける。春には薄手のワンピース、夏には麦わら帽子付きのサマードレス。特別な日には、小さなリボンをつけてくれた。
「ねえ、リカちゃん、この服、似合うかな?」
ミカのそんな声を、何度聞いたことだろう。
そんな日々が、ずっと続くと思っていた。
どれくらいだろうか。ミカの髪が半分以上白くなるくらいには、日が流れた。
「事故……?」
ミカにそっくりな娘が、呆然とつぶやいた。
交通事故だったらしい。
朝、いつものように家を出たミカは、もう二度と帰ってこなかった。
あたしは、本棚の上でぽつんと取り残されたまま、ただ時間が過ぎるのを感じていた。
葬儀の日、ミカの娘は、あたしをそっとバッグに入れ、斎場へと向かった。
最後のお別れの時間になり、棺の蓋が開くとミカが静かに横たわっていた。参列者が次々と棺の中に思い出の品を納めていく。
ミカの娘は、あたしを見つめ、迷うように手を伸ばし、棺のなかにそっと置いた。
なるほど、そういうことか。
長年一緒にいたあたしが、最後にミカと共に旅立つのは、悪くない話だ。あたしは、ミカのものだったのだから。
そう、考えていたのに。
「ダメ!」
小さな手が、あたしを掴んだ。ミカの孫娘だった。
「それ、わたしの!」
「おばあちゃんの大事なお人形なのよ」
「やだ! わたしのなの!」
ちょっと待って。違う。あたしは、ミカと一緒にいるために生まれてきたの。
孫娘の手の中から、あたしの身体がふっと抜ける。まるで力が抜けたように、スルリと滑り落ちる。
あたしは、棺の中に落ちた。
孫娘が「あっ」と声をあげるが、ミカの娘が係の人に目配せすると、すぐに棺の蓋が閉められた。
あたしはもう、ミカのそばにいた。これでいい。
再びの暗闇は、あたしに優しかった。
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