恋愛
519文字 約2分で読了

雪の花

この身を花に変えて あなたに会いに行きましょう だからどうか悲しまないで  辺りはまた雪の降る季節になっていた。 遠い昔聞いた雪姫伝説を思い出し窓の外を眺める。 この世界に雪が降り始めるようになったのは、雪姫が会いに来るようになったからだという。 雪姫がまだ人間だった頃、たとえ自分の命が尽きたとしても愛した相手のところにその身を花に変えて会いに行くと約束したそうだ。 以来この地には雪姫が死んだ季節になると雪の花が降るようになったらしい。 「六花起きていたか」 夫の声がした。 「うんまあね…」 余命宣告をされて半年。 あと一体どれだけ生きていられるだろう。 「あのさ、私が死んだら雪姫みたいに雪になってまたあなたに会いに来る」 そう言うと夫は沈黙した。 「バカなこと言うなよ。来年の雪も一緒に見るんだ」 「そうだね。そうなれたらいいな」 窓の外の雪は大きな牡丹雪に変化していた。 真綿のような雪が降る。 きらめく絹でできた真綿の雪が。 「そうだ来年も再来年もその先もずっと」 「うん、そうだね」 きっとそんな日は来ない。 真っ白な雪は全てを埋め尽くす。 真綿のような雪が降る。 きっとお別れの日にも。 そうしたら私は必ず この身を花に変えて あなたに会いに行きましょう だからどうか悲しまないで
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作者:しとえ
2026/09/29 • 👁 88回 • 💬 0件
コメディ・日常
2046文字 約5分で読了

降り積もる落ち葉の様に

1  言葉っていう字は言うと葉って言うけれど、確かに落ち葉のように心に降り積もっていくものなのかもしれない。  私には仲の良い友人がいてそんな彼女が小学4年生の時に 一度不登校になってしまった。 夏休みが明けた登校日、彼女は学校に来なかった。 一体どうしちゃったんだろう…… 翌日もその翌日も彼女は学校に来ない。  少し遠回りになるけれど私は彼女の家を訪ねて一緒に学校に行くことにした。 朝いつもより ほんの少しだけ早く出る。 まだまだ日差しは強くって 急ぎ足で歩いていたら体が熱くなってくる。 彼女の家の前でちょっとためらった。 しばらく 迷っていたけれど勇気を出してチャイムを押す。 「はーい」 声がして扉が開くと彼女のお母さんが出てきた。 「あら、夏ちゃん。おはよう」 「春ちゃんのお母さん、おはようございます」 「もしかして春のこと迎えに来てくれたの?」 「うん、春ちゃんいますか?」 「ごめんね、春ちょっと体調が悪いの。せっかく迎えに来てくれたのに」 「そうなんだ…早く元気になってくれるといいな」 「ごめんね。夏ちゃんの気持ち 伝えておくから……」 春ちゃんのお母さんは、申し訳なさそうにそう言った。 翌日、昨日よりはいくらか軽い足取りで 私は彼女の家に向かった。 チャイムをしてまた お母さんが出てくる。 「おはようございます。春ちゃんと一緒に学校に行こうと思って」 だがやはり今日も彼女は出てこない。 一人寂しい気持ちで私は学校へ向かった。 その次の日もその次の日も…… だがいつも同じことだった。 彼女は出てこないでお母さんが代わりに出てくる。 もうずっと彼女の顔を見ていない。 ほんの少しでいいから顔を見せてほしい。 悲しい気持ちが少しずつ朝の挨拶とともに溜まっていった。 言葉というのはやっぱり葉っぱと似ているのかもしれない。 返事が返ってこなければ、話すたびに一つずつ落ちてゆく。 「おはよう」 彼女にそう言いたいだけなのにな…… 2  玄関のチャイムが鳴る。 夏ちゃんだ! 「おはようございます!はるちゃんいますか」 お母さんが私の代わりに玄関に出て行く。 ごめんね夏ちゃん、出て行って その顔を見てお話ししたいのに 今の私にはそれができない…… こんな顔見られたくない。 大好きな夏ちゃんだから余計に。 「夏ちゃん帰っちゃった?」 「うん、とても心配していたわよ」 「そっか…」 私はお母さんの方を見た。 ほっぺに手を当てる。 そこには大きなガーゼが当てられていて、上から医療用テープで止められていた。 8月に親戚の家に遊びに行ったら買飼っている犬に飛びつかれて思いっきりガブリと噛まれたのだ。 まだ傷跡は痛いしガーゼは取れないし、何よりこの傷跡をみんなに見られるのは辛すぎる。 2学期の初めの登校日私はどうしても足がすくんで玄関から出られなかった。 外に出るのが怖い…… そしてこの噛まれた傷跡を見られるのがとても怖い。 みんなに気持ち悪がられたらどうしよう。 笑われたらどうしよう。 嫌がられたらどうしよう。 不安な気持ちばかりがどんどん渦巻いて外に出ようとするたびにお腹が痛くなる。 そして学校に行けない日は 2日〜3日、1週間とどんどん伸びていく。 毎日なつちゃんの「おはようございます」の挨拶が聞こえて、会いに行きたくて顔を見たくて仕方がないのにガーゼのついた顔を見られるのが嫌で嫌で仕方がない。 泣きたい気持ちばかりが心の中に降り積もってゆく。 やがて 10月の半ばになりガーゼを外しても大丈夫とお医者様から言われた。 それでも、鏡を見るとひどい傷跡になっていてすっかり気が滅入ってしまった。 3  11月になっても彼女は学校に来ない。 私は毎日彼女に手紙を書いて帰り道にポストに入れることにした。 毎日1枚ずつ、書いてはポストに入れ続ける。 日も来る日も…いつのまにか季節は12月になりついに終業式の日になった。 2学期最後の手紙をポストに入れる。 彼女に私の言葉は届いたのだろうか。 会いたいよ春ちゃん。 4  ある時、夏ちゃんから手紙が届くようになった。 毎日毎日学校で会ったことや その日のことを書いてある。 そして最後にはいつも こう書いてあるのだ、 「早く学校に来てね春ちゃん」 その言葉に私はどれほど救われただろう。 手紙は1枚ずつ机の上に重なってゆく。 それを毎日何度も読み返した。 頬の傷は12月に入って少し赤みが薄くなってきたような気がする。 犬に噛まれた恐怖。外に出れない恐怖がほんの少しずつ薄らいでいくような気がする。会いたいな、夏ちゃん。 やがて冬休みになりまた年が明けた。 新学期の準備を始める。 明日から3学期…… 私は夏ちゃんの手紙を握りしめた。 5  冬の空は閑散と寒い。 2人の少女が通学路を歩いている。 寒さの冬はもうすぐ終わる。夏の間に生い茂った葉は秋になるとその葉を落とし、やがて腐葉土となって春にはまた新しい木々たちの栄養としてその命を全うする。そして新しい若葉が出てすくすくと成長してゆくのだ。 言の葉もまた、人の心に落ちてやがてその人の心を作っていく。 2人の少女の笑顔を祝福するかのように寒梅が咲いていた。 春はもう少し先……
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作者:しとえ
2026/09/29 • 👁 78回 • 💬 0件
恋愛
3911文字 約8分で読了

さよならの味は、あまい珈琲

 木漏れ日が白いレースのカーテンを透かし、古い喫茶店の床に不揃いな模様を描いている。 「ここ、本当に変わらないね」  そう言って小さく笑ったのは、七年ぶりに再会した葵(あおい)だった。  学生時代、僕と葵は誰もが認めるお似合いの恋人同士だった。  大学の近くにあるこの喫茶店『ノスタルジア』の、奥から二番目の席が僕たちの指定席。  僕はいつもブラックの珈琲を頼み、葵は決まって、これでもかというほど砂糖とミルクを注いだ甘い珈琲を嬉しそうに飲んでいた。 「そんなに甘くしたら、珈琲の本来の味が分からなくなっちゃうよ」  僕がからかうと、葵はマグカップを両手で包みながら、悪戯っぽく微笑んだものだ。 「いいの。私にとっては、この甘さが幸せの味なんだから。拓海(たくみ)のブラックは、大人の背伸びの味がするよ」  あの頃の僕たちは、お互いの未来に自分がいることを微塵も疑っていなかった。  けれど、現実は甘くなかった。  大学卒業を機に、葵は実家の家業を継ぐために遠く離れた地元へ戻ることになり、僕は東京の建築事務所で働くことになった。遠距離恋愛の始まりだった。  最初は毎日のように電話をしていた。けれど、互いに新しい環境での仕事に追われ、すれ違いが増えていく。  疲労の中でかける電話は、次第に義務感へと変わり、互いを思いやる心の余裕を奪っていった。 「私のこと、本当にまだ好き?」  ある夜、電話越しに泣きそうな声でそう言った葵に、僕は疲れ果てた頭で、冷たい言葉を返してしまった。 「……もう、そういうことで悩む体力が残ってないんだ。ごめん」  それが、僕たちの最後の会話だった。  どちらからともなく連絡を絶ち、僕たちの恋は、燃え尽きるようにして終わりを迎えた。ほろ苦いというには、あまりにも苦すぎる、挫折の記憶だった。 ◆  あれから七年。  お互いに三十歳を目前にした今、葵から突然「東京に行く用事があるから、あの喫茶店で会えないか」と連絡が来たのだった。 「本当に、懐かしいな」  テーブルを挟んで向かい合う葵は、髪を後ろで綺麗にまとめ、上品なブラウスを着ていた。学生時代のあどけなさは消え、すっかり洗練された大人の女性になっている。  それでも、まっすぐな瞳や、少し照れたように笑う癖はあの頃のままで、僕の胸を締め付けた。  カラン、と店員が飲み物を運んできた。  僕の前に置かれたのは、あの頃と変わらないブラック珈琲。そして葵の前に置かれたのは──。 「あれ、ブラックにしたんだ」  葵の前に置かれたのは、湯気だけが立つ、漆黒の珈琲だった。砂糖もミルクも添えられていない。 「うん。あれからいろいろあってね。私も少しは大人になったの」  葵はそう言って、慣れた手つきでカップを持ち上げ、一口すする。眉一つ動かさずに、静かにカップを傾ける。 「……美味しい。昔はこんな苦いもの、よく飲めるなって思ってたのにね」 「そっか」  僕は自分のカップを握りしめた。葵が僕の知らない時間を過ごし、僕の知らない味を覚えたのだという事実が、重く心にのしかかる。  やっぱり、僕たちの時間はあの時、完全に止まって、別々の道を歩み始めてしまったのだ。 「拓海は、相変わらず建築の仕事、頑張ってるんだよね」 「うん。なんとか一人前になって、最近やっと大きなプロジェクトを任せてもらえるようになったよ。葵は? 実家の仕事は順調?」 「ええ。最初は失敗ばかりだったけど、今は私が中心になって動かしてる。毎日忙しいけど、充実してるよ」  近況報告は、驚くほどスムーズだった。まるで行儀の良い旧友のように。けれど、会話の端々に漂う「もう私たちは他人である」という空気感が、たまらなく切なかった。  ひとしきりお互いの仕事の話が終わると、ふっと会話が途切れた。店内に流れる静かなジャズの旋律だけが、僕たちの間を埋めていく。  葵は窓の外を眺めていた。その横顔があまりにも美しくて、そして遠くて、僕は喉の奥がツンと熱くなるのを感じた。 (どうして僕は、あの時もっと葵の手を強く握りしめなかったんだろう)  後悔の念が、七年の時を超えて津波のように押し寄せてくる。仕事のせいにしていた。距離のせいにしていた。本当は、自分が傷つくのが怖くて、向き合うことから逃げただけだったのに。 「ねえ、拓海」  葵が窓から視線を戻し、僕の目をまっすぐに見つめた。その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいるように見えた。 「今日ね、拓海に会いに来たのは、ちゃんとお別れを言いたかったからなの」  心臓がどくり、と跳ねた。  お別れ。  やっぱり、そういうことか。彼女は過去を清算しにきたのだ。 「あのね、私、来月結婚するの」  その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。目の前が歪む。耳の奥でキーンという金属音が響く。 「……そう、なんだ。おめでとう」  絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていた。祝福しなければいけない。それが大人のマナーだ。でも、胸が引き裂かれそうに痛い。涙が溢れそうになるのを、必死で奥歯を噛み締めて堪えた。 「相手はね、地元の実業家の人で。優しくて、真面目で、私の仕事もすごく応援してくれてるの」  葵は淡々と語る。その表情は、どこか寂しげに見えた。 「そっか。葵を幸せにしてくれる人なら、本当に良かった」 「うん。でもね……」  葵はそこで言葉を区切り、自分のバッグから一冊の古いノートを取り出した。それは、学生時代に二人で使っていた、他愛もない交換日記だった。僕が引っ越しの時に失くしたと思っていたものだ。 「これ、ずっと捨てられなかったの。辛い時も、仕事で挫けそうな時も、これを見て拓海の言葉を思い出してた」  葵の手が、細かく震えている。 「私ね、ブラック珈琲が飲めるようになったの、拓海と別れてからなんだよ」 「え……?」 「拓海がいない世界は、あまりにも苦くて、寂しくて。そしたらね、あんなに苦かったはずのブラック珈琲が、全然苦く感じなくなっちゃったの。むしろ、この苦さが、拓海と繋がっている唯一の感覚みたいで……。だから私、この七年間、ずっとブラックしか飲まなかった」  葵の目から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ち、テーブルに小さなシミを作った。 「私、あの人のこと、人としては尊敬してるし、一緒にいれば平穏に暮らせると思う。でも……でもね、心の一番深いところには、いつも拓海がいた。あの苦い別れから、私の心の時間は一歩も進んでなかったの!」  葵の震える声が、僕の胸の奥の、一番柔らかい場所を直撃した。  彼女も、僕と同じだった。あのほろ苦い、いや、苦すぎる別れの味を、ずっと引きずったまま生きていたのだ。 「嘘、だよ……」  僕は気がつけば、テーブルの上の葵の手を、両手で強く包み込んでいた。七年前に手放してしまった、白くて柔らかい、愛しい手。 「拓海……?」 「僕だって、忘れた日なんて一日もなかった!  新しい恋をしようとしても、誰を見ても、葵の笑顔ばかり探してた。仕事で成功しても、それを一番に伝えたいのはいつも葵だった。ごめん、あの時、僕が意気地なしだったせいで、お前にこんなに苦い思いをさせて……!」  堰を切ったように、僕の目からも涙が溢れ出た。視界が涙で滲み、葵の顔が歪んで見える。 「葵、お願いだから、どこにも行かないでくれ。結婚なんて、しないでくれ……」  大人のプライドも、理性も、すべてを投げ捨てて懇願した。今ここでこの手を離したら、僕は一生、本当の意味で生きることはできない。確信があった。  葵は涙に濡れた顔で、僕の顔をじっと見つめていた。そして、ぽろぽろと涙を流しながら、ふっと、あの頃のような悪戯っぽい笑顔を浮かべた。 「……バカ。遅すぎるよ、拓海」 「葵……」 「嘘だよ」  葵は自由になった左手で、自分の目元を拭った。 「結婚するなんて、全部嘘」 「え?」  僕は呆然として、葵の手を握ったまま固まった。 「こうでも言わないと、拓海、絶対に本音を言ってくれないと思ったから。今日会った時も、すっかり格好いい大人のビジネスマンになっちゃってて、私のことなんて過去の友達としか思ってないんじゃないかって、怖くて……」  葵は泣きながら、クスクスと笑った。 「だから、ちょっとだけ意地悪しちゃった。ごめんね」  僕は力の抜けた体に、再び熱いものが駆け巡るのを感じた。怒りなんて微塵も湧かなかった。あるのは、宇宙よりも深い安堵と、愛おしさだけだった。 「本当に、タチの悪い悪戯だよ……。心臓が止まるかと思った」  僕は涙を拭い、葵の手をさらに強く握り直した。 「でも、引き止められて良かった。もう二度と、この手は離さない。絶対に」 「うん……私も、離さない」  僕たちは涙を流しながら、お互いを見つめ合って笑った。その顔は、きっと七年前の、あの甘酸っぱい恋をしていた頃の僕たちに戻っていたはずだ。 「すいません」  僕は店員を呼んだ。 「砂糖とミルクを、たくさんいただけますか」  運ばれてきた角砂糖とミルクを、僕は葵のブラック珈琲の中に、これでもかというほど投入した。そして、スプーンでゆっくりとかき混ぜる。漆黒だった液体が、温かみのある、優しい琥珀色へと変わっていく。 「はい、葵。どうぞ」  葵はマグカップを受け取り、愛おしそうにそれを両手で包み込んだ。そして、ゆっくりと口をつける。 「……あまい」  葵は、今日一番の、とびきり甘い笑顔を咲かせた。 「すごく、甘くて美味しいよ、拓海」  僕たちの過ごした七年間は、確かに苦くて、ビターな時間だった。けれど、その苦しみがあったからこそ、今、目の前にある幸せの甘さが、骨の髄まで染み渡る。  窓から差し込む木漏れ日が、僕たちのテーブルを優しく照らしていた。  もう、苦い珈琲を一人で飲む必要はない。  これからは、二人で、この甘い時間を少しずつ、大切に味わっていこう。
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作者:河内謙吾
2026/09/29 • 👁 85回 • 💬 2件
恋愛
2350文字 約5分で読了

裏切り者の英雄

この瞬間だ。15年。 あなたを、国を、すべてを裏切ってでも、成したかった。 身を汚さずとも、身を汚されずとも、隠しても隠しても、溢れ出る憎悪で真っ黒に染まった身体で剣を突き立てる。 あの人の国を、私の手で壊させたこの悪魔を。 驚いた周りの兵達が、遅れて彼女を射る。 月夜。 賑やかな宴。 似つかわしくない、朱色。 ―― 私の家系は騎士ながら男児に恵まれず、父は仕方なく長女の私に剣術を仕込むことにした。 10になる頃、父に教えられた剣術を磨いていたとき 勉学から逃げ出した姫と、目が合った。 すぐにお付きの者がとんできて、私に姫を見なかったか?と尋ねてきた。 噂に聞いていたため、このお転婆が何をしたかすぐに察した。 (匿って!) 後ろの茂みに素早く隠れ、ギリギリ私に聞こえる声で呼び掛ける 「……後ろの茂みにおります。」 「ちょっと!」 驚いた声で完全に居場所がバレて、子猫のように運ばれる。 とても王族とは思えない姿に、私は苦笑した。 明くる日、姫は懲りずにまた来た。 「……昨日はよくもやってくれたわね!」 無視して鍛錬に臨む私に、キーキーとうるさく文句を垂れる。 「普通、あーいう時は明後日の方向指して助けるもんでしょう!」 「……どこの世界の普通ですか?」 「これ!城下町で流行ってる恋愛小説!」 「そんなの読んでるからバカになるんですよ。」 「な、なんてこと言うの!あなた読んだことあるの!?」 「ありません。そういった類の書物は、読むと父にバカになると教えられておりますゆえ。」 剣を振っているのにも関わらずズカズカと近づき 姫は持っている本を押し付けてきた 「なら、読みなさい。姫としての命令よ。」 「……私が仕えているのは、あなたの父君でございます。」 「いいから!」 姫はその後、また従者に見つかり連れ戻された。 私は鍛錬を終え、父からの指導を終え、眠気まなこをこすり仕方なく押し付けられた本を読む。 私の顔は次第に赤面していった。 「……目に毒だ、こんなもの。」 しばらくあと、また姫が訪ねてきた。 ニヤニヤした顔で私に語る。 「どう?面白かったでしょう?」 「燃やしました。」 「特に星の女王が……え?」 「あんなもの、高貴な方が読むものではありません。」 またキーキーと騒ぐので、すぐ従者に見つかり運ばれて行った。 「……高貴は誤りだったかもしれん。」 その日から、仕返しのごとく姫は訪ねてきた。 やれ、街で流行りのお菓子だの服だの。 鍛錬に集中させてくれ……! 仕方なく、聞き半分に木剣を振るう。 ある日耐えかねて、なぜ突っぱねても私にちょっかいかけるのかと聞いた。 「……だって今も、これからもつまんないことばっかりだから。」 「……」 少し前に聞いた。 彼女はあの帝国に嫁ぐことが決まっている。 そして見たことがある。どこか陰を落としたその顔を。 毎日、鏡で見る私と同じ。 「別にいいじゃないですか。私も姫も今後を考えなくていい。 一心に道を進むのみ。何も悪いことなんてない。」 「……ウソつき。」 「ウソじゃありま」 「私と同じ顔してる。」 木剣を振るう手が止まった。 ―― 父から聞いた話に耳を疑った。 帝国に就く。 この国を裏切る。 街に火を放つ。 仕えてきた王を斬る。 そして…… 姫を含めた王族を捕らえ、見せしめとして処刑する。 王国の行動が、帝国の鼻についたなど。 家を守るためなど、御託を並べる父の話は途中から入ってこなかった。 ―― 決行日、私は父の命令通り動いた。 街も城内も混乱を極めた。 ……背いたことは3つ。 混乱の中で、父の背を斬った。 そして本来その父が行うはずの、王殺しを私が行い首謀者として堂々と名乗りを上げた。 絶望する姫の目の前で。 そしてわざと姫を含めた王族を数人だけ逃がした。 目が合った姫の顔を見て、私は自分の気持ちを初めて自覚した。 ―― 姫達は無事友好国へ亡命できたそうだ。 その事実に、帝国はご立腹だった。 一国を落とした事実より、一つのミスを重視され 私の扱いは騎士のそれとは程遠かった。 殺されなかっただけマシだったかもしれない。 帝国についてからの数年は思い出したくもない。 それでも戦いで幾度となく、敵を斬った。 蝙蝠女と呼ばれ、嫌がらせに刃こぼれした剣で、戦場に駆り出された。 鈍器として割り切り、敵の鎧ごとかち割り続けて生き残った。 残虐にも、武器を持たぬ民衆も何度も斬った。 ようやく下っ端だが、帝国で騎士として認められた。 そして――共に剣を磨いたかつての友を、帝国に仇なす不埒者として斬った。 得た金は生活費以外、危険と知りつつ、情報屋に渡し姫の安否を何度も確認した。 周りから悪鬼と呼ばれるまで、斬って斬って斬り続け、遂に人間扱いされなくなって、ようやく帝王の腹心と呼ぶに相応しい所まで上り詰めた。 その日は、長年の戦争がついに終わり帝国全体が浮ついていた。 コイツが死んでも代わりはいる。 しかし、私は火種だ。 帝国への憎悪は、今や世界に広がっている。 この混乱を見逃すはずがない。 あなたが幸せに暮らす世を作る。 その15年だ、地獄まで付き合ってもらおう偽りの主君よ! ―― その日、彼女の亡命先の国ではザワついていた。 「姫、裏切り者の彼女がその、かの帝王を討ったとの報が入りました。」 「……遺体は?」 「帝国式典中に事を起こしたらしく……」 「そう、もういいわ。」 「姫?」 「報告ありがとう。明日詳しく聞くからもう下がって。」 「し、しかし」 「いいから!」 普段可憐かつ毅然とした姫の荒げた声に驚き、従者は余所余所しく部屋を後にした。 ……静かに泣き崩れた。 あの日初めて出会った時、一目惚れした彼女を想って。 ―― 裏切り者の英雄は、事切れる直前に空を見上げ想った。 奇しくも、後に彼女の訃報を聞いた姫と同じことを。 「どうか許して。まだ、愛おしく想う私を。」 ――ああ、会いたいな。 ウソついて借りたままのあの本、返さなきゃ。
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2026/09/28 • 👁 43回 • 💬 0件
SF・ファンタジー
2444文字 約5分で読了

ルーレット

 悪い星の下に生まれたのだろう。男はとにかく運が悪かった。  横断歩道に差し掛かれば信号は赤に変わり、男がトイレに行けば、トイレットペーパーはいつも芯だけ。人生唯一掴んだ幸運は、大手企業に入社出来たことだけだった。が、その会社も倒産してしまい、社屋は名前も知らない企業の手に渡っている。今男が所属する会社は、ボーナスも退職金もないゼロ細企業だ。  これだけ運が悪いのだ。いつかはその反動で、驚くような幸運が舞い込んでくるだろう。ひょっとすると、とびきりの美女が自分に迫ってくるかもしれない。宝くじが当選して、今までの不運を帳消しにしてくれるかもしれない。  そんな有りもしない現実を想像するのが男の唯一の楽しみだった。  そう、あのルーレットを発見するまでは…。  そのルーレットは、仕事終わり、怪しげな露天商の親父から購入した。  露天商の親父は、ねずみ男のような布を頭からかぶり、冬の寒さに震えながら客が来るのを待ち続けていた。いつもは見かけない露天商だったので、男は興味を持った。今思えば、あの時の冷やかしが男の運命を大きく変えた。  その露天商は、汚げなブルーシートに商品を並べただけの簡素な佇まいをしていた。並んでいる商品も、古臭い鍋やオタマ、竹でできた籠など、取るに足らないものばかりだった。  「お兄さん。なんだか浮かない顔しとるのぉ。」  目ぼしいものがなかったので、踵を返そうとした時。露天商の親父が声をかけてきた。男は人に声をかけられて無視するような非常識な男ではない。男は再び露天商の親父に目を向けた。  「運がないからね。運がなけりゃ、人はこんな顔になるんだよ。俺は昔から運がない。会社は倒産するし、好きな女の子は他の男に取られるし、今までいい事なんて一つもないよ。」  「そうか、でもまぁ見た所サラリーマンみたいだからまだいいじゃないか。俺なんてこの通りだよ。」  露天商の親父は、そう言って立ち上がった。確かに露天商の親父は見すぼらしく、社会の敗者と言ってもおかしくない容姿をしていた。  一緒にするな。男はそう言いたかったが、ぐっと気持ちを抑えて一言「じゃあな。」と言い、再び家路につこうとした。 その時だった。露天商の男がブルーシートの上にあった玩具のルーレットを男の胸に押し当ててきた。  「お前さんにぴったりの商品だ。このルーレットは特別でな、朝起きてすぐに回せば面白いことが起こる。まぁ、使って見な。お代はいらねえよ。」  そう言ってルーレットを手渡した露天商の親父は店を片付け始めた。  次の日の朝。  男はルーレットを目の前に置いて首を傾げていた。  ルーレットに書かれた内容が明らかに昨日と違うのだ。昨日は、ルーレットの盤面に数字が書いてあった。しかし、今見てみるとそこには「赤信号だけ」「電車が遅れる」「パソコンが潰れる」「好きな子から食事の誘いがある」など、意味のわからない文章が並んでいた。  男はその不思議なルーレットを見て少し怖くなった。しかし、ルーレットには人を惹きつける妙な魅力があった。男の心は恐怖よりも、好奇心の方が先行していた。  男は徐ろにルーレットを回した。  カラカラと小気味良い音を鳴らして、ルーレットは回り始めた。そして数秒後、ルーレットは「パソコンが潰れる」の所で針を止めた。直後、ルーレットの盤面は数字へと変わった。  「なんだよこれは…。」  首を傾げる男…。  だが、後に男はこのルーレットに秘められたとんでもない力に気がつくのだった。  あれから数日経った。  男は相変わらず毎朝ルーレットを回していた。  ルーレットの力は、男にとって実に魅力的なものであった。  なんとルーレットに書かれた内容は、その日に男が遭遇する”出来事”のリストであった。そしてルーレットを回すと、針の止まった所に書かれた”出来事”が消去される。その上、ルーレットの盤面に列挙されている、1日に起こる出来事は、殆ど全てが不幸な出来事であった。幸運な出来事は、通常のルーレットで0の書いてある所たった一つだけであった。いくら運が悪い男でも盤面に書かれた”出来事”は全部で37ポケット。単純計算でも一ヶ月と一週間に一度しかそこに針は止まらない。  数多い男の不幸から、一つだけと言えど、不幸が消えるのである。不幸な星に生まれた男にとって、そのルーレットは神様からの贈り物以外の何者でもなかった。  いつしかルーレットを回す事は男の習慣となった。朝起きて、枕元に置いたルーレットを毎日回す。その結果に一喜一憂する。不思議と大きな不幸が消去された時は、会社に行く足取りも軽く、仕事のやる気も俄然ちがった。  時に男の回すルーレットは幸運を指す事もあった。1日の中から幸運な出来事が一つ消えるのである。しかし、もともと不幸な星の下に生まれてきた男の幸運なんぞ、とるに足らないものであった。そのため、男はなんら気を負わずにルーレットを回すことができた。  ルーレットを回し始めて半年が過ぎた頃、男は再び露天商の親父を発見した。露天商の親父は、男を待ち伏せしていたようだった。  「どうだい、あのルーレットの力は?いいだろ?でもな、あれはこの世のものじゃないんだ。だからそろそろ返してもらいてぇ。もう満足しただろ?」  唐突に露天商の親父はそう言った。  「は?なんでだよ。俺はもう貰ったって認識だったんだぞ。今更返せなんてふざけるなよ。」  これほど素晴らしいルーレットを返す人間がどこにいるだろうか?男は吠えるように言った。  「俺は一度返せって言ったんだ。何があっても知らんぞ。」  露天商の親父は急に寂しげな顔をした。と思ったら、露天商の親父は闇の中に消えて言った。  「あんないいもの返してたまるか。」  男は吐き捨てるようにそう言って家路に着いた。  さて、露天商の親父と再会した翌日のこと。男はいつもの通り、朝起きて早々にルーレットを回した。  直後、男は発狂してしまう。  頭をかきむしり、家の壁を殴り、大声で自分を罵った。  それもそのはず、ルーレットが止まった所には、「宝くじ高額当選」と書いてあった。
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作者:毎日休日
2026/09/28 • 👁 65回 • 💬 0件
SF・ファンタジー
4033文字 約9分で読了

深層海都

 目覚めると、海の中だった。視界を占めるのは、どこまでも透き通った、けれど重厚な重みを持った「青」だ。  頭上からは、ひび割れたガラス越しのような、頼りない陽光が細い糸となって降り注いでいる。 「……っ」  慌てて口を塞ごうとしたが、遅かった。肺の中の空気が、銀色の真珠のような気泡となって口から滑り出していく。  ――溺れる。  そう直感した。全身の細胞が恐怖に悲鳴を上げ、手足をばたつかせる。だが、おかしい。苦しくないのだ。  鼻から吸い込んだのは冷たい海水のはずなのに、それは不思議と肺を焼くことはなく、むしろミントのように清涼な感覚が全身を駆け巡る。  俺は水の中で、陸上にいるときよりもずっと深く、静かな呼吸を繰り返していた。 「あ、起きたんだ」  不意に、頭上から声が降ってきた。見上げると、そこには一人の少女が浮かんでいた。  少女はオーバーサイズのパーカーにショートパンツという、およそ海中には似つかわしくない格好をしていた。ただ、その足元は裸足で、長い黒髪が重力から解放された扇のようにゆらゆらと広がっている。 「ここ、は……?」 「喋れるよ。ここは『層』の間だから」  少女は慣れた手つきで水を掻き、俺の目の前まで降りてきた。彼女の瞳は、深海のような濃い青色の光を帯びていた。 「君、新宿駅のホームから落ちたでしょ? 落ちた瞬間に、こっちに混ざっちゃったんだよ」  ――新宿。  その単語を聞いた瞬間、泥のように濁った記憶が蘇ってきた。そうだ。俺は深夜の残業帰りで、ひどく疲れていた。  不快な湿気が充満した六月の空気。黄色い点字ブロック。近づいてくる電車の風圧。視界が回転し、足の裏から地面の感覚が消えた。 「死んだのか、俺」 「半分正解で、半分ハズレ。君の体は今、上の世界の病院で眠ってる。ここは街の記憶が沈殿してできた『深層海都(しんそうかいと)』なの。絶望とか未練とか、そういう重たい感情が飽和して、現実から零れ落ちた連中が行き着く場所だよ」  少女は自分のことを「ミウ」と名乗った。彼女は俺の周りを一周すると、悪戯っぽく笑った。 「ようこそ、水底の新宿へ。案内してあげるよ。君が自分の『息の仕方』を思い出すまでね」  彼女に導かれ、俺は海中を歩くことになった。いや、浮遊しているといった方が正しい。浮力に身を任せ、ビルの合間をすり抜けていく。  そこには、見慣れたはずの新宿の景色があった。都庁のツインタワーは巨大な珊瑚の塔のようにそびえ立ち、壁面には色とりどりのイソギンチャクがへばりついている。大通りのアスファルトの上を、色鮮やかな熱帯魚の群れが、まるで渋滞中のタクシーのように整然と泳いでいた。  電光掲示板は生きていた。ただし、映し出されているのは広告ではない。誰かの日記の一節や、名前も知らない誰かの泣き顔、あるいは「もう歩きたくない」という短い独白。それらが淡い光を放ちながら、水の揺らぎに溶けていく。 「綺麗でしょ? ここは嘘がつけない場所なんだ。街が飲み込んだ本音だけが、こうして形を持って漂ってる」  ミウは錆びついた看板の角を器用に蹴って加速する。 「なぁ、ミウ。俺はいつまでここにいるんだ?」 「さぁね。君次第だよ。あっちの世界にいる君の体に、今の君を吸い上げる力が戻れば、自然と浮上できる。でも、今の君は……ほら、こんなに重い」  彼女が指差した先。俺の足首には、黒い鎖のような影がまとわりついていた。それは地面に向かって長く伸び、海底の泥の中に深く根を張っているように見える。 「あれが君の重りだよ。足枷(あしかせ)って言ってもいいかな。仕事のストレス、将来への不安、自分への失望。そういうのが結晶化したもの。それが外れない限り、君は二度と水面に顔を出せない」  俺は自分の足首を見つめた。鎖は、脈打つように黒い光を放っている。  思い返せば、ここ数か月の俺は、呼吸の仕方を忘れていたのかもしれない。満員電車で押し潰され、理不尽な怒号を浴び、コンビニの弁当を味も分からず咀嚼する日々。とにかく、溺れないように必死で水面を探し、空気を求めていただけだった。 「どうすれば……これを外せる?」 「簡単だよ。君の重りを作っている核を見つけて、壊せばいい」  ミウはニヤリと笑い、巨大な地下街の入口を指差した。かつて地下鉄の入口だったそこからは、どろりとした墨のような液体が溢れ出していた。 「あの中に、君の一番見たくないものがあるよ。行こう、サラリーマンくん」  地下街の中は、地上よりもずっと暗く、冷たかった。水は重く、肌を刺すような冷気を含んでいる。ミウが指先に灯した小さな光だけが、俺たちの行く道を照らしていた。 「見て、あれ」  ミウが指差した先には、改札口があった。だが、その改札には無数の書類が張り付いていた。俺がこれまで作成し、そして上司に突き返された企画書。謝罪のメール。終わりのないタスクリスト。それらが湿った海草のように絡み合い、巨大な怪物の形を成していた。  怪物の中心に、一人の男が座っていた。俺だった。ただし、それは今の俺ではない。  疲れ果て、生気を失い、汚く濁った瞳でパソコンの画面を見つめ続けている、かつての俺の残像だ。 『……まだ、終わってない』  残像の俺が、泡を吐き出しながら呟く。 『明日の会議までに……これを……。じゃないと……俺の居場所がなくなる……。誰も……俺を見てくれなくなる……。もっと頑張らなきゃ……もっと、もっと……』  その声は、重い振動となって俺の鼓膜を震わせた。  俺の足首の鎖が、ぎりりと音を立てて締まる。体が、地下街の床へと引きずり込まれていく。 「ダメだよ、逃げちゃ!」  ミウの声が、遠くで響いた。 「あれは君が切り捨てた、君自身の悲鳴なんだから!」  俺は必死に地面を蹴り、残像の自分へと近づいた。近づくほどに、体が重くなる。水圧が肋骨を締め付け、内臓を押し潰そうとする。 『……君も、俺だろう?』  残像の俺が、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、底なしの深い絶望が溜まっていた。 『外の世界に戻って、何がある? またあの狭いデスクに縛り付けられるだけだ。誰からも必要とされず、ただ消費されるだけの歯車。そんな場所に戻る価値があるのか? ここにいろよ。ここは静かだ。誰も怒らない。誰も期待しない。ただ、青い闇に溶けていればいいんだ……』  その言葉は、甘い毒のように俺の心に浸透していった。  確かにそうだ。戻ったところで、何も変わらないかもしれない。あの地獄の日々が、また繰り返されるだけかもしれない。だったら、このまま眠ってしまった方が、楽になれる……。  視界が暗くなる。俺はゆっくりと目を閉じようとした。  その時、冷たい指先が俺の頬を叩いた。 「馬鹿! そんな顔、似合わないよ!」  ミウだった。彼女は俺の胸ぐらを掴み、強引に俺の視線を自分へと向けさせた。 「いい? 確かに外の世界はクソだよ。息もできないくらい苦しいかもしれない。でもね、君はまだ美味しいものを食べてない。君がまだ見てない綺麗な景色も、読んでない本も山ほどある。出会ってない人も、たくさんいるんだ。それを全部捨てて、こんなゴミ溜めみたいな記憶と一緒に沈むつもり? それで終わっちゃっていいわけ?」 「でも、俺はもう、疲れたんだ……」 「疲れたなら休めばいいじゃない! でも、死ぬのと休むのは違う。海の中にいるのは、次に高く跳ぶための準備期間でいいんだよ!」  彼女の手から、温かい熱が伝わってくる。水の中にいるはずなのに、その熱は確かに俺の心を震わせた。  俺はもう一度、残像の自分を見つめた。それは怪物なんかじゃない。ただ、誰かに「お疲れ様」と言って欲しかっただけの、幼い子供のような俺自身だ。  俺は、その残像の肩に手を置いた。  水圧に抗い、声を絞り出す。 「ごめんな……。ずっと、無視してて」  その瞬間、俺の足首の鎖がパキン、と乾いた音を立てて砕け散った。砕けた鎖の破片は、光る魚の群れとなって、暗い地下街を鮮やかに彩った。  俺を飲み込もうとしていた残像の自分は、静かに微笑むと、細かい泡となって消えていく。 「終わった……のか?」 「うん。合格。君の重りはもうないよ」  ミウが俺の手を引く。  俺の体は、先ほどまでの重苦しさが嘘のように軽くなっていた。何もしなくても、体が自然と上へ、上へと昇っていく。 「ミウ、君は……」 「私は、この街の忘れ物係みたいなもの。君みたいな迷い子が、ちゃんと上に帰れるように背中を押すのが仕事なんだ」  俺たちは地下街を抜け、再び新宿の海中へと飛び出した。  太陽の光が、先ほどよりもずっと明るく、黄金色に輝いている。見上げると、遥か頭上に、銀色に輝く境界線が見えた。  あれが現実の世界。  ――水面だ。 「そろそろお別れだね、サラリーマンくん。あ、名前聞いてなかった」 「……航(わたる)。航海の航で、わたる」 「いい名前じゃん。ここにぴったりだね」  ミウは俺の手を離し、優雅に一回転して見せた。 「航。あっちに戻ったら、たまには空を見上げなよ? 青いのは、海だけじゃないから。あと、深呼吸を忘れないこと」 「ああ。ありがとう、ミウ」 「じゃあね!」  視界が真っ白な光に包まれる。  急激な浮遊感。耳の奥で、激しい潮騒の音が響いた。 「――っ! はぁ……はぁ……」  激しく咳き込みながら、俺は目を見開いた。  白い天井。規則的な機械音。鼻をつく消毒液の匂い。そこは、病院のベッドの上だった。 「気がついた!? 先生! 患者さんが意識を取り戻しました!」  誰かの叫び声が聞こえる。体が重い。点滴の針が痛い。喉が焼けるように乾いている。でも、俺の肺は、確かに現実の空気を力強く吸い込んでいた。  俺は震える手を持ち上げ、窓の外を見た。そこには、梅雨の晴れ間の、抜けるような青空が広がっていた。  ――あ。  その青さの中に、一瞬だけ、悪戯っぽく笑う少女の幻影を見た気がした。  俺はゆっくりと、深く、深く、深呼吸をした。  もう、溺れることはない。  アスファルトの下に眠る潮騒を思い出しながら、俺は新しい一日を始めるために、ゆっくりと体を起こした。 (了)
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2026/09/28 • 👁 89回 • 💬 0件
SF・ファンタジー
1792文字 約4分で読了

静寂の世界

 「とうとう完成してしまった…。」  世の中には何に使うかわからない発明品が沢山ある。とりあえず作ってしまって、その後に有効的な利用方法を確立した発明品も多い。この度、教授が開発した「音吸収機」も、そういった発明品の一つだった。  「教授、その機械は一体どういった機械なのですか?」  隣にいた学生が聞いた。  「この発明は驚くなかれ、周りの音という音をすべて吸収してしまう機械なのだよ。正確に言うと大気中の振動を一つ残らず吸収してしまう。このつまみを設定することによって、その範囲は自由に拡大縮小することができる。例えば…。」  そういって教授は機械のつまみをグリグリっと回した。  「…。」  「…。」  そこには完全なる静寂があった。教授や学生が何か喋っても、口をパクパクさせているだけで、声は一切聞こえない。教授は悦に入った顔をし、機械の電源を切った。  「これは…すごいですね。それで、この機械の活用法は?」  「それは考えていない。私の頭は新しい発明品をこしらえるためにあるのだ。その先は他の人間が考えればいい。とにかく、今日は完成の祝賀会だ。」  教授はそう言って、研究室を後にした。  この「音吸収機」はしばらくは相手にされなかったが、噂を聞きつけた政府関係者の男が、機械を使いたいと申し出てきた。  「この機械、使いようによっては我々の暮らしをより一層豊かにしますよ。例えば、工場が出す作業音。これを消せば、近隣住民はかなり暮らしやすくなる。高速道路の騒音や、飛行機の離着陸時に発生する騒音を消すなどはどうでしょう?音を消すということは大気中の振動を無にするということ。つまり、ロケットの発射において発生する衝撃波もかき消せます。いや、本当に素晴らしい機械だ。」  教授は男のアイデアに感動した。発明することしか脳のない教授にとって、男のアイデアは実に素晴らしいものに聞こえたのだ。  自分の発明した機械が世のために使われる。これほど発明家冥利に尽きることはない。  「そうですか。それならば、この機械はお貸ししますので、ぜひ世の中のために使ってください。しかし、まだまだ研究の価値はありそうだ。もう少し発展した研究をしてみよう。」  教授はその日から「音吸収機」及び「音」について研究を重ねた。    数年が経ち、研究に研究を重ねた教授は、ある大発見をした。なんと、音はそのままエネルギーとして使用できるのだ。その大発見のヒントになったのはあの政府関係者の男が言った「ロケットの衝撃波」だった。音も規模が大きくなると、鉄をも砕くパワーになる。教授は早速機械を作り始めた。  さらに数年後、教授はその機械を完成させた。その機械は、「音吸収機」に、教授が新たに発明した「音圧縮機」を置き、その音を圧縮する。さらに「音圧縮機」の隣に音をエネルギーに変える「変換器」を備え付けた、大変大袈裟な機械だった。  「これはノーベル賞ものだぞ。世の中のエネルギー事情が根本から覆ることになる。このエネルギーは大気汚染もなければ、地球温暖化の心配もない。その上音を吸収するのだから有限な資源でもない。」  教授は喜びに震えた。  早速、あの政府関係者の男が教授のもとにやってきた。  「教授、素晴らしいですよ。この機械を使って世の中を変えてしまいましょう。エネルギー不足が解消されれば、人類が持っている諸問題のほとんどが解消される。ところで、これは私のアイデアですが、この機械をぜひ海沿いに置きましょう。そうすれば機械は永遠に波の音を吸収し続けることになる。どうです?完璧な計画でしょう?」  教授は男の言葉に再び感動した。確かに海沿いにこの機械を設置すれば永遠に潮騒を吸収し続け、無限のエネルギーを手に入れることができる。男と教授は固い握手を交わした。    数ヶ月の議論の後、国家事業として試験的にこの機械が設置されることとなった。場所は首都に隣接する湾。全国の人々はこの事業に大きな期待をし、見守った。  結果は思った以上だった。潮騒の音で、街中のエネルギー全てを賄うことができた。国中がこの大発明を称賛した。教授はこの年、一番注目された人となった。  その後、国中のエネルギーを賄うため、静寂の世界は海の向こうにどんどん広がっていった。人々は無限のエネルギーを手に入れ、いっそう暮らしが豊かになった。しかし、機械の向こう側で未曾有の大津波が迫っていることには、誰も気がつくことができなかった。
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作者:毎日休日
2026/09/28 • 👁 40回 • 💬 0件
ホラー・怪談
114文字 約1分で読了

彼に言わせたい

私の奇行も笑ってくれる彼が大好きだ 最近は彼に同じ音を使わせるゲームを楽しんでいる 対戦ゲーで彼の攻撃をもらいに行ったり 「それ、くらうん?」 個人的には好みじゃない良い車を買ったり 「それ、くらうん?」 彼の浮気相手を高めの車で調理したり
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作者:ごみがき
2026/09/28 • 👁 130回 • 💬 0件
ミステリー・サスペンス
966文字 約2分で読了

懺悔

 告白というのはグロテスクであればあるほど良い。  一先ず電子タバコを吸っていいかと確認するサオリに、ミキはもちろんと快諾する。その告白の内容が私の期待を裏切らなければ、という枕詞はそっと飲み込んだ上で。 「元カレがさ、警察に行ったんだよね。今までの人はそこまでしなかったのに」  サオリがふぅぅっと吐き出す甘い香り。咽そうになるのを悟られないようミキは紅茶を飲み込み二の句を待つ。 「私、噛んじゃうんだよ。彼氏のこと」  きた。とミキは浮つきそうな口角を抑え、うん、とだけ相槌を置く。 「血が出るまでやっちゃうんだよ。ていうか、血が舐めたいの、本当は」 「興奮する?」  ミキの間髪の隙も無い切り返しにサオリの目は一瞬丸くなる。そして視線を断ちコクリと頷く。 「興奮も、だけど、なんていうか、安心するっていうか……」  無意識だろうか唇を指先で触れるサオリは、愛らしさと美しさを兼ねた羊のようだった。その中身はサキュバスなのだと自白の最中なのだけれども。 「噛まなくちゃ、ダメなの? 例えば針でつついても血って出るじゃない?」 「んー……」と天井を見上げサオリはまた水蒸気の透けた白煙を吐き出す。やはり、甘く、くさい。 「噛む行為は独占欲のせいって言うじゃん。その上で、というかその先で熱い血が口に入ってくると、なんていうか、たまらないんだよ」  紅茶の入ったマグカップを包む両手が僅かに痺れ、背筋を八足虫が這うような薄い質量ある快感が疾る。ミキの吐息は昂揚し、震える。 「私、捕まるのかな……」  膝を抱え小さくなるサオリの髪が小刻みに揺れている。 ねぇ、サオリ。自分さえ理解し得ない物を誰しもが持っている狂気のこの世界。例えば、もし、罰を受けることになったとしても、あなたが美しいという事実は変わらない。 「サオリ。私の今の彼氏のお兄さん、弁護士さんなんだよ。一度相談してみたらどうかな」 「ほんと? ありがとう。ミキ」  そんなやり取りをしてサオリは夜道に溶けながら帰って行った。  甘い残香が満ちた部屋。  ミキは透明な灰皿と小瓶を取り出す。  照明を受け乱反射するガラス製の灰皿に小瓶の中身をパラパラと落とし火を灯した。  ぬるりと上がる白い香気を鼻腔いっぱいに吸い含み、熱くなった吐息が震え、心臓の昂りを知らせる。 「私もいつか誰かに告白するのかなぁ」  パートナーの爪が燃える部屋でミキはひとり呟く。
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作者:珈琲時間
2026/09/28 • 👁 76回 • 💬 1件
ホラー・怪談
1061文字 約3分で読了

コール

 返事をしてはいけないよ、 あの向こうに連れ去られてしまうから。  ばかばかしい迷信だと思った。 精霊が連れ去ってしまう。そんなことは子供のおとぎ話だ、親が子供を危険から遠ざけるための。だが危険とは一体何なのだ…… 窓を開けて寝てはいけない、夜中に声を出してはいけない、声を出して返事が帰ってきたからと言ってまた返事をしてはいけない。 子供の頃祖母にそう言われた。 連れ去られてしまうらしい。何にかと聞いたが結局はよくわからない。  でこぼこ道を走る。 携帯の受信音が鳴った。 俺は鞄から取り出そうと手を伸ばす。 誰からかかってきたかを確認しないで電話に出た。 ひどくノイズが入っていて 音声が聞き取れない。 「もしもし、もしもし……」 相手が何を言っているのか聞き取れないままそう繰り返す。 俺は携帯を切った。 一体誰からだったのだろう? まあいい後で確認すれば……  久々に田舎にやってきたのだ。 子供の頃、祖父母の家に遊びに来て以来だろうか。 俺の住む家の郊外とは違って、めったに人に会うこともない。そもそも こんな田舎にやってきたのは祖父母が亡くなって、その土地の売却のためだった。 荒れ放題になった時はもう二束三文にしかならないだろうが、それでも自分の目で確認しておく必要はあった。 家は 取り壊さなくてはならない。 家を取り壊して土地を売ればプラマイゼロだろう。 人が手入れをしなくなった森というのは嫌な気配がする。 荒れ果てた土地を見た時 そう感じた。 もはや人間の手を離れ来放題、魑魅魍魎のすみかと化しているのだ。明日にはここを離れるわけだから。 夜中にまた携帯が鳴る。 ……何なんだ 一体誰なんだ。 出てもやはり誰だか声がわからない。ひどいノイズだ。 こんな田舎だからだろうか。  翌朝また電話。 一体誰からなんだ… そこで奇妙なことに気がつく。 田舎の家には電気がない。 充電できていないのに電話だけがなる。 出てはいけない、頭の中で警告音が鳴り響く。 出てはいけない、急いでこの田舎から立ち去らねば…… そう思って車を走らせるが一体どこを通ればここから出られるのだ。 ナビが表示されない。 道を走らせているはずなのにまた村の中に戻ってきてしまう。 一体どうなってるんだ? 早くここを出ねば…… また電話の着信音が鳴る。 出てはいけない! 早くここから出て行かなくては 着信音が鳴り続ける。 出てはいけない……… 出てはいけない…… 出てはいけない… 出ては…………… 「変ね。お父さんに電話するのにいくら電話しても繋がらないの」 「おばあちゃんの田舎に行くって言ってなかった?」 「……うん、でもそこはもうダムの底なの……」
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作者:しとえ
2026/09/28 • 👁 64回 • 💬 0件