コメディ・日常
帰りの列車は、まだ決めない
703文字
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勝河町の駅に降りると、結衣はスマートフォンで帰りの列車の時刻を確かめた。農園まで徒歩十五分。見学と昼食を済ませ、午後三時の列車に乗る。予定に狂いはない。
「こっちです」
地元農家の直人は、大通りを外れ、石垣沿いの細道へ入った。
「近道ですか?」
「いえ、遠回りです」
結衣は時計を見たが、黙って後を追った。
畑に着くと、直人はぶどう棚の下で立ち止まった。説明しながら、手慣れた様子で房の向きを直す。
「同じ房でも、日当たりで色づき方が違うんです」
葉の陰には、紫の濃い実と、まだ赤みの残る実が並んでいた。
そこへ姪のハルが駆けてきた。
「おじちゃん、あそこ!」
葉の上に、小さなカマキリがいた。
「これも畑の見どころ?」
結衣が尋ねると、ハルは首をかしげた。
「ここにいるんだから、見どころだよ」
結衣は笑いかけ、ふと口を閉じた。逃げようとするカマキリを、もう一度目で追った。
帰り道、直人は石垣の前で足を止めた。隙間から、小さな白い花が顔を出している。
「春には、もっと咲くんです。毎年、ここを見るのが楽しみで」
「いま秋なのに、春の話?」
「来年も見に来てもらえたらと思って」
結衣は返事の代わりに、花の写真を撮った。
駅へ戻る途中、農家の女性が籠から不揃いのぶどうを一房、ハルに渡した。ハルは粒が落ちないよう、両手でそっと抱えた。
駅に着いたとき、列車の到着まで数分しかなかった。結衣は昼食を諦め、売店でパンを買った。
窓の外に、斜面の畑が流れていく。
取材メモには、名所の名前より、カマキリや石垣の花のことが多く残っていた。
結衣は最後に書き足した。
――この町は、急いで通り過ぎるには、少し惜しい。
次は春に来よう。
帰りの列車は、まだ決めなくていい。
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