コメディ・日常
バナナの男
1,490文字
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バナナの皮を被った男と目が合った。
「ああ。どれだけ疲れているんだオレは」
思わず声が洩れて出た。
すっかり人の引いた帰り道。
ポツリ、ポツリと付いた街灯を潜り、帰路を辿る。
すっかりと光を消した、何屋か分からない店内にバナナの男はいた。
当然、そんな不審者からは秒で目を逸らした。
しかし、あの皮色。街灯に薄く照らされただけだったが、オレの目は誤魔化せない。
あの色は自然追熟ではない。
15℃の環境で色付け、つまり意図的に追熟されたバナナだ。
丁寧に愛を持って追熟したバナナは、レモンのように染まり、針で刺したようなシュガースポットを生む。張りのある皮は宝剣のように反射するのだ。
ああ、また脳内がバナナに侵されていく。あれはバナナの亡霊だったのではないか。あるいは妖精? あんなくたびれた男の妖精? 最悪だ。
それもこれも、あの暑苦しい熱血シェフのせいだ。ゴールデンウィークから切り替わるコースのデザート。指定された素材はバナナ。
ああ、面倒くさい。ただでさえ、系列のおしゃれカフェがデザートを一新するタイミングだと言うのに。アホ面下げた若いパティシエールの顔が思考の邪魔をする。
キャラメリゼ? コンフィ? 馬鹿を言うな。星付きフレンチのガストロノミー(美食学)を舐めるんじゃあない。
ふと足元が明るくなる。
セブンイレブンが町の廃れを拒絶するように光を撒き散らす。今日はスモークタンを買う気にはなれないな。帰ろう。このまま。
そうだ。ソルベはどうだ。
果肉の酸化を防ぐために、メインに合わせて、真空と冷却を開始。バナナの野生感ある風味を損なわせないためにベースミックスには直前に配合。そしてバナナの皮を煮出した熱々のバターだ。カルピスバターがいいだろう。ホワイトラム、いや少しコニャックを混ぜ、スパイスを加えバターを乳化。局所的にカソナードを振り、仕上げにキャラメリゼ。岡山バナナの暴力的な糖度を僅かなフルールドセルがさらに狂わせる。野生、しかし強烈で華々しい香り、食感、温度差、舌にまとわりつくベルベットのコク。コーヒーでも紅茶でも、鼻腔を犯す共犯者となり得る。
ああ完璧じゃないか。これはイケる。
そうだ家にバナナがあったな。彼女が食べてなければ試作を食わせよう。
なんて爽快な気分だ。足が軽くて仕方がない。
すれ違った女が怪訝な表情を見せたが今のオレはそれどころじゃない。今の女も休みの日ともなれば「カフェ巡り」と称し、どうせオレの考えたスイーツをパシャパシャと写真に収めるに違いない。あんな目を向けたこの俺が作っているとも知らずにな。ああ、愉快だ。
いや、待て。待てよ。
そうだったオレの彼女は馬鹿舌だった。
つい先日も、冷凍庫に眠らせていたいちごを、ふんだんにつかったとんでもミートソースパスタを貪るように食べていた。かろうじで味はまとまっていたが、異国どころかあれはもはや異世界の料理だ。
「これまた作って!」
二度と作るか。あざとらしく目を輝かせてもダメだ。名古屋人の味覚はさっぱり理解出来ん。
だいたいなんであんな女と同棲することになったんだ。
ただ顔が良くて、ちっちゃくて、声が可愛くて、胸がいい感じなだけの…。
いや、違う。早歩きになっているのは、別の理由だ。
そう。バナナだ! バナナを作るるんだ! オレのバナナを食べさせるんだ!
「ただいま」
「おかえり!」
「バナナってもう食べた?まだあるかな?」
「頭、おかしくなったん?」
なんだこの女は。帰りざまに。
そんな緩い服を着ていれば暴言も許されると思っているのか。
「なんで頭にバナナの皮乗せとるん…」
部屋の姿見には、眩く照らされた素晴らしい色のバナナを被った、不審者が映っていた。
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