その他

さる外科医の試み

3,033文字 約7分で読了
作者:佳乃こはる
 ザアッ、ザザアアッ。  小波、大波。  重く垂れこめた黒い雲。  波が荒いので有名な白兎海岸だが、今日は珍しく凪いでいる。サーフィン客で賑わう海辺に、今は人っ子一人見あたらない。  私は外科医だ。隣県の山村で小さな医院を経営している。  このザアッ、 ザザアアア…  小波、大波。  重く垂れこめた黒い雲。 波が荒いので有名な白兎海岸だが、今日は凪いでいる。夏にサーフィン客で賑わう海辺には、人っ子一人見あたらない。  私は外科医だ。  隣県の山村で小さな医院を経営している。  私がこの海辺に降り立ったのは、数日前。 「あれまあ、こんな冬場に来んさるなんて」  民宿の女将には笑われたが、今回私は、観光に訪れたのではなかった。  私は、かの有名な日本神話『因幡の白兎」を調べるために来たのだ。  事の発端は二か月前のことだった。  趣味の民俗伝承サークルのオフ会で、興味深い話を聞いた。 「『因幡の白兎』の話を知ってるかい」 「ああ、知ってるさ、それくらい。島に住む兎がサメを騙し、その背を伝って海を渡るが、陸まであと一歩のところで嘘をばらした。怒ったサメが兎を捕らえ、全身の皮を剥いだ、ってやつだろう」 「そう。で、そこにたまたま通りかかった大国主が、兎に治療を施した。兎はめでたく元通り、ってな」 「だが、それがどうしたんだ?」 「いやな、鳥取出身のヤツに聞いた話じゃ、あの時兎が包まっていた"蒲の穂綿"。あれ、マジであるらしい」 「ははっ」  私は思わず失笑した。  だが、そいつは真剣な顔で言った。 「なんでも、海岸沿いに古びた神社があってよ。その山奥の小さな沼に、黄金色に光る|蒲《ガマ》が生えている。心正しき人間にだけ視えるそうだ。なあ、赤むけの兎の皮膚を再生させるんだぜ? 医者のお前なら垂涎ものだろう」 「ふん、バカ言うな」  何とも荒唐無稽な話だと、その時は鼻で嗤ったのだが。  その後、それを探すことを本気で考えだしたのは、我が医院を訪れた患者のためであった。  酷い火傷を負ったその子どもは、将来、酷い跡が残るのが目に見えていた。両親は己の不注意を責め、嘆いていた。  何とか彼らを救いたい。  その日の診察を終えた後、私は半ば勢いで山陰行きの特急に乗りこんだのだ。  数日間、海辺の民宿に泊まり込み、海岸沿いの神社の裏山を、私は足を棒にして探して回った。  それは、あった。 「おおお」  神社の裏山、そのさらに奥の湖沼に、金色に輝く蒲が群立しているのを見た時、私はその美しい光景を、一生忘れないと思った。  *  金の穂から液を抽出し、それを煮詰めて粉状にする。  苦心の末に、体組織の再生薬を作ることに成功し、神話にちなんで『穂綿』と名付けた。  穂綿は、少し患部に振りかけるだけでひどい傷さえ忽ち癒す、まさに魔法の薬であった。  子どもの火傷がすっかり癒えると、両親は涙を流して喜んだ。  嬉しかった。  私はこれを、もっと人助けに役立てたいと考え、治療例を病院のホームページに掲載した。  すると、意外にも大勢の人がこの山奥の医院を訪れるようになった。  中には、とんでもない相談をしにくる人もいた。  贅肉をとりたい、もっと美しくなりたい、といった美容整形の類いである。  彼らは、そのためならばいくら対価を支払っても惜しくはないと言う。  無論それは、穂綿の再生力をもってすれば可能だ。  スタイルであれば余分な贅肉を切除し、顔面であれば、醜いパーツを美しく整形してから、穂綿で必要な組織を戻せばいい。  私は迷った。  なぜならばそれは、健康な皮膚を切り取るという、いわば余分な手術だ。  だが、彼らの事情をよく聞いてみると、それらは実に切実で、中には自殺しかねない人すらいた。  ならばこれは、私が最初の親子にしたのと、何ら変わらぬ人助けだ。  悩んだ末、私はそれを引き受ることにした。  医院には、これまで以上に人が殺到した。  しかし、穂綿は株が少なく、生産量に限りがある。  私は、医院の裏にハウスをつくり、金の蒲の栽培を試みた。  すると、天が私に味方しているように易々と成功した。  気がつけば医院はすっかり有名になっていた。  寒村の開業医に過ぎなかった私には、テレビの出演依頼まで来るようになっていた。  *  そんなある日。  夜間に医院の扉を叩く者があった。  ――誰だ、こんな時間に。  夜間診療の依頼は、受けるなと言ったはずだが。  コン、コンコン。  無視していると、しつこく扉を叩いてくる。  ――やれやれ、連日の収録で疲れているというのに。 「はい、何でしょうか」  少し戸を開いた途端、押し入るようににぼろを着た女が入ってきた。 「お願いします、私の子どもが……!」 「おお、これは」  女は、手にした赤ん坊を私の前に差し出した。  それは、何とも酷い有様だった。まるで全身に火傷を負ったような、さながら「皮を剥かれて赤裸」だ。 「気の毒に、早速穂綿で……」  私ははたと足を止めた。  ――この親子、何者だ?  貧しい身なりの母親に、襤褸布で包んだ赤ん坊。医療費はおろか、保険証すら持っていなさそう。  実は最近、穂綿の生産量が落ちてきている。  あれは、整形目的のセレブ達が大金を投じる価値を持つもの。  だがこの母親は、通常の医療費すら払えそうにない。  その上、この時間にこの火傷。児童虐待ではないか。厄介ごとには関わりたくない。  ある時期から私は、医院の規模を大きくするのを止めた。新しく人を雇って、穂綿の秘密を知られるのが嫌だったからだ。  穂綿は、開発者である私のものだ。  その恩恵は、私だけが受けるべきだ。 「すまないが、他をあたってもらえないかね」 「そんな! この子は、こちらでしか直せないのよ」 「いや、それは逆だよ。うちのような小さな病院で、大掛かりな処置はできない。 そうだ、救急車を呼んであげようか」 「いいえ、この子は『穂綿』でしか治せない」 「馬鹿を言うな。そんなもの、うちにはない!」 「ああっ」  振り払った手が赤ん坊に当たり、母親の手から吹っ飛んだ。  ぎ、ぎゃあああ……  悲鳴とも、叫びともつかぬ声があたりに響き渡った。  ――しまった。力が入りすぎたか。    途端、七色の煙があたりに立ち込め、私と母子の周りを包んだ。  母子の姿が、みるみるうちに変わってゆく。  母親は、筋骨逞しい男の姿に、赤ん坊は、白い兎の姿に。  ――そんな、ばかな。  腰を抜かしている私の頭に、低い声が響き渡った。 『全く、そなたの美しい志に胸を撃たれ、力を授けたというのに。やはり人は、身に余る力を我欲にしか使えぬものか』 『大国主、だからボクは言っただろう? あいつはダメってさ。もう少し待とうよ。きっといつか、本当に美しい魂を持つ人が現れるさ』 『やれ、ならばお前を信じて待とうか……だがその前に』  二人が私を振り向いた。 『弱き者を排し、金銀を欲する魂を浄化せねば』  ぐわん。  二人の声が共鳴した。ギラリと光る四つの瞳が私を捉えた。 「ひ、た、助けて……」  咄嗟に逃げようとしたが、身体が金縛りにあったように固まっていた。  ゴキッ、ゴキゴキッ。  筋骨の音を響かせて、男が私に近づいてきた。 「ま、待ってくれ、心を入れ換える、貧しい人を救うから、だから、あ、あ、ああああっ」  ゴキン。  *  以来、私はここにいる。  無限地獄。生きながらに皮を剥がされ、穂綿に包まり再生する。  それを幾度も、未来永劫繰り返す。  穂綿に包まれる間は、大昔に見た日本神話を思い出した。  大国主は、優しく美しき心の持主。人の縁をつかさどる、別名黄泉の国の王。  ならばひとつ、聞かせてほしい。  私は、それほどの咎を受けるべきなのか。   ――さあて、そろそろ治癒したか。 「ああ、嫌だ、あああああっ」 《終》
2026/10/17 ・ 👁️ 54回 ・ 💬 0件

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