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さる外科医の試み
3,033文字
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ザアッ、ザザアアッ。
小波、大波。
重く垂れこめた黒い雲。
波が荒いので有名な白兎海岸だが、今日は珍しく凪いでいる。サーフィン客で賑わう海辺に、今は人っ子一人見あたらない。
私は外科医だ。隣県の山村で小さな医院を経営している。
このザアッ、
ザザアアア…
小波、大波。
重く垂れこめた黒い雲。
波が荒いので有名な白兎海岸だが、今日は凪いでいる。夏にサーフィン客で賑わう海辺には、人っ子一人見あたらない。
私は外科医だ。
隣県の山村で小さな医院を経営している。
私がこの海辺に降り立ったのは、数日前。
「あれまあ、こんな冬場に来んさるなんて」
民宿の女将には笑われたが、今回私は、観光に訪れたのではなかった。
私は、かの有名な日本神話『因幡の白兎」を調べるために来たのだ。
事の発端は二か月前のことだった。
趣味の民俗伝承サークルのオフ会で、興味深い話を聞いた。
「『因幡の白兎』の話を知ってるかい」
「ああ、知ってるさ、それくらい。島に住む兎がサメを騙し、その背を伝って海を渡るが、陸まであと一歩のところで嘘をばらした。怒ったサメが兎を捕らえ、全身の皮を剥いだ、ってやつだろう」
「そう。で、そこにたまたま通りかかった大国主が、兎に治療を施した。兎はめでたく元通り、ってな」
「だが、それがどうしたんだ?」
「いやな、鳥取出身のヤツに聞いた話じゃ、あの時兎が包まっていた"蒲の穂綿"。あれ、マジであるらしい」
「ははっ」
私は思わず失笑した。
だが、そいつは真剣な顔で言った。
「なんでも、海岸沿いに古びた神社があってよ。その山奥の小さな沼に、黄金色に光る|蒲《ガマ》が生えている。心正しき人間にだけ視えるそうだ。なあ、赤むけの兎の皮膚を再生させるんだぜ? 医者のお前なら垂涎ものだろう」
「ふん、バカ言うな」
何とも荒唐無稽な話だと、その時は鼻で嗤ったのだが。
その後、それを探すことを本気で考えだしたのは、我が医院を訪れた患者のためであった。
酷い火傷を負ったその子どもは、将来、酷い跡が残るのが目に見えていた。両親は己の不注意を責め、嘆いていた。
何とか彼らを救いたい。
その日の診察を終えた後、私は半ば勢いで山陰行きの特急に乗りこんだのだ。
数日間、海辺の民宿に泊まり込み、海岸沿いの神社の裏山を、私は足を棒にして探して回った。
それは、あった。
「おおお」
神社の裏山、そのさらに奥の湖沼に、金色に輝く蒲が群立しているのを見た時、私はその美しい光景を、一生忘れないと思った。
*
金の穂から液を抽出し、それを煮詰めて粉状にする。
苦心の末に、体組織の再生薬を作ることに成功し、神話にちなんで『穂綿』と名付けた。
穂綿は、少し患部に振りかけるだけでひどい傷さえ忽ち癒す、まさに魔法の薬であった。
子どもの火傷がすっかり癒えると、両親は涙を流して喜んだ。
嬉しかった。
私はこれを、もっと人助けに役立てたいと考え、治療例を病院のホームページに掲載した。
すると、意外にも大勢の人がこの山奥の医院を訪れるようになった。
中には、とんでもない相談をしにくる人もいた。
贅肉をとりたい、もっと美しくなりたい、といった美容整形の類いである。
彼らは、そのためならばいくら対価を支払っても惜しくはないと言う。
無論それは、穂綿の再生力をもってすれば可能だ。
スタイルであれば余分な贅肉を切除し、顔面であれば、醜いパーツを美しく整形してから、穂綿で必要な組織を戻せばいい。
私は迷った。
なぜならばそれは、健康な皮膚を切り取るという、いわば余分な手術だ。
だが、彼らの事情をよく聞いてみると、それらは実に切実で、中には自殺しかねない人すらいた。
ならばこれは、私が最初の親子にしたのと、何ら変わらぬ人助けだ。
悩んだ末、私はそれを引き受ることにした。
医院には、これまで以上に人が殺到した。
しかし、穂綿は株が少なく、生産量に限りがある。
私は、医院の裏にハウスをつくり、金の蒲の栽培を試みた。
すると、天が私に味方しているように易々と成功した。
気がつけば医院はすっかり有名になっていた。
寒村の開業医に過ぎなかった私には、テレビの出演依頼まで来るようになっていた。
*
そんなある日。
夜間に医院の扉を叩く者があった。
――誰だ、こんな時間に。
夜間診療の依頼は、受けるなと言ったはずだが。
コン、コンコン。
無視していると、しつこく扉を叩いてくる。
――やれやれ、連日の収録で疲れているというのに。
「はい、何でしょうか」
少し戸を開いた途端、押し入るようににぼろを着た女が入ってきた。
「お願いします、私の子どもが……!」
「おお、これは」
女は、手にした赤ん坊を私の前に差し出した。
それは、何とも酷い有様だった。まるで全身に火傷を負ったような、さながら「皮を剥かれて赤裸」だ。
「気の毒に、早速穂綿で……」
私ははたと足を止めた。
――この親子、何者だ?
貧しい身なりの母親に、襤褸布で包んだ赤ん坊。医療費はおろか、保険証すら持っていなさそう。
実は最近、穂綿の生産量が落ちてきている。
あれは、整形目的のセレブ達が大金を投じる価値を持つもの。
だがこの母親は、通常の医療費すら払えそうにない。
その上、この時間にこの火傷。児童虐待ではないか。厄介ごとには関わりたくない。
ある時期から私は、医院の規模を大きくするのを止めた。新しく人を雇って、穂綿の秘密を知られるのが嫌だったからだ。
穂綿は、開発者である私のものだ。
その恩恵は、私だけが受けるべきだ。
「すまないが、他をあたってもらえないかね」
「そんな! この子は、こちらでしか直せないのよ」
「いや、それは逆だよ。うちのような小さな病院で、大掛かりな処置はできない。
そうだ、救急車を呼んであげようか」
「いいえ、この子は『穂綿』でしか治せない」
「馬鹿を言うな。そんなもの、うちにはない!」
「ああっ」
振り払った手が赤ん坊に当たり、母親の手から吹っ飛んだ。
ぎ、ぎゃあああ……
悲鳴とも、叫びともつかぬ声があたりに響き渡った。
――しまった。力が入りすぎたか。
途端、七色の煙があたりに立ち込め、私と母子の周りを包んだ。
母子の姿が、みるみるうちに変わってゆく。
母親は、筋骨逞しい男の姿に、赤ん坊は、白い兎の姿に。
――そんな、ばかな。
腰を抜かしている私の頭に、低い声が響き渡った。
『全く、そなたの美しい志に胸を撃たれ、力を授けたというのに。やはり人は、身に余る力を我欲にしか使えぬものか』
『大国主、だからボクは言っただろう? あいつはダメってさ。もう少し待とうよ。きっといつか、本当に美しい魂を持つ人が現れるさ』
『やれ、ならばお前を信じて待とうか……だがその前に』
二人が私を振り向いた。
『弱き者を排し、金銀を欲する魂を浄化せねば』
ぐわん。
二人の声が共鳴した。ギラリと光る四つの瞳が私を捉えた。
「ひ、た、助けて……」
咄嗟に逃げようとしたが、身体が金縛りにあったように固まっていた。
ゴキッ、ゴキゴキッ。
筋骨の音を響かせて、男が私に近づいてきた。
「ま、待ってくれ、心を入れ換える、貧しい人を救うから、だから、あ、あ、ああああっ」
ゴキン。
*
以来、私はここにいる。
無限地獄。生きながらに皮を剥がされ、穂綿に包まり再生する。
それを幾度も、未来永劫繰り返す。
穂綿に包まれる間は、大昔に見た日本神話を思い出した。
大国主は、優しく美しき心の持主。人の縁をつかさどる、別名黄泉の国の王。
ならばひとつ、聞かせてほしい。
私は、それほどの咎を受けるべきなのか。
――さあて、そろそろ治癒したか。
「ああ、嫌だ、あああああっ」
《終》
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