コメディ・日常

イチョウの木

833文字 約2分で読了
 十二月の始めに帰省しようと思ったのは、年末年始の民族大移動に巻き込まれるのが嫌だったから。百パーセント渋滞すると分かっている高速道路、大混雑すると分かっている電車や飛行機、これらに飛び込むのは、私から言わせれば愚かなことだ。いつもの二百倍疲れて、五百倍イライラするに決まっている。  平日のガラガラの飛行機を降り、羽田空港から、やっぱりガラガラの高速バスに乗り、駅でレンタカーを借りて実家に向かう。実家が辺鄙(へんぴ)なところにあると、帰る時に苦労する。  実家が近くなり、何となくカーナビを見ると「イチョウ屋」という文字が見えた。小学生の時、通学路の途中にあった小さな個人商店だ。店の前には大きなイチョウの木があり、子供ながらに「この木は空まで伸びるんじゃないだろうか」と思っていた。  ――まだあるのかな。  私は吸い寄せられるように、イチョウ屋に向かって車を走らせた。小学校卒業以来、もうイチョウ屋の前を通ることはなくなったので、多分行くのは二十五年ぶりだ。  イチョウ屋はなくなっていた。  イチョウの木もなくなっていた。  記憶違いなのか、カーナビが間違っているのかと思うほど、そこは何もない。いや、別にあったとしても、何がどうってわけじゃない。きっと「ふーん」くらいで終わっていただろう。これが田舎の運命なのだ。四半世紀という時間の流れは、容赦なくいろいろなものを飲み込んでしまう。  風が吹いてきた。どこからともなく、ザワザワと葉が揺れる音が聞こえる。  ――ん?  一体どこから聞こえてくるんだろう。木なんてどこにもないのに……。私はキョロキョロと辺りを見回した。  ――うわ!?  地面を見て、思わず後ずさりした。葉を茂らせた大きな木の影が揺れている。あの時に見た、力強くて生命力に満ち溢れたイチョウの木だ。  ――そうか。空まで届いたのか。  懐かしい思いで影を見つめていると、やがてゆっくりと影は消え、風も止んだ。  あのイチョウの木は、私みたいにふと立ち寄る人を、密かに待っているのかもしれない。 (了)
2026/10/02 ・ 👁️ 104回 ・ 💬 0件

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