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16歳の話(2022年4月2日の話)
1,725文字
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「16歳になったんだって?」
彼はごく自然にワイシャツの袖を捲った。露わになった太い腕に目を奪われる。浮き出た血管が気持ち悪くて愛おしい。
「ああ、誕生日を忘れてたわけじゃないよ。……いや、覚えていたわけでもないんだが。今年も義姉さんが写真を送ってきたから」
チョコレートのケーキとハンバーグ、美味しそうだったね。プレゼントはコスメセット? 大人びちゃってまあ。この前やっと10歳になったと思ってたのに、時の流れは早いな。
そんなことを言いながら、母が淹れた珈琲に息を吹きかける。独特の苦い香りが漂ってきた。つい顔を顰めると、ふっと鼻で笑われた。
この人は珈琲を飲めるのが大人の証だと思っている。口に出して言われたわけではないが、絶対にそうだ。やけに拘るところがあるし、彼自身、昔は珈琲なんて飲めなかったのに、社会人になった途端積極的に飲むようになったことを私は覚えている。
「16歳と言えば……」
カップを机に置き、こちらを見つめる。私も視線を合わせて次の言葉を待った。先に目を逸らしたのは彼だった。口元を押さえて、何処か遠いところを見つめる。……よくあることだ。彼だけではなく、母も時折そういうことをする。こういうとき、二人はきっと同じところを見ている。私には見えない、此処ではない、遠い何処か。
「俺が16の時だったんだ。君が産まれたのは」
一見、感情の無い顔だった。ただ、私はもう彼とは16年もの付き合いになるのだから、気づくことができた。悲しみと、怒りと、やるせなさと……複雑な感情が混ざり合っている表情。
「俺は、あの日……」
「16歳になったんですよ、私」
彼が語り出す前に口を挟む。私は彼が16歳だった時の話なんて興味がない。私が産まれた日の話も、私たち家族に纏わる話も、一切聞く気がない。彼の口から聞くのは、もっとカジュアルな話が良い。カジュアルでポジティブで、ハッピーな話。それ以外はお断りだ。
「惜しいですよね。今年ほど自分の誕生日が憎くなった年はありません。あと一日早ければ押しかけたのに」
「どこに……?」
心底、訳が分からないという顔だ。面白い。
「どうして今年だったんでしょうね。国が憎いです。何も成人年齢とともに引き上げなくても良いのに。いえ、もちろん問題があったことは理解できますが」
結婚だけが女性の幸せではない時代だ。男女で同じ歳に揃えるのも、成人年齢と同じにするのも理解はできる。理解はできるが、不満は拭えない。仕方のないことだと分かってはいるが。
「成人年齢って……18歳になったんだっけ? それがどうかした?」
「分かりませんか? 分かってますよね。そろそろ認めてもらえます?」
まっすぐに彼を見つめると、彼は視線を合わせた。しばし見つめ合うも、またもや彼は先に目を逸らした。どこか遠くを見つめて複雑な表情をする。ただ、先程とは違い、しっかりと今を見つめているのが分かる。
「君はまだ子どもだな」
「そう言って突き放すのが大人ですか? 大人ならずっしり構えて受け入れてください」
「無理だろ……。俺は君の成長を見守るのが役目なんだ」
そんなこと誰からも頼まれていないのに、彼はそう思い込んでいる。だからこの16年、欠かさず私たちに会いに来てくれているのだろう。
「なら、責任を持って最期まで見守ってくださいよ」
「重い。大体、最期を見守るのは君の方だろ」
「……プロポーズですか?」
「違う。年齢的な話だ」
このようにして今日も、軽くあしらわれてしまった。残念ではあるが、今はこのやり取りができるだけで十分だ。カジュアルでポジティブで、ハッピーな話。……まだハッピーではないが。きっといつかハッピーにしてみせる。
私が16歳になった時、彼が16歳だった時の話をされることは予想していた。けれどもそんな話は聞きたくない。本当に、聞きたくはないのだ。
今16歳なのは私で、16歳の話をできるのは私だけだ。32歳のおじさんの過去話なんて退屈でしかない。生憎私は、彼の話なら何でも聞きたい、なんてことを思えるような乙女ではないのだ。聞きたいことだけ聞けたら良いし、話したいことだけ話せたら良い。
死んでしまった人の話より、私と彼の未来の話をした方が生産的だろう?
それが『16歳の話』だ。
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