SF・ファンタジー
「スライムについて」
2,699文字
約6分で読了
「高橋さん、今日のお昼どうします?」
同僚の女がPC越しにリュウジに声をかけた午前の端くれ。
「向かいに出来た中華屋さん、今日からでしょ。そこ行こうと思ってる」
リュウジは女の視線を促すように窓の外へ顔を向けた。
「あれ、そんなの出来てましたっけ? あ、ほんとだ」
オフィス街の路面店などよほどの老舗でもない限りは入れ代わり立ち代わる物である。日常の小さなサプライズと言えなくもないが、オープンさせる当の本人には一世一代の大勝負なんだろうなと、リュウジはビルの5階から涎をこさえて見下ろす。
その時、新店オープンの中華屋の隣のビルに女が入っていくのが目についた。ショートカットの華奢な感じでオフィスカジュアルで可愛げな雰囲気はリュウジの意識を十分に惹き付けた。
アパレル系? そもそもどこの会社が入ってたっけ?
うまく顔が見えなかったことが嫌に惜しく思え、あと送信するだけのメール画面のままリュウジの午前の仕事は終える。
中華屋はぞろりと並んでいた。まぁ当然かとリュウジは大して驚きもしなかったが、先ほど目についた女がどうしても気になりコンビニで昼食を買った。パンを齧りながらデスクにつき、呆けながらビルの出入り口を見張る。
女は夕方まで出て来なかった。さらに一度見ただけの女に気を取られ過ぎたリュウジは残業をする羽目になる。そうして仕事を終えたのは午後8時過ぎ。なにやってんだと空に悪態を吐きながらも、女の入っていったビルの下で足を止めた。
ビルの案内板は全て空欄。入り口階段の電灯は健気に働いている。
警備員がいる様子もなく、別に不法侵入にもならないだろうと、リュウジはその階段を昇る。埃くささと湿った空気に二度三度蒸せ返る。どのフロアもアルミ扉が3つあるだけの同じ作り。3階までの全ての扉はしっかりと施錠されていた。
いい加減次の階で諦めようとリュウジは4階に進む。4階に着くとまだ上階があることにリュウジは一つ大きく息を吐いた。なんでエレベーターが無いんだと、漏らしたところで、
「こんばんは」
と、背後から男性の声がする。
「どちら様で?」
アルミ扉のどれかから出てきたと思われるスーツ姿の初老の男は、柔らかな表情で尋く。
「あ、すみません、ちょっと」
とリュウジは乾いた口で答える。
初老の男は表情を変えず首を傾げ、何か御用ですかと無言で催促する。
「あ、あの、私向かいのビルで働いているんですけど、ここ何の会社が入ってたかなぁと、ふと、そう思いまして」
「それは素晴らしい。このビルには我々だけですよ」
素晴らしい? いやそれよりも、我々ということはやはり昼間の女はここの社員か。
「失礼ですが、どんな事業をされているのですか? あ、営業とかではなくてほんの好奇心です」
「スライムを研究しております」
「スライム? スライムってあの山とか海とかにいる、あのスライムでしょうか?」
初老の男は孫の質問に応じるかのように、いかにも優しく微笑を作ってみせた。
「ご覧になりますか?」
そういって手前のアルミ扉の鍵を開ける。
扉の先はいくつかのデスクとPCにプリンター、書類棚だけの殺風景なオフィスだった。スライムの標本でもあるのかと期待したリュウジは、一頻り見た後で聞こえないようにはぁと声を漏らした。
「あなたは何故スライムが存在しているとお考えですか?」
椅子にかけるよう促しながら初老の男も椅子にかける。
「なぜ、と言われましても。それは、例えば、何故鳥が存在するかと同じ質問のように思えますが」
「スライムは何を食べるかご存知でしょうか?」
「スライムは何も食べないでしょう。小学校で習いますよ。無害だと」
「そう。仰る通り。おかしいと思いませんか?」
「おかしい?」
「鳥は虫を食べます。虫は植物を食べます。植物は土から栄養を得て水で育ちます。ではスライムは?」
「それこそ、土や光や水で生かされているのでは?」
「いいえ、スライムは何も食べません。あなた、今『生かされている』と仰いました?」
「はい。まぁちょっと語弊がありまーー」
「誰に?」
初老の男は嬉しそうに口角を上げる。リュウジは首筋が冷たく粟立つのを感じ、背を正した。
「……誰、というのは?」
「我々の現時点での見解を申しますと、スライムは世界間の調整者、という説が濃厚です」
「世界間? 宇宙、ということですか?」
「いいえ。宇宙ではありません。この世界がいくつもある、と今は仮想してみてください」
「うん? えっと……━━」
「ほんの2000年前。神や魔の時代が事実であるならば、伝記にある様々な事象はあらゆる物理を無視して神々によって行われています。当然そんなことは許されない。物理法則には原則と限界があります。例えば宇宙空間であっても光の速さを超越出来ないのはルールです。光が出て来れないブラックホールですらその理の上に存在します。しかし、実際に、山は抉られ、地質学上あり得ない場所に川があり、無限ともされる不可侵の穴が開いていたりする」
「はぁ……」
「この違和感の根底には質量とエネルギーは正しく置換されるべき、という主観が確かにありますが、考えれば考えるほど、そうでなくては世界は形状を保てない筈なのですよ」
「ちょっと、お話のスケールが……。それで、スライムは」
「我々はその神が消費したエネルギーはどこから来たのかを探求しております。そしておそらく、ですが、そのエネルギーは他の世界の物を消費している。お金の信用借りの循環を思い出していただきたい。スライムはエネルギーを世界間を跨いで再分配している装置なのでは、と。つまり神の尻ぬぐいを何千年もさせらていることになります。何を言っているのかとお考えでしょうが、あなたがここを認識出来たということがまず素晴らしい」
「認識? えっと、幽霊じゃ、ないですよね?」
「スライムと同じです。誰も、いや多くの人はスライムを不思議に思わない。そう認識するよう設定されているかのように。我々の研究は神の意に反するのでしょう。あるいは意地の悪い魔王か。どこで研究しようが我々の研究所は人々の認識の外に置かれるのです」
「あぁ、えっと、そうですか。勉強になりました」
喉が張り付きそうな程口を乾かしたリュウジは、不躾など知ったことかと、初老の男から逃げるようにオフィスを出た。
とんでもないオカルトに出会ってしまったと、リュウジは不快な汗で湿った胸を掻きむしりたい欲求に駆られながらかけ落ちるように階段を下る。
通りに出ると何処からともなく炭と肉と煙の香り。ああ、とリュウジはたまらなくビールを欲した。
あの女を追うのはもう止めようと、今出てきたビルを見上げる。
そのビルは高く高く、雲を貫いていた。
\ 次の作品を探す /

読者の感想・応援メッセージ