恋愛

十六光年の真ん中で

2,189文字 約5分で読了
作者:暖菜ニア
 七夕の夜の天気は、雨か曇りと決まっている。  織姫と彦星の一年にたった一度の逢瀬だというのに、空のやつときたら、「まだ梅雨ですから!」みたいな顔をして雨を降らしてくるのだ。  だけど私が十八歳になった今年の七月七日は、朝から嘘みたいに晴れていた。    ここ毎年、七夕に開催される地元の花火大会は雨で流れることが多かった。  だから、晴れと分かったとたん、大会関係者の祖父なんて大喜びで出掛けて行ったし、近くの商業施設で働く父も気合の入った顔をして出勤して行った。  かくいう私も。 『|凪《なぎ》が珍しいわね、花火大会だなんて』  祖母の部屋で浴衣を着付けてもらっていたら、通りがかった母に面白がられてしまった。  花火大会なんて、子どもの頃以来出かけてなかったからね。   『あれは、夏の大三角形。凪ちゃんの好きな織姫のベガと、彦星のアルタイル。二つの星は、約十六光年も離れてるんだよ』  七夕になると思い出す声がある。  伝説や物語を好きな私が、 『えっ、|航《こう》は知らないの? カササギさんが橋を作ってくれるから、二人は七夕には会えるんだよ』 そう反論すると、理屈っぽい幼馴染は、 『約十六光年っていうのは光の速さなんだ。二人が出会うための相対速度はどれくらい必要だと思う? カササギはいったい何羽必要で、織姫たちはいつから橋を渡り始めればいい?』 少し鼻にかかった声で、私のロマンチックなんか簡単に吹き飛ばしてくるから。  私はぐうの音も出ずに、押し黙る。  小さな頃から一緒にいて、幼稚園も同じ。  お互いの願い事なんて、短冊に書かなくても分かっていた。  八年前のあの日の七夕の日。  あの日も、朝から晴れていたっけ。  今日は何時に待ち合わせにする?  お小遣い二人分足したら、たこ焼き食べられるかな?  見る場所は、あじさい公園でいいよね?  家の前の坂を登ると新興住宅街がある。そこの公園は花火がよく見える、とっておきの穴場だった。  だから私たちは、毎年息を切らしながら坂を登っていっていたんだ。  でもその年の私たちは、花火大会には行けなかった。  その年じゃないか。  正確には|そ《・》|の《・》|年《・》|か《・》|ら《・》だ。   「アラスカ……?」  航は言った。  父親の仕事でアラスカに引っ越すのだと。   「花火大会に行けないの……?」 「まだ二週間あるから、今日は行けるよ。」  そうじゃない。  来年も、再来年も一緒にいられると思っていたのに。  |今《・》|日《・》|は《・》|行《・》|け《・》|る《・》?  なんでそんなに平然としてられるの?  私は、行けない。  こんなぐちゃぐちゃな気持ちのまま、花火を楽しめるわけがない。 「……かないよ」 「え?」 「航となんか、花火大会に行かない……!」  その時の私は、どんな顔をしてたのだろう。  間抜けな顔だろうか。  それとも、駄々っ子のような顔だろうか。  自分の顔はわからないけど、航の顔は覚えている。  普段は切れ長の目を見開いて、心底驚いている顔だった。  ♢  ドォオン!  空を震わせる音と共に、紺碧の空に花火が打ち上がる。  航が日本にいた最後の夏。  私は自分の部屋で布団を被りながら、この音を聴いていた。 「航ちゃん、迎えにきてくれたわよー」  母の声も無視して。  二週間はあっという間に過ぎる。  夏休みが始まった頃、航の一家は日本からアラスカへと旅立っていった。 「ばあか。航のばあか」  一年にたった一回だけど、恋人たちがデートできる日。  そんな日をぶち壊してくれた幼馴染が許せなかった。  花火大会から数日経った夕暮れ、アジサイの影が伸びる坂道を、私は一人で登っていた。  ふたりだとあんなに短く感じたのに、ひとりだと飽きてしまうくらい長く感じる。  誰も知らない穴場は、公園の隅っこにあった。 「あれ?」  見覚えのない影が見えて、思わず声が漏れる。  まるで不釣り合いな笹が地面に刺さっていて、一枚の短冊がかかっていたのだ。  そこには——。 『彦星の二倍のスピードで、凪に会いにくるから。ちゃんと待ってて』  十年生きていた中で、一番よく目にした文字がそこにあった。  左に下がっていくクセ、几帳面なハネとトメ。 「……っふぅ……っく……」  みるみるうちに、航の文字がぼやけて滲む。  私が変な意地を張っている間、航は私のことを考えてくれていたのだ。  アルタイル、夏の大三角形、十六光年。  難しいことばかり言っていた私の幼馴染が、「彦星」だなんて……!  ドォン! ドドォン!  次々に空を彩る花たち。  本当に航がここに来るかはわからないけど。  約束通りなら、十六光年の半分は八年だから。  ねえ、航。  私、航のいない七夕を七回過ごしたよ。  他の人と見たこともあった。  でもやっぱり私は——。 「今年は晴れたな。夏の大三角形がとても美しい」  後ろから不意打ちのような声。  もう子どもらしい可愛らしい声ではないけれど、鼻にかかった甘い声は聞き覚えがあった。  私は振り向かずに答える。 「織姫のふだんの行いがよかったのよ」 「いや。ここ数日は高気圧で、下降気流によって雲がなくなっているのが理由で……凪? こっちむいてよ」 「……」  ドォンドォン!  夜空に忙しなく花火が打ち上がっていく。  その勢いに背中を押してもらって、私は振り返る。  鮮やかな赤、続いて、チカチカと震えるブルーの光に、知らない航が照らされて——。  今だけなの?  明日はもういないの?  聞きたいことはたくさんあるけど、私は——。 「おかえり、航」  空には大輪の花火に負けないくらい、夏の大三角形が輝いていた。
2026/10/03 ・ 👁️ 103回 ・ 💬 1件

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