SF・ファンタジー

七回目のセーブ

3,532文字 約8分で読了
魔王城の中層。その最奥には、中ボスが待ち構える巨大な扉があった。  禍々しい彫刻が刻まれた扉のすぐ脇に、場違いなほど小さな机が置かれている。机の上では、水晶が淡い光を放っていた。その向こうで、セーブ係の少女が記録帳をめくっている。  重たい足音が廊下を引き返してきた。  少女は顔を上げるより先に、その足音の主が誰なのか察したらしい。記録帳へ視線を落としたまま、小さく息を吐く。  勇者は何食わぬ顔で机の前に立った。 「よっ……! また会ったね」 「…………」  少女はようやく顔を上げると、勇者の背後へ目を向けた。中ボスの扉は、先ほどから一度も開いていない。 「セーブさせてくれないか」 「またですか? 一体、何回すれば気が済むんですか?」  少女は記録帳を数ページ戻した。同じ名前が、ほとんど間を置かずに並んでいる。  一、二、三。指先で数え、もう一度最初から確かめる。それでも結果は変わらなかった。 「これで七回目ですよ。あなたの日記帳じゃないんですよ?」 「分かっている。しかし、俺は不安なのだ」  水晶へ手を伸ばしかけた少女が、ぴたりと動きを止める。疑うように目を細め、平然と立っている勇者を見上げた。 「なにが……?」  勇者は腕を組み、いかにも重大な理由を説明するかのように、ゆっくりとうなずいた。 「と、扉を開けようとしたときに、禍々しい気配を感じたのだ。……そう、あれは魔族の――」  少女の視線が、勇者の頭から足元までを往復する。剣に刃こぼれはなく、鎧にも目立った傷はない。先ほどセーブしたときと何一つ変わっていなかった。 「魔族の……何ですか?」 「会議に違いない! 勇者側の戦力をそごうと、話し合っていたんだ!」  勇者は腰に下げた道具袋を持ち上げ、中身を確かめるふりをした。 「えーっと……ポーションは――」 「無傷ですよね?」 「……ふっ、分かってないな。これから怪我するかもしれないだろ?」  少女は黙って水晶へ目を向けた。光は一定の間隔で穏やかに明滅している。記録の失敗を知らせる濁りも、ひび割れも見当たらない。 「怪我すればいいじゃないですか」 「お、お、鬼か! きさま。俺は勇者だぞ!?」  少女は記録帳を閉じ、机へ両肘をついた。重ねた指の上へ顎を載せ、逃げ道を塞ぐように勇者の目を見つめる。 「めんどくさ……。本当は弱いんじゃないですか?」  勇者の肩が、ほんのわずかに揺れた。 「そ、そんなことはない! リザードマンだって、やっと倒せたんだから」  少女はその反応を見逃さなかった。口元へ浮かんだ笑みには、ようやく答えを見つけた者の確信があった。 「中ボスが怖いだけでは? リザードマンなんて、あたしでも倒せますよ?」  勇者はわざとらしく鼻で笑い、腰の剣へ手を添えた。 「大丈夫だ! 今日は朝の占いでも五位だったし、宿屋の昼食も好きな献立だったのだから」 「は……?」  そのとき、巨大な扉の向こうから、地面を揺らすような轟音が響いた。  机の上の水晶が震え、勇者の鎧がかすかに音を立てる。  二人はそろって扉を見た。  しばらく待っても、勇者は動かない。  やがて、扉の向こうから何者かが遠慮がちに咳払いをした。 「グゥウゥウ、勇者ァァァァァ……!!」  勇者は聞こえなかったふりをして、少女へ向き直る。 「あれ、おかしいな。こんなときにお腹が鳴るなんて」 「一生食えなくしてあげましょうか? え?」  今度は扉が内側から三度、規則正しく叩かれた。 「まだなの? どんだけ待たせるのよ」 「い、いや……だって、この子が」 「…………!!」  少女は堪えきれずに吹き出した。すぐに口元を手で隠したものの、肩は小さく震えている。 「わ、笑うな! 俺は今、勇者の尊厳を懸けてだな……!」 「その尊厳、中ボスの部屋に置き忘れてません? さっさと取りに行ってください」  少女が扉を指し示すと、勇者は胸を張って一歩を踏み出した。  しかし、その足が向かったのは扉ではない。  勇者は少女の机へ、先ほどよりも一歩近づいていた。 「……そんなに、ここから離れたくないんですか?」  少女の問いに、勇者は答えなかった。  先ほどまで淀みなく並べていた言い訳が、急に尽きてしまったらしい。剣の柄へ置いた手を離し、気まずそうに視線を泳がせる。 「どういう意味だ?」 「だって、さっきから言い訳ばかりで、全然戦おうとしないじゃないですか?」 「ち、違うんだ。俺はただ、タイミングをだな……」  少女は勇者の言葉を遮るように、閉じた記録帳の表紙を指先で軽く叩いた。 「早く倒してきてください。それが終われば、あたしは帰れるんですから」  勇者の表情から、わずかに強がりが消えた。 「仕事を終えたら、きみはどこに行くんだ?」 「さあ……? ただ、あたしはあるべき場所に帰るだけですので」 「次の階層でも、またきみが担当するのか?」 「それはないかと。ここでの仕事が終われば、もうあたしは――」  少女はそこで言葉を切り、小さく首を横へ振った。次の階層には、別のセーブ係が配置されているのだという。 「な、なんだ。次にも同じ役目の者がいるのか。大変だな。じゃあ、倒すしかないなあ! ヤツを!」 「……なんか無理してません?」  扉の向こうは、いつの間にか静かになっていた。中ボスまで、二人の会話へ耳を澄ませているようだった。  少女は机から身を乗り出し、逃げ続ける勇者の顔を下から覗き込む。 「まさか、会えなくなるのが嫌で戻ってきたのですか?」  勇者は口を開いた。しかし、いつものような言い訳は出てこなかった。  長い沈黙の末、勇者は観念したように肩を落とす。 「じゃあ、行くか……いや、その前に――」  少女は急かさず、勇者の言葉を待っている。  勇者は一度だけ中ボスの扉を振り返ると、意を決したように少女へ向き直った。 「怖いのは怖いけど、それ以上にきみに会えなくなるのが嫌なんだ……」  少女の瞳がわずかに見開かれた。勇者は恥ずかしさをごまかすように、早口で言葉を続ける。 「初めは普通にセーブをしに来たんだ。だけど、今はきみと話すのが楽しいんだ」 「はあ……。物好きな人ですね。だから何度も戻ってきたんですか?」 「まあ……なんだ、その……そうだ」  巨大な扉の向こうから、何かを押し殺すような声が漏れた。どうやら中ボスまで笑いを堪えているらしい。 「笑うんじゃねぇえ! せっかく勇気を振り絞って言ったのに!」 「そんな腰抜けには負けねぇよ。逃げられる前に来いよ」  少女は扉をひと睨みしてから、再び勇者を見上げた。頬には、先ほどまでなかった淡い赤みが差している。 「……あたしも、あなたの足音が聞こえるたび、少しだけ嬉しくなっていました」 「それって――」 「明らかに、最初とは魔力の量も気迫も違いますね」 「ごまかしたな?」 「せっかくやる気になったんですから、戦ってきてください」  勇者は勢いよくうなずいた。先ほどまで怯えていた扉を背に、今度はまっすぐ少女を見つめる。 「もしさ……俺が魔王を倒したら……付き合ってくれないか?」  少女は一瞬だけ驚いたあと、何かを企むように目を細めた。 「仕方ありませんね。魔王を倒せたら……ですよ」  勇者の顔に、今日一番の笑みが広がった。  上機嫌で剣を抜き、中ボスの扉へ身体を向ける。 「おっしゃ! やってやるぜ!」  すると、待ちきれなくなったのか、巨大な扉がわずかに開いた。その隙間から、中ボスがこちらを覗き込む。 「オラ、早く来いよ! 時間の無駄だ」 「よし! 今から倒すからな!」  中ボスは勇者ではなく、その背後にいる少女へ目を向けた。  次の瞬間、扉の隙間から伸びていた顔が引っ込み、内側で何かが慌てて姿勢を正す音がした。 「……魔王様、もうそろそろお時間かと」  勇者の動きが止まった。 「ん……今、なんて?」  少女は答えず、机の上の記録帳を静かに閉じた。指先が水晶へ触れると、淡かった光が深い赤紫へ変わる。  それまで少女の気配を覆っていた何かが消え、魔王城そのものが呼吸を始めたかのように、廊下の空気が重く沈んだ。 「きみは一体――」  少女は椅子から立ち上がり、服の裾を整える。勇者へ向けた微笑みだけは、先ほどまでと何も変わっていなかった。 「勇者がどれほどの力の持ち主か見極めるため、ここにいたのです」 「ん……えーっと……つまり、きみはセーブを司る聖者なんだよな?」 「セーブ係でもありますが、魔王と名乗ったほうが早いですね」  勇者の顔から、今日一番の笑みがゆっくりと消えていく。 「え……じゃあ、さっきの約束は……?」 「約束は守りますよ。あたしを倒せたら」  少女の足元へ赤紫の魔法陣が広がった。光に包まれた身体が少しずつ透けていく。 「魔王の間で待っています」  少女の姿が完全に消え、廊下には勇者と中ボスだけが取り残された。  長い沈黙のあと、中ボスが扉の隙間からもう一度顔を出す。 「ちなみに魔王様、不老不死だからな」 「えぇええええ――っ!?」
2026/09/18 ・ 👁️ 82回 ・ 💬 0件

\ 次の作品を探す /

読者の感想・応援メッセージ

まだ感想はありません。

0 / 1000文字