家の本棚を整理していると、中学生ぐらいの時に使っていた教科書が出てきた。
懐かしさにページをめくる。
資料集の国語図録を見てますます嬉しくなった。
もうボロボロの国語図録。
中学生の時、国語図録を見るのが好きで暇さえあれば眺めていたのを思い出す。
漢詩や短歌、平安時代の女性貴族の作家から文豪、現代の作家まで様々な作家の紹介、代表作。
作品が作られた舞台や背景。用語の説明、歳時記まで。
生きていく上で勉強ばかりが重要なわけじゃない。
けれどこの国語図録は私の人生を豊かにしてくれたと思う。
今の時代はスマホでググればすぐに何でも出てくる。
AIに尋ねれば答えてくれるし、何でもすぐに調べることができるわけだけど。
今日は中秋の名月だ。
国語図録の中秋の名月のページをめくる。
月にまつわる和歌や地方の習慣、中秋の名月が歴史でどのように扱われていたのかが載っている。
関東風と関西風の月見団子の違いも。
ちなみに我が家ではどちらも用意する。
裏の畑のすぐそばに生えている、すすきを取ってこよう。
お団子は団子粉で作ろうかな。
作ったらすぐに子供達に食べられちゃいそうな気がするけど。
私はそっと、国語図録を本棚に戻した。
学生時代に思いを馳せて、図録のページは私の人生の1ページへとなった。
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僕が宇宙を好きになった理由を誰かに尋ねられるたび、口をついて出る明確な答えはない。ただ、ずっと昔から、夜空を見上げるたびに胸の奥が静かにざわついた。
そのざわめきは不安ではなく、遠くの誰かに呼ばれているような、名のつかない感情だった。
子どもの頃は、星の名前も距離も知らなかった。けれど、目に映る光の向こうに測れない時間
が流れていることだけは、分かった。
人間の時間とは別の、もっと大きな流れ。僕はその流れに触れるたび、心のどこかがほどけていくようだった。
宇宙がただの憧れから、僕の人生の方向になったのは、ある夜、眠れずに眺めていたYouTubeだった。
偶然再生された動画は、宇宙の果てについて語る番組。聞き慣れない単語が次々と飛んできた。暗黒物質、マゼラン雲、宇宙背景放射。だが不思議なことに、それらは難解であるはずなのに、僕の心の側に座り込んで、静かに語りかける。
画面の向こうで、誰かが語っている。分からないものを、それでも分かろうとする姿勢を。
その誠実さに、僕は心を奪われた。
それからというもの、宇宙に関する記事を追いかけるようになった。ニュースアプリを開けば最新の観測結果を読み、解説動画を見れば未知の現象を知る。新しい知識が増えるたび、宇宙がわずかに近づく気がした。
星は変わらないが、それを見る僕が変わる。
その連続が、僕にとっての成長だった。
創作を始めたのも、宇宙があったからだ。物語を書くとき、世界設定に迷うと、必ず宇宙の資料に立ち返る。惑星の気圧、衛星の軌道、恒星の寿命。検索窓に入れた言葉は、僕の迷いを遠くへ連れ去ってくれる。
創作は孤独かもしれない。けれど、調べるという行為の先には必ず誰かがいる。天文学者、研究者、動画で熱く語る解説者たち。彼らの思考の断片に触れると、自分ひとりでは到底届かない場所へ、少しだけ踏み込める気がする。
僕は一人で物語を紡いではいない。そこには先人たちの努力、閃き、そして好きが幾重にも交錯して僕の背中を押してくれている。
今でも夜空を見上げる。星座の名は結局ほとんど覚えられなかった。それでも、あの日YouTubeを開く前より、宇宙はたしかに近い。
宇宙が僕に与えた影響とは、分からないものの前で立ち止まらずに、一歩踏み出す勇気だ。
それは星の光より頼りなく、ときには消えそうになる。
けれど、その小さな勇気が積み重なって、僕の世界はゆっくりと、確かに広がっていった。
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機械との相性が悪い
自動ドアが開かないことがザラにある
なんでだよ
手をかざしてくださいって書かれてるところにかざしても触ってもうんともすんとも言わないことがある
なんでだよ
前の人それで開いてたじゃないですか
もしや異物だと思われている????
同行者が触ったら普通に開くのも意味がわからない
閉じかけたドアにそのまま挟まれたことも何度もある
なんでだよ
普通人を感知したら閉めるのやめてくれるもんだろうが、私だけしっかり挟み込むのやめてもらっていいですか?
そんなにしたいか?ハグを
なんでだよ
前の人はちゃんと踏みとどまって1回開いてたじゃないですか
やっぱり異物だと思われてる??
早く人間になりたい
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長い間、忘れていた
夢見ることを思い出したなら
夢の果てまで歩いて行きましょう
たくさんの子供たちを
置き去りにした
あの子たちを迎えに行って
夢の果てまで歩いて行きましょう
8歳の 夢見る私
13歳の 迷宮の入り口に立つ私
手をつないで迷わぬように
17歳の 血を流し
死にたいとばかり考えていた
夜の底よりも暗い、十代の
あの頃の私を迎えに行かなくては
平坦な様で紆余曲折、
気がつけば随分と
歩いてきたものです。
夢見る力が尽きてなお
ただひたすら歩いてきたのです。
振り返れば夢見る私がおりました。
夢はあわく、優しく柔らかく
いつのまにか 私の人生に
とけておりました。
柔らかな夢は私自身となりました。
夢見る力を取り戻し、もう一度
8歳の私も、13歳の私も、17歳の私も、
夢の果てまで一緒に、
どこまでもどこまでも
歩いて行こうと想うのです。
童話作家になりたいと思ったのは小学2年生の時でした。
その頃からずっと夢は童話作家。
それは夢というよりは決意のようなものだったと思います。
13歳の時、私は詩を書き始めるようになりました。
心に浮かんだ心象を言葉にして紙に書き留める。
夢想好きだった私にとって詩を書くということは、自分の心を記録することだったように思います。特にその後10代の後半になるにつれてそれは顕著になっていったと思います。
10代の頃、本当に体調が悪くって、年間200日ほど出血がまらない毎日でした。今ならば月経困難症とか出血過多症とか病名がつくのかもしれませんが、10代の初めの頃に出血があまりにもひどいので病院に行って見てもらったところ「始まったばかりなので生理不順でしょう」と言われてそれっきり病院に行くことはありませんでした。まだ10代だった私は、みんなそんなものなのだと思って過ごしておりました。今から考えると、どう考えても異常なんですけどね。出血が20日も続くと目は太陽を10秒ぐらい見た後みたいに点滅してよく見えず、それでも立っていることも歩くこともできるので自分の異常にもよくわかっていませんでした。高校生の頃、記憶がよく飛んでいるのですがおそらく出血多量で意識が朦朧としていたのだと思います。
高校生の時は毎日ノートに「詩と絵」書いて過ごしたものです。
そんなわけで黒板の板書というものが本当に苦手でなにせ頭に浮かんでくる言葉を先に詩として、書き出してしまはなくてはならず、詩を書いたらそれに合わせたイラストもセットで描きたかったのです。
私にとって詩を書くというのは生きている存在証明のようなものです。プロフィールに「詩人」と名乗っておりますが、正直に言って詩人として有名になりたいとか、受賞したいなどという気持ちは全くないのです。ごめんなさい。こんなことを書いたら不快に思われる方もいらっしゃると思います。
でもきっと私は10代の時に詩を書いてなかったら心が潰れていたと思います。体がしんどくて言うことが聞かなくて、けれどその異常な状態を普通だと思っていたのですから。おまけに人並みに動けないことを自分がどんくさいからだと思っておりました。
だから詩を書いて心を吐き出すということが、私にとってどんなに重要だったか。
17歳の時に初めて自分にとって納得のいく作品が書けました。
「夜の海」という作品です。
主人公は13歳の女の子、17歳の当時の私から見てあの頃の私なのでしょう。
今もとても大切にしている作品です。
だんだんと書くのがしんどくなって夢を諦めたのが27歳の時。
それから10年以上何も書いておりませんでした。
詩を書くことすら、やめてしまっていたのです。
けれど、ある時とても気に入った作品ができて二次創作をしたくなってもう一度筆を取りました。4年ほど二次創作をちまちま書いては アップしておりましたがほんの少しだけオリジナルをもう一度書いてみようとある時思いました。
X にアカウントを作って、気軽に140字小説でも千話分ぐらい作ってみようかなと思ったのが始まりです。
1ヶ月もしないうちに詩を書くのが復活しました。
やはり私は詩を書くのが好きなのです。
詩を書くのは自分の心を吐き出すこと。
自分の心に素直であること。
辛さも喜びも悲しみも、ぐちゃぐちゃになっている心の中を全部まとめて言葉にしてしまうこと。
私にとって詩を書くというのは、生きているということです。
アカウントを作って初めの目標の千作品を書ききってしまいました。だから次の目標、いいえ、夢を復活させることにしました。もう一度夢を。
今もきっと夢の中に私はいます。
たくさんの夢見た私と一緒に。
これからも夢の果てに向かってたくさんの私を連れて歩いて行きたいと思います。
ささやかながらこれを自己紹介とさせていただきます。
そこまで読んでくださってありがとうございました。
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