コメディ・日常
湯気の向こうに、帰る場所
1,210文字
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朝の連絡船が桟橋に着くころ、マファルダはカルデラへ続く坂道の途中で足を止めた。
村外れの地面から、白い湯気が幾筋も立ちのぼっていた。そのそばで、花柄のエプロンを着けた女性が、大きな金属鍋を地熱の穴へ下ろしている。肉と野菜を詰めた鍋を土で覆い終えると、女性は額の汗をぬぐい、坂の途中にある小さな店を指さした。
「お昼には煮えるよ。お腹がすいたら、うちへおいで」
マファルダが礼を言うと、女性は鍋を埋めた場所をもう一度確かめてから、坂道を上り始めた。彼女の後を追うと、玄武岩を積んだ壁に、色褪せた看板が掛かっていた。「オ・カルデイラン」とある。
扉を押すと、煮込み料理の香りが漂ってきた。女性は店主のイネスと名乗り、窓際の席を勧めてくれた。
昼どき、イネスが鍋から取り分けたコジードを運んできた。蓋が開くと、肉の香りと湯気がふわりと広がった。豚肉やチョリソ、キャベツに芋。どれも形を崩すほど柔らかく、大地の熱をゆっくり吸い込んだ味がした。
「船に乗る人にも、帰ってきた人にも、同じものを出すんだよ」
イネスは鍋を片づけながら言った。
「出ていく日は、次に帰るまでの腹ごしらえ。帰ってきた日は、ようやく落ち着いて食べられる。料理は同じでも、味わい方は違うんだろうね」
マファルダは膝の上の地図を見下ろした。リスボンで観光案内図を描く彼女の地図には、港から教会へ向かう道も、展望台の標高も、溶岩海岸までの距離も正確に記されている。けれど、線をいくら整えても、そこに暮らす人の温度までは描けなかった。
「このお店も、地図に載せたいんです。目印になるものを教えてもらえますか」
「うちは小さな石造りの店だし、看板も古いからねえ」
イネスは少し考え、窓の向こうを指さした。
「それより、あそこの湯気を描いておくれ。朝になると、島のあちこちから立ちのぼる。あれを見れば、お昼が近いってわかるから」
マファルダは手帳の余白に、黒い土から立つ白い湯気と、その脇に置かれた小さな鍋を描き加えた。
夕方、桟橋へ戻る途中、彼女は防波堤の石段に座る親子を見かけた。大きな旅行鞄を足元に置いた青年と、彼を迎えに来たらしい母親だった。母親は紙に包んだ蒸し芋を半分に割り、青年に渡している。二人は海を眺めながら、取りとめのない話をしていた。
マファルダは、地図の中の港と、目の前の二人を見比べた。ここには、出発する人の背中も、帰ってきた人の安堵もある。道の長さでは測れない時間が、島の暮らしを静かにつないでいた。
帰りの船のデッキで、彼女は湯気のスケッチの横に、一行を書き添えた。
「ここでは、冷めないくらいの早さで良い」
島は夕霧に包まれ、ゆっくり遠ざかっていく。コートのポケットには、イネスが持たせてくれたアルミホイル包みがあった。
手のひらでそっと温度を確かめると、まだ温かかった。
マファルダは目を閉じた。次に地図を描くときは、道だけではなく、誰かが帰ってきたくなる場所も描こうと思った。
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