コメディ・日常
半歩遅れて、輪の中へ
955文字
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坂の途中で、麻衣は足を止めた。カマラ・デ・ロボスの白壁と赤い屋根が、夕日に染まっている。坂の下から、弦の軽やかな音と、木が触れ合う乾いた音が聞こえてきた。
東京の保険会社で十余年、書類の数字や約款の誤りを防ぐことに追われてきた麻衣は、休日まで予定を細かく決めていた。休暇を勧められ、旅程をほとんど決めずにマデイラ島へ来たのは、間違えない毎日から少し離れたかったからだ。
音に誘われて公民館をのぞくと、広間では人々が輪になって踊っていた。ブラギーニャの旋律に、ブリンキーニョの小さな木の音が重なる。マデイラの伝統舞踊、バイリーニョの練習らしい。
輪の端で、黒い巻き毛の少女が何度も足を踏み違えていた。曲が止まるたび、申し訳なさそうに俯く。
しばらく様子を見ていると、ドナ・コンセイサォンと名乗る女性がポルトガル語で話しかけてきた。
麻衣は慌てて手を振って、ポルトガル語が分からないと伝えようとした。すると足を踏み違えていた少女が近づき、たどたどしい英語で通訳した。
「あなたも、どう? 見ていると簡単そうだけど、やると違うのよ、って」
少女の名はイネス。麻衣も輪に入ると、案の定、足を間違えて隣の老人にぶつかりそうになった。曲が止まり、老人が笑って手を振る。麻衣が赤くなってイネスを見ると、彼女も口元を押さえていた。
「お姉さんも、間違えるんですね」
「間違えない人ばかりだったら、私、ここにいられないよ」
二人は顔を見合わせて笑った。ドナが楽師に合図し、ゆっくりと曲が始まる。麻衣が足を迷わせると、イネスは半歩遅れて同じ方向へ動いた。麻衣も少女の歩幅に合わせる。二人の動きは不器用なまま少し揃い、歪んだ輪は途切れず回り続けた。
練習のあと、イネスは温かいガラォンを手に、祭りの踊りが怖かったと打ち明けた。麻衣も、間違いを恐れてばかりいた自分のことを話した。
「明日も来る? 踊らなくても、ここにいるだけでいいのよ」
ドナの言葉をイネスが訳す。麻衣は、翌朝の便で島を発つ予定を思い出した。席も搭乗口も確認済みだ。それでも、もう一度踊りたいと思った。
「はい。明日も来ます」
宿へ戻る坂道で、麻衣の足は小さく左右にリズムを刻んでいた。上手になったわけではない。明日もきっと間違える。それでも、誰かの半歩に自分の半歩を寄せる心地よさを、彼女は知った。
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