コメディ・日常

光を漉く旅

1,024文字 約3分で読了
作者:TakaTuki
美緒は、乗り換えの電車を一本見送った。丘に重なる茶色い屋根が気になったからだ。イタリアに来て五日目。大阪で店舗照明を設計する彼女は、休日くらい予定を決めずに歩きたかった。  坂道にはパンの焼ける匂いが漂い、石造りの家の窓辺では洗濯物が風に揺れていた。古い修道院を改装した「紙と透かしの博物館」を見つけ、美緒は何気なく入館した。  窓辺の展示台で、一人の女性が紙を光にかざしていた。 「絵柄じゃなくて、紙そのものを見ているんですか」  思わず日本語で声をかけると、女性は顔を上げた。 「はい。繊維の絡み方が気になって。私、越前和紙の工房で働いているんです」  山岸紗季、二十八歳。祖母から和紙の技術を学んだ職人だった。伝統を守るだけでは工房の未来が難しいと感じ、新しい用途を探しにイタリアへ来たという。  坂の途中のカフェで、紗季は胸の内を明かした。 「石の建物も、大理石も、本当に美しいんです。でも、見れば見るほど、自分の紙が頼りなく思えて。新しいものを作ろうとすると、祖母が守ってきたものから離れてしまう気がするんです」  美緒はエスプレッソを置いた。 「私たち照明の仕事は、光を均一にすることが多いんです。でも、さっきの紙を通した光は、ムラがあるのにきれいだった」  紗季はバッグから越前和紙を一枚取り出した。美緒が午後の光にかざすと、繊維の影が手のひらに淡い金色の模様を落とした。 「これ、店舗の照明に使えたら面白いと思います。耐熱性や防炎性など、確かめることはありますけど」  紗季の表情が明るくなった。 「帰ったら、厚さや繊維の残し方を変えて漉いてみます」 「私も光の広がり方を試してみます。均一にするだけが、いい照明じゃないのかもしれない」  二人は笑った。まだ商品になるかどうかもわからない。それでも、互いの仕事に新しい可能性が見え始めていた。  別れ際、紗季は小さな紙片を美緒に渡した。 「これ、持っていってください。光にかざしてみて」  電車の窓辺で、美緒は紙を夕日に透かした。町の屋根が遠ざかり、紙を通った光が膝の上で揺れていた。  三週間後、大阪の事務所に紗季から小包が届いた。厚さの異なる和紙と手紙には、試してみたい紙ができたと記されていた。  美緒は照明を当て、光の広がり方をノートに書き留めた。そして数値の横に、「残すムラ」と書き添えた。  窓の外では、ビルの壁に不規則な光が揺れていた。  旅先で見つけた小さな可能性は、まだ形になっていない。それでも美緒は、次に紗季と会う日のことを考えていた。  
2026/10/25 ・ 👁️ 4回 ・ 💬 0件

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