SF・ファンタジー

宇宙のお仕事

1,689文字 約4分で読了
作者:珈琲時間
 尽きることのないデブリの中から資源を採取する。  宇宙空間のゴミ溜めの、その男の一日の時間は、そうやって消化される。それはこの時この男この仕事の名の下に、明らかに正しいことであった。  元の形状に興味を向ける間も無く、獣の骸から可食部を取り出すように、布とも金属とも分からぬ物体から、手元を照らすセンサーの示すまま鉱物を採取する。ただ、無心に。一つ終わればまた一つ。無重力の空間は何よりまず息苦しく、汗の玉が勲章のように浮遊する。  1DK程の船体。男の処理速度に合わせ、AIが歪な腕で掴むデブリを、外からまた一つと、船内に送り込む。それが繰り返される。ただ、繰り返される。この宇宙の無限のどこかで。  かつてその男においては、見知らぬ他人に親切にすることも、恩義ある人に疑いなく尽くすことも、全く正しいことであった。それはパン・ド・カンパーニュに合わせるワインを一考する瞬間や、ファストフードの新作に胸を踊らすことと同じことのように、或いは、恋人や友人の身を案じ思い耽ることや、家族の祝福の為に金銭を使うと同じように、確固たる信仰心の如く、真っ直ぐその心を握っていた。  しかし、世の幸福と不幸は同時に存在し、人は人を裏切り、また消費し、己の至福へと突き進むことも、完全に悪事である、と誰にも断言ないことであった。  その男は己の栄光を目前に、積み重ねた全てを失った。友情と家族との信頼も、金銭も、その哀れな信仰心も。  言ってもいないこと、やってもいないこと。男の知らぬところで、敵意を持って吹聴された数多の言の葉は、弾丸となり放たれ、やがて男の生涯をもってして築いた石柱を、無惨に無情に撃ち砕いた。法は機能せず、或いはそのためには、当時の男にとって莫大な資金を要した。失意と絶望の濁流に溺れ、心の根まですっかり沁み込んだ頃、借金返済の責務だけを背負って、男は宇宙に飛ばされた。  漆黒の海の中、幾千の漂うシャトルの臓腑。かつて少年時代に思い描いた宇宙とはあまりにかけ離れたこの光景にも、男はすでに安心感を覚えるほどの月日が経っていた。  その日の終わりをAIが知らせる。臓腑の海から脱出した小型船は、同じく這い出てきた相棒機と数百メートルのワイヤーで繋がる。まるで互いを労うため交わされる握手のように。ワイヤーによってつながった2機はぐるぐると回転を始め、互いの船内に0.7Gの重力を生む。それは仕事場からの帰宅を意味する。 「お疲れさまでーす!」  相棒機から音声通信が入る。 「どうも、お疲れ様です。どうですか? 慣れました?」  相棒機に乗る女性は、この地獄に来て3日目だった。前任者は任期を終え、男に気を遣いながらも、帰還する喜びを抑えられぬといった様子で帰って行った。男も長く時を共にした友人に、誠意を持って送り出したのだった。 「いやー、おばちゃんには難しいね!そのうち慣れるかね?」  新しい相棒は「おばちゃん」らしく随分と馴れ馴れしかった。彼女の調子に男は少し、感謝と心配を抱いていた。 「慣れますよ。僕もしばらくかかりました」 「そうかい!励ましてくれてありがとうね。あんたみたいないい人が、なんでこんなことやってるんだい?聞いてもいいかい?」  男はしばらく考えたが、前任者もそうだったことを思い出していた。どうしてこんな仕事をするハメになったのか、誰もが気になるのだろう。それを知ることは、信頼の類や、あるいは、自分の方がマシだと、彼らの自尊心の保護に繋がるかもしれないと、男は考えている。男は自身の尊厳を地球のどこかに置いてきていた。だから前任者同様、包み隠さず、また脚色することなく、全てを話した。  その口ぶりは、相手のいかなる反応も期待しないといった、冷酷なまでの柔らかさを帯びていた。  話し終わると相棒はしばらく沈黙だけを寄越す。男は食事の入ったチューブを選んでいる。 「あんた」 「はい。なにか?」 「借金もチャラになって、脱走できると言ったら信じるかい?」  男は思わず、数百メートル先の相棒機に目をやる。どこかの恒星が、その機体を朝露のように照らしていた。  握手のようなそれは、離さないとでも言っているように思えた。
2026/09/23 ・ 👁️ 90回 ・ 💬 0件

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