コメディ・日常
三つ目のしるし
1,211文字
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初雪が山の稜線を白く縁取った十月、モンタナ州ガーディナーの朝は、頬に刺さるほど冷えていた。リサはダウンジャケットの襟を立て、首から下げた木札を指先でなぞった。
三十五歳の誕生日に、姉のエミリーが贈ってくれた「ロッジ&温泉パス」。三つの枠には、温泉やロッジを訪れるたびにしるしを押してもらえ、提携する地元の店で旅の品を選ぶときにも、最後の枠を使える仕組みだった。
「いつも誰かの都合に合わせてるでしょ。たまには、自分の好きなことをしておいで」
そう言われて、リサはシアトルから一人で旅に出た。イエローストーン国立公園の北門を抜けてガーディナーに着き、二軒の温泉ロッジを訪ねた。木札には、二つのしるしが並んでいる。
残るひとつをどこで使うか、リサはまだ決められずにいた。
メインストリートを歩いていると、雑貨店の軒下に小さな看板が見えた。戸を開けたとたん、暖かな空気と、乾いた薪の匂いが頬を包む。棚には地元の工芸品や保存食が並び、窓辺には町の名が印刷された小箱が置かれていた。地元の焙煎所のコーヒー豆だった。
「それ、お土産にちょうどいいわよ」
カウンターの向こうで、店番のキャロルが笑った。
「香りがいいですね。でも、せっかくなら三つとも温泉に使ったほうがいいのかなって」
リサは首元の木札を持ち上げた。温泉に入るたび、旅をしている実感が深まった。けれど、最後のひとつをどうするかだけは、朝から心に引っかかっている。
キャロルは木札を見て、目を細めた。
「お湯に入るためだけのものじゃないのよ。ここで何を見つけたか、それを選ぶのも旅でしょう」
リサはコーヒー豆の箱を手に取った。休日の朝、エミリーと二人でコーヒーを飲む。湯気の向こうで、姉はいつも最初のひと口をゆっくり味わった。仕事の話はしないと決めていたのに、結局は同僚の愚痴や失敗談で笑い合い、冷めかけたコーヒーを最後まで飲む。そんな何でもない時間が、忙しい日々のなかで、いつの間にか二人だけの習慣になっていた。
「これにします。姉と一緒に飲みたいから」
「いいわね。お姉さん、きっと喜ぶわ」
キャロルは箱を紙袋に入れ、口を丁寧に折り返した。リサが木札を差し出すと、キャロルは古いスタンプを最後の枠に押した。乾いた音がひとつ、店の静けさに響いた。
店を出ると、冷たい空気のなかに、かすかな硫黄の匂いが漂っていた。ガーディナーの町の向こうには、川沿いの木々と、雪をいただいた山並みが見える。リサは紙袋を抱え直し、スマートフォンを取り出した。
二つの温泉のしるしが並ぶ木札と、コーヒー豆の入った紙袋を写真に撮って、姉に送る。
「次は一緒に来ようね」
返事はすぐに届いた。
「うん。今度は私がお湯を選ぶ番ね」
リサは笑ってスマートフォンをしまい、坂道をゆっくり下った。鞄の中には、三つ目のしるしが押された木札と、小さなコーヒー豆の箱がある。
それを見れば、きっと思い出す。姉と囲む朝の食卓と、淹れたてのコーヒーの香りを。
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