SF・ファンタジー
ミドリ
2,335文字
約5分で読了
水溜まりに飛び込むとそこは闇だった。
しばらく泳いでいると、闇から黒、黒から青みがかった黒へ、絵の具に水を垂らしたように一瞬、それなのに巧妙な変化を遂げた。
青みというより黒に近い水は、ゴウゴウと音を立てて恐ろしく高い波となり体を呑み込む。この波に呑まれれば間違いなく死んでしまうだろう。
少しくらいなら大丈夫かと思い、波に呑まれる前に自ら海底付近まで潜ると、とてつもなく長い大きな何者かと出くわしたが顔も見えない。
「やあやあ、お散歩かい?」
その声でようやく顔の位置が把握できたので、そちら側を向くがイマイチはっきりとした場所が特定できなかった。顔の特定はできなかったが、声の主はリュウグウノツカイだ。出会ったのは初めてだったが、神秘的なオーラを放っていたのですぐにわかった。
いかつい見た目のわりに気のつくやつで、目のやり場に困っていると顔をにゅっとオレのすぐ側まで近づけてくれた。
「ここだよ。お散歩かい?」
「まあね。どうせもうすぐ潜れなくなるから」
「なるほどなぁ。立派な尾ヒレなのにもったいないね」
「なぁに、あんたほどじゃない。あんたのなんか、尾なのかヒレなのかさっぱりわからないんだから」
オレはからからと笑った。
「そうかい?尾でもヒレでもあるからまあそれが正解なんじゃないのかな。触ってみるかい?」
「いいや、いいよ」
本当は触ってみたいな気持ちがあったが、どうにも神聖な生き物に見えてためらわれた。オレが触ったらそこから腐れて汚してしまうような気さえした。
リュウグウノツカイに別れを告げると、オレはさらに奥へと進んだ。
トンネルのようなところをくぐり抜けると、ぼやっとした光が見えた。ぼやっとしているわりに、どこまでも照らしてくれる不思議な輝きだった。深海に眠る繊細な砂一粒一粒まで照らされはっきりとこの目に見ることができる。吸い込まれそうなぼんやりとした光に近づくと、光の後ろにチョウチンアンコウが見えた。
「珍しいものが釣れたな」
「釣られてないやい」
「光を目指して来たのだろう?」
「目指して来たといえば来たけれど」
チョウチンアンコウはゆったりと頭のチョウチンを揺らした。ぼやっとした光も一緒に揺れるので少し酔いそうになるが、体の大きさ自体は親しみのある大きさだったので少し安心した。
「何かいい獲物は取れたかな?」
「別に獲物を捕まえに来たわけじゃないんだ。散歩みたいな感じかな」
「深海に散歩とは羨ましいね」
「そうでしょう」
オレは元気に尾を振って見せた。
「それにしてもその光はどうだろう。目がくらくらするよ」
「かっかっか。そのための光だからねぇ」
「何だ、そうなのか。散歩のとき迷子にならないためかと思った」
「それも一理あるな」
チョウチンアンコウはうんうんと頷いた。
チョウチンアンコウにヒレを振って挨拶をし、別れを告げた。
また闇に戻ってしまったのであてもなく進んで行くと、体にものすごい衝撃を受けた。何の衝撃かはわからないが、渦潮のようなものが巻き起こりオレは吹っ飛んでしまう。
「何だ、イカじゃないのか。道理で小さいと思った」
「あんたがでかすぎるんだよ。リュウグウノツカイはもっともっとでかかったけどな」
「聞き捨てならんことを!」
シーラカンスがきっと睨んで、いっぱいあったヒレを思い切りゆらゆらと揺らした。どうやらこれで渦潮のようなものを発生させたらしい。
「生きた化石をなめるでないぞ」
「生きてるってことは化石じゃないじゃん」
「まあ……そうじゃな」
少しがっかりしたようだったので、オレは自分なりに慰めてやることにした。そろそろ大人にならなくてはいけない時期だと思う。
「リュウグウノツカイも長くてかっこよかったけど、シーラカンスはシーラカンスで骨っぽいところがいいと思うよ。生きた化石って言われるだけあるよね。まあ、本当の化石ではないけれど」
シーラカンスの顔を見たが、眉を深く寄せ複雑な表情をしていた。誉めたつもりだったがあまり効果はなかったようだ。申し訳なく思って、さっさとその場を後にすることにした。
次にもし誰かと出会うのならば、チョウチンアンコウくらいの大きさの生き物が気持ち的に楽ではあるが、突然嫌な気配を感じて後ろを振り返る。
今日出会った中で一番嫌な形をしていた。地上にいるであろう蛇っぽい形。 リュウグウノツカイは大きすぎて何も思わなかったが、今目の前にいるやつは小ぶりなので逆に恐ろしくなって身震いした。
「おい、お前散歩か?」
「散歩だよ」
「食ってもいいか?」
「食ってもおいしくないよ」
フウセンウナギがいきなり体を膨らませた。丸く大きくなり、形はちょっとチョウチンアンコウに近くなった。
「大きくなっただろ?」
「そうだね、大きくなったね」
細長いよりは丸く大きくなった方が、心持ち恐怖感が遠のいた。少し気持ちが楽になった。
「大きくなると強そうだよ」
「マジか。もっと膨むことだってできるんだぜ」
フウセンウナギはもっと膨らんだ。膨らんでいるうちにオレはさっさと泳ぎ始めた。やつが膨らんでいるうちはいいが、たぶんそのうち縮んで細長くなる。そうなるとどうしても蛇の形に見えて嫌な気持ちになるだろう。
さっさとその場を離れるために、ヒレと尻尾を必死に動かした。
気がつくと水溜まりの外に出ていた。
リュウグウノツカイもチョウチンアンコウもシーラーカンスもフウセンウナギももういない。
水溜まりに映る自分の姿を見てため息をついた。がっかりしたわけではない。ついにヒレも尻尾もなくなり四肢のみとなったのだ。深海には行けないが、フウセンウナギに会うことはないのがせめてもの救いかもしれない。地上を自由に歩き回る権利を得た。
オレは全身ミドリになった。あとは、蛇に遭遇しないことを天に願うばかりだ。
(了)
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