コメディ・日常

水路の街の、あかり繕い

1,888文字 約4分で読了
作者:TakaTuki
水の流れる音が、この町の呼吸音だ。 蔵波(くらなみ)町。 城下町の面影を残す街には、細い堀割が網の目のように巡っている。黒漆喰の土蔵が水路に沿って並び、黄ばみ始めた柳の葉が水面を流れていた。観光用の小舟の櫂の音が、石橋の下に響いている。 石橋のたもとにある『夕菅(ゆうすげ)硝子店』。藤野 梢(ふじの・こずえ)は、この店の三代目だ。店を引き継いで三年。グラスや器を作るかたわら、近隣の町家から頼まれる硝子細工の繕いを引き受けている。 からん、と引き戸の真鍮鈴が鳴ったのは、水路に午後の光が揺れ始めた頃だった。 「ごめんくださいな」 水路の向かいで和菓子屋を営む八千代さんが、風呂敷包みを抱えて立っていた。 「いらっしゃい。お茶でも淹れましょうか」 「今日はね、これをお願いしたくて。奥の座敷の行灯の硝子なんだけど、掃除のときに手が滑って……」 木箱には、すり硝子の円筒形の笠が入っていた。縁が三日月形に欠け、薄紙に包まれた破片が添えられている。乳白色の硝子には、繊細な撫子の花が彫り込まれていた。 「お母様の嫁入り道具でしたよね」 「ええ。古いものだから諦めようかとも思ったんだけど。夕方、これに明かりを灯すと、畳にやわらかな影が落ちてね。水音と合わさると、落ち着くのよ」 梢は破片を縁に合わせた。透明な樹脂なら継ぎ目を目立ちにくくできる。けれど、この白い硝子には、細い金色の線も似合いそうだった。 「金継ぎにしてみるのは、どうでしょう」 「お茶碗にする、あれ?」 「硝子にもできるんです。ただ、ここに金色の継ぎ目が残ります。漆を使うので、何週間かかかりますけど」 八千代さんは眼鏡を上げ、梢の指先を覗き込んだ。 「ここだけなのね」 「はい。撫子の模様はそのまま残せます」 しばらく笠を見てから、八千代さんは頷いた。 「急がなくていいわ。また、あの座敷で使えれば」 八千代さんを見送ると、梢は作業台に笠と破片を並べた。 そばに置いた携帯の画面には、昼に同級生から届いた写真が残っていた。新しい職場だという。窓の向こうに、知らない街のビルが並んでいる。 返事は、まだ書きかけだった。 この町で生まれ、この町で育った。大学時代は東京にいたけれど、ビル風と人々の歩く速さに馴染めず、この水辺へ戻ってきた。 明日はグラスを仕上げて、いつもの道を通って届ける。その先の予定も、だいたい分かっていた。 梢は携帯を伏せ、破片を手に取った。縁に合わせ、指先で段差を確かめる。位置を決めて漆で継ぐまで、窓の外を見ることはなかった。 顔を上げると、軒下の提灯に灯がともっていた。対岸の豆腐屋から白い湯気が上がる。子どもたちの「また明日」が、石畳に響いた。 それから数週間、梢はほかの仕事の合間に、漆の固まり具合を確かめながら継ぎ目を整えた。 仕上げの漆に金粉を蒔く頃には、窓の外の柳も枝が目立つようになっていた。 仕上げを終えた笠を、作業場の試験用ランプにはめる。スイッチを入れると、ぽっ、と柔らかな光が灯った。 撫子の花の下に、細い金色の線が浮かんでいた。笠の向きを変えると、継ぎ目がきらりと光る。夜の蔵波の水路を、月明かりがなぞるようだった。 「……できた」 翌日の夕方、梢は笠を薄紙で包み、木箱に戻して店を出た。 軒先の落ち葉を掃いていた近所の人が、箒を止める。 「梢ちゃん、お疲れさま。日が短くなったねえ」 「ほんとですね」 箱を抱え直すと、袖口から冷たい風が入った。 八千代さんの店では、奥の座敷に通された。笠を外した行灯が、畳の上に置かれている。 梢は笠を台座にはめ、継ぎ目の位置を確かめてもらってから明かりをつけた。 「まあ……」 八千代さんは両手を胸の前で合わせた。 「触ってもいい?」 「ええ」 指先が、金色の縁をそっと辿った。 「ここだったのね、欠けたところ」 指を離し、もう一度灯りを見る。 「割れたときは胸が痛かったけれど……この線も、いいわね」 梢はようやく息を吐いた。 八千代さんは行灯を少し奥へ寄せた。撫子の影も、それにつれて動いた。 「そうそう。この明かりがないと、夕方、ここが落ち着かなくて」 店先で物音がした。八千代さんは腰を浮かせかけ、振り返った。 「ありがとう。梢ちゃんがこの町にいてくれて、よかったわ」 帰り道、梢は石橋の上で足を止めた。 水路の両脇に、点々と灯りがともっている。八千代さんの店の奥にも明かりが見えた。 手元の風呂敷を畳む。木箱を預かったときには、あの座敷が暗くなっていることまで考えていなかった。 柳の葉が一枚、橋の下へ流れていく。 梢は水音に耳を傾け、深く息を吸い込んだ。 「さて、明日もいいものを作ろう」 風呂敷を腕に掛け、工房へ続く石畳を歩き出した。
2026/10/04 ・ 👁️ 63回 ・ 💬 0件

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