SF・ファンタジー

秋、落葉、風、そして遥か遠い地球

4,067文字 約9分で読了
作者:灯色セラミ
「ねぇ、貴方。この本知ってる?」  リビングのソファに腰かけ寛ぐ男に、女はにわかにそう尋ねた。 「雑誌かい? 随分と古いみたいだけれど」  背もたれの後ろに立つ女の見せた本の表紙を、首を傾けた男が見やる。そのくすんだ本は酷く色褪せており、霞んだタイトルから見るに旅行雑誌のようであった。 「仕事先で、古本の整理をしていた時に見つけたの。5億年前の星間旅行雑誌。『地球』って言う星の特集をしていたみたいよ」  ぱらぱらとページが捲られるその古本は、どうやら司書として働いている彼女が勤め先から借りてきた物の様だった。  彼女がめくって見せたページ。灰色の木が連なり、赤子の掌のような葉が舞うその光景は、どうやら色褪せた森の写真の様だった。 「ほら、ここの記事。地球の森は季節が巡ると、葉が赤や黄色に色付くみたいなの。山が燃え盛るように粧うその景色はこの世の物とは思えないくらい美しいそうよ」  興奮気味にそう話す女に対して、男は少し冷めた様子で応えた。 「うーん、この古びた写真だと良く分からないけれど……」  眉をひそめて男が写真を見つめているとその雑誌は突然閉じられ、代わりに男の視界いっぱいに、女がぐいっと顔を寄せた。 「ねぇ、私この『地球』って星に行ってみたいわ。この雑誌に写る『紅葉』って物をこの目で見てみたい」  男の目をじぃと覗き込み、女はにっこりと笑う。男は少し考え込むと、彼女のその絹のような白い頬にそっとくちづけをした。 「わからないな。君より美しい景色がこの世界にあるとは思えない」  むっとしたように頬を膨らませ、彼女はソファの前まで回ると彼の膝の上に腰掛けた。 「狭い世界で満足しようとするのは貴方の悪い癖よ。海の深さを知らない蛙に空の深さは測れない。そんな中途半端な『美しい』を私に贈るつもりかしら?」  男に体重を預け、その両手を彼の首に回す。男は観念したように体の力を抜き、2人は重力のままソファに横になった。 「……それで、いつ頃行くつもりだい。記事を読むに、それを見るには時期が大切なんだろう?」 「地球の時差を計算すると丁度今の時期みたい。明日は2人とも休日だし、しばらく2人で出かけてなかったでしょう? 「了解。ワープ旅行機のチケットを予約しておくよ」  男がポケットから端末を取り出し操作する。今度は女の方からゆっくりと、慈しむようにその唇を重ねた。  ◆  施設には、電話ボックスのような黒い箱が幾つも並んでいる。2人は互いに身を寄せあい、その箱のひとつに足を踏み入れた。  ワープ旅行機。2人の住む星の旅行客が一般に利用するその装置は、星の旅行会社が運営する施設に設置されている。顧客は会社からチケットを購入することでその装置を利用することができた。    狭いボックスの中には仄かに光るパネルが1枚だけ設置されている。2人はボックスの扉を閉めると、そのパネルに手を触れた。 「さて、『地球』の座標は調べているのかい?」 「えぇ、勿論よ」  女に言われた通りに、男は座標を入力する。パネルは数多の星々のデータを瞬く間に走査し、やがて該当するひとつの惑星を導き出した。 「あったよ、『地球』。あまり人気は無いようだね。口コミが1件も無いけれど、本当にここで合っているのかい?」 「えぇ、合っているはずよ。あの雑誌も5億年前の話だからもうトレンドが変わってしまったのかもしれないわね」 「今からでも流行りの星にするかい?」 「いいえ、私は貴方とこの星に行きたいの」  頑固にも思える程に真っ直ぐな意志を持ち、女はきっぱりとそう言い切った。  そんな彼女の性格をよく知っているからか、男もそれ以上は何も言わず、ただ頷きながらパネルを操作した。 「……ワープが始まる。掴まって」 「えぇ」  男が女を片腕で抱き寄せる。最後のボタンを押し、パネルの青白い光が段々と強くなってゆく。  システムの回る甲高い音が、ワープ旅行機の狭い空間に反響する。隙間風の吹き込むようなその音ともに、強くなった光が2人を包み込む。  そして高潮が舞台照明を落とすように断ち切られた時、2人はその空間から消失し、狭いその箱の中には暗闇だけが残っていた。    ◆  2人の住む星から遠く離れた宇宙の彼方。その銀河系の惑星である『地球』の表面に、突如として黒い箱が出現した。  電話ボックスのようなその黒い箱の扉が開き、最初に男がその惑星に降り立った。 「段差があるよ、気をつけて」 「えぇ、ありがとう」  男が伸ばした手を取り、女もまたその惑星に降り立つ。2人は揃ってその星の光景を見上げ、そして思わず息を吐く。  その息には、隠しようもない喪失感が溶け込んでいた。 「あら、まぁ……」 「これは……」  2人の目に映ったのは、高くそびえ立つ灰色の山。そして周囲のどこまでも続いてゆく、砂漠のように真っさらな灰色の荒野だった。  空は青を忘れ、虚脱感すら覚えるような黒が広がる。そのてっぺんからはギラギラと燃える太陽だけが残酷にその熱を浴びせかけている。  途方も無いほどに巨大な災害がこの星を襲ったのだろうか、それともこの星に住む人々が互いに争い、自ずから自らの故郷を火炙りにしたのだろうか。頬を撫でる乾いた風にはもはや生命の息吹を感じることもできず、その全てが焼き尽くされた後であることを積もった灰だけが物語っている。    ――地球は、死んでいた。   「あぁ。これじゃあ本当に、あの色褪せた写真そっくりじゃないか」  モノクロの景色を眺めながら、少しだけ歩いた男が足を止める。地面を覆う粉雪の様な灰に、靴裏の跡だけが残った。  照りつける太陽が煩わしかったのか、女は黒い日傘を取り出すとそれを開きながら男の隣に立った。 「……。」  女は何も言わずに、目の前にそびえる山を見上げていた。植物の生える気配もなく、ただ淀んだ煤と灰に塗れたセピア色の山。侘しさだけを身に纏うその姿は、昨日まで彼女が期待していた華やかさとは似ても似つかない。 「僕達の見たあの秋の光景は、5億年以上前に置き去りにしてしまったんだね」  男は、女がきっと不機嫌になっているだろうと思った。だから、彼女を励ます言葉を探してこう続けた。 「木の葉は尽き果て、森は枯れてしまった。君の望んだ彩やかな景色はとっくに消え去ってしまったのだろう。でも、きっと儚いからこそ美しかったんだろうね」  傘を差して佇んでいた彼女が、流れるような目で自らの足元を軽く見つめた。 「それは、……どうかしらね」  穏やかな声色で、女はそう呟いた。目を伏せて、しばらく2人の足跡だけが残る灰の大地を眺めてばかりいた彼女は、静かな風の音を聴きながら男に尋ねかけた。 「……ねぇ、私達の愛情はこの世の何よりも美しいけれど、貴方はこの関係が刹那に終わった方が良いと思うかしら」 「まさか」  間髪を入れずに、男はそう答えた。その言葉を聞き、女は愛おしそうに微笑む。 「……きっと秋が美しかったのは、儚いからではなく移ろうものだったからなのだと思うわ。消えない、ただ、変わって行く」  傘の外に掌を広げる。風にまった灰の粒が、その手に優しく舞い降りる。 「あの本では、秋が巡ると冬が訪れたわ。裸になった木々には綿のような雪が穏やかに降り積もるの。秋になれば木々は彩やかなドレスで着飾っていたように、冬にはありのままの身体に白粉《おしろい》だけを纏わせるのでしょう」  男は女の話す意図が読めなかった。だから下手に何かを言う気にもなれず、黙ってその目を閉じた。  そうして沈黙のまま耳を澄ませると、乾いた風の隙間から、微かに水の流れる音が聞こえてきた。 「……?」  瞼を開ける。目の前には女が、こちらを見つめて笑っている。彼女の指さす先を見ると、何も無いように思えた灰の大地の割れ目から、滲み出るように流れる綺麗な小川があった。 「見て。山は既に灰となったけれど、水は未だせせらぐのだわ。積もった灰が雨水を濾過して、小川は硝子玉のように透き通っているわね」  女に連れられ、男もその小川を覗き込む。くるぶし程度の深さの、小さな川。水草は無く、魚も当然暮らしてはいない。しかし、彼女の言う通り、その水はどこまでも透き通っていた。 「……綺麗だね」  しゃがみこみ、その水の流れに軽く手を触れる。さらさらとした水の流れが指に跳ね、鈴のような音が心地よく耳を撫でた。 「その言葉、今日の私はまだ聞いてないのだけれど」 「今日も一段と綺麗だよ。そのドレスもよく似合っている」  傘を差したまま男の隣にしゃがみこんだ女が、冗談めかしてそう言った。それに真っ直ぐに応える男の態度が愛おしく、彼女はクスクスと笑う。 「いつか私が新しいドレスを買った時、古くなったこのドレスを、やがて着なくなってしまうでしょう。それでも貴方は、新しい衣装を身に纏う私をまた恋しく思うはずよ」  ポケットから取り出した黒いレースのハンカチを男に差し出しながら、女は落ち着いた声色でそう言った。  男がハンカチを受け取り、水に濡れた手を拭う。そうしながら、男はようやく、あの時の彼女の言葉の意図が少し理解できた気がした。 「来てよかったでしょう?」  女が尋ねる。   「そうだね、僕の心も変わってゆくみたいだ」 「ふふ。……大好きよ、貴方」  何度も伝えた言葉。しかし、まるで初めて口にしてみるかのように、彼女はその想いを幸せそうに紡いだ。 「うん、僕もだ」  ハンカチをポケットにしまう。そして、男は女の手を取り、2人は一緒に立ち上がった。  振り向くと、黒い電話ボックスが小さく目に映る。2人はいつの間にか、随分と遠くまで歩いてきた様だった。   「そろそろ帰ろうか。晩御飯の支度をしなきゃいけないからね」 「えぇ、そうしましょう」  女の手を軽く握ったまま、2人は並んでゆっくりと歩く。  乾いた風が、一際強く吹き抜ける。舞い上がった風が灰を巻き込み、色褪せた雪が静かに降り始めた。  ――髪の1本が風に吹かれ、落葉のように灰の大地に降り立った事に、2人は気付かなかっただろう。  付着した微生物が、死滅した星に取り残される。死の星もまた移ろい、生命が再び、微かに息づき始めた。  また5億年後、この星はどのように色付くのだろうか。
2026/10/10 ・ 👁️ 69回 ・ 💬 0件

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