コメディ・日常

純白の姫虫

1,527文字 約4分で読了
作者:珈琲時間
 たこ焼きを転がす技術はたこ焼きを焼けるという特技に直結する。  暇を持て余した研究室は、アシダカグモから卵嚢を奪い、とりあえずガンマ線を当てることになった。  現在のゲノム編集の主流である分子のハサミを用いて特定の遺伝子配列を書き換えるクリスパー・カスパインや、細胞に瞬間的に特殊な電気パルスを当てて小さな穴を開け、外から目的のDNAを細胞内に侵入させるエレクトロポレーション等の手間とコストに眉間を盛り上げた老研究者は、まあとりあえずガンマ線当てておくかと、安価な牛肉をステーキにするように半ば投げ槍然にガンマ線を卵嚢に照射した。  この実験にそもそもの目的は存在しない。  結果、唯一生き残ったメスの一匹は、その八つの脚を広げることなく折り畳み丸まったままで餌を与えられるがままに成長した。末端毛束に至るまでの体毛は白かった。  脱皮を繰り返しおよそ成虫とみなされるサイズにまで達してもなお怠惰に丸まったままなので、ついに呆れた研究者は虫籠に納め、チームの一員の男がそれを託され戸惑いのまま男は家に持ち帰ることになる。  リビングの端に鎮座するガラス箱の中、純白の小石ほどの塊は、たまに関節を伸ばすくらいでやはりじっとしている。  男は日誌に「姫はどうやら寛いでいる」と記すのが日課になった。  それは男の休日に起こった。  「ひとりタコパ」と称される独身男の祭事に、純白の被ガンマ線遺伝子変異製雌アシダカグモはその脚を広げた。  のっそりと、控えめに、しかし確固たる意志があるかの如くガラス壁を内側から音を立てて掻き、純白の被ガンマ線遺伝子変異製アシダカグモの姫はその時ようやく外界を望んだのだ。  男は全ての窓と扉の隙間を埋め、純白の姫をついに解き放つ。  純白の姫はひと通り室内を彷徨ったのち、テーブルをよじ登り、半円状にくり抜かれた窪みが規則正しく整列する鉄板を臨み、歩みを止める。  男は昂然と口の片方の端を上げ、黄乳白色の生地を熱せられた鉄板に流し込む。窪みを埋めてもまだ流し込む。 「いいかい、姫。生地はサラサラなくらいがちょうどいいんだ。粘りがあるのは僕の好みじゃない。それとタコは熱湯に潜らせるくらいでいいのさ。湯に浸すとせっかくの旨味が逃げてしまう」  上機嫌に言説を垂れ流しながら、男は手際よくタコのブツ切りや刻んだキャベツ、細かくしたチーズをまぶし、先の鋭利なキリで穴と穴の間に線を引くように切り込みを入れる。  被ガンマ線遺伝子変異製アシダカグモの純白は湯気の踊る鉄板を見つめ続けている。  鉄板に接している側が焼けた頃合いを見計らい、男は両手にキリを持ち、まず焼成された生地を九十度回転させ、出来た隙間に溢れた生地を詰め込み、もう九十度回転させ、生地はドーム状に焼成部を晒す。    事が起こったのは二回目である。  男が再び鉄板に生地を流し込むやいなや、純白の姫は鉄板に飛び込んだ。  声を上げて狼狽する男を余所に、姫は生地に二本の脚で切り込みを入れて周り、先と同じく四本の脚で九十度回し、隙間に器用に生地を押し込んでまわった。  せこせこと。  最初に回した一個に戻ってくると、これまた器用にひょい、と転がす。  彼女は沈然として繰り返した。  窪みに入り切れなかった生地とキャベツの欠片をかき寄せ抱えられるだけ抱え、姫は鉄板を降り、テーブルの端でゆっくりとそれらを食す。  おそるおそるソースを差し出すと癪に触ったのかぷいっとそっぽを向いた。  研究室の研究の研究者の報告に拠れば、たまたまそういう行動がプログラムされたに過ぎない、ということに終始した。  ガンマ線照射とはそもそもそういう物である。  しかし、純白の被ガンマ線遺伝子変異製アシダカグモの姫は、今日もガラス箱の中で八つ脚を折り畳み、あの香りを泰然自若と待っている。
2026/10/22 ・ 👁️ 23回 ・ 💬 0件

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