ホラー・怪談

落ちる声

2,005文字 約5分で読了
作者:珈琲時間
 その通話アプリにはサーバーと呼ばれるコミュニティがあって大きいサーバーだと五千人を超える。テキストチャットと通話が主な目的であり複数人参加は会議と呼ばれ個人同士の場合だと個室などと称されていた。  大型連休になると日本各地の寂しがり屋がこぞって集結し互いの孤独を埋め合い賑わう。  AIの生成した超然とした美男美女のサムネイルを各々が貼り付け、そうなれば当然男女のいざこざは頻発し、すったもんだの果てに相手をブロックやミュートすることは珍しくもない。  当然僕にしたところで例に漏れはしない。  僕がその子に出会ったのはシルバーウィークの初日だった。出会うという表現が正しいかどうかは分からない。 『そろそろ落ちるね〜』  と誰かが言い、 『わたしも〜』 『おれも〜』  と続く。  落ちるとは会議からの離脱を指す。個人同士であっても一人が通話を切っても一人は通話空間に繋いだ状態になるのでそういった表現が適していた。  その日、僕はみんなの談笑をBGMに眠ってしまい気が付けば無音だけが耳に届いていた。  みんな落ちたか、とアプリの画面を見ると僕ともう一人、kanaという表示があった。 「こんばんは。いつからいたの?」 「ずっといましたよ。寝てるようだったので、一人にしちゃいけないかなって」  声が、僕の理想を遥かに超え、心中深くまで刺さった。  その衝撃は中学生の時の初恋すら超えていたかもしれない。  ありがとうございます、と急に敬語になってしまい、たどたどしく上手に話せないのは狼狽していたからに他ならない。  それでもkanaは優しく、よく笑う子で、その日は繋いだまま二人で眠った。  それから僕らは毎夜毎夜言葉を交わし続けた。kanaの言葉がイヤホンから届く度にどうしようもないくすぐったさを覚える。まるで全身の触覚神経が耳に集中したかのように僕はkanaの発する一言一言に、どこまでもどこまでも安堵と昂揚の混合物に陶酔していった。  kanaは毎朝目が覚めると落ちていた。彼女は回線の調子が悪いのかもと言う。回線落ち、というのはよくある現象で最初の頃はどうでも良かった。  繰り返される辟易をとっくに踏み倒した毎日にkanaとの通話は約束された奇跡だったから。  互いが声だけの存在であるにもかかわらず散々甘い言葉も囁いた。 「他の子とは話さないでほしいな」  と彼女は何度か言い、 「もちろん」  と僕は何度でも答えた。  会いたいとは思わなかった。直接触れ合うことを望まなかったのは耳に触れる声だけでもう十分過ぎたから。  でも、いつしか。  「こうあるべき」という強要は衝動やあるいは本能に近く、そいつに捕まるとわざわざ逆らい抗う必要が芽生える。 「いつになったら朝まで繋いでいられるんだ!」  止められなくなった衝動が弾くくだらない激怒はお門違いの怨嗟となり口元のマイクを叩く。  弱々しく小さな声でkanaはごめんねと呟き、そのまま静かに落ちていった。  その日からkanaは通話もテキストチャットすらも返してくれなくなった。  呆気なく一瞬にして僕は孤独の中に放り込まれる。いや、客観的には何ひとつ状況は変わってなどいない。だとしても。  大事なものは失って初めてなどと使い古されているが、つまり僕は不眠症を患った。  夜になるとどこからともなく不安が湧いて出ては1DKを埋め尽くす。  きっと、だからだろう。ある日買い物をしていると、 「え〜それ買うの〜?」  というkanaの燦々とした声が聞こえた。  幻聴、だと思った。  外科的な癒しがすぐにでも必要だと考えた僕は慌てて次の相手を探し始める。  kanaという基準が邪魔をして、深夜になってようやく納得出来る相手を見つけるも、その子は一晩で音信不通となった。  どこまでも孤独で会議にいればいるほどkanaの声が無性に恋しくなる。  睡眠不足が常態化した頭をもたげて、僕は今日も変わり映えのするはずのない駅のホームに立つ。  朝のホームはほとんどみんなが一人ぼっちだ。その多くが家庭から出てきているのだとしても誰かの家からどこかの会社までの間、僕はこの孤独の集合体に接続を許される。  足元の点字ブロックのひとつに自分を重ね、縦横に整列する無機質さに安心を覚える。  そんなことを考えていると、 「おまたせっ。これからはずっと繋いでいられるよ!」  頭の後ろ、首のつけ根辺りから囁くような、しかしはっきりと声がした。  kanaの声だった。  間違えようはない、どこまでも待ち望んだkanaの声。  ぞくりと跳ね上がる鼓動と共に振り返る。  が、そこにいたのはスマートフォンに俯く父親くらいのスーツの男。  浅くなった呼吸とは裏腹に僕は心底落胆する。  電車を知らせるベルがけたたましく無情に響く。  直後。  足首に指が食い込み、掴まれ、引き抜かれる。  景色が倒れ視界が男のスーツの足元へと流れていく。 「あっ!」  という声が聞こえ、僕は線路へと落ちていくのだと知った。  そして、今日も僕は通話相手を探す。  サーバーのどこかを漂いながら。
2026/10/11 ・ 👁️ 58回 ・ 💬 0件

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