SF・ファンタジー
「ホール・ニュウ・ワールド」
2,900文字
約6分で読了
港近くの19時半。
潮臭い風とタバコの煙で鼻腔を満たす。ひしめく倉庫やら事務所から帰宅する反対車線は、だいたいこの時間ピークを迎える。なんだか今日は気が重い。いや、いつものことか……。
信号が青に変わると男は無意識でタバコを投げ捨てた。同時にフロントガラスに鳥類のフンが落ちる。
「あぁっ! くそっ!! ほら、やっぱりな!」
男はひとり不運に文句を吐き、フロントガラス越しに空を見上げた。
いつも見える月が出てない。新月か。
「お疲れ様でーす」
「おお、今週はリュウジか。今日からの相方、女だぜ」
「あれ? タカさんはどうしたんすか?」
「ああ。あのジジイやらかしてんだよ。どっかで漏らしたってよ。お前も気をつけろ」
「うわー。マジすか。御愁傷様っすね」
スーツの男と軽口を交わし、職場へ気怠そうに足を進める。
「お疲れ様でーす」
鉄錆を鉄錆で擦る音が響き、長テーブルの女は突っ伏していた顔を上げた。
ほんとに女性。というか若い。同じくらいか?
男の胸中には、二十代特有の根拠の無い浮ついた期待が滲んでいた。
「あ……ああ、どうも。初めまして。清水です」
寝起きなのか疲労からか。くたびれた様子で女は言った。
「疲れてますね。まぁこんな仕事ですもんね」
「はい。あの、『バラシ』って言うんですか? それでちょっと気分悪くなっちゃって」
「え、まじですか? モノ? ヒト?」
「……ヒト、だと思います。今日は見てろって言われて…」
「あぁ。ドンマイです。ドンマイとしか言いようがありません」
「あの、もう少し、ここで休んでてもいいですか?」
「いいですけど、明日もですよね? 12時間後出勤ですよ」
「分かってます。ただ、どうしてもひとりになりたくなくて……すみません」
これは向いてない。男はそう確信し、電気ポッドのスイッチを入れた。簡易なキッチンスペースの端に見慣れない巻かれたカーペットが立てかけられていた。不思議に思ったが、捨てられていないのなら誰かの私物だろうと、そこで思考を止めた。
「聞いてるかもしれないですけど、ここの飲み物とか自由に飲んでいいんで。経費ってやつです」
「はい。ありがとうございます。あの、お名前……」
「ああ、すみません。リュウジって呼ばれてます。25です」
「あ、同い年ですね。ちょっとほっとしました」
コーヒーを清水の前に置きながら、僅かに緩んだその表情にリュウジの煩悩が芽を出した。
「ああ、あの。えっと、清水さんは、なんでわざわざこんな闇バイトに?」
清水はコーヒーは啜り、視線を斜め左に向けた。
「あの『穴』、見てみたかったんです」
「ん? 『穴』のこと知ってきたんですか? 不味く無いっすか?」
「親分さん経由なので、ご心配なく」
「あ! え! あっなんかすみません」
「どうして謝るんですか?」
「いえ……大丈夫っす」
やくざの親分経由の新人なんか碌でも無い、とリュウジの煩悩は萎れる。
「不思議ですよね…。あの『穴』に捨てればこの世界から無くなる。ニオイも、音も。どこに繋がってるんでしょうね。国に見つかったら見学とか絶対させてもらえないじゃないですか」
「俺もずいぶん色んなことを試しました。それこそ顔突っ込んで大声出してみたり、爆竹落としてみたり、手紙入れてみたり」
「えっ? 手紙?」
「そうそう。もし別の世界に通じてたら誰か返事くれないかなぁって。携帯の番号書いたんですよ」
「あはははっ! リュウジさんウケるっ」
「未だに鳴ってないですけどね。俺の携帯は仕事かおかん専用です」
「じゃあ、番号教えてくださいよ。私が鳴らしますから」
清水の思わぬ提案にリュウジがたじろいでいると、ビーという不協和音が倉庫に響いた。
「ああ。来ましたね。ちょっと仕事してきます」
「あ、私も手伝います」
「いやいや、清水さんもう上がってるんだから。座っててください」
錆びた鉄扉から出て行ったリュウジは1分と経たずアルミのリアカーを引いて戻ってくる。荷台には黒いビニール袋が5、6個積まれていた。「穴」に向けてリアカーを反転させ、袋を「穴」へスライドさせる。荷台に汚れが無いことを確認すると、リュウジはリアカーを戻しに行って、またすぐに帰ってくる。
「夜勤はだいたい多くて20件くらいです。まぁ眠気との戦いですね。清水さんももう20時半ですよ。帰らなくていいんですか?」
「そうですね」
そう言って立ち上がった清水の手にはメジャーが握られていた。「穴」の方へ行く清水。
「78センチ。やっぱり……」
「えっと……、清水さん?親分に何か頼まれてるんですか?」
「いいえ。リュウジさん。頼んだのは私の方」
「た、頼んだ……? 『穴』の大きさって変わるんですか?」
「リュウジさん。この『穴』当たりですっ」
清水の弾けるような笑顔は、荒廃した倉庫においてあまりに異物だった。
「あ……当たり?」
「はい。私、ずっと探してたんです。元の世界に戻りたくて」
「も、もと?せかい……?」
「リュウジさん、さっき『穴』の先に別の世界がって言ってましたよね。アレ、当たりです。私、穴に落ちてこの世界に来たんです。だから、戻れる方法、ずっと探してました」
「え……っと。まじすか。え……戻るんですか?」
「まぁ私も研究した訳じゃなくて、他の人から聞いた話なんで、リュウジさんに教えてあげますね。新月の夜に大きさが3センチ以上変わる『穴』は『上行き』。丈夫な布に包まって落ちれば怪我しない、だそうです!」
「ほ……他の人?」
「世界が何層あるのか、それは分かりませんが、行き来している人は意外といるんですよ。私は、この世界は臭くて耐えられない。元の世界の廃棄物入れてるから当たり前なんですけど。リュウジさんちょっと手伝ってもらっていいですか?」
清水はキッチンの方へ駆けて行くと、立てかけてあったカーペットに手をかけリュウジの方を見た。リュウジは言われるがまま寄って行き、二人でカーペットを運んだ。
「清水さんの世界はどんなところなんですか?」
ちらりと見える清水の胸元から視線を外し「穴」の方を見ながらリュウジは問う。
「一緒に行きます?」
「え! いや……、俺、車のローンも、まだあるし……。って言うか、なんで『穴』に入ったんですか?」
「急に出てきたんです。『穴』が。それで落っこちちゃって……」
「ええぇ……」
「はい。ここで。敷きますよ」
カーペットは「穴」を覆うように敷かれ、清水は「穴」のある場所をぽんぽんと手で叩いていた。
「魔法の絨毯です」
清水の笑顔は十代の少女より輝いていた。
「じゃあリュウジさん。ありがとうございました!親分さんには上手いこと言っといてください!」
「ホントに入るんですか?」
「気になります? だったら『ホールニューワールド』で検索してみてください。色んな情報書いてますから。あ、ちなみに『Whole』じゃなくて『Hole』です。大手の検索エンジンだとAIが誘導阻害してきますのでマイナーな検索エンジンで調べてくださいね! では!」
清水は「穴」の位置のカーペットに飛び乗ると、そのままカーペットごと「穴」に消えた。
ビーっと聞き慣れた不協和音が倉庫に響く。テーブルの上にはマグカップが二つ。
「電話番号……」
リュウジはひとり、ぽつりと呟いた。
\ 次の作品を探す /

読者の感想・応援メッセージ