児童文学

世界のいろ、なまえのひみつ

3,329文字 約7分で読了
作者:河内謙吾
「ねえ、お母さん。どうしてこのクレヨンは『あか』じゃなくて『あかねいろ』って書いてあるの?」  夕飯のあとのリビング。よく使い込まれた12色のクレヨンを広げて、6歳のハルが不思議そうに首を傾げました。  お母さんはお皿を拭いていた手を止め、ハルの隣に座って、その小さな手にあるクレヨンを覗き込みました。 「いいところに気がついたね、ハル。それはね、ただの赤じゃなくて、特別な草の根っこから生まれた色だからなんだよ」 「草の根っこ? クレヨンなのに?」 「そう。昔の人はね、今みたいにチューブやクレヨンがなかったから、まわりにある自然の中から色を見つけていたの。その『あかね』っていうのは、秋に小さな白い花を咲かせる草の名前。その根っこをぐつぐつ煮出すとね、夕焼けみたいな、とっても綺麗な赤が染まるんだって」 ハルは目を丸くして、自分の「あかねいろ」のクレヨンをじっと見つめました。 「じゃあ、このクレヨンの中には、秋の夕焼けが入ってるの?」 「ふふ、そうかもしれないね。色の名前っていうのはね、ひとつひとつが『どこから来たのか』を教えてくれる、魔法の住所みたいなものなんだよ」  お母さんはそう言って、本棚から一冊の大きな絵本を持ってきました。表紙には文字がなく、ただ、虹のようなグラデーションが美しく描かれているだけの本です。  お母さんがその表紙を開くと、そこには何も描かれていない、真っ白なページが広がっていました。 「あれ? お母さん、この本、中身が何も書いてないよ?」 「ううん、これはね、おしゃべりをしながら色を塗っていく『おはなし絵本』。ハルが色の名前を呼ぶと、その色の世界がここに現れるの。やってみる?」 「やる! ええとね、じゃあ……まずはこれ! この青いやつ。ぐんじょういろ!」  ハルが少し難しい漢字で書かれたクレヨンを指さした瞬間、真っ白だったページに、シュッと一筋の深い青が走りました。  それはみるみるうちに広がり、夜の始まりのような、吸い込まれそうな深い海のような色でページを埋め尽くしていきました。 「わあ……! すごい、本当に色が変わった!」 「きれいな青ね。ハル、『群青』の『群』は、たくさんの仲間が集まるっていう意味。そして『青』は、むかし海を越えてやってきた『青い石』のこと。つまり、青いお星さまみたいな石が、たーくさん集まってできた色なんだよ」 「お星さまの石? 宇宙から降ってきたの?」 「ううん、地球の深い深い底で見つかる『ラピスラズリ』っていう宝石。昔の絵描きさんはね、その宝石を金槌でトントン、トントンって細かく砕いて、お粉にして、それを絵の具にしていたの。だから、この色はとっても高価で、神様の絵を描くときにしか使えなかったんだって」 「宝石をくだいちゃうの!? もったいないけど……でも、だからこんなにキラキラして見えるんだね。海の底で、お魚たちが眠るときにつかうお布団みたい」  ハルは「群青色」のページを優しく撫でました。するとページの中から、小さなクジラがぷくぷくと泡を吹いて泳いでいくのが見えました。 「じゃあ、次はこれにする! ええとね……『あおみどり』? ううん、あさぎいろって読むの?」 「よく読めたね。浅葱色は、ネギの芽が出たばかりの、あの淡い緑がかった青のこと。少し薄い、すっきりした色でしょう?」  ハルが浅葱色のクレヨンで次のページをトントンと叩くと、今度は爽やかな風が部屋の中に吹き抜けたような気がしました。  ページには、どこまでも続く高い空と、新選組の羽織のような、凛とした青緑色が広がります。 「ネギの色なんだ! ネギって、食べるとからいけど、色はこんなに優しいんだね」 「そうね。でもね、江戸時代っていう、お侍さんがいた昔の日本では、この浅葱色は『ちょっとカッコ悪い色』って思われていた時期もあるのよ」 「えっ? どうして? こんなにかっこいいのに」 「田舎から江戸の町に出てきたばかりのお侍さんがね、みんなこの浅葱色の裏地がついた着物を着ていたの。だから都会の人たちから『ふふん、あいつはまだ田舎っぺだな』って笑われちゃったりしてね。でもね、時が流れて、新選組っていう強いお侍のグループが、この色を『僕たちのユニフォームだ!』って決めて大活躍したら、今度はみんなが『浅葱色、超かっこいい!』って憧れるようになったの」 「へえ! 色にも、人気が出たり出なかったりする歴史があるんだ。おもしろいなぁ。じゃあ、この浅葱色は、がんばり屋さんのお侍の色だね!」  ハルは嬉しそうに笑って、次の色を探しました。クレヨン箱の端っこにある、少し地味な茶色に目が留まります。 「ねえお母さん、この茶色はなんて読むの? 『きつねいろ』?」 「それはね、『狐色(きつねいろ)』とも言うけれど、ここには『琥珀色(こはくいろ)』って書いてあるわ」 「こはく? 」 「琥珀っていうのはね、大昔の木から出たねばねばした『樹液(じゅえき)』が、何万年、何千万年という長い時間をかけて、カチカチに固まって宝石になったものなの。ハル、恐竜の映画で、黄色い石の中に蚊が閉じ込められているのを見たことない?」 「あ! 見たことある! あの、ハチミツが固まったみたいな綺麗な石!」 「そう、それが琥珀。だから琥珀色は、ただの茶色じゃなくて、何千万年もの『時間』がぎゅっと閉じ込められた、黄金色の茶色なのよ」  ハルが琥珀色のクレヨンをページに滑らせると、温かい光がじわっと広がりました。  それはまるで、おじいちゃんの家の古い時計のようでもあり、夕暮れの森でお日様の光を浴びる大きな大樹のようでもありました。 「何千万年かぁ……。僕が生まれるよりも、お母さんが生まれるよりも、もっと前だね。この色を塗ると、なんだか心がぽかぽかして、眠くなってきちゃう」 「安心する色よね。大地や木の色だから、人間にとっては一番ホッとする色なのかもしれないわね」  お母さんはハルの頭を優しく撫でました。ハルはあくびをひとつ噛み殺しながら、最後に残った、一番お気に入りの鮮やかなピンク色を指さしました。 「最後はこれ! 『ときいろ』。鳥のトキさんの色?」 「大正解! 朱鷺色(ときいろ)は、日本に昔からいる朱鷺っていう鳥が、パタパタって羽を広げたときに、羽の裏側に見える、とっても美しいピンク色のこと。空を飛ぶ朱鷺の群れはね、まるで夕焼けの雲が飛んでいるみたいに綺麗だったんですって」  ハルが朱鷺色をページに塗ると、真っ白だった空間に、数え切れないほどの美しい鳥たちが舞い上がりました。  部屋の中が、優しい桜色と桃色のあいのこのような、特別な光で満たされます。 「わあ……きれい……。でもお母さん、朱鷺って、今はもうあんまり見られないんでしょう? 学校の先生が言ってたよ。絶滅しそうだったって」 「そうね、一度は日本の空からいなくなってしまいそうだったの。でもね、たくさんの人が『あの美しい色をもう一度空に戻したい』って一生懸命守って、今では少しずつ、また空を飛べるようになってきたのよ。だからこの色はね、人間の『あきらめない気持ち』と『自然へのごめんね』が詰まった、優しい守り神の色なの」 「守り神の色……」  ハルは、絵本の中で羽ばたく朱鷺たちの姿を、愛おしそうに見つめました。  気がつくと、絵本のすべてのページが、ハルの塗った色と言葉でいっぱいになっていました。群青色の海、浅葱色の空、琥珀色の大地、そしてそこを舞う朱鷺色の鳥たち。 「ハル、どうだった? 色の名前のひみつは」 「うん。ただの『赤』とか『青』とかじゃなくて、名前を聞くだけで、草の匂いがしたり、昔のお侍さんが見えたり、宝石が見えたりする。色の名前って、タイムマシンみたいだね」 「素敵な表現ね、ハル。明日、学校に行くときは、まわりにあるものの『なまえのひみつ』を探してみて。きっと、いつも見ている景色が、もっとカラフルに、もっとおもしろく見えるはずよ」 「うん! 僕、明日は通学路にある『ひまわり色』と『アスファルト色』のひみつを考えてみる!」  ハルはそう言って、クレヨンを丁寧に箱に戻し、パチンと蓋を閉めました。  お母さんに抱きついたハルの目には、もうすぐ訪れる夢の世界の、まだ誰も名前をつけていない素敵な色が、たくさん映っているようでした。
2026/09/23 ・ 👁️ 99回 ・ 💬 0件

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