恋愛

キャンパスの光

1,890文字 約4分で読了
作者:七星満実
 一日の授業が終わり、眼鏡を外して軽く伸びをする。窓の外、夏めく木漏れ日が心地良かった。 「ちょっといい?」  振り返ると、男の子が声をかけてきた。 「なん、ですか」  怪訝そうに答える私に、彼はポリポリと黒髪に茶色メッシュの頭をかいた。 「授業、全然頭に入んなくてさ。レポート作るの苦労しそうだから、ノート、コピーさせてもらえないかなって」  私は素朴な疑問をぶつけた。 「どうして私のを?」 「だって、えらく熱心に書いてたから。すげぇなと思ってさ。急で申し訳ないけど、頼むよ」  そう言って、両手を合わせる。  そこまで言われると、私も悪い気はしなかった。 「別にいいけど」  私はびっしり書いたノートを渡した。 「サンキュー! 待ってて」  彼はそう言うなり、教室を飛び出していった。  私は恋愛をした事がない。中高と女子校だったし、無口で暗かったから友達も少なかった。大学でもサークルに入らず、同年代の男の子と話したのも今日が久しぶりだった。 「お待たせ!」  しばらくすると、彼が戻ってきた。 「助かったよ、ありがとう」 「どういたしまして」  私はノートを受け取ると、鞄にそれを詰めて席を立った。 「いたいた。何やってんの?」  ちょうど、学内唯一の友達が教室にやってきた。私はそれを無視するように外へ出る。 「あ、待ってよ!」  友達は、訳もわからず私を追いかけてきた。  正門に向かって二人で並んで歩いていると、友達がニヤニヤしながら言った。 「知ってるよ、さっきの彼。同じ二回生で、結構人気ある人だ」 「そうなの?」  空調の効いた校舎を出たから、真夏の陽気がやけに体を火照らせる気がした。 「もしかして恋の始まり?」 「まさか」  私なんて、誰からも見向きもされない。昔からそうだったんだから。  私は自分にそう言い聞かせながら、正門をくぐった。  数日後の昼。学食でお気に入りのハヤシライスを注文し終えた時だった。 「それ、会計一緒で」  驚いて隣を見ると、先日の彼だった。 「ちょ、ちょっと!」 「ノートのお礼さ。……迷惑?」 「迷惑じゃない、けど」 「ついでに一緒に食おうよ」 「……でも」 「いいからいいから」  彼が笑った。  うまく説明できない感情を覚えながら、私は言われるがまま彼と同じテーブルについた。 「案外気があるんじゃないの?」  構内のカフェでお昼の事を話すと友達が言った。 「ただのお礼だよ」 「化粧っ気無いけど、綺麗な顔してるもんあんた」 「茶化さないで」  彼の事なんて、なんとも思ってない。でも……でも、じゃあなんで友達に話してるんだろう。  私は、汗をかいたグラスに残ったアイスティーを勢いよく飲み干した。  それからの私は、構内で自然と彼を探すようになった。見かけると身を隠して、目で追うだけだけど。  そして、彼が男女問わず友達が多い事がよくわかった。誰にでも明るく笑いかける彼を見て、思っていた通り、私とは住む世界が違う事を知った。  ある日、彼が女の子と二人で帰っているのを見かけた。私は慌てて隠れて、それをやり過ごした。 「……バカみたい」  自分が情けなくなった。彼の事が気になり始めていた事にか、何かを期待していた事にか、それすらもわからず、ただ、胸が苦しかった。  母さんが、自分の価値は自分で作りなさいと、昔からよく言っていた。だから私は勉強に打ち込んできた。皆が謳歌する青春は私に無関係なもの。わかっていた。わかっていた、はずなのに……。 「久しぶり」  校舎の裏に一人佇んでいると、突然彼が声をかけてきた。 「な、なんで……」 「なんでって、見かけたから。なんか最近、避けてない?」 「そんな事……。彼女、待たせちゃ悪いよ」 「彼女? ああ、サークル仲間さ」 「そう、なの」 「俺、なんか気に触る事したかな」 「ううん。なんにも」 「そっか……。なら、いいんだ」  そう言って踵を返す彼の表情は、どこか寂しそうに見えた。 「あ、あの!」  私は意を決して彼を呼び止めた。 「……うん?」 「あの時、なんで私にノート借りたの? 単なる気まぐれ?」  彼は少しだけ困ったような顔をしてから言った。 「笑わないでくれる?」 「うん」 「光みたいに、見えたから」 「……え?」 「真剣にノートをとってる君の横顔がさ。……西日のせいかな」彼はよそ見しながらポリポリと頭をかいて続けた。「輝いてる光に見えたんだ」  鼓動が、速くなる。頭が、ぼうっと熱くなる。  光に? 暗くて無口で、誰にも興味を持たれないはずの、私が? 「また、ノート見せてくれる?」  彼は少し恥ずかしそうに言った。  私は今にもこぼれ落ちそうな涙を堪えながら、精一杯に強がって笑った。 「……時々、ご飯おごってくれるなら」  澄み渡るキャンパスの青空から、キラキラと眩い光が降り注いでいた。 ー了ー
2026/10/22 ・ 👁️ 64回 ・ 💬 0件

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