ホラー・怪談

沼の花嫁

2,384文字 約5分で読了
作者:しとえ
うらめしや あぁ、うらめしや うらめしや あの人は私のものだったのに 何故奪われ他の女と うらめしや うらめしや この先、何代かかろうとも 必ず奪い返して見せようぞ たとえこの身が妖かしに、なろうとも 逢魔時、闇と昼が交差する 人の境と異形の境もまた 真菰草生える沼の岸辺 この世に恨みを抱え 花嫁装束のまま沈んでゆく 禍々しきや その空の色 禍々しきや 沼の底 恨み辛みの花嫁が 今もそこで待っている 「誠一郎君どこ行っちゃったの、誠一郎君!」 私は一緒に沼地に遊びに来た幼馴染の姿を探していた。 沼はくすんだ真菰色。 緑がかって濁っていて、どこかゾッとするそんな色をしていた。 まるで この世の不安を全て飲み干したかのような色。 嫌な予感がする。 不意にバチャバチャと水音が聞こえ私はそちらの方を見た。 見ると幼馴染の誠一郎君が沼に足を取られ溺れているではないか、私は沼の淵から必死で手を伸ばした。 「捕まって!」 彼の腕を掴み、子供の力で必死にたぐり寄せようとする。 重い、腕がちぎれそうだ… 「誠一郎君を連れてかないでよ!」 私はとっさにそう叫んだ。 その時なぜその言葉が出たのかわからない。 だがそう叫んだと水辺からすっと人の顔が見えた。 その白い手が彼の方を掴んでいた。水辺の人物は当然のようにびっしょり濡れてなぜか頭には白無垢、顎の辺りまで水から顔が見えていたがその唇は口紅で真っ赤に塗られていて青白い顔は何とも不気味だ。血走った赤茶色の目がこっちをじっと見ていて かすかに唇に笑みを浮かべている。 その得体の知れない状況に私はゾッとしながらも必死で彼を引き寄せた。 奪われてたまるか! 私の執念が勝ったのだろうか…女は沼の底に消えてゆき彼は何とか岸から上がることができた。 私は彼の手を引いて急いでその沼から走り去った。 それ以来沼には行っていない。  数年後私たちが中学生になった頃、沼は埋め立てられたと聞いた。 そのことに私はどこかホッとした。 沼で見たものが何だったのか…ある時、私は気になって調べた。 昔あそこに花嫁姿の女性が身投げしたらしいという伝承をその時知った。 愛する男を政略結婚で奪われ、身投げしたらしい。  男の名前は木村誠一郎、そして男と結婚した政略結婚の相手の名前は千代…  それは誠一郎君と私の名前と一致する。 ……ゾッとした。 あの沼の女は私から、私の目の前で、誠一郎君を奪おうとしたのだ。 いや…名前が同じだけで、私も 誠一郎君も伝承の中に出てきた人物とは関係ないはず。あの幽霊だか何だかわからない存在はどうして 誠一郎君を狙ったの……  私と彼はやがて中学を卒業し、高校も卒業し別々の大学に行った。私は地元を離れ卒業し就職し、20年ぶりに故郷に帰ってきた。 実家のことを放ってはおけないし、ちゃんと家業を継ぐ目処が立ったからだ。  誠一郎君が 近くに家を建てて住んでいることを知って引っ越しのご挨拶に行くことにした。 街の様子は随分とかわっていた。 歩きながら彼の家を目指す。 待ってこっちは 沼があった方向じゃないの? 何やら得体の知れない胸騒ぎがする。 そうだ間違いない。埋め立て地になって随分と様子は変わってしまったけれど沼があったあたりだ。 彼の家が見えた。 くすんだオリーブグリーン…というよりこれは真菰色と言った方がいいのかもしれない。何だってこんな色を選んだんだろう? 落ち着いた色というよりはどこか薄気味悪く見える。 玄関のチャイムを鳴らした。 20年ぶりの彼の姿。 それは私の知っているはつらつとした姿ではなく、くたびれた表情をしていた。 20年も経ったんだもの印象が変わるのは仕方がないことだけど。 何とも言えない思いが胸に広がっていく。 「久しぶりだね、どうぞ」 その声を聞いてほんの少し安心する。 リビングに通される。 家の内装は和風モダンといった感じだった。 奥さんの趣味だろうか。少し薄暗い。 たわいのない話をするがどこか彼が上の空のように見える。 玄関先で何か 物音がした。 「あぁ、妻が帰ってきたみたいだね」 「そっかちゃんと挨拶しなきゃ」 私は立ち上がった。 ギィィーッという音。 「紹介するよ家内だ」 白い洋服を着たその女性を見た時私は知っていることに気がついた。 赤い唇、赤茶色のギラギラとした大きな目、青白い顔色。 あの時の女にそっくりなのだ。 沼の女に。 …いや、落ち着け。私はあの時一瞬だけその女を見たのだ。 似ているかどうかなど、どうしてわかる。 きっとただの他人の空似だ。 「初めましてよろしく」 なんとかぎこちない笑顔をして女の手を握る。 ゾッとするほど冷たくてどこか濡れているかのようだった。 「初めまして、久しぶりね、やっとこの人を取り戻せたのよ。もう何世代もかかってしまったわ。何度も何度もやり直してやっとここに連れてくることができたのよ。あなたには分からないでしょうけど、もう決して離さないんだから。残念ねあなたの居場所はもうないの彼は私のものなのよ」 ……この女は初対面の相手に何を言っているのだろう? 女は彼に手を回し口づけをした。 唇が真っ赤に見えて血を貪るように 生気のない彼の顔がゆっくりと彼女を見ていた。 どこか視点があっていない。 私は女の足元を見た。 その影はまるで花嫁衣装の白装束のように裾が広がり腕が骸骨の骨のように見えた。 むさぼり食っている。  頭の中でここに居てはいけないという声が響いている。 「お、お邪魔しました」 私は荷物を掴んで 急いで玄関から飛び出した。 後ろから笑い声が聞こえる。 けらけらと笑い声と祝歌が聞こえる。 お出ましじゃお出ましじゃ花嫁様のお出ましじゃ…  祝詞とお囃子とたくさんの足音、ビシビシと地面にひびが入る音、何か巨大なものが音を立てて崩れていくのが分かった。 私は必死で走った。 そうして沼地 だったところを抜け後ろを振り向けば、ぐしゃぐしゃと家が崩れ地面が崩壊し、彼の家は沼に飲み込まれていったのだった。  血の色の夕焼けがその影だけを映し出していた。
2026/09/18 ・ 👁️ 103回 ・ 💬 0件

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