コメディ・日常
マスカット迷宮
685文字
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「ただいま、おやつある?」
「おかえり。先に手を洗ってからね」
「はーい」
娘が小学校から帰ってきた。
家に帰ってくればいつもこの調子だ。小学校でたくさん遊んでいるからお腹が空くのだろう。
私は冷蔵庫からマスカットを取り出した。それから戸棚からクッキーあとは紅茶を入れる。
「お母さんマスカット好きだよね!」
娘はマスカットを頬張りながらそう言った。
私も一粒、口へと運ぶ。
「んー、まあね」
マスカットには思い出が詰まっている。
口の中で甘い果汁が溢れて、それは記憶の彼方へと私の心を誘ってくれた。
まだ10代の後半、夫と初めてデートをした時のことだ。
デートの場所はぶどう園。
普通こういう時には遊園地や映画館を選ぶんじゃないの?……なんて思いながらそれでもワクワクしていたっけ。
たわわに実ったマスカットを収穫しながら、初めての経験にとてもドキドキしていた。
淡いマスカットグリーン。
それはマスカットの色だけではなくて、ぶどう園全体が木漏れ日でその色に染まっていた。
迷宮のように広いぶどう園を2人で歩きながら摘み取ったマスカットをテーブルで食べた。
彼と一緒にいれば私が今まで行ったことがないところに連れて行ってくれる。経験したことがないことを一緒に経験できる。
もしかしたら彼の方もそう思っているのかもしれないけれど。
私が彼のことを好きになったのは、結局そういうところからなのだろう。
あれから12年――
私たちは結婚し娘が生まれた。
秋は実りの季節。今年娘を連れてまた一緒にぶどう園に行く予定だ。マスカットの迷宮を今度は三人で一緒に探索しよう。
爽やかなマスカット色の迷宮の中を。
私はもう一粒 手に取った。
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